風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

審査員

2017年11月28日 | 詩吟
音階譜名にこだわることと、審査員のさいてんにこだわることと、どうちがっているの?
という場面に遭遇。


関吟の会派に所属している人は、関吟の音階譜名を正しく吟ずることが、当たり前のこと。
お茶にしてもお花にしても、その流派の型というものがあり、その流れや、型から外れたものは、流派の者であるとは言わない。


その「型」をきちんと身につけたかどうかを審査するのが、昇段試験であり、「型」を踏襲し伝える能力があるかを問うものであると思います。
自ずと、コンクールとは違う審査基準で審査されます。


流派としての最低限の守るべきことを、守れずして「関吟」を名乗ることは、いかがなものでしょう。


「型」を納めて初めて、その先へと発展していけるのですから、こだわるなといってもこだわるのです。


コンクールで、求められることは、それぞれのコンクールをどこが主宰するかで、見解が違います。
それを勝ち残って、上り詰めたい人には、そのコンクールの求めるものをしっかりと見据えて、作戦を練ることから始まります。


昇段試験は、作戦はありません。
ただ愚直に、会派の約束事を忠実になぞることです。
しかし、素直に、のびやかに、競わず、そして、礼儀正しくあることです。


約束事に縛られているのは、どちらも同じというかもしれないけれど、全然違う次元の話なのです。

こうして並べて、語ることではない。
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