風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

猫的には

2021年09月28日 | こたろう

 僕は、20才。見ての通り、いろいろと衰えたところもある。
 キャットタワーを上まで登って、ここまで下りてくる。
 ここからは、一気に飛び降りる。1メートルもないけどね。
 スタッという音のない音を立てて、降りることはできなくなった。
 母は、「ドタッ」という表現をしてくれるが。

コメント

こたろうのジャンプのように

2021年09月28日 | 詩吟
若き頃のこたろうさんは、何かの上に飛びあがる時は、ほんの少し上を狙って飛び上がって、その高さから、降りるという感じでした。
その差わずかな1センチもないくらいなのですが、飛び上がったのに、フワッと舞い降りる感覚がするのは、見ていてほれぼれ、快感しかありません。
思わず、「こたろうちゃん、すごーい」と拍手喝采。

その微妙な差を、イメージしながら、狙った高さを自分のものにします。
「ジャンプするときは、上目にね!」と、よく言いましたが、今は、自分に対して、毎回言い聞かせています。


声は、鏡に映してみることが出来ません。鏡になって、今ある姿を目に見せてて欲しいなぁ。
褒めるだけではない、今、一番大事な問題点を。
声は、消えていくものだから。
自分も他人も、だましおおせてしまうのです。あれ、そうだった?と言ってね。


そして次に問題なのは、頭高の音程を出すときは、お臍の下で、声の踏切を支えるようにして、出します。
今まで、支えることなくいきなり声を出していたので、頭高の音程も音色も不満足で、苦手でした。
声を出す前の準備が、私には、必要だということにやっと気がつきました。
何の苦も無く頭高の音を出せる人は、羨ましい。楽器はどう働いているの?

こたろうさんのしなやかな動きは、とても参考になっていました。
老猫となって、ジャンプも低くなり、高さが出なくて、手足の爪で棚の上や壁をひっかいた跡がたくさん残っています。
いつしか、ジャンプは止めたのねという場所もあります。
どうしても、上がりたいときは、手助けが来るまで待っています。

飛び降りた時は、どうかすると、どたっという音がします。

今はその猫としては、無様な様子は、支えのない覚悟のない発声と同じにおもえる。
そして、しなやかな頃を思いだしては、美しい音の出し方の模索をしています。

こたろうちゃんは、何事にも淡々として、あるがままを受け入れているように見えます。
無理はしない、楽しいことだけをして、ほぼ、昼寝をして、過ごしています。

私は、まだ、あがいています。そんな私を、猫的には、どうみてるの?





コメント