MMT(現代貨幣理論)を妄信する人が多いのは、この理論が「貨幣理論として正しい」という確信があるからなのでしょう
最近は、貨幣理論を知らないのか?と鼻で笑われるような反応を返されるので、ネットで「政府の借金」という言葉を、おいそれと使えなくなってきています
まあ、現代貨幣の成立過程からみれば、MMTは論理的に正しいという言い分は、確かに正解ではあるのですが
問題は、MMTを理解している人たちが、MMTを世に広めていったときの果実(結果)が、良いものか悪いものか判断できないところにあります
MMTを世に広めている人の代表格として三橋貴明氏がいらっしゃいますが、彼すら
「MMTは単なる貨幣理論なので、善でも悪でもない、MMTをどう理解して政治に生かすかは、各政治家の判断次第だ」
みたいなことを言っていて、まあ、MMTを広めていった後のことは「知ったこっちゃねえ」という態度です
まあそれはその通りなのですが、だったら、「MMTをどのように政治に使ってはいけないか?」ぐらいの意見は言ったらどうかと思います
そこまでの教養は、彼には無いという事なのかもしれませんが。。。ちょっと言い方が辛辣でしたね
多くの人に見てもらいたくて、この動画を何度もご紹介するのですが、これはもういっそのこと永久版にしてほしいです
動画の37分50秒ぐらいから、「平和的な奴隷制」という話になっています
ここにMMTの問題があるのですよ
MMTでは、税金は国家財政に必要なものではない、ということを説明しているわけですが
この考え方は、政府の財政出動に、絶対歯止めが利かなくなる考え方であるのは間違いありません
国家運営は、ただ一人の経済学者がコントロールして動かすわけではありません。。。大勢の人が関わって動いていくものです
動画の中でトクヴィルも指摘していますが、「信仰(宗教性)なき民主主義は目先の利権や取得欲に引きずられる」ものです
国民は選挙で目先の利益を与えてくれる人に投票する特性があるわけです
また逆に、政治家は国民の関心を引くために、お金を使う権限を欲しがります。。。選挙に当選するためです
こうして、政治家が有権者に財政出動を約束するため、貨幣発行が無制限にできる事は、政治家にとって非常にありがたいことなのです
こうして、政府の機能は次第次第に肥大化し、政府がお金を使う場面が増えれば増えるほど、資金需要は抑えられなくなります
MMTは、間違いなく政府機能を大きく肥大化させ、最終的にインフレが起きたとしても、財政を緊縮させることができなくなります
これが真の意味の「大きな政府」です
そして、政府が色々なものを国民に与えていく中で、次第次第に、国民は「飼いならされていく」わけです
これはトクヴィルだけが指摘している事ではありません
ケインズを信奉する人たちが特に毛嫌いする、新自由主義の旗頭の一人と言われているハイエクもまた
「隷属への道」の中で述べているわけです
ハイエクは「小さな政府」の提唱者であり、政府の権限を小さくすることが、隷属から逃れる道だと言っています
私もその通りだと思っています
小さな政府を批判する人に多いのが、「緊縮財政=小さな政府」と思っている人が実に多いのです
違います。。。「政府の権限を小さくすること=小さな政府」なのです
最近は保守系の人の中にもMMTを信奉する「大きな政府主義者」がいらっしゃいますが
保守の重鎮中の重鎮、故渡部昇一先生が師事し、基本的な考え方の軸としていたのが、ハイエク教授だったはずです
ハイエクやトクヴィルのように信仰心があり神を信じる人は基本的に自由を重んじ、人々の自主性を重んじる側に立つわけです
とにかく、トクヴィルがキリスト教の教義の中に多少の疑問は抱きつつも
キリスト教的倫理観こそ、民主主義に絶対必要な条件だと見抜いていたのは、まさに慧眼の持ち主であることは間違いありません
彼は真の天才だったのだろうなと私は思います
信仰というものがあざ笑われ、軽んじられる昨今ですが、信仰なき民主主義は衆愚政治の始まり。。。これこそ現代そのものなのではないでしょうか?
今日はこのへんで、また
最近は、貨幣理論を知らないのか?と鼻で笑われるような反応を返されるので、ネットで「政府の借金」という言葉を、おいそれと使えなくなってきています
まあ、現代貨幣の成立過程からみれば、MMTは論理的に正しいという言い分は、確かに正解ではあるのですが
問題は、MMTを理解している人たちが、MMTを世に広めていったときの果実(結果)が、良いものか悪いものか判断できないところにあります
MMTを世に広めている人の代表格として三橋貴明氏がいらっしゃいますが、彼すら
「MMTは単なる貨幣理論なので、善でも悪でもない、MMTをどう理解して政治に生かすかは、各政治家の判断次第だ」
みたいなことを言っていて、まあ、MMTを広めていった後のことは「知ったこっちゃねえ」という態度です
まあそれはその通りなのですが、だったら、「MMTをどのように政治に使ってはいけないか?」ぐらいの意見は言ったらどうかと思います
そこまでの教養は、彼には無いという事なのかもしれませんが。。。ちょっと言い方が辛辣でしたね
多くの人に見てもらいたくて、この動画を何度もご紹介するのですが、これはもういっそのこと永久版にしてほしいです
動画の37分50秒ぐらいから、「平和的な奴隷制」という話になっています
ここにMMTの問題があるのですよ
MMTでは、税金は国家財政に必要なものではない、ということを説明しているわけですが
この考え方は、政府の財政出動に、絶対歯止めが利かなくなる考え方であるのは間違いありません
国家運営は、ただ一人の経済学者がコントロールして動かすわけではありません。。。大勢の人が関わって動いていくものです
動画の中でトクヴィルも指摘していますが、「信仰(宗教性)なき民主主義は目先の利権や取得欲に引きずられる」ものです
国民は選挙で目先の利益を与えてくれる人に投票する特性があるわけです
また逆に、政治家は国民の関心を引くために、お金を使う権限を欲しがります。。。選挙に当選するためです
こうして、政治家が有権者に財政出動を約束するため、貨幣発行が無制限にできる事は、政治家にとって非常にありがたいことなのです
こうして、政府の機能は次第次第に肥大化し、政府がお金を使う場面が増えれば増えるほど、資金需要は抑えられなくなります
MMTは、間違いなく政府機能を大きく肥大化させ、最終的にインフレが起きたとしても、財政を緊縮させることができなくなります
これが真の意味の「大きな政府」です
そして、政府が色々なものを国民に与えていく中で、次第次第に、国民は「飼いならされていく」わけです
これはトクヴィルだけが指摘している事ではありません
ケインズを信奉する人たちが特に毛嫌いする、新自由主義の旗頭の一人と言われているハイエクもまた
「隷属への道」の中で述べているわけです
ハイエクは「小さな政府」の提唱者であり、政府の権限を小さくすることが、隷属から逃れる道だと言っています
私もその通りだと思っています
小さな政府を批判する人に多いのが、「緊縮財政=小さな政府」と思っている人が実に多いのです
違います。。。「政府の権限を小さくすること=小さな政府」なのです
最近は保守系の人の中にもMMTを信奉する「大きな政府主義者」がいらっしゃいますが
保守の重鎮中の重鎮、故渡部昇一先生が師事し、基本的な考え方の軸としていたのが、ハイエク教授だったはずです
ハイエクやトクヴィルのように信仰心があり神を信じる人は基本的に自由を重んじ、人々の自主性を重んじる側に立つわけです
とにかく、トクヴィルがキリスト教の教義の中に多少の疑問は抱きつつも
キリスト教的倫理観こそ、民主主義に絶対必要な条件だと見抜いていたのは、まさに慧眼の持ち主であることは間違いありません
彼は真の天才だったのだろうなと私は思います
信仰というものがあざ笑われ、軽んじられる昨今ですが、信仰なき民主主義は衆愚政治の始まり。。。これこそ現代そのものなのではないでしょうか?
今日はこのへんで、また
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