風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

20周年 花月吟

2019年09月22日 | 詩吟

舞台を降りた芦孝会長の「花月吟」墨跡 これを4分で、書き終えるなんて!

芦孝会長の書、7人による生け花、そして、8人女性による吟詠「花月吟」のフィナーレの構成吟も、大成功!


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20周年記念大会その2

2019年09月22日 | 詩吟

地藏哲皚会長は、ご自身の手による「西郷隆盛(詩吟両英雄入り)」をとても気さくに、引き受けて詠って頂きました。
尺八の伴奏者も、飛び入りで参加の伴奏で、いやがうえにも盛り上がりました。
嬉しい限り。


会員の知り合いの花屋さんによる、花の数々、とても生きの良い立派な生きのよい花が色を添えていました。(写真は、会員さんからさっそくに送って頂いたものを拝借しました。)

会員さんの盛り上がりは、相当のもので、20周年事業幕開けの頃の、「無関心」はどこへやらでした。

これでこそ、すべて、自分たちの力による手作りの会員のための芦孝会20周年大会です。

実行委員会の粘り腰の勝利!

この勢いは、何に向けていったらよいのだろう。



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東京芦孝会創立20周年記念大会

2019年09月22日 | 詩吟



雨を拭きはらって、公益社団法人 関西吟詩文化協会 公認 東京芦孝会創立20周年記念大会立派に無事挙行されました。

大阪本部より歴代会長及び、地元からは、江東区吟剣詩舞道連盟からも多数のお客様を迎えて、式典がとり行われました。

お越しいただいたお客様の中には、東京芦孝会のあり方をよく示したゆかりの先生も多数いらっしゃって、その当時と、今を聴き比べて、おほめの言葉を頂いたりしました。

会が大成功に終わったのは、お客様をお送りする時、お客様も会員もみな、最大級の笑顔であったことが、それを、証明しています。

四度にわたるリハーサルが行われたことで、進行状況や、会員自身の役目・立ち位置が、穏やかに深く浸透して、予定時間ぴったりに進行されたことは、何よりのことで、お役目をはたされた実行委員の方たちも、安堵しそれ以上に、誇らしかったことと思います。


吟剣詩舞道理事の方から、エールを頂きました。ありがとうございました。


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いよいよあした

2019年09月21日 | 詩吟
公益社団法人 関西吟詩文化協会 公認 東京芦孝会 創立20周年記念大会 いよいよ明日になりました。

それぞれの思いを胸に、それぞれの一日前を過ごしていることでしょう。

雨よ、ふるな!

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夢松風

2019年09月18日 | 詩吟
20周年を迎えるということで、気を引き締めた練習をしたおかげで、、しっかりと地に足がついた吟詠と、今ある自分に自信を持つことができたのかな?

それぞれが担当する三つの吟題を、それぞれの高さで、合吟をしていると、回を重ねることで、
すっかり、詩も頭に入ってきて、楽しむことができています。

それぞれが、経験年数に応じた成長を遂げていることに満足感も覚えます。

昇段もゆっくりペースですが、順調に進んでいて、嬉しい限りです。

それぞれのお人柄が、吟詠に表れていて、無理のない表現をしています。

教室風景で、変わったことと言えば、人数が増えたことと、コンダクターに加えて、ICレコーダーによる伴奏曲で吟詠をすることになったことです。

初めて、松風から二人もコンクールに出場することとなったので、練習にもCD伴奏を取り入れるようになりました。


この会場は、会議室ですから、はじめの頃は、音のコンダクターにも、施設側からのチェックが入りました。
人数が増えて合吟の声が大きくなった時は、クレームになりそうでした。


今では、10人近い人数の合吟も、少し大きめのCD伴奏にも、クレームが入ることがありません。

幹事さんは、心中では、危惧を抱いているかもしれませんが、快適に練習が進んでいます。

おかげ様。
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リハーサル

2019年09月16日 | 詩吟
20周年大会会場(於R1/9/22 アルカディア市ヶ谷)の最後のリハーサルです。
例年秋の練成会の開催場所の東部区民館ホールの客席フロアに舞台の実物の大きさの印を付けて、行います。


舞台両サイドのウイング部分の広さの確保が困難な中を、会場の係の方たちは、工夫をして、再現なさり、導線を確認して動いていました。


合吟のたくさんの人数の、出退場を迅速に行うための誘導、そのたびに変わるマイクの位置など、よく、計算されて、指示が飛びました。

そのような動きを目の当たりにして、ほとんどの出席を得て、一般会員の中にも、やっと、本番のイメージが浮かんできたことと思います。

司会、進行、ナレーション、吟詠のほかの重要な仕事が、どんどんとこなされて行きました。

ご苦労さまでした。

これで、当日が迎えられますね。

今日は、2回の通し練習が行われ、小西如泉先生との富士山も、出のタイミングを合わせることができました。

私の吟詠は、やはり、上がってしまって、思うとおりにいきませんでした。
珍しく、ダメ出しをもらって、最後は、「癖」という判断で、これからの大きな宿題を頂きました。

ここまで切羽詰まらないと、ダメ出しが頂けないのは、慮りが過ぎたように思います。
だから、「コンクールに出れば」という方向に話が行くわけなんですねぇ。


富士山の伴吟は、私が、舞台の下手で、吟じるため、ナレーションの方と出入りのすれ違いがどうしてもあります。
二度とも納得がいきませんでしたが、二度とも、何の声がかからず、観客として見たらどちらが良かったのか、不明。

意見があっても、声を上げにくかったのかもしれません。

ただ、2回目は、小西如泉先生とアイコンタクトをして、二人の間では、程よい感じで、スタートすることができました。

あとは、本番前の打ち合わせで、確認をして見ましょう。

メインは、トリの「花月吟」です。
舞台下の両側に、机を配置して、8人が花を活けます。
その様子は、吟者の私たちには、見えません。
会長の、書の様子が伝わってくるだけです。

連合吟の立ち位置は、真ん中に書を書く衝立があるので、上手側と下手側とに完全にわかれました。
すると右側と左側の4人ずつに、チーム意識が芽生えました。
まず、チーム内の吟詠の呼吸を合わせて、連携をとり、そして、左右のチーム同士の連携を計ることとなりました。
良い意味での、せめぎ合いがおきて、とても良い刺激となりました。
観客は、どんな感じで、ご覧になったのでしょうか。

このチームの中で、日頃6本で、吟じている人が、それぞれのチームに一人ずつ。
お互い、8本を、2行ずつ交代で、吟じる連合吟に、良く対応していると思う。
かく言う私も、6本組です。

日頃私が6本で吟じているのを知っている方から、人数合わせの口パクと疑われることの決してないよう気を入れて、吟じます。
ともすると、高い声を維持する方に一生懸命で、詩文が飛んで行きそうになるのを必死で捕まえようと大きなエネルギーを要しました。こんなに、我を忘れて、吟じたのは、学生の時以来。

終わった後、私の必死の思いが、両隣の仲間の背を押すことになっていたと聞き、安心し、うれしくなりました。
何という充実感だろうねぇ。

それに引き替え、伴吟だの、小西如泉先生のおかげだの、思いを込めてと言いながら、「富士山」は、ゆとりで吟じたくなっているのねぇ。

だから、あがるのかなぁ。。。

胸のすく思いをしなくちゃだの、体のコントロールだのとご託を並べないで、もっと必死になって吟じることを忘れてるね。

ゆとりをもって、大人の吟詠をして、聴かせようなどと思うのは、まだまだだよ。

個人的には、思いが吹きだす部分があります。
全体の構成としては、いろいろと、お聞きしたいことがあるのですが、ダメ出しがなかったということは、大きな破たんがなかったと、安心することといたしましょう。

プロデューサーがあってなきが如きの、面白い演出法なのですが、満足の行くリハーサルであったと思います。
何は、ともあれ、あとは、本番待ち。

体調を整えて、何があっても楽しみに変えて、一日を過ごしましょうね。


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過ぎたるは

2019年09月15日 | 詩吟
明日は、20周年に向けての最後のリハーサル。

舞台担当は、時間とのせめぎ合いに、どう対処するか、舞台上の吟詠と吟詠との「間」の処理にかかっています。

私たち出演者は、最高の技を見せようではありませんか。

連合吟は、合わせることが大事ですが、芦孝会20周年にふさわしい吟詠とは、何かと考えた時。

それぞれが精一杯声を出すということ。。

それは、プログラム最後のコラボレーションの「花月吟」藤野君山も然り。

音量を合わせようとして、セーブしたのは良いが、及ばざる声になることだけは、避けたい。
8人の精鋭女子の八本の声を、押さえてはいけません。
「過ぎたるは」を恐れて、「及ばざる」になることだけは、しないようにしましょう。

美しい調和は、大前提ではあるが、弱弱しくなってはいけません。

それは、練習した回数ではなく、合わせるという意志だと思います。

と、きのうの 同朋も同じ意見。
ほぉーっと、思ったことでした。

そして、私は、八本をどうあっても出す。

まず、心意気が合うと、すべてが滑りだす。


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同朋友有

2019年09月14日 | 徒然に日々のことを
同朋とは、ありがたきかな!

まさに、同朋友有、自ずから相親しむ
           (廣瀬淡窓作 塾生に示す)を実感する日でした。

今日、ご一緒してくださった方たちへ、ありがとうございました。

自分のことのように、感じ、思いを告げてくださった方が、居たことに、大きな喜びを感じます。

「言葉が、届く」とは、まさにこのこと。

そして、さらに、届いただけでなく、返ってくる。

あぁ、何て良いのだろう。






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胸がすく

2019年09月13日 | 体を整える
「胸がすく」とは、このことかと、体感しました。
(胸がすっとした心持のことを言いますが、ここでは、体がすっとしてつっかえが取れた状態のことを言っています。あしからず)

肋骨を腕と共に挙げていく体操をご指導いただいて、肋骨が上がっていく感覚、そして、胸が開いていく様子を感じていくと、伸びやかに、軽やかに、体が解放して行くのです。

それで、声を出すと、これって私の声?と思えるほど、劇的な変化を遂げます。

声を出すのは、決して、力技ではないというのが、わかってきます。

力を入れてとか、緊張してとか、そういう表現でないと伝わりにくい。
体の動きの微妙な関連性を、言葉にしていくのは、難しい。


山田先生のサメ[トを受けながら、言われるままに腕を上げたり、肘を曲げたりしていると、実感してくることと、体自体が覚えてくれることとが、あります。

この感覚を、しっかりととらえて、いつでも、自分が再現できるようになったら、本当の声を出すことができて、人様のサメ[トもできるようになる。

そんな日を、一日も早く迎えられることを、願いながら、今日の体操を復習中。

このもやもやが、解決したら、いろんな憂さや、悩みから、解放されるのだろうなぁと、思う。

足り無い自分を、そのままに受け入れて、あるがままの自分を褒めることができると思う。

楽しくてしょうがなかった初期の頃は、自分に、実力がないこともお預けのまま、ただがむしゃらだったなぁ。

今ある自分をただただ、伝え続けてきたように思う。

なまじ、ちょっとばかり、見えた気になっただけなのに、この体たらく。


がむしゃらの良さは、何かのせいにしないこと。
そして、ただ前を向いて、前を向いてすすめ!ができることだ。




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ワクワク感

2019年09月12日 | 詩吟
夢青葉教室は、新A≠Pの教科書に沿って、お稽古が続いていますが、今日から、後半11番目の漢詩に入りました。

新人二人の進み具合が、加速しています。

それには、基本の譜が少しずつ体に定着してきて、細かい説明を必要としないことが多くなってきたからだと思います。

声も、出やすくなり、前回の練習では、とてもうれしいことがあったと、今日報告して下さいました。
「メールしようと思ったくらいです」との言葉に、思わず「メールして下さい」と、応えました。


私は、きっと、こんなワクワクする練習をして、喜ぶ姿が見たいだけなのかもしれません。

もう、ある程度育って、ワクワク感が少なくなった人へ辛抱して教えるという「我慢」が足り無くなってきたのだと思います。

ワクワク感がないのは、お互いそれぞれに原因があり、その解決には、双方が同じように満足することが難しくなって来ているからだと...

園児のように、刻々に変わる様子を見ながら、瞬時に何をすべきか考えることは、スリル満点。

相手の考えに、どうしても届かない時は、空しくなり、したたかに育った我が子を、喜びながらも、あきらめの境地で、眺めるのは、歯痒いばかりで、心が動かない。

もう、私の手では、動かせない、動かそうとしてはいけない。
自分で、考えて、取り組んで、進んで行けるようになったのを、手元に置いておくのは、狭い囲いの中に押し込めておくのと同じ。


耳のそばで、大声で叫ぶのではなく、距離をもって、小さめの声で、語り伝えることが、大事というところに、到着。

子らの成長と共に、私も、それ以上に大きく育つことができたら、こんな閉塞感を味あわせなくてもよいのにと思う。


  「距離をもって小さめの声で語る」





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