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風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

ほんとうのこと

2006年11月07日 | チンゲル亭裏日記

11月1日に、訃報が舞い込んでから、大きな衝撃が、ウランバートル中の日本人に走りました。

日本でもいち早く、所属先、実名入りで報道され、日本からの問い合わせも殺到しました。
今まで、交通事故はあっても、殺害と言うことは無かっただけに、波紋が広がっています。
とりあえず、活動を停止して自宅待機ということも考えてよさそうなのですが、その指示は、公式発表があるまでは今までと同じにというものでした。

ご遺族と東京の本部からの人たちが、到着し、儀式が進められていきます。
偲ぶ会、荼毘、と昨日までに終わりました。

これからは、UBに住む人たちの安全について、緊急時の対応について、いろいろと協議されることになります。

住まいの安全についても、検討されるでしょう。その時、今の住まいで大丈夫かどうか、ライン上にあると思われる人は、引越しを考えねばならなくなります。
住み慣れたところを離れるのは、よほど、次の場所が安全である保障がなされなければ、安心して移るわけにはいきません。
果たして、そのような住まいが待遇の範囲内で探せるでしょうか。

夫と故人とは、2002年の夏ごろから、最初のUB派遣の同期の仲間として、信頼を深めつつお付き合いが続いていました。その仲間を失った衝撃は、如何ばかりのものでしょうか。
私の、恐武Sを思って冷静に振舞っている夫の苦悩の姿を今朝見ました。
自室の奥で私の目が無いと油断していたのでしょう、靴下を履こうとした姿のまま、メ[ズボタンを押したかのように、動かない姿を見てしまいました。目をしばたかせていたので、しばらく部屋から出てきませんでした。
見なかった振りをするしか有りません。

この事件で、さまざまなかかわりをしている人の、それぞれの立場を考えながら、言葉を選び、いたわりながらの会話がそこにあります。
心配しすぎて、聞かなくて良いことを聞いてしまったり、思いやるがゆえに帰って心を乱したりしています。
事の真相が解明され、安心して生活ができる日が、早く来ますように。
関係の方々にくれぐれも、負けないで戦ってくださることをお願いいたします
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今日本は

2006年11月01日 | チンゲル亭裏日記

今、日本は秋真っ盛りだろうなぁ。
紅葉がきれいだろうなぁ。

つい誘われて、写真のブログをサーフィンして見ようかと出来心を起こしたのはいいけれど、、、

それぞれの写真の腕のよさ、ページのレイアウトのよさ、文章の良さ、惚れ惚れするものばかり。
あー、いいなぁ。
センスの良さに口をあんぐり。

私の写真のストレートさは、モンゴルを表すにはちょうど良いのかも。
テクニックが無くても、何とか写し取ってるよね。(たぶん)

秋の京都、日本の食べ物、その繊細さを写すにはやはり撮り手の繊細さが要求されるなぁ。

せめて、ピントだけはちゃんと合わせよう、手振れの無いようにあわてないでと心に、誓うのでした。

秋真っ盛りの日本へ、帰りたいなぁ。
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何も知らないでいること

2006年10月30日 | チンゲル亭裏日記

最近、外観の真っ白なおしゃれなレストランが我が家の近くにオープンしたそうです。
サクラよりも近い、何より道路を渡らなくて良いというのは、好条件のお店です。
サクラのような安心感があるかといえば、それはどうかな?
この、お店は日本人の経営ですが、以前同じ場所に別の外観で営業していたものです。なんだかうら寂しい感じがして一度も入ったことがないのです。
よく聞く話で、雇い人のモンゴル人にだまされて、あわや土地も建物もなくしてしまうところだったそうです。
このお店の日本人は、モンゴルでは珍しく、裁判で外国人の権利が認められ、土地と建物は、もっていかれなくて済んだそうです。
それで、思いっきり雰囲気の違う、(あれ?立て直したのだったかな?)お店に生まれ変わったということらしいです。

日本人が持ち主や、家主さんとのトラブルが多いとよく聞きます。店が軌道に乗り始めるとなんだかだといちゃもんをつけてくると言うのが通例だそうです。
今も、楽しみに通っていた日本食のお店が、休業中です。早く再開してくださいね。

そんな裏話が、2年以上も住んでいると耳に入るようになってきます。
知らなければ、ただ、「新しい清潔そうなお店ができてよかった」「今度行って見よう、おいしいと良いなぁ」で終わるところです。

そのほか、人が集まるところには、いろんな裏話があります。
いざ開いてみると、最初に聞いていたコンセプトと違う結果になっていたり、それも、当日になってみないと、あるいは終わってみて、そうだったの?なんていうのも有りで、外国人としては、油断もすきもないのです。

言葉が分からないからと、逃げるつもりはないけれど、最終的には、すばしっこいモンゴル人とその仲間にいいようにされていたなどというのでは、ほんとにがっかりします。
それが、犯罪でなければ良しとするには、あまりに腹が立つ。
こういうのって、事前によく確かめたとしても、その確かめたことが終わってみて違っていたのではどうしようもない。
ますます、懐疑的になってしまう。
知らないで居たかったとはもう言えないだけモンゴルに住んでしまったのだなぁ。
どうする?これから。。。
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10月最後の日

2006年10月30日 | チンゲル亭裏日記
今、日本は秋真っ盛りだろうなぁ。
紅葉がきれいだろうなぁ。

つい誘われて、写真のブログをサーフィンして見ようかと出来心を起こしたのはいいけれど、、、

それぞれの写真の腕のよさ、ページのレイアウトのよさ、文章の良さ、惚れ惚れするものばかり。
あー、いいなぁ。
センスの良さに口をあんぐり。

私の写真のストレートさは、モンゴルを表すにはちょうど良いのかも。
テクニックが無くても、何とか写し取ってるよね。(たぶん)

秋の京都、日本の食べ物、その繊細さを写すにはやはり撮り手の繊細さが要求されるなぁ。

せめて、ピントだけはちゃんと合わせよう、手振れの無いようにあわてないでと心に、誓うのでした。

秋真っ盛りの日本へ、帰りたいなぁ。
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母の車椅子

2006年10月28日 | チンゲル亭裏日記

最初は、赤いシートの車椅子でした。
デイケアでご一緒でとても気の合うIさんという方がいらっしゃいました。
母の境遇とよく似た方で、何かと話題に出て、保護者としてのIさんの娘さんと私も同じ立場として、親しさを増して居たのです。

そのIさんの使っていた車椅子をもらってくださいと申し出られたのは、Iさんの四十九日が過ぎたころでした。
一人暮らしをなさっていて、娘さんがいつものように朝、様子を見に立ち寄られたら、夕飯がきちんと食べてあって、今にも流しに持って行こうと立ち上がったら、あまりに夕焼けがきれいで、ソファーにゆったり座って眺めているうちに、静かに旅立たれた様子だったとのことでした。

Iさんの住むマンションは、ほんとに夕日がきれいに見える部屋で、しばし見とれていることが多かったそうです。
そして、その日、あまりにきれいな夕日だったので、娘さんも「あぁ、きれい、母もみとれているな」と思ったそうです。
まだ、私の母は元気で自分の足で歩いていたころです。
ただ、デイ ケアで遠出をするときは、施設の車椅子をお借りしていたことを私より先に職員の方から小耳に挟んでいたようでした。
それで、遠からず必要になりそうだと思って、貰ってくださいと野申し出でした。

Iさんも、母と同様、車椅子を常用しているわけではなかったし、その大往生の様子が、あやかりたいくらいでしたから、喜んで頂いたのです。

数年使った後に、体の状態が進行したので新しい車椅子を注文しました。
その車椅子のフレームは、母の好きな緑色を選びました。
そして、やがてその車椅子の主は眠るような最後を迎え、次の知り合いへともらわれていきました。

やがて、二人目の主も逝ってしまわれました。
まもなく2年になろうとする先日の事、大事に保管しているのを見た人から、使いたいと、申し出があったそうです。
2年もの間、場所ふさぎな車椅子を保管してくださっていたことに感謝し、また、母とそして友人のおばあ様についで3人目の重宝してくださる方が現れてほんとに良かったと思いました。

きっと、母も喜んでくれていることでしょう。
車椅子は、使い方を誤ると危険なことがあります。しっかり、母に監視してもらいましょう。私は、使われる方の安全をお祈りしたいと思います。
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花ぬすびと

2006年10月27日 | チンゲル亭裏日記

「花ぬすびと」と夫から美しい言葉を聞きました。
無くなった3個の陶器のことを話したら、その言葉が返ってきました。
むくむくと、もたげてきていた黒雲がそれで打ち払われて、いい気分になりました。

美しいとはいえない荒削りの器を、気に入って持っていってくれたのなら、それでよしとするかと言う気分になりました。

ところが、夜になって担当の方にお聞きしたら、3個の器は預かっているとの事。机の下に置いてあったそうです。
8点の作品が、3個と5個に泣き別れになってしまった原因はわかりませんが、どうやら無事保管して下さっていることが分かり、ほっとしました。

「花ぬすびと」の言葉のおかげで、いったいどいつだ!と荒げるはずの気持ちを、どんな人かなぁと想像し、お尋ねするときも、静かにたずねることができて、良かったなぁ。

大変お騒がせしました。

でもちょっとがっかり、気に入って持っていってくださったと思ったのは間違いだったので、そうか、やっぱりなぁと。
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とても残念

2006年10月26日 | チンゲル亭裏日記
今日の12時をもって、日モ友好秋の件p展は終わりました。
たくさんの人が、見に来てくださったようで、盛況のうちに終わりました。

今朝、SAVE THE CHILDRENに行く前に、TUUL、ニコ、とTUULさんのボーイフレンドでドイツ人のマルチンの4人で、展覧会を見に行きました。

たくさんの件p作品を見て彼らは、驚き喜んでいました。
一般の人たちが、こういう作品を鑑賞する機会はあまり無いようですから、小学生のニコにとっても、いいことだったと思います。
日本語科の先生にも招待状をお配りしてのですが、どなたかでも着たいただいたでしょうか、あるいは、学生に渡していただいたのでしょうか。
件p大学の学生さんは、先生たちの作品が出展されていますから、たくさんの来場があったそうです。

陶撃ノついては、モンゴルではあまり見られないので、好奇心たっぷりのTUULさんからいろいろと質問が出ました。
釉薬についてきちんと説明ができなかったので、わかってもらえたでしょうか。
マルチンは、中国の研究家なので、とうげいとはどんな漢字を書くのかと質問がありました。

とても残念なのは、その前日すでに金井さんが出品したトナカイの角を彫って作ったペンダントヘッド(銀の鎖付き)がなくなりました。

監視のための人員は配置してあるのですが、目が届かなかったようです。
ほんとに残念です。
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寒くなると

2006年10月23日 | チンゲル亭裏日記

先週末は、湯たんぽの心地よい温度を楽しみながら、思いのほか冷え切っていた体を温めていました。
その時、読んでいた本は。
登場人物たちは、私よりかなり若い年代なのですが、同じ感覚で読み進めるのが面白かった。
結婚して子供も居てという年代になると、10才や20才の年齢の差は関係なくなってくるのだろうか、それとも、作者の恩田陸さんが私の感覚と同じだからなのか。
久しぶりに、うんうんとうなずきながら心地よく読み進める面白い本でした。 (日本モンゴルセンターで借りた「黒と茶の幻想」)

そのほかには、友達が日本から持ってきてくれた内田康夫シリーズ、ダ・ヴィンチコードを斜めに読み返し。センターで借りた「わが人生の案内人」ー澤地久枝ーを途中まで読みました。

NHKの週間ブックレビューは、毎週楽しみにしている番組です。
いろいろな本の紹介をしてくれるので、うれしい。
そして、アマゾンのウイッシュリストに書き込んで、帰国したら読みたい本のリストが次々に出来上がっています。
わがやからの足も便利になったことだし、神田の古本屋さんや、大手町の紀伊国屋にも行ってこの目と手で選びたい。

手近な本屋さんで、手近に済ませていた読書の傾向を少し改めたい。
図書館をまず上手に利用しよう。
本を読みたい熱が、寒くなってくると高まってくる。
とりあえず、明日は、日モの展覧会に出展しに日本センターへ出かけます。また、本を借りてきましょう。限られた本の中から選ぶのは、難しいときとすんなり決まるときとあります。
もっと、本をそろえてほしいなぁ。
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倉敷=綿菓子の様な思い出

2006年10月22日 | チンゲル亭裏日記

倉敷で過ごした2年間は、まるで羽が生えたように自由で、楽しくて、うれしくて、何の不安も無いときでした。

倉敷に引っ越してきたときには、三人のうち二人が嫁いでおり、一人残った姉も進学で忙しく、お目付け役を務めるものが居なくなりました。
それで、2年生にもなったことだし、一人で出かけることを許された時期だったのです。

倉敷の家は、住宅街であっても小学生の足で歩いていけるところに、本屋さんも八百屋さんも肉屋さんも呉服屋さんもありました。
母のお使いを頼まれたり、自分の本を買いに行ったり、一人で出かけるのがうれしくて、世界は私一人のものと実感したときです。

父は、定年を前にして、とても偉い人になったらしく私にとってヒーローでした。そして、年の離れた末っ子の私は父の溺愛の対象でしたから。
母は、7人家族からそれぞれが独立して4人家族になって、時間も経済的にもゆとりができて、家の中が静かで落ち着いていました。その頃はいつも、笑っていましたし、何よりも駄目といわれた記憶がありませんでした。

転校した小学校では、クラスのみんなに大事にされて、先生はおおらかだったし、何も憂いの無い、秋晴れのような、綿菓子のような、日々でした。

その中で、心ときめかせるところがありました。
なぜかよく遊びに行っていた父の職場の前の川を挟んだ向かい側に大きな洋館がありました。
見たことも無かった柱の高い高い洋館に、黒い大きな今にも動きそうなブロンズ像が立っている緑の茂った建物でした。

高校生になって、大原美術館と、緑は新渓園であることを知りました。
その隣りのエルグレコという喫茶店に友達と入ったときは、夢のようで、うれしかったのです。
その頃の私といえば、喫茶店なんて入ったことの無い田舎の高校生でしたから、またまた、大人になった気分になり、世界は私のものと感じたのでした。

私にとって、倉敷は、思い出すだけで、のびのびーとするところです。
そして、機会があれば何度でも行きたい、そうそう、大人になってから主人と一度だけデートした鶴形山公園のあるところでもあります。(^^♪
幸せの一杯詰まった倉敷。
帰国したら、大阪と倉敷は絶対行くぞぉー。
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秋の雨

2006年10月21日 | チンゲル亭裏日記

窓から見える向かいの屋根が白く化粧をして、いかにも寒そうに凍っています。
乗馬の禁足令です。馬に乗らなくても、田舎に行ってゲルのストーブのそばでのんびりするのもいいなと思っていたのですが、あまりの顔色の悪さに、暖かくして部屋を出ないでいることになりました。
アパートのコンクリートの中より、ゲルの薪ストーブの暖かさのほうが体に良いと抵抗したのですが、、、

つれづれに、電子辞書を引いてみたら、いろいろと面白い言葉が出てきました。
思い違いをしていた言葉や慣用句などもあって、たまには、辞書も読んでみなくチャと思ったことでした。

初めて知ったことわざを一つ
『秋の雨が降れば、猫の顔が三尺になる』
 《意味》 秋は晴れの日より、雨の日のほうがむしろ暖かいと言うこと。
 《注釈》 秋に雨が降ると寒がりの猫が喜んで、顔を三尺も長くすると言うことから。

なるほど、鼓太郎が去年初めて風邪を引いたのは、暖房の入る前の秋のことでした。
人間が寒いと感じる前に、猫は寒さを感じているのをそのことで知ったのでした。
来年の秋は、鼓太郎の顔が長くなるのを観察することにしましょう。

UBでも、9月になって空が曇り、雨もよいになると「雨になれ」と願います。
その通り雨になると「はぁ、良かったまだ暖かいんだ」とほっとするのです。
そして、雪になると、身を引き締めて、冬の到来を覚悟します。

こちらは乾燥して居ますから、雪には水分が無く積もることはめったにないのです。
屋根が白く染まってそれと分かります。
前のアパートには、枯れ草の残る庭がありましたから、その上に白く残っていましたが、今のアパートはコンクリートに覆われています。
今のところ通路まで白くなることは無くて、すぐに解けて、コンクリートが黒く光っています。
日陰に雪が溶け残り、アイスバーンになるのはまだ先のことです。
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