風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

腰痛六日目

2021年09月21日 | 体を整える
足湯も蒸しタオルも時間が経ってから、症状の緩和が看られるというのが、不思議でもあるが、これは、習った通りの経過をたどっていることになる。

今日は、特に感じたのは、足の指先と頭の先は、直結して居るということ。
思った以上に足先が冷えていて、なかなか赤くならない。
思い切って温度を上げてみる。最初は、3秒と入れていられないくらいの熱さを徐々に慣らしていき、我慢してお湯に足を入れていると、じわーっと滲みてきます。
やがて、我慢できるところまで温度が下がってくると、いままで、熱さを我慢するため固くなっていた体もほぐれて、汗も出てくる。
これで、熱が浸透していって、こわばっているところに届いていくのが感じられます。
指先が温まってくるにつれて、頭の中のこわばりも取れて、こうなると、頭の中で鳴っているパンパン!という音もなりを潜める気がする。

腰の痛みにばかり気を取られていると、昨日から改善のスピードが落ちてきているのを不満に感じてしまいます。
こうして、落ち着いて体を観察して見ると、いろんな場所に改善がみられて、体全体としてはそれほど遅い改善とは思えなくなる。

足の先が、こんなに冷えていることに、驚くとともに、足湯の必要性と効果を目の当たりにする。

足湯は、気が向くとやってはいたけれど、その時の祖のやり方では、わからなかったことと感じなかったことが、少しずつわかってくる。

そして、蒸タオルの効果も、程々に心地よい温度では、それなりの効果であること。
タオルの温度も、やけどしない程度の熱さというのは、どのくらいまでなのかを、やっと知ることとなる。

今までは、導入部だった。

今日は、皮膚に近づけるだけで熱さを感じるくらいの温度にしてみた。
皮膚温が上がるのと、タオル温が下がってくるのとのせめぎ合いを観察して、やがて、少しの我慢をしながら、当て続けることが出来るようになると、塊の芯の部分が、何かを語りだす感じがして来る。

体との会話って、これなのかなぁ?

試しに、熱さを感じている時に、立ち座りをして観察して見ると、痛みが無い。
ウン、確かに効いている。

タオルが冷えてきても、巻き込んだ中には、温かみが残っているので、その残りの熱は、目に当てる。
目に当てる時は、あまり熱いのを当てないようにと聞いているので、これこそ、心地よい暖かさで、目の周りが緩んでくる。

ウフフ、有効利用。

数時間後、床に落ちたものを思わず拾うことが出来ました。
昨日は、床に届くまで手を延ばすのには、痛みに逆らって、腰を支えながら手を延ばしていくのには、勇気が要ったのに。

日々に、日々に改善。

ここまで来たら、あとは、倦まずたゆまずで続けていったら、症状が消える日は、ほどなく来ることでしょう。

山田先生にご指導を受けながら、言われるままに、実行していたことが、まだ、入り口の段階であったとわかる。
自分で、問題点を理解し、改善のための工夫ができるようになって、初めて、物事が動くようになる。

先生が以前、「詩吟と同じ」とおっしゃったのは、このこともそうなのかも。
先生には、いろんなことをしゃべりまくっているので、ちょっとした言葉でも、理解して頂いているという安心感で満たされます。

転ばぬ先の杖は、私の自己満足であった。
本人が気が付いたら、もっと上を望んで工夫ができます。工夫できるということは、敵(目標)を知ると攻略法も見つかって、いくらでも上達します。



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