≪手を動かさねばっ!≫

日常で手を使うことや思ったこと。染織やお菓子作りがメインでしたが、病を得て休んでいます。最近は音楽ネタが多し。

六華苑(旧諸戸清六邸) へ行った。その6(和館その1)

2024-02-17 18:12:28 | 行った話(展覧会以外)
六華苑(旧諸戸清六邸) へ行った。その5(洋館2階その3) よりつづく

洋館1階ホールを玄関から入って(入れないけど)まっすぐ行って扉を抜けると和館に入る。
和館は奥行きが深い。見よ、この廊下の先を(じつは便所です)。

廊下は 畳敷きなのだが、さらにその右側に板張りの縁側がある。なんだか廊下が2重みたいに見える。
上の写真の外側の左には洋館の食堂があり、右には洋館のトイレがある。

上の写真の方角のまま少し進み、赤い絨毯から畳に入ったところで右を見ると、お手洗いがある。


廊下をはさんでお手洗いの反対側。把手に札の下がった扉がある。
もしや、これは!と思い内玄関棟にいるもぎりの人に尋ねたら教えてくれました。
これは和館の2階に上がるための階段の扉だそうだ。開けて見せてもらった。写真は撮れませんでした。
その5 で洋館の2階の和室を覗き込んだとき 畳の手前に板張りの部分が見えたが、そこに階段が続いているのだろうか?

桑名市HPに間取り図 があった。やはり、2階には和室は2部屋あるらしい!
その5 で廊下の突き当たりから扉で続いている和室は 次の間の方だ。
サンルームから見えるのが 次の間に続いているメインの和室だ。その5 で左を覗き込んでいる写真 に、メインの和室の床の間の地袋?がちらと見えている。

和館で見学者が入れる和室のうち いちばん洋館に近いのは二の間に属している次の間だ。
その次の間から二の間を見たの図。欄間がすっきりとしている。


二の間から内庭を臨む。飛び石がいざなうよ。飛び石の先に見えるのは番蔵棟。


内庭とは反対側の前庭に面した縁側。内庭側の廊下はまっすぐだったが、前庭側はクランク状に曲がっている。


前庭側の縁側を洋館の方向に振り返って見たところ。1階ベランダの白い石製の手すりが見える。
縁側の突き当りの板戸は開けたら洋館に通じているのだろうか?と思ったが、桑名市立図書館 旧諸戸清六邸 (六華苑) 整備工事報告書 にある間取図よるとどうやら押し入れのようだ。

左に写っている 次の間の襖と 板戸の奥行きに差があるが、それが和館2階に上がる階段のスペースだ。上から3枚目の写真の扉の向こうの撮影不可の階段ね。階段は2階の前庭側の端に出るようだ。階段の下も押し入れになっているよううだ。


和館についてのキャプション。その2 のキャプションによれば、棟梁は伊藤末次郎だそうだ。


二の間についてのキャプション。



間取図を再掲。




   六華苑(旧諸戸清六邸) へ行った。その7(和館その2) へつづく




 
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六華苑(旧諸戸清六邸) へ行った。その7(和館その2)

2024-02-17 18:12:17 | 行った話(展覧会以外)
六華苑(旧諸戸清六邸) へ行った。その6(和館その1) よりつづく

左の板襖が半分塞いでいるのが畳敷きの廊下で、その廊下を左に行けば洋館に至る。
その畳敷きの廊下を半分塞いだ板襖の上の欄間は交差する斜めのバッテンで、ほかの欄間と明らかに違う。

右の薄紫の絨毯敷きの部分が鞘の間だ。
鞘の間の左側が二の間で 右が一の間に属する次の間だ。
その6 で前庭に面した縁側がクランク状に曲がっている写真をアップしたが、上の写真の突き当りが その曲がっている箇所だ。
ちなみに前庭に面した縁側がクランク状に曲がっているのは、一の間のが二の間よりも広いからだ。二の間の幅は2間半だが一の間の幅は3間ある。

しかし、鞆の間の二の間側に襖があるのが解せない。だってその向こうは二の間の床の間なんじゃないのか?
ん? 洋館に掲示してあった間取図を見ると スペースがあるように見えるんですけど。桑名市HPにある間取図 にはちゃんと押し入れって書いてあるな。


鞘の間から一の間に属する次の間を見たの図。欄間が他のものとちょっと違う。
それでも直線で構成され、木目もうるさくなくて、とってもすっきりしているのに変わりはない。



一の間に属する次の間から一の間を見たの図。二の間の欄間と同様すっきりした板だが 桐と菊の透かしが入っている。
写真の右端のライトの下の釘隠しにも同じ紋が使われている。アップ写真は撮り忘れた。
白いシェードのライトの上はだいぶん退色した赤い房飾りで覆われている。こういうのはわたしは見たことがなかった。


天井。棹縁天井というらしい。


一の間の床の間を 横から前庭が見える向きで見たの図。障子や透かしや向こうの欄干や庭がいい感じ。


琵琶床と付書院。


透かし。菊と桐だが、次の間との間にある欄間のものとは意匠が違う。
洋館もそうだったが、窓から見える美しい庭というのは最高な贅沢な気がする。


一の間のキャプション。



前庭側の縁側。前庭も洋館側は芝生が広がっているけれど、一の間の前は思いっきり和風だ。
11月も末だというのにモミジに青い葉がまだ残っている。桑名は暖かいね。


張り出した縁側に惹かれれて、身を乗り出して少しだけ異なる角度から よく似た写真をもう1枚。


張り出した縁側に出て洋館側を振り返る。洋館のベランダが遠いなあ。
前庭側の縁側がクランク状に曲がっている向こうにも和風な植込みがある。二の間から見る庭のためのものだろう。
ちなみに、注意書きは 手すりにもたれるな という内容。出るな、とは書かれていないよ。


薄紫の絨毯の敷かれた縁側に戻り 少し振り返る。ほんとうに広いお屋敷だなあ。



和館の畳敷きの廊下の突き当りにあるのが便所。間取図にはスペースはあるけれど明記されていないんだよなあ。
突き当たりではあるが、扉は端にはない。そうか、畳敷きの廊下に半分だけ板襖がふさいでいたが、あれが洋館や玄関からの目隠しになっているな。


キャプション。



間取図を再掲。




   六華苑(旧諸戸清六邸) へ行った。その8(一番蔵、二番蔵、番蔵棟) へつづく




 
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六華苑(旧諸戸清六邸) へ行った。その8(一番蔵、二番蔵、番蔵棟)

2024-02-17 18:12:06 | 行った話(展覧会以外)
六華苑(旧諸戸清六邸) へ行った。その7(和館その2) よりつづく

和館の板張りの廊下が便所の脇から更に先に続いている。

廊下の先の左側の開口部から便所の方を振り返る。便所の裏ってこんな感じか。


一番蔵が見えてきた。蔵の出入口は直接外に面しておらず、小部屋になっている。その5 で瓦屋根を差し掛けられてあるのが小さく見えたやつである。
小部屋は、桑名市観光サイト 名市観光サイト映画『わたしの幸せな結婚』ロケ地紹介 をスクロールして 斎森家・蔵 の項目を見ると、内側と外側の両方がよく分かる写真がある。


ごつい扉だこと! お宝が保管されていたのだろう。


蔵の手前の小部屋の窓から洋館の方角を見る。塔屋が遠いよ。左側は内庭だ。
内庭に面した和館の縁側にはガラス戸が何枚もあるが、それを覆う雨戸をしまってある戸袋が分厚い。何枚も必要だからな。



来た廊下を戻り、長い畳敷きの廊下を通り、洋館の手前を左に折れ内玄関棟に入り、


内玄関棟の内庭に面した側を通ると、番蔵棟に通じる渡り廊下が見えてくる。


内玄関棟の扉を出てステップを下りると 左斜め前の方へゆく渡り廊下があるのだが、その途中、右側にも蔵がある。二番蔵だ。
蔵といえば、普通はこういう出入り口を思い浮かべるよな。一番蔵が変わっている。よっぽど雨風に当てずに出し入れしたい物を一番蔵にしまっていたのかな。


キャプション。



渡り廊下を行くと番蔵棟が見えてくる。あまり蔵らしくない外観だ。うーん、蔵らしいのは二番蔵だけ?
屋根が差し掛けてある簀子の渡り廊下って小中学校を思い出すなあ。


簀子に従い右から回り込む。なんだか 内だか外だか決められない、中間の感じ。
屋根の下を少し進むと床に上れる。床/板張りの廊下の右側には蔵の入り口が並んでいて、その前を通れるようだ。
ところで 窓から左前に見える建物は離れ屋。


蔵の扉のひとつ。
蔵は4つ並んでいるが、隣あった壁をぶち抜いて、展示スペースとして使われたりすることもあるようだ。
見学したときは使われておらず入れなかったけれど、ミズタニセイキ提供六華苑VR では入れる。


キャプション。四番から七番まで、とあるのだが、三番の蔵はどうしたのだろうか?



間取図を再掲。




   六華苑(旧諸戸清六邸) へ行った。その9(旧高須御殿、離れ屋、内玄関棟) へつづく




 
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六華苑(旧諸戸清六邸) へ行った。その9(旧高須御殿、離れ屋、内玄関棟)

2024-02-17 18:10:51 | 行った話(展覧会以外)
六華苑(旧諸戸清六邸) へ行った。その8(一番蔵、二番蔵、番蔵棟) よりつづく

番蔵棟の通路を進む。窓から見えるのは 内庭とその向こうの和館。右手の日本家屋は離れ屋。
内庭と前庭はずいぶん性格が異なるようだ。

通路は右に折れる。折れてすぐの障子の向こうが旧高須御殿だ。


旧高須御殿の縁側。これじゃ全然分からない。じつは来た方向を振り返ったアングルなのだ。
正面の木戸の裏側が 上の写真の正面の木戸だったりする。

放浪ジャーナル 【三重】桑名市の六華苑(旧諸戸清六邸)を訪ねて その3(番蔵群と離れ屋篇)だと分かりやすい。
御殿、というのを真に受けるとすかされる。和館が立派だっただけにね。

キャプション。高須藩の御殿の一部を移築したらしい。



番蔵棟脇の通路に戻り、簀子の渡り廊下の途中で右に行くと 離れ屋だ。


縁側がめぐっていて見通しがよい。縁側から内庭へつづく飛び石を伝っていきたくなる。縁側は外側が板張り、内側が畳敷きだ。
下がっているライトがぼんぼり型でかわいい。


黒い花菱文様のついたライトの笠が和風だ。欄間にも黒い縁取りがある。


奥の間の床の間の手前には障子窓があるが、その外側は飾りに切ってある。花頭窓、でよいのだろうか?


障子を通して内側に柔らかく光が入ると飾りの形が出る仕掛け。
天井も凝っている。吹寄格天井というらしい。
奥の床の間がやたらと広い。


渡り廊下から入ってきて突き当たりの左側はガラス戸ではなく、下の方は壁になっている。
つまり この写真だと、左から入ってきて右に折れてから折り返した視点。


直線で構成されている建物だが、無双窓は波型だ。なんとも効果的。
そして、こういうものを最近見ていたよ。虎渓山 永保寺の観音堂 の欄間?も縦に波打っていたっけ。


番蔵棟の通路の窓から見た離れ屋。向こうに見えるのは一番蔵。
いやあ、離れ屋は素敵な建物だ。


キャプション。ライトの黒い花菱文様とか花頭窓とか そこはかとなく抹香くさかったのは 仏壇を納めていたからだったのかな。

和館の部屋はどれも次の間との2部屋ずつのセットだった。旧高須御殿も離れ屋も2部屋だなあ。


内庭。柴垣で囲ってある。



内玄関棟から和館2階を見る。洋館2階の窓は女中室のものだな。その5 で和館2階を一生懸命覗いたっけ。


女中室から下を覗くと屋根に明かり取りがある。


和館に通じる通路の屋根にその明かり取りが開いているのだ。


キャプション。内玄関棟では内庭を眺めながらお茶ができたりするのだが、そこらへんは全然写真を撮らなかったな。疲れていた、ともいう。

六華苑はいくつも建物があって有機的に繋がっている、ということが分かった。
現在も見学だけではなく、結婚式や映画やドラマのロケやその他色々な催しに使われているのが素晴らしい。
末永く守って活用し続けていってほしい、と思いました。
長い記事を最後まで読んでくださってありがとうございます。


では、最後に間取図を再掲。





 
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虎渓山 永保寺へ行った。その1

2024-01-15 17:28:35 | 行った話(展覧会以外)


昨年11月末に、受講していた松本市音楽ホールのチェンバロ講習会の最後の仕上げであるところの発表会が無事すんだ。その話やチェンバロの話はまた別の記事にしたいと思っているので ここではそれにふれない。
その発表会を見に母が神戸の方から松本まで来てくれたのだ。それで、車に母を乗せて実家へ帰った。年末年始の混む時期に神戸の方へ行きたくなかったので、一足早く移動したわけだ。

中央自動車道が東名高速道路に合流する17kmほど手前の虎渓山PAに車を駐車したまま てくてく歩くとなんと国宝を見ることが出来るので、せっかくだからそれを母に見せようと思ったのだ。
ただし、虎渓山PAは上りのみなので、松本から神戸へ向かっているときに寄ることは出来ない。それで多治見ICで高速道路を一旦おりた。

なぜそのようなことを知っているのかというと、9年ほどまえに神戸の方から群馬へ帰るときに虎渓山PAに車を置いて歩いたことがあるからだ。
 虎渓山 永保寺 HP

👆(トップの写真) 前回にも見た「下乗」という看板。同じ物のように見える。長持ちしているのは屋根の効果だろうか。
「下乗」という言葉はそのとき初めて知ったよ。
げじょう と読み、乗っている物から降りること、神社・仏閣などの境内に車馬を乗り入れてはならないこと、貴人に対する礼として馬からおりること、という意味だそうだ。


見事な紅葉の下をくぐり、
坂を下る。


坂の下に開けるのは境内だ。
紅葉は赤いしイチョウは黄色いし松は緑だし カラフルだ。11月末といえども晩秋とはいいがたい。


上の写真の右手の紅葉のかげにあるのが国宝の観音堂。
観音堂についてはその2で取り上げる。


上の上の写真でほぼ中央、イチョウのまえに写っている灯籠。
だらりとした釉薬が唐三彩のような、深緑が織部焼のような感じで、灯籠の火を入れるところ以外は焼き物に見える。多治見市は美濃焼の産地だもんな。




   虎渓山 永保寺へ行った。その2 へつづく




 
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