風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

夢青葉8月

2015年08月20日 | 詩吟
少し、暑さも和らいだとはいえ、エアコンなしでは、過ごせません。

何を勘違いしたのか、友人宅であることで、緊張のタガが外れていたらしく、1時間も前に到着しました。
驚く友人をしり目に、お弁当を開き食べ終えて初めて、練習開始までに、ずいぶんと時間があることに気づいて、やっと、友人が驚いていたことに、意識が、、、

お稽古前に、やりたいこともあったでしょうに、少しも慌てること無く、お相手をしてくださる彼女に、遅ればせながら、敬服。

さて、今日は、最初から全員そろっています。
お伝えすること、相談することがたくさんあるので、終わりの時間を気にしなくて良いのが本当に助かります。

せっかくの、好条件を生かして、必要なレジメ、伴奏CDなど場所をお借りして、置いておくことを提案して、快く了承を得ました。

専ら、練成会の吟の練習となりました。
何かのための練習を、好まないといいつつ、月に一度の練習では、そうせざるを得ません。
理想論を言い放っても仕方がないのです。

三人とも、なんだか意識が自然とステップアップして来ています。
準師範への昇格を控えている彼女は、自分の詩吟を模索し始めました。
練成会では、新しい挑戦をすることになりました。
そして、年長の二人は、独吟に抵抗を示さなくなりました。
学びピアの合同練習会が、思いがけず立派なホールであったことが、良い影響として残ったのでしょうか。
それとも、来たるべくしてここに至ったのでしょうか。

連吟や合吟をしていると、今まで以上に、楽しさが伝わってきて、こんな楽しい練習は、冥利に尽きると思ったことでした。

歌と言うものの効用を、そして唱和することの喜びを感じます。


コメント

菜根譚 はじめの一歩

2015年08月20日 | 論語と
暑いさなか、高校野球の決勝戦の最中、菜根譚の講義が始まりました。

思いのほか、出席がいつもの通りと、先生は喜びました。


菜根譚 その十九 前集
『世に処しては、必ずしも功を徼(もと)めざれ。
過ち無きは便ち是れ功。
徳に感ずることを求めざれ。
怨み無きは便ち是れ徳。』


先生の解説
過失なく一生を終えたならば、それは立派な功である。
対人関係に於いて、強いて徳を施して感謝されるように努めることはない。
人から、怨みを受けずにすめば、それこそ、人に感謝されることなのだ。


「立派な功績を挙げようと努めることはない」
「なるほど、それでいいのね、」と、思いつつ、もしかして私は怠惰に流れているのではないかとの、懼れとの間を、メトロノームのように、行きつ、もどりつ。。。



はじめの一歩
「絶句」 杜甫作  の練習の二回目。

此の処二度ほど、少し声が大きいとの指摘が隣の教室の方から事務所を通して届きました。
先生との素読の段階では、問題ないのですが、詩吟の声が、隣への影響を及ぼしてきました。
昨年の一年間は、何事もなかったのですが、今年になって、急に問題浮上してきたのは、みなさんの声が出るようになって、全員合吟の時は、特に、良いエネルギーを発してきました。お隣への影響が強くなったのです。
詩吟の好きな人にとっては、壁越しに届く声は、女性でも低めの音で出しているので、耳に触る音では決してなくて、心穏やかになるはずと思うのですが、とにかく声が聞こえてくる、詩吟と言うものが嫌いな方にとっては、騒音なのですねぇ。

内部的には、みなさんの声が出てきたのだからと、喜んで良いことなのですが、クレームとしてあがってこないうちに善処せねばなりません。
そのために、今日は、今まで使ったことのなかった、一番端っこの部屋を、事務の方と相談の上、お借りしました。
さて、どんな反応が返ってくるのやら。

もし、場所を変えねばならないとしたら、例えば、「先生のお近くの新越谷に会場変更になったとしたら」どうですかと、先生がおたずねしたら、「遠くなるなら、行けません。」との返事が帰ってきました。
その答えは、特に、詩吟に熱心な方だったので、3月までの、ワンクールが終わるまでは、このままで、事務の方の援護射撃を頂きながら、続けることになります。

さて、4月からのことは、しっかりと考えねばなりません。


お稽古のほうは、スムーズに進んでいます。
先輩がたの、模範吟詠を今日は、尺八伴奏で、いつもより多くの先輩の吟をお聞きいただきました。
そして、それぞれの紹介をし、お名前についての説明をいたしました。
野田 芦孝先生率いる「東京芦孝会」のメンバーは、参段を頂くと「芦」の字を頂くこと。
そして、それぞれに付いた漢字は、先生の選んでくださったもの、自分でさがしてきたもの、親がつけてくれた名前のもの、などと、それぞれが自由に選択できること。

特に芦孝会は、先生が命名するものとは、決まっていないのです。

その自由な考えのおかげで、私は、初めに佐藤鷺照先生にいただいた「照」の付いた名前のままで、芦孝会に所属していられるのです。

雑談になりましたが、詩吟を好きになって、詩吟のことや芦孝会のことも少しずつ知っていただきたく、お話させていただきました。


コメント