安い税金と小さな政府を切望するふきあえずのブログ

安全で暮らしやすい日本をつくりたい
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日本を長期不況に落とした張本人...平成の鬼平こと”三重野康”...日本最強の貧乏神

2019-05-17 22:49:23 | 政治

今日は少し変わった日記を書いてみようと思います

日本がかつて絶好調だった80年代、バブルを破裂させたその引き金を引いたのは
その直接の引き金は間違いなく、当時の大蔵省の行った、いわゆる”総量規制”でした
当時は不動産バブル、資産バブルのブームであり、一流企業でさえ、土地を買って値上がりして儲ける
というようなことをやっていました

そして、そんな不動産バブルを一気に弾けさせたのが、大蔵省通達...つまり総量規制ですね
銀行に対して、不動産業者に金を貸さないように規制したものです
それによって、不動産業者が資金ショートを起こしそうになり、不動産を売り始めました
全国の不動産会社が売りを始めたので、土地価格はどんどん下がり始め
銀行が担保にとっている土地の”担保割れ”が始まり、銀行による資金回収、貸し剥がしが始まって
バブルが一気に弾けるように、経済が収縮を始めたわけです

では、そんな土地バブルを、いったい誰が演出したのでしょうか?
実は、意外と知られていないのが、日銀による金融操作です
金融操作といっても、金利の操作のことではありません
本当に経済に大きな影響を与えていたのは...”日銀の窓口指導”であったと言われています

MMT(現代貨幣理論)が有名になりつつある今なら、この”日銀の窓口指導”の真なる意味が理解できる人が多いのではないでしょうか?
土地バブルが始まった頃、日本で何が起きていたか?
それはMMTで見るように、銀行が貸し出しをどんどん増やして、市場にお金が溢れていったのです
誰かが銀行からお金を借りると、借りた分だけ市場にお金が増えるのです
そして、その貸し出し資金は、民間銀行が勝手に貸し出し枠を設定して増やしていたのでしょうか?
答えは...否 です

正解は、当時日銀局長級だった三重野康、この男が中心となって、民間銀行の貸し出し枠を増やし続けていた
というのが真相です...この日銀による民間銀行への貸し出し割り当てを”窓口指導”と言います
これについては、非常に緻密に調べた人がおり、当時の大蔵省も把握していない、日銀の”奥の手”だったようです
証拠を残さないやり方で、日銀の幹部が局長を通じて民間銀行へ貸し出しノルマを課し
超過しても少なすぎても、ペナルティーが課せられた、と言われています

こうして日銀のありがたい指導により、銀行は必要のない資金を企業へと貸し付け
金が余った企業が当時流行りだった不動産や株といったアセットものに資金を投入することで、バブルを作り上げたのです

そして、バブル崩壊後、日銀総裁となった三重野は、今度は逆をやり始めました
大蔵省や政治家が気がついていない”窓口指導”というやり方で、今度は貸し出しをキツく締め上げたのです
当時、バブル後の経済立て直しのために、政治家も大蔵省も、必死になっていました
金利を下げ、公共投資を行い、経済を立て直そうとしましたが、結局、失われた30年が始まってしまいました
その裏には、日銀の窓口による”引き締め政策”がありました
当時の政治家も大蔵省官僚も、日銀の利下げにばかり気を取られ、窓口で貸し出しを締め付けている、などということは
どうやら気がついていなかったフシがあります

では、日銀はなんでそんなことをやったのでしょうか?
どうやらそこには、大蔵省に対する反発・対抗意識、企業論理があったのではないか?と、私は考えています
日銀の思惑通り、大蔵省は解体されて財務省となり、日銀は独立性の高い組織になりました
三重野はそんな日銀の、日本経済より日銀の論理を優先して日本をどん底に落とした
日本最強の貧乏神だと私は思っています

こうしたことが分かる、理解できるようになったのも、MMTによって貨幣の本質が理解できたことが大きいと思います
今やるべきは増税じゃありません
増税は民間の借り入れ、投資意欲を削ぎ落とします
「貸してやる」と銀行がいかに言おうとも、先の見通しのないところに借り入れ資金は必要がないのです


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