日本の傳統(伝統)を守らう!

皇位繼承問題を主に扱ひます。メル突(場合によっては電突)を實踐(実践)・推奬してゐます。

小さな政府か大きな政府かよりは道義が重要とは云へ

2006-04-15 23:59:59 | 教育改革

小泉チルドレンながら、 皇室典範改惡沮止などで活躍されてゐた稻田朋美氏が産經新聞「政論」に寄稿し、 「小さな政府」を擁護してゐました。 少しがつかりしたのですが、考へさせる文章だつたので引用します。

(改悪 ×阻止 稲田朋美)

【正論】衆議院議員・弁護士 稲田朋美 格差批判の裏に拝金主義はないか [2006年04月03日 東京朝刊]

■「小さな政府」の真意を見誤るな

 ≪国栄えてこその社会福祉≫

 今、小泉構造改革が「格差社会」という言葉で批判されている。所得、教育、地域、世代間などで、規制緩和による行き過ぎた競争が「勝ち組」と「負け組」を作り出したというのである。

 小泉改革が目指す「小さな政府」とは、規制緩和、官から民へ、国から地方へと無駄をなくすことであるが、批判派は、これこそが「格差社会」を生む元凶と見て、セーフティーネット(安全網)の大幅拡充を主張している。

 しかし本来の意味での「小さな政府」とは、社会保障やセーフティーネットを含め、政府の役割自体を縮小することにある。かつてレーガン米政権の経済哲学 は、自主独立、個人の尊厳を重んじ、公的援助は最小限にとどめ、その上で経済を成長させることだった。すなわち国家の繁栄こそ最大の社会福祉という考え方 である。私も基本的にはこの考えに共感している。

 機会均等の下での競争から生じる格差の拡大に対し、セーフティーネットをいたずらに大きくすることは、規制強化や国による所得の再配分に戻ることと同義で、明らかに本来の意味の「小さな政府」とは矛盾する。

 また、セーフティーネットのさらなる充実を主張する論者は、結局、今の日本はすでに「小さな政府」になりすぎていると主張しているのであ る。果たしてそうだろうか。確かに日本の社会保障給付費が対GDP(国内総生産)比で先進国中最低レベルにあることは事実である。しかし、その理由は GDPが世界最高レベルにあるからで、国民一人当たりの社会保障費では国際水準に照らし、トップクラス(厚生年金給付額は断トツの世界一)といってよい。

 さらに、国、地方合わせた債務残高の対GDP比が160%と戦後最悪の財政状況にあることを考えれば、セーフティーネットの充実は当然としても、社会保障制度もまた構造改革の聖域であってはならない。まず国家の存続が社会福祉の前提であるからだ。

 ≪所得より大事な豊かな心≫

 では日本が目指すべき「小さな政府」とは何か。米国型の自立重視の競争社会でも、欧州型の国が率先して助け合う社会でもない。日本独自の道義大国として の「小さな政府」であろう。セーフティーネットをこれ以上大きくせずとも、自助、共助で「格差」を埋められる社会であり、さらには「格差」を格差と感じな い社会である。

 任天堂の創業者、山内溥相談役が京都大学付属病院の新病棟建設に私財七十億円を投ずるという。氏は以前も京都・嵐山に百人一首をテーマ にオープンした「時雨殿」の建設費二十一億円も寄付している。氏の行動は、同じ経営者でもホリエモンとは対極をなすものだが、マスコミの扱いは大きくな かった。

 競争の結果「勝ち組」になった者が、社会にその富を自分の意思で還元する社会、そのような人が称賛される社会こそ、道義大国が目指す「小さな政府」の社会である。金額の問題ではない。国に頼る前に、自らがやろうとする精神が尊いのである。

 「格差」批判には金銭至上主義が見え隠れする。批判がもっぱら所得格差に集中しているからだ。所得格差を国の力で埋める考えは社会主義的 発想にほかならない。所得がすべてではない。精神的豊かさで他に優越すれば、所得格差は決定的格差ではない。和歌や俳句を作りながら田園に生きるというの もひとつの美しい生き方だろうし、そういう価値観が日本本来の精神文化であった。このような精神の優越性を取り戻すことが、日本が目指すべき「小さな政 府」に通底する。

 ≪目指すは道義大国の実現≫

 では、どのようにして道義大国としての「小さな政府」を目指すのか。突き詰めれば「モノに対する精神の優越」「公の精神」「道徳」などを教える国民教育である。戦後六十年の間に徐々に失われ、いまや瀕死(ひんし)状態にあるこの価値観を、教育改革によって取り戻す必要がある。回復には同じぐらいの年月がかかると覚悟の上でである。

 その間、つらくとも「構造改革」と「小さな政府」を推し進め、これまでゆがめられ続けてきた社会構造を正常化していかなければならない。努力や創意工夫が、そのまま当然のごとくに報われ、報われた人は恵まれぬ人々を助け、そのことが称賛される、これが出発点である。

 その意味で自助・自立の精神に基づく小泉構造改革が目指しているものは正しい。ただし、それは車の両輪としての道義大国・日本が実現されてこその「小さな政府」であることを忘れてはならない。(いなだ ともみ)

慥《たし》かに「小さな政府」にするのかそれとも「大きな政府」にするのかよりも 日本の教育をどうするかの方が重要なのは間違ひありません。 結局のところ、強者(=金を持つてゐる人達)が弱者(=金を持つてゐない人達)を 顧みなくなつたのが樣々な日本の歪みの元兇に思へます。

(元凶)

リストラを斷行しパート・派遣の比重を多くする企業、 會社は株主のものと言つて憚らない投資家、 既得權益を手放さうとしない官僚、 自分の利益・權力慾のために國を賣る政治家、 累進課税を批判する高額所得者、などなど。

(断行 会社 ×権力欲 国 売る)

弱者への配慮、弱者に對する惻隱の情が強者にあるのなら、 日本が今のやうな姿には成らなかつのでは無いでせうか。 それさへあれば、「小さな政府」でも「大きな政府」でも構はない、、、 とはそれでもやはり言へないでせう。

(対する 惻隠)

政府の人間を道徳教育のなされた日本人に限定することは將來できるでせうが、 企業の經營者を限定することは出來無いのですから。

(將來 経営者 出来無い)

理想の國家とは、道徳心に滿溢れた人達からなる大きな政府が統治する國家でははないでせうか。 あくまで理想ですけど。

(国家 満溢れ 国家)

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