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湧水めぐり・まち歩き 藤川格司

水を調べている日々を書き込む予定です。最近は熱海のまち歩きを楽しんでいます。

熱海まち歩き(21)熱海のひもの 老舗めぐり

2019年11月26日 | 熱海のまち歩き
熱海まち歩き(21)熱海のひもの 老舗めぐり



熱海は干物が有名です。
老舗は熱海銀座通りにある青木、小沢、釜鶴の三軒のひもの屋さんです。もとは漁師さんだったらしいです。



青木干物店 



伊藤博文が宿泊した樋口旅館で、海が時化て不漁なときに、青木干物店の先代が、アジの一塩生干しを食膳に出したところ、旨いと評価された。これが干物販売、拡販の始まりとされています。



小沢干物店 



小沢干物店の先祖が漁師だったころ(710年頃)、熱海沖合で神像のような切株を網にかけ、場所を変えて三度も同じ切株がかかるため、これを松の木に安置したところ、夢で枕元に神が立ち、「七株の楠がある山に切株を祀れば、里人を守護すべし」とのお告げがあり、麦こがしを添えて切株を祀ったのが来宮神社の起源です。
来宮神社の例大祭のこがし祭りで、天狗の面を被った猿田彦神(祭神)が小沢干物店の前で麦こがしを群集に撒くことが行われています。




釜鶴干物店 





親水公園のムーンテラスに像がある釜鳴屋平七の子孫が経営しています。安政大地震で熱海の魚が販売不振で網元は漁民に賃金不払いとなり、漁民一揆が起こりました。釜鳴屋平七は1859年、マグロ網漁で網元(地方)と網子(村方)が対立したとき、村方の立場に立って韮山代官所に直訴して八丈島送りの刑を受けた郷土の義人です。平七は1864年、八丈島へ送られる途中、伊豆大島でなくなっています。この平七をしのぶ「釜鳴屋平七夫婦像(澤田政廣作)」は1971年、海浜公園に設置されたが、2000年に現在の位置に移されました。


ひもの屋さんの由来を聞いたら、干物がより一層おいしくなるでしょう。たぶん。

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