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風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

手のひらの簡単な体操

2020年10月23日 | 体を整える
「盆の窪のあたりのこわばりが取れて、柔らかくなっています。」

長年の悩みから解放されることがわかって、気持ちが楽になったからかも。

そして、下げた手のひらを反すだけで、胸のあたり、その一つ深いところまで、こわばりが取れていくのがわかる。

これで、深い息ができる。丹田に容易に力が入る。
楽器のメンテナンスが、進む。

今日まで、声を出すことを拒否してきた体が、急に詠いたくなる。やっと、詠いたくなった。




昨日は、吟詠発表を明後日に控えて、重い腰が上げなくてはと思い、声の出せる最後のチャンスなので、吟詠をさせて頂きました。
そうやって追いこめば、声が出てくるかと思いましたが、本来の声が出せず、中途半端な細い声でした。あぁ、なさけなや。

それでも、初めての方は、すごいと言って下さる。
今度は、もっとちゃんとしたのをお聞かせしたい。

先日お目にかかったばかりの女性が、ウグイス吟詠に参加され、驚異の音感で、詩吟に唱和されたのには、驚きました。

その方、お仲間が、面白そうだったら参加すると言ってたと聞きました。
稀に見る音感に、長足の進歩をなさるのは、自明のこと。
もし、誘った人が、ごく普通の人だったら、進度の余りの違いに、彼女に焼きもちを焼かないかと、心配をする。

先読みをしすぎたと、思うけれど、親しい人と安易に同じ行動をするのは、つまらぬ苦しみを産みかねない。あぁ、老婆心。


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サイボーグ萬斎

2020年10月20日 | 体を整える
そうだわ、始発だから終点までだから、必ず座って本が読める。何か本を、、、と思って、履いた靴を脱いでまで、取りに行き、瞬間に選んだ本。「野村萬斎 狂言サイボーグ」

文字にできない、言葉にすらできなかった思いを、そこにみつけた!
そして、大間違いにも気が付いた。

去年のあの私の選択は、まったく、私の根っこをそのまま表していたなぁ。けれど、正しく伝えることができなくて、敢え無く撃沈したっけね。
あれは、あの結果しかなかった。

萬斎さんは、言う。
師匠のコピーをして「型を覚える狂言のためには、師匠の真似をする才能が欲しい。

師匠が示す「型」の本質・特徴をいち早くつかみ、自分の体に転換する能力、イメージでとらえることも重要である。

しかし、骨格の違う弟子が師匠の「カマエ」をそっくりそのまま写せたとして、師匠と弟子の腕の長さが違えば、その角度をそのまま写しても、あてはまらない。

師匠と同じ感覚を持っていることも、重要である。
家の子は、師の「血」の半分をもらっている。外から入った弟子は、その感覚を埋めるためにも師と寝食を共にする修業の時が必要なのである。


こうして、型ができたとしよう。その型には、何を入れたらよい?

そのためには、何が必要?次々と、萬斎さんは、惜しげもなく、伝えてくれる。
能楽の「型」はレンズだという。レンズが良ければ、その影は、より大きく投影される。そしてその影に色を付けるのは、観客の特権だと。

押しつけがましい表現というのは、萬斎が出席したワークショップで、フランスのマイムを教えるマルソーが、言ったそうだ。「演技が不経済だ」と。その意味は?
マルソーの示したお手本は、とてもシンプルだったと。それは、まさしく能楽の「型」であったと。

無限の想像力を育てるレンズの役割をする「型」とは、何だろう?
       『野村萬斎 狂言サイボーグ』は宝箱!

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声が出るようになった理由

2020年10月09日 | 体を整える
肩の首回りあたりと喉の下のこわばりが取れているそうです。

今までにない、山田先生の喜びに溢れた声に、自分のことなのに、先生のことかと錯覚するほどに、一緒に喜ぶ。

良い調子になった体を、こんなにも喜んでくださるのですね。

先生にこんな喜んだ声を出してもらえるように、もうすこし、積極的に取り組まねばと思いました。なかなか守れないのは、難しいからではないのに。

その場所のこわばりと、股関節の問題にちょっと手を入れていただいたら、今日の帰りの駅への時間が、いつもより、いい気分で、雨なんて問題ない。

あれ?足の運びと、足の位置が、たがわず一定のリズムを刻んで、踏み込むときの安定感が格段に違うなぁ!!!
とても驚きながら、♬ just singing in the rain ♬ を口ずさむ。


「嵐が過ぎ去るのを待つのではなく、雨の中でも踊ることが人生なのです」

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姿勢の変化

2020年09月27日 | 体を整える
中央会は、声出しの前の体操から始まります。

その体操は、井本整体の考え方をアレンジしたものを、山田先生のアドバイスをいれて行っているものです。

毎月、たまに、季節の変わり目のコメントを差し挟みながら、数年来、同じ体操を続けていますが、やりつづけていると、定着して行くものなんですねぇ。

それが、「井本整体」からくるものとの認識はなくても、この考え方は、正しいと認識されたことが、今日、ふとした会話からわかりました。

それは、最近、私の姿勢が良くなってきたこと。
そして、良い声を出すための姿勢についてお話したことで、この話を、「あの方」に教えてあげたらよいのにと、提案されました。

最長老だといつも豪語なさる男性だから、このような提案はめったになさるものではないと思うので、本気でそう思っていらっしゃると受け止めました。
目で見てはっきりと良くなってきた私の姿勢をみて、それが「井本整体」であろうとなかろうと、その考え方と効能を認めて下さったということです。

「体は楽器」自分でできるメンテナンスをして、最高の音を奏でさせてあげよう!との考え方にも、共感を覚えて下さったものとわかりました。

山田先生に報告したら、お喜びになることでしょう。

ちょっとしたことでも、続けることの大事であることを、実感し、今すぐ目に見える効果をあげようとすることばかりを考え実行してきたことに、ちょっと待てよと、立ち止まりました。
これを、両輪にするには、どうしたら良いのでしょう。


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真っ直ぐな空洞

2020年09月25日 | 体を整える
井本整体の山田先生は、おっしゃいました。

私の首に近いところを両手で、優しく包むように触っているとき、体の中にまっすぐな筒のような空洞が感じられます。

「こんな時、いい声が出るんだろうなぁと、感じてました。」と。

そして、その時、私が「えっ」と言って首を傾げたら、途端に、「その筒がねじれました。」と。

今日は、先生が触っているあたりが、柔らかいです。

施術をしていただいている時の私は、頭ではなく、体でその言葉を受け止めているので、今になって文章にしようとすると、この言葉でよかったのかなと、覚束なく不安になってしまいます。

もし、先生が読むようなことがあったとき、私はこういう意味で言ったのではないとおっしゃるかもしれません。

それでも、文章にしようと思うのは、体のことを、他人任せにしないで、自分で、感じて、処理できるようにしようよ、という思いです。


さて、声の問題に戻るとしよう。

詰まった喉を、開いて、真っすぐな空洞を形成するために、行う体操は、やはり、8番に落として行かねばならない。
そして、腰で支えて、内腿で支え、足の平、足の親指に至る。

この立ち姿を覚えて、喉を開き、頭をまっすぐに保つ。

そうすると、私の楽器が、最高の音を奏でる。


言葉の選び方を間違わないでいたいと、切に思う。
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季節が変わる

2020年09月11日 | 体を整える
体は、一足早く、季節の変わり目を感知して、準備を始める。
体の外と中とのぎゃっぷで、変調をきたす。

季節ごとの変わり目が来ると、山田先生の繰り出す言葉。
それで、毎回、あ、そうだと、思い至り、体への働きかけが始まります。

今のところ、西洋医学的な血液検査からは、異常値を出していませんが、私の問題は、「腎臓」にあるそうです。

いろんな、日々の、体の変調に、そうなんだねぇと、感じることがありますが、まだ、自覚をしていません。

自覚をすると言えば、痛みを感じたり、こわばりを、発見したりして、これがそうなんだと、言葉で、言ってみる。

が、まだ、学びの途中。先生からの指示は、「午前中に足湯」の指示を頂く。

そして、別の角度からの喉のアプローチを、指導いただきました。

これが一番、今までで、その感覚を捉えることができました。

これなら、一人でできそう。

体の妙ということを、とても感じる瞬間。

この三番目にしてやっとと、思うか、それとも子の順番だったから、実感できたととらえるのか、それは、神のみぞ知る。

今の、それを、大事にすることから始まる。

生まれた時には、完璧な連動をしていたのに、だんだんと、断線したり、固くなったり、緩み切ったり、何億ともいえる、連結を、元に戻すのは、至難の技です。

はじめから、低値安定を目指しては、残念なことだから、今のレベルで、良いバランスをとる。ということなんだろうか。

ますます、面白くなる。

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使わなければ

2020年09月02日 | 体を整える
「体を丈夫にするためには、体の構造に従って使うことが第一」と"genten"9月号の井本整体先生の言葉にいきなり出てきました。

「喉は使っていなければ、、、」と言うことです。

しかし、その段落の最後には、「部分的に偏っている疲労を分解してみる。人間は、いったん力を入れてしまうと、なかなかぬけないものだからである。」と、有りました。

私が、今声を出したくないと思っている元は、ここにあったなぁと、思う。

正しい方法はと、言葉で言うことはたやすい。
そして、言葉にしたら、その通りにできていると、誤解してしまうものだ。

今、そのことをを見つけてしまったものだから、正しい体の使い方について、自分の体に実現しなくてはならないと思う。

見て、聴いて、感じて覚えることを大事にしているのだから、気が付いてしまたら、自分のでき得る最高を体の上にも実現しなくては。

そのためには、問題点をあぶりだす必要がある。
これは、先日、山田先生に指摘していただいたから、認識しています。

その解決に、手間取っています。
声を出したくないと思っていることは、感覚的に、正しい判断をしていたことになる。
と、考えて良いのだろうか。
井本整体先生の言葉を、良いように勝手に解釈していないか、ちょっと心配。

一旦力をいれてしまったら、なかなか抜けないと、承知しているつもりです。
元の木阿弥にならないためにも、声のリセットが滑らかに行えたらよいのにと思う。

ちゃんとした練習も先延ばしにしていて、不甲斐ない私を、いつもなら、叱咤激励するところを、黙ってそのわたしを見ている私。

もう少し、時間をください。



井本整体の最新刊が、生活クラブ生協の明日締め切りの書籍のカタログに掲載されていました。
さすが!


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因果関係

2020年08月31日 | 体を整える
細かい因果関係をあれのせい、これのせいと考えるより、今の体の状態を正しい方向に修正するためには、どうすればよいかを考えていくのが、井本整体のすすめかたかなぁと、今頃気が付く。

あのことがあって、それがストレスとなって、今日の体の不調になっている。
だから、体を治しましょうという図式も今まであったなぁ。

山田先生は、何かありましたかとお尋ねになるけれど、だからと言ってその事態を取りあげてどうということは、おっしゃらない。

黙っていることは、それが原因であると思っている私を認めてくださっていただけのことで、その因果関係をその通りと認めてくださったわけではなかったんだ。

まず、大きな声を出したければ、体を開く、喉を開く、軸をしっかり持つということ。
それができないでいて、声が出ないから、物事を収束していく方向、あきらめる方向へと向けてはいけない。

長年かかって、出来た体の癖を、正していくのは、そう簡単なことではない。
それは、体だけのことではなく、心と、生活の習慣からも起きていることだから、その一つ一つを見つけていくこと。

そうだね。。。。。 
  
何かのせい、だれかのせいと外に原因を見つけていこうとするのは、肘をついたり、足を組んだりして、ひと時の安息を求めるのと同じ。

できてしまった体の癖は、もう、その原因について、言い及んでも、何にもなら無いってこと。

アイロンで、間違ってできてしまった皺を治すには、どうする?
「だって、〇〇があんなこと言うから、よそ見した時にできたんだもん」
「だって、ここが、折線だっていうから、きっちりあいろんをかけたのよ」と言ってみたところで、出来た間違いの線は、丁寧に消して行かねばなりません。

まず、十分に蒸気を当てて、熱と湿り気をふくませる。そして、きちんとしかるべく平らにするか、正しい位置に折線を付けるか。

まるで、「熱刺激」の理論だねぇ。

こだわりを捨て去って、今の状況を良く見て、正しい行動をすること。

過去の出来事に、執着しないで、先を見る。

今しか見えない刹那的な治療ではなく、先のことを見据えて行う人体力学の操法は、すごいと思う。

山田先生は、細かいことをいちいち言わない。私と、違うところ。

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喉と声

2020年08月29日 | 体を整える
昨日の施術の時に、山田先生も、「声は出さないと出なくなる」とおっしゃった。
でも、喉の詰まった状態で、無理な声の出し方をするのは、どうしてもできない。

少人数でも、広い場所に広がっていては、声も届きにくく、無理に声を出そうとして、だんだんに声が出にくくなってくる。
それでも、出さなくてはならないだろうか。
できれば、ささやき声で話したいのに。

ここは、未だかつてない、苦労のしどころなのだろうか。

体に聞いてみる。喉に聞いてみる。

喉は、声を出したくないと言っている。

そうなんだねぇ。

ちょうど、休止時期に、体の声を聴き、心の声を聴き、ゆったりと時間を過ごし、山田先生の教えを守り、教えを乞い、体の調子も上向きになってきたことだし。

この喉の問題は、体の声を聴いてみようと思う。

練習ありきではなく、私の「体の声」主導でね。

本をぱらぱらとしてみると、飛び込んできた言葉は、「無意識のうちに肘をついたり・・・」と言う部分。

肘をついていることに気が付いて、慌てて手をおろすと言うことが、まだ、結構あるなぁ。

それは、肋骨を支える力が足り無いってことかも。

大きく前に出ている肋骨は、後ろにある1本の背骨のアーチの弾力をもって支えねばなりません。そして、背骨の土台としてすべてを受け止めているのが、骨盤。

骨盤の負担が大きくなると、肘をついたり、足を組んだり、何かに凭れたりするようになる。
その動きが、ねじれとなって、骨盤に一層無理な力をかけてしまうようです。

最近、背もたれによりかかったり、足を組んだりが無くなってきたけれど、ともすると、肘をついているなぁ。

まだまだ、いろんなところに負担がかかっているわけで、その元凶を、井本整体で、正しい位置に戻しているわけです。

私の場合は、喉の当たりに問題ありと言うことは、それは、どう考えたらよいのだろうか。

ひざの痛みにしか興味の無かったのだが、本当のところは、膝ではなく、別のところにもあったという訳なの?

痛みを発する膝から出発して、太もも、股関節、肩から喉へと、先生とお話をする部位が、どんどんと変わって、動いて行く。

それって、核心に近づいているってことなの?

うーーーん、だんだんと面白くなっていく。

どこに向かって行くのか、興味津々。

一筋縄ではいかない、体の物語は、動きだして、面白いエピソードを聞かせてくれるらしい。
それは、とりもなおさず、楽器としての体の物語でもある。

死ぬまで鳴り続ける楽器の「想像」、「創造」、「創作」、「捜索」、「探検」、「探索」「ねじれ」、「もどす」、「のばす」 「もどす」 どの物語に、興味がある?

生まれた時の、束縛の無いからだに、戻れると思う?

ねじれや、拘りが、大人になるの言葉の呪縛から、柔軟性を欠いて今の体になったのを、元に戻すには、何が必要なのだとおもう?



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喉のつまり

2020年08月28日 | 体を整える
今日の収穫は、後頭部に意識を集中して行う体操を教えていただいたこと。

会話の中から、問題点を拾い上げるようにして、指摘くださいました。私の、不満(主に痛み)を解消するという形で、これまで、改善方法を指摘して下さったのですが、こんな形で、体操を教えていただくのは、初めてかもしれません。

その体操を行うと、頭の縛りが無くなって、何時も頭の中で鳴っていた音が、消えていくようでした。

「騒音になれていて、その音が無くなって初めて、騒音があったことに気づき、その騒音に対して意識しなかったストレスがあったことがわかる」というような図式。
頭と体の連携は、すれ違いがちと言う例の問題。

これは、喉へも影響があって、詰まっているようです。
これで、喉に関しては、二つのアプローチがあるということがわかりました。
これでは、伸びやかな声は出ないでしょうね。

こんな大きな気づきを下さったので、せっせと体操に励みましょう。
ただ、先生は、ちょっと難しいのですがとおっしゃりながら、教えてくださっただけに、微妙なところで、ャCントがずれてしまいます。
さらに、右手の動きから、左手の動きに移るとき、右の手の動きと角度で、せっかくャCントを掴んでいても、左手を動かそうとするちょっとした気持ちの動きにも、ふっと気が緩んで、目標を失ってしまいます。

はじめは、先生のサメ[トがあって、やっとできるのはいつものことですが、これは、特に家に帰ってやってみても、思いだすものがない。

こういう場面は、症状が生半可ではないということです。
ャCントを捉えるまでには、いく度となく、サメ[トを得ながら、繰り返すしかありません。

繰り返して、わけがわからないままに、体操を行っているうちに、やっと認識できる。
騒音を騒音と認識して、やっと、次の手が打てるわけです。

そういう、メカニズムがわかってくると、見えない、手ごたえがないものに使づいて、色を付けていく作業が、面白い。
色がついてくると、的となって、認識できる。そうなると、こっちのもの。

今、楽しく加減をしながら、体操ができるようになった部分については、面白いほど、改善が始まる。
あくまでも、心地よく感じるところで、ストップ。やりすぎはいけません。

気持ちが良いと感じるャCントは、角度、力の加減など、すべてが弥次郎兵衛みたいなばらんすで、生じるものであることが、またまた、わかってしまった。

無理やりとか、頑張ってとか、目いっぱいなどと言う表現は、そこには、無い。

そこに向かう気持ちは、脱力して、こだわらないことなのだと思う。



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