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風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

初めて外に出る和歌

2023年10月15日 | 詩吟
昨年の中央会和歌の講習が続いた時より自主練習していた和歌を一人カラオケ
から外に出る時が来ました。

センター祭の連合吟ともう一つの出番が、実はあったのです。
人様にお聞きいただくほどの仕上がりではないので、ほんとうはお断りした
かったのです。

二度ほど、お聞きいただいて、先生は大失敗とおもっていらっしゃるのでは
ないか、私は私で引っ込みがつかなくなっていると、練習の度に思います。
もうこうなったら練習しかない、一題200吟を目標にできる限り練習だ。
さすがに80回を超えるころになると、慣れてくるものですねぇ。
曲がりなりにも和歌のようになってきました。
これは、あくまでも、願望と自己満足に他なりませんけどね。
それで、今日はとうとう、江戸川詩吟道場へ和歌を持って向かいました。

さぞ厳しい批評があることだろうと覚悟を決めました。
前詠は、声が小さ過ぎるので、マイクを上手に使うこと。
後詠は、それに比して声が大きくなるので、少し離れてとの助言。
一か所譜通りではない所は、すかさず他の方からの鋭い指摘。

譜を変えて詠いたくなる人の気持ちがわかった気がしました。
実力がどうしても届かないのを理由にして、逃げの一手を打とうなどと
考えないことですね。
ここで厳しい一声が欲しいところだけれど、それを言わないと決めたらしい。

K先生はさすがに、大きな心で受け止めてくださって、よく頑張りました。
あまり細かいことに気を使わないでゆったりと詠って下さいとおっしゃり、
褒めて育てる方式で、みなまでおっしゃらず励まして下さいました。
Y先生は、和歌に挑戦するのはすごいと、吟詠でない所を褒めて下さいました。
ありがとうございます。吟詠以外のことに目を向けてくださって、背筋が
伸びました。
江戸川詩吟道場のマイクの前では、だめだめと卑下しましたが、実は、挑戦
することに喜びを感じています。
そして、自分もまだがんばれると、漢詩とは別の分野の吟詠に前向きに挑戦
して居る私を冷静に見つめながら、諸先輩たちのスキルアップしてきた道を
鮮明に思い出しながら、自分なりに分析もしています。

頼まれるとうれしくなってしまう私の良さ?は、頑張れるということか。
楽しんで詠うところまで、今一歩二歩。。

漢詩では無我夢中で来て困難を困難と感じる暇もなく楽しいばかりでした。
習う困難は、初めての体験。
これは、病みつきになりそう。

揺りかごで関吟の洗礼を受け、良き師に愛されて、欲するがままのまっすぐ
な時が過ぎて、いつの間にか、自在に詠っていた気がする漢詩です。

関東に来て、「何も足さず 何も引き去らず」と言う環境を得て、ここまで
来てしまったけれど、技を獲得するには、だれもが困難な思いをしてきたはず。

困難を感じず緩やかな坂道を年月かけてここまで来られたのは稀有な事です。
なだらかな坂道を歩んできた私には、到底急坂の上のてっぺんを極めようと
息をきらして進む人の本当の思いはわからないのだろうねぇ。
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今日は声が出る 二音の処理

2023年10月12日 | 詩吟
吟友草加のお稽古日には、事前の練習は、取らないで、お稽古を始めます。
にもかかわらず、今日は、楽器がよく鳴ってくれました。
そんな時は、何事もスムーズに期待以上の効果が上がるものです。

独吟発表の時、いつもは、先輩に敬意を表して、後から吟詠していただきます。
今日は、ビジターの先輩から吟じていただきました。
先輩の吟詠を聴きながら、胸に落ちていくものがあり、ゆったりと時間が過ぎて
いきました。

後輩さんは、先輩の吟詠をしっかりと聞きました。
いつもは、一番に吟じて、訂正され、心が波立っている時に吟じられる先輩の
吟詠は、あまり耳に入ってなかったようです。
今日は、よく聴くことが出来て、落ち着いて座っていられたとのこと。

また、先輩たちへの、吟詠を指導は、今日は特に耳に吸い込まれていくように
聴くことが出来て、すぐにでも取り入れられていったようです。

特に今日は、お二方が、良寛の「余生」を選ばれました。
あめ はれ くも はれ きも はる もの みな みを すて よを 
みごとに二音がならんでいます。

この発声は、投げ出すようであったり、捨て去る様であったり、なかなか漢字
読みが出来ず、ひらがな読みになり更にぶっきらぼうになっていきます。

二つ目の音の処理を突き放さないで、置くように、ていねいに、だからと言って
流されないように、たった二音の表す世界観をどのような音色で表現するか
手を変え品を変え説明をし、共に詠ってみました。

特に、出だしと転句に重点を置いて、明るい声を心がけます。
眉間の皺をなくし、眼を開き、腰のカーブを意識したら、自然と詩吟体操の
終わりの姿勢となり、胸がひらいて共鳴します。

あれだけぶつ切れでぶっきらぼうだった二音の言葉たちが、色を持ち意味を持ち
無駄にはねないようになりました。
わたしの声がよくでたこともあって、お手本で表現した音たちが楽しく
遊んでくれました。

声に伸びの無いときは、これ程飲み込みの早さはなかった。
もちろん、これまでいろんなところでご指導願って来てたどり着いた人は、
その積み重ねがあってやっと体が理解してくれたのだと思います。
そしてもう一方は、こんなに丁寧に教えてもらったのは、今日が初めてとおっしゃる。
それぞれが、「ほー」と言う満足の声を上げる。
もし、忘れたら、またここで一緒に声を出しながら、手を変え品を変えして
練習しましょう。
体は、覚えたら忘れないのだけれど、そこに頭がついてくると、誤作動を
おこしがちです。

これ程満足のいく、理解は、めったにないことで、みんなの目が見開いていく
のがわかり、頭の上に「ぴこん!」がついていました。

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乾杯の写真

2023年10月12日 | 詩吟
10日のおけいこの後、定例の飲み会に繰り出しました。
いつもの駅近の居酒屋さんではなく、先生の知り合いのスナックへと、
場所が変わったのは、一つ理由がありましたが、その辺は、後で。

その時、8日までに何件か続いて行われたコンクールに優秀な成績を納め
られたMさんの「乾杯!」も当然の流れとして、行われました。
喜びの乾杯は、いつであってもうれしいものです。
グラスに1センチほど注がれたワインに気持ちよく酔いしれて、賑やかでした。
ほんの少しのアルコールで、ほろ酔いになり、いろんなことに迂闊になっていたようです。
先生の教室外のお友達もその日がお誕生日と言うことで、別の乾杯やら
ハッピバースデーの合唱やらで、否が応にも盛り上がった数時間でした。
カラオケアリ、1センチのアルコールと3杯のウーロン茶、そしてお料理上な
ママさんのおいしい料理に盛り上がり、喜び、楽しみました。
間もなくくる、センター祭の上演も気にしながらも心地よく酔い詠う先生も
いつもの穏やかな表情を更にまーるくしていらっしゃいました。


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いい加減

2023年10月10日 | 詩吟
地域センター祭に出演のため、急遽編成した女性三人の律詩の連合吟の練習が
1日に始まりました。
私は、日頃6本のところを、7本に上げなくてはなりません。
そして、私のパートの出だしは、六の頭高の発声、そして、尾聯の合吟部分には、八の高さがあります。
この困難な吟詠をすることを体に言い聞かせながら、私にとっての
いい加減」を探りながら練習をします。

センター祭にお越しの観客の心を動かす吟詠は如何なるものなのかなぁと。

さらに、楚々とした声の2人の仲間とのバランスも考える。
少ない練習回数で、その、ちょうど良い加減は見つけられるかな?

とりあえず、今日の練習は、伴奏を流して三人のつなぎと、シンプルに詠う
事を目標を決め、それに対ては、まずまずだったかな。

いつも目いっぱいの吟詠をする私が、はじめて加減を考えている。
促成とはいえせっかく出来たチームなのだから、満足のいく吟詠をしたい。
さようならば、されど、、、、、


次の顔合わせは、10日です。
それまでは、一人練習です。胸を開いて、良く響かせること。
いつもより高い音の吟詠に、体を固くしないこと。
どんなに状況が変わっても、気を付けることは同じ。


そして、その10日が来ました。
午前中に声を出していたので、声のコントロールが出来ると高をくくって
いましたが、思うようにいかないものです。
今回この機会を頂いたことで、苦手にも楽しく挑戦しています。
あと2回の練習の内1回は、出席できそうもないので、その時に出入り手順も
しっかりと覚えておきたいのですが。
最後の仕上げにでられなかったときは、ちゃんと頭に入っている人に当日は
指示出しをして頂きたいと、お願いをしておきました。
 
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ウグイス吟詠

2023年10月08日 | 詩吟
新横浜ラポールへは、新線が開通乗り入れとなったおかげで、乗り換えが
1回でよくなり、しかも座って行けるとあって、とても楽になりました。
新横浜駅の地下ホームから地上に出るまでの最短のコースも、覚えました。

10月6日はウグイス吟詠定例会、10月8日の今日は、「ラポールの日」です。
ラポール施設内のサークルの参加型の紹介祭りとでもいう様相です。
今回、ウグイス吟詠は、初参加です。

隣の部屋のボッチャの会場は、盛況で引きも切らぬ人の波で、楽し気な声も
きこえてきます。
一方、ウグイス吟詠への参加を知り合いに勧めてくださったのですが、敷居が
高いと言って敬遠される方が多いと聞きました。
それで、生の詩吟の声を開け放したドアから漏れ聞いていただこうと、
それぞれの吟詠の課題練習をしました。

そのおかげで、都都逸入りの吟詠を初めて聞かせていただきました。
指方先生所属の流派は、五行詩にも積極的ににとりくんでいるし、
童謡や歌との組み合わせの吟詠もあり、その為の伴奏曲も備えています。
漢詩のみの堅苦しさがないように思います。
指方先生の好きな金子みすずもそうです。
関吟流しかしらない私としては、異分野の吟詠に、目を丸くしてその行動を
見守っています。
週末にある日本吟道学院の発表会とラポールの芸術劇場の吟詠の練習を楽しみました。
「自然に生詩吟をお聞かせする」うん、それっていい詩吟紹介だねと仲間内で言い合う。

終了間近に親子で参加して下さる方が居て、大歓迎でした。
のりのりで、「あめんぼあかいな」を一行ずつ読み合って、上手上手と
手をたたき、「富士山」の吟詠を聞いてもらいました。
そこで、時間切れ、大いに盛り上がり、お客さん到来を喜びあいました。

アメンボのプリントを見ているお子さんの先に指方先生のいるアングルで
後姿の写真を撮らせていただきました。(お母様とは、公開はしないとの
約束です。)

ゆっくりと時間が過ぎたおかげで、いつもはできない会話もありました。
そこから、次回は、「失語症の会」へのお誘いもありました。
かつて教室を作る時から気になっていた分野のお誘いに、あの頃だったら、
二つ返事でお受けしたことですが、今では、先ず、一回お尋ねして様子を
見せて頂いてからと慎重になっています。

横浜は、決して近い距離ではありませんから、せっかく得たきっかけに反応
したのは、何故だったのだろうと思い返してみました。
捨てきれない興味と感心と関心なのでしょう。

自分の地元では、なかなかきっかけがないので、ご縁の有ったかの地で、
何かが起こるかもしれません。
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強い吟はポジティブ揃い

2023年09月20日 | 詩吟
先日集まった三人は、1967年~1973年まで睨照先生に手取り足取りで、
育てていただきました。
その吟風は、迫力の吟詠です。
そういう私たちは、「和歌」には問題意識を持っています。
その時に培って、それ以来続けてきた吟詠をしているらしい二人は、今、私が抱えている問題を同じように持っているらしい。
 
50年前の吟詠は、覚えているけれど、今その言葉を口にしているあなたの
吟詠を聞きたいねぇ。
「今度会うときは、食事会をしないで、カラオケに行きましょう。」
と言葉が返ってくる。
50年前のあなた達そのままです。そして「照」そのままの心意気で吟詠を
続けているらしいです。
その心意気を受け継いでいるはずの娘さんだから、着物を着て楚々として
いながらその意気込みには、何の疑問もなく賛成するところがおもしろい。

もう一人の関東地区組彼女は、来年はコンクールに挑戦するという。
来年は、またここでね。と全国大会に出場が決まった事のように言う。
そしたら、来年は、みんな舞台だから、「席で応援するのは、私一人?」と
言う私の言葉に笑顔がはじける。来年のことでも鬼を笑わせない三人!
 
     ポジティブシンキングの三人+一人でありました。


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田村仁美 9月 10月 カレンダー

2023年09月19日 | 詩吟
    2023年 ー四季のよろこびー 田村仁美
        「和やかに」  ウメモドキ  エナガ

       コロンとした体に長い尾羽がかわいいエナガと
      ウメモドキの赤い紅は鳥の目にはどのように映っているの?
      
       
         
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50年ぶりの友人

2023年09月18日 | 詩吟
沖縄からコンクール出場の娘さんの付き添いで上京された友人とは、50年
ぶりの再会でした。
横浜に住む友人と共に、その昔岡山で詩吟をしていました。

今は、お互いに流派はちがえど詩吟を続けていることと、50年前の関わりが
あまりに濃密であったためか、あっという間に50年という時間を飛び超え
ました。
昨日も逢っていたかの如く気持ちが寄り添うった会話が始まり、長年の疑問を
解決したり、それで今があるのねと納得したりしました。
昔と今が交錯しながら話題は、行ったり来たり、あっという間に時間が過ぎました。


来年もこの場で会いましょう。そして、娘さんだけでなくお孫さんもねと、
約束しました。

        
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音響係ミーティング

2023年09月05日 | 詩吟
構成吟の準備で、音響係になった三人が集まりました。
次回の中央会の報告に間に合わせるために、早々と会議です。
伴奏を決める作業は、思ったより時間と手間がかかるものですね。
意見が瞬間に合った時は、小気味よかったし、意見が違っていても、遠慮なく
思いが伝えられるのは、もっと、気分が良い。
予定の仕事が完成して、いそいそと、今日の作業の後ろの時間のために準備
していた吟詠をお互いに聴きあいました。
あぁ、いいなぁ。特別な事は何もないのだけれど、通じ合えるということは、
こんなにも嬉しいことなのです。

T先生とS先生は、連合吟の練習でした。意気のあった連吟は、聞いていて
ウキウキする。
私は、苦手な吟を詠って、去年よりは上達しているが、それだけという無言の
感想を得る。それとなくなさったお上手な吟詠を耳に残して、次の自習に備えます。

三人の会話は、ことのほか楽しく穏やかなものですから、いかり肩がなだらか
になりました。
つい、この処悩んでいることに会話が向かったので、これ幸いと思いを聞いて
もらったので、それだけで気が晴れました。
コロナ前には、こんなことがしょっちゅうあったのになぁ。
その頃の飲み会から「吟友草加」の芽が出てきたと言っても過言ではありません。
こんなに楽しいところで蒔かれた種だから、豊かに生い茂る日が来るのは、
間違いはない。その時に居た別の2人のメンバーは、今日はいませんが、また
何か機会をとらえて盛り上がりたいものです。
吟友草加は真っすぐに育っています。おかげ様。



楽しい楽しい時間はあっという間に過ぎました。じゃあ、またねと言って
ホームで別れましたが、次は、いつかなぁ。

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三行に命をかける吟

2023年09月03日 | 詩吟
東大島教室に参加しました。
久し振りの野田会長の指導教場です。

一通りの講義と練習の後の一人一吟では、今日習った「江雪」でも「梅一輪」でもなく、来週のことぶき吟詠大会の吟題を聞いていただきました。
野田会長のご指摘は、あくまでも優しく、それだけ?といつも思います。

それに対し、Uさんの『三行に命をかけた吟詠』とのコメントに、吾ながら、
おかしいくらいに喜んでしまいました。
命をかけるという言葉に、学生のように反応し、「古い時代の吟詠をする人」
と更に言われた言葉もいかにもと思いました。

あまりに的確に私の吟詠を表しすべて包括している言葉でした。
こんな明快な言葉は、一言でど真ん中に届くものなのですねぇ。

私に取って大事な「照」であることの自負を持ち続けていたことへのご褒美
でもあると思う。
鷺照先生は、すでに鬼籍に入っており、故郷で活躍する今の「照」たちは、
どんな思いを抱きどんな吟詠をしているのだろうか?
昭和48年に、そこを出てきた私は、その時の教えをそのまま大事に続け
ていままで変わることはありません。

変わらないでいたということは、芦孝先生のとてつもなく大きな包容力と配慮
の賜物であると思いました。
心地よい居場所、練習場所を準備し提供し、何の束縛もなくすべての人を
大きな心で迎えてくださり、私には「照」のままで居させて下さった。
今更ながらにその大きさを知り、うかうかと恩恵の享受だけしてきたと思いました


いろいろと考えていると、いろんなもやもやが、一気に形を成しながら
まとまって、しかるべきところにまっすぐに動いていて整理されていく。
目の前がドンドン晴れていくようでした。

それと同時に、見ないふりをしていたこともはっきりと見えて、これからの
事を自分らしく過ごすことに弾みがつきそうです。

古い時代の吟詠では、教える価値がないでしょうか。
そのところを良く考える必要があります。
せっかく期待を持って夢松風と吟友草加の会員となってくださった方々に、
どう対して行くかをしっかりと考え直さねばなりません。

      「命をかける吟」「古い吟詠」「新しい吟詠」

「芦」に居ながら「照」であり続けたこと、これからも変わることは無い。
そのことで新しく分かってくることについては、余り短絡しないでじっくり
考えていこうと思います。
物事が整理され、行く方向が決まってくることを予想すると、背骨が通じる
思いがする。

それにしても、「照」の心意気を思い出して、心から安堵し、違った自信が
沸き上がってくるのも感じます。

「片隅で静かに続ける」という言葉には、少し毒気があるような気がします。
ただ、よく考えてみると、その言葉に近い思いを抱いていたことも無いわけでは無いときづくと、また新しい気持ちがわいてくるから、がっかりすることは無い。

これから先の限りない可能性を持った若い人には、選択する自由をどう説明し
たらよいのか。
基本の基が終わる時は、いつなのか具体的に考えたことは無いが、肝心要は
そこだろう。

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