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倫理や道徳と民主主義社会の相性が悪い本当の理由

2023-12-27 09:12:15 | 政治
先日から私は、「人気があるかどうか?ということと、正しいかどうか?ということは関係がない」ということをよく語っています
フランスの政治思想家トクヴィルは、民主主義の危険性に、200年も前に、いち早く気がついた「時の天才」でした
トクヴィルの言っていることを要約するとこういうことです
「道徳心や倫理観に多数決という考えを持ち込むと、道徳心や倫理観という錦の御旗によって、個人の自由が損なわれるようになる」
つまり、道徳的な行いや倫理的な考え方を多数決で決めるようになると、それだけで個人の自由は損なわれる、と言っているのです
トクヴィルがこの考えを書籍で表したのは200年前。。。「アメリカのデモクラシー」という書籍においてでした
そして、この彼の預言は、その後200年を経過した今、アメリカにて現実のものになってきています

いまアメリカでは「ポリティカルコレクトネス」ということが大変な問題となっていて
個人の自由な発言が「差別だ」として、常に監視されるような社会になっています
これ、民主主義の一番恐ろしい病の一つであって、「多数が決めた正しさを批判する事は許さない」という抑圧社会を生んでいるわけです

中世ヨーロッパの社会は、今のアメリカに比べると、随分と自由が保障された社会でもありました
君主制社会の中で、なぜそういう仕組みができたのか?というと、その理由をトクヴィルはまた説明しています
一般民衆に自由が保障されていた理由は、中間支配者層の存在にありました
中世社会は君主制社会ではありましたが、君主の権力に依存することのない「領主」たる貴族が多数存在しており
この領主たる貴族たちが防波堤となって、君主の絶対権力から民衆を守っていた側面があります
領主は民衆から税を取っていましたけれども、逆に民衆のもめ事を解決したり、民衆を守ったりする存在でもありました
領主たる貴族たちは教養があり、宗教的な素養を十分身に着けていたとも言われています
つまり、民衆は民衆で、自分たちの代表としての領主を頼りにしていた面があって、「持ちつ持たれつの関係」でもあったわけです

一人一人の領主の素養にもよるとは言え、領主は代々「領主としてあるべき姿」というものを、親から子、そして孫へと伝える傾向があり
領地内に住む一般住民たちとの関係性は、代々受け継がれる傾向があったと言われています
たとえ君主としての国王から住民へ重税を課そうとしても、そうした君主の横暴な振る舞いを止めていたのが領主で
そういう、本当の意味での地域の代表者の側面があったわけです
考えてみれば、一般民衆から見れば身分の離れた遠い存在の君主に親しみを感じることはなく、直接要望を伝えるすべもなかったわけで
一般民衆の生活など知り得ない君主と、より民衆に近い距離にいて民衆の生活の現状をよく知る領主
この関係は、より良い関係を維持するためのバランサーとして機能していたと思われます

西洋ばかりではなく、東洋においてもこうした事はあります
史上初めて広大な中国大陸を統一した始皇帝という人がいますが、この方は強力な中央集権体制を敷いていました
始皇帝は「法によって国を治める」という法治主義国家の考え方を打ち出しましたが
現代では法治主義は当たり前のように「正しい」と思われておりますけれども
当時の秦の時代は、その「法」を厳格に守る体制を作った反作用として、一般民衆は酷く悲惨な生活を強いられたと言われています
つまり、中央が強力な権力をもってすべてをコントロールしようとすると、必ず全体主義となって人々の自由が阻害され奪われていくわけです
中間支配者層が地域の代表の座を失い、強力な中央集権体制になると、地域住民の生活が崩壊します
これは一個人に権力が集中した場合であり、民主主義とは関係がないではないか?とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが
事はそう単純なものでもないのです

トクヴィルは、アメリカの民主主義もまた「多数決で決められた道徳が、強制力をともなって一般市民の自由を奪う」と指摘しています
全体主義の起源を著したハンナ・アーレントは、「悪の凡庸性」を指摘していて
「上からの命令に忠実であることが正しさであり道徳的なのだ」と考える平凡な人物が権力の中に入ることで
民衆を機械的に自動選別し、有無を言わせず強制力をもって自由を束縛することがあるわけです
この場合、多数決による「道徳的なお墨付き」を貰っている分、執行者の判断には迷いがなく、「情け容赦がない」ことになるわけです

その、正しさの基準となる道徳に「宗教の教義から出ている普遍的な正しさ」が入ることにより
中世ヨーロッパの貴族制社会が機能してきたわけであり、実は健全な社会を維持ずるために不可欠なのが「宗教性」なのです
これはトクヴィルも指摘している通りです
何度も指摘していることですが、民主主義には「信仰」、「宗教」が必要です
これがないと、単なる「多数決への妄信」になってしまいます
幸福の科学の大川隆法総裁は、政治に「自由」「民主」「信仰」の三つの柱が必要だと、何度もご法話で述べられています
私もその通りだと思います
自由も民主主義も、守らなければ壊れていくものですが、その基軸になるのが信仰である。。。というのが今日の結論です
信仰が無くなれば民主主義は全体主義に変化し、自由は損なわれる
そう思います

きょうはこの辺で、それではまた
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