日本の傳統(伝統)を守らう!

皇位繼承問題を主に扱ひます。メル突(場合によっては電突)を實踐(実践)・推奬してゐます。

教育とは強制するものであり、洗腦である

2006-04-14 22:16:31 | 教育改革

今日は過激なことを書きます。 自虐史觀を教へ込み、左翼思想への洗腦が社是である沖繩タイムスの記事を御覽下さい。

(洗脳 自虐史観 沖縄 御覧)

  • 沖縄タイムス 社説(2006年4月14日朝刊)[愛国心] 強制では生まれない (http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20060414.html#no_1)

     濃淡の差はあれ、自分の国を愛さない人はいないはずだ。

     それは、家族や郷土を愛することと同じで自然発生的なものである。

     それをあえて「我が国と郷土を愛する…」と条文化し、教育基本法改正案に盛り込まなくてはならないのか。

  • それは左翼の人達が自虐史觀の洗腦教育をしてゐるのでそれを止めるためです。

    (自虐史観 洗脳教育)

     与党の教育基本法改正検討会が合意した教育基本法の「愛国心」をめぐる記述のことである。

     河村建夫元文部科学相は「国を愛する心を持つことを目標にした学習指導要領に法的根拠を与えることができる」と、その狙いを強調する。

     つまり、小中学校の道徳や社会科の学習指導要領で先取りしている「国を愛する心」を持つとの目標を法的に裏付けたいのである。

     しかし、それは「憲法(第一九条)が保障する思想、良心の自由の侵害につながる」と、有識者らは批判し反対している。

    贊成してゐ有識者も居ます。

    (賛成)

     それぞれの立場や思想があるのに「愛国心」を学校で評価するよう求められ、結局、押し付けになるからだ。

     「法律は行為の在り方を定めるが、心の在り方を決めるものではない。子どもたちの内心の自由への介入だ」(高教組・松田寛委員長)との指摘も当を得ている。

    現在子供達の内心の自由に介入してゐるのは左翼教師です。 そもそも内心の自由に介入するのが教育です。

     何よりも押し付けられた「愛国心」が、心の底からのものとなるかどうかは極めて疑問と言わざるを得ない。

    私も子供達に押し附けられた自虐史觀が心の底からとならないことを祈つてゐます。

    (押し付け 自虐史観)

     では、政府の本当の狙いはどこにあるのか。

     東京都などが行っている「日の丸掲揚」と「君が代斉唱」の強制と同様に、「愛国心」も政府が合法を装った国民の「洗脳」の一つという見方がある。

    左翼教師や左翼メディアが行つてゐるのも「洗腦」です。

    (洗脳)

     昨年十月、自民党は現憲法を大幅に改定する「新憲法草案」を作った。今や堂々と叫ばれている憲法改定に向けた「地ならし」の一環で、愛国心で憲法改定への外堀を埋めたいのが政府の意図ではないのか。

     しかし、国を愛する心というのは国家や政治家の押し付けで生まれるものではないし、まして憲法で強制するものでもない。

    自虐史觀を押し附けて、國家を愛せないやうに誘導してゐるのは左翼教師です。

    (自虐史観 押し付け)

     「いい国であれば、愛国心は自然とわき出るもの」(ひめゆり平和祈念資料館証言員・津波古ヒサさん)だからだ。

     今の日本人は、飽食の下で心の教育まで国家統制されかねない危険な流れの中にいる。

    今現在、心の教育は左翼教師に統制されてしまつてゐます。

     国民に対する「愛国心の強制」の延長線上からは「国民の権利の制限や義務の強化」、はては「徴兵制」の足音までも聞こえてきそうだ。

    國家が何たるかがまるで分かつてゐませんね。 個人の自由を奪ふかはりに安定した社會を提供する仕組ですよ。 そして「徴兵」に關してですが、 近代兵器を扱へない素人が戰爭しても勝てませんから、 日本が「徴兵」制度を復活させることは私は考へられません。

    (国家 戦争)

    しかしそれでも尚、「徴兵制」を批判したゐのなら、お隣りの國でも批判してはどうですか? 私はその國の事情もあるでせうから批判するつもりは有りませんが。

    (國)

     政治におけるこのような動きには、敏感になり、監視していきたい。

    私も左翼教師や左翼メディアを監視していきたいと考へてゐます。

    そもそも、教育とはある思想を子供達に強制するものであり、洗腦することです。 そうやつて人は獸ではなく人となるのです。 子供の自由意思に任せて育てれば躾もできるなんて考へる人はまさか居ませんよね。 宗教教育はもちろんのこと、尚更洗腦と呼んで良いでせう。 私の價値基準では、重要なのはその結果、皆が安心して暮らせる國家になるかどうかです。 教育なのか洗腦なのかといふことはどうでも良いことです。

    (洗脳 価値基準 国家)

    右翼も左翼も自分達の思想を強制することは教育と呼び、相手の強制は洗腦と呼ぶ。 もちろんさう呼ぶのは良いのですが、 やつてゐることはどちらも同じだといふ自覺は持つてもらいたい。

    (洗脳 自覚)

    どちらの思想の人をより多く増やせるかといふ勝負です。

    ただ私は勝利を確信してゐます。 兩方の情報が廣まれば右翼(=傳統を守る)といふ思想に染まる人が多いと確信してゐますから。 ですから言論の自由だけは大歡迎です。 左翼の人達も兩方の情報を知つたときの反動といふものをもう少し考へては如何ですか。 制禦不能の嫌韓・反中の流れを作つたのは左翼の人達でも有るといふ自覺は無いのでせうか。

    (両方 大歓迎 ×制御不能 自覚)

    、、、と沖繩タイムスにメールしました。

    電突・メル突先:
    沖繩タイムス http://www.okinawatimes.co.jp/com/index.html
     	問い合はせ窓口 http://www.okinawatimes.co.jp/com/index.html
    

    よく、自虐史觀の洗腦が解けたといふ人がゐますけど、 敢へて言へば、その人はまだ分かつてゐないのだと思ひます。 洗腦が解けたのでは無く、別の思想に洗腦されたのだといふことに。 もちろん筆者は自分自身のこともさうだと考へてゐます。

    筆者は二重基準(タブルスタンダード)が嫌ひです。 いつもさうならないよう自分を見詰めるやう心がけてゐます。 だからと云つて二重基準になつてないと確信してゐるわけでも有りませんが。

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