風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

ゲストそれから紙事情

2004年04月07日 | チンゲル亭過去日記

日本語学科のゲストは今日で5回目となる。
今日はどんな時間になるのかなぁと思いを巡らせていたら、見たことのある学生が入ってきました。

お世話になりましたと、カードを持って挨拶に来てくれたのです。この生徒たちの先生は日本人のように上手に褒め言葉を使い、とても愛想の良い女性ですから、生徒もその感化を受けたのでしょうか。それとも、先生の示唆があったのでしょうか。

夫から聞いているモンゴル人は、ちょっと違っていたので、驚きました。そして、その先生に「きょうも、おきれいですね」と挨拶をされたときは、ゴマすりと感じてしまったのは、素直でなかったのかもしれないと反省。

その傍らで、日本人教師とモンゴル人教師が、「こそ」と「さえ」の定義を議論していました。
そして、私には、「二つのプロジェクトにまたがる。。。」と言う文章の『またがる』について質問されました。

随分難しい論文の和訳をしていたのには驚き、4年生ともなると随分高度な日本語を理解し、操るようになるものだと感心しました。

それにしても、先生でさえ、手にしているのは、すべて資料の本をコピーしたものであることに、モンゴルの物の無さを感じます。

学生は、ノートに余白無しに、小さな字でびっしりと書き込みをしています。

そういえば、オルティンドーの先生が歌詞をノートに書いてくれるときも、余白無しで書き込みを始めたことを最初は奇異におもったのでした。

紙は高価で大事なものなのです

食堂に行くと、紙ナプキンが半分に切って出されることも良くあるし、叔父さんだけでなく、きちんとした身なりのご婦人でも手鼻をかんでいることも良く見かけます。
スーパーの外国人むけのトイレットペーパーには、紙のサンプルがつけてある物もあるくらいです。

ハンカチを使うモンゴル人は、留学経験のある人と想像が出来るのです。

きょうは、外は暖かく風も無いので、上着が要らないくらい温度が上がりました。
こんな日は、日本の懐かしい風景の、戸外に本を並べて虫干しをしているかのような体裁で、古本屋さんが出現するのです。
その本を見ても、触りたくないくらい汚れている本も並んでいるのです。

モンゴルは、一気にネット文化になっていくのでしょうか。それとも、どうやって知識を得ていくのでしょうか?
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