風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

降りる

2017年08月13日 | 詩吟
降りること、「階段を降りる、音を降りる」のは、登りより困難が付きまといます。

降りることは、登りよりも気を使います。

同じように気を使いながらも、難なくやってしまう人と、例えば、膝のいたい人が階段を降りるには、勇気をもって痛みをこらえて、よっこらしょとタイミングを計らねばならないので、時間がかかります。

音程を降りるのも、音程の取り方に問題のある人も、登りより、下りに手間がかかります。

「大山の七、六、止めの三半、三」考えなくてもできる人、苦労してできるようになった人、苦労しても、時間をかけても、どうしても「降りる」ことに間延びしてしまう人。

根気よく、声の出し方、下りていく先の高さを確認をしなければなりません。
予想の上手な人、直感の正しい人は、困ることがありません。
手探りで、その先を見極めねばならない人は、ちょっと困る。

登りよりも下りが大事で、困難と言うのは、人間の体の特性なのだろうか。
ひざに痛みを抱える私は、登りは大丈夫なまでに回復しているけれど、下りは、やはりつらい。
確かめながら、ゆっくりと、着地面を確認しながら、支える力がないから、どん!と降りてしまう。

声も支える力がないと、すいすいと登って降りることが難しい。
間延びするし、着地が不安定になる。

音程は、私は、まだ大丈夫だけれど、体に故障を抱えると、困難な人への思いが至るようになる。

そして、下りだけではなく、音程が飛んで上がらねばならないときも、やはり見極めが苦手な人には、不安定になり、次へと続く音がさらに、ふらついてしまう。

コンダクターやCDなどの機械音のサメ[トで、音がとらえられる人は、まだ、幸運。
機械音で、とらえ難い人は、やはり、そばにいて、口移しで、繰り返す、繰り返す、繰り返す。

一度できたら、つぎからは、たやすくなる人が多いけれど、時間を置くとリセットされてしまう。
リセットされてがっがりするけれども、年が経ってみると、意外にも積み重なっているのに気がついて、無駄ではなかった。
これはこの人の特性なのだと、気が付く。

その、遅さに、ちっとも臆さず、歩み続ける強さはどこから来るのか。
そして、成功した時は、子供のように喜ぶ。

その笑顔に、またしても、取り込まれてしまう。

そんな人だから、たまには、自分勝手だ!と、むかっ腹を立てることもあるけれど、憎めないのである。
意外にと言ったら失礼だけれど謙虚で、適切な感謝の思いが、きちんと伝わってくるから、また、手を貸したくなる。

面白い人だ。

だから、また、手を変え品を変えて、手助けをするアイディアをひねり出そうと思います。



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