人が真理と思うところは、人それぞれだと・・・
皆んな違うんだ、ばらばらで統一的な解などはないのだというと相対主義?
「そうは思わない、私が正しい」と思う人(絶対主義者?、あるいは独裁者?)がいて、
世の中にストレスが絶えない。
そういう状態をある人がまとめてくれた。(引用させてもらいました。)↓
「人間は他人が自分に対して不快な行動をとった時、次の3つのレベルの対応をすることができます。
レベル1:感情的に衝突する
レベル2:自分の感情を殺して、相手を許す。
(しかし潜在意識に思いは残り、相手も人を傷つけた
ことを理解できない。)
レベル3:相手にとっても自分にとっても最適な行動をとる
(怒りが必要な場合は怒り、相互理解が必要な場合は
十分に説明する)
<教育問題>
レベル1:教師側が支配しようとする、暴力をふるう
レベル2:自由意思を認めるという名のもとに放任する
※日本では、親、PTA、教育委員会がおかしい
からという理由も大きい
レベル3:教師側が子供のためを思って、必要なら叱り、
場合によっては力による強制も躊躇しない。
<国際問題>
レベル1:各国が自国の都合や欲望のままに衝突する
レベル2:衝突をさけるために、平和を乱すような勢力を
放任する(事なかれ主義)
レベル3:いたずらに戦争や衝突は行わないが、世界平和
のために本当に必要ならば強固な姿勢をとる 」
僕はレベル1だろうか?
カメレオンとして、レベル2の戦略で実は逃げているのだろうか?
レベル3が、自分のためにも相手のためにもなる解決方法だというのは
分かっていただけると思うのだが、無茶苦茶難しい。
何故なら、レベル1、2にいる人には、
レベル3は、見えてこないからだ。
レベル1、2にいる人には、レベル3はレベル1と同じに見えるだろう。
本質的に違うのだけれど、行為的には同じに見えてしまう。
レベル3を本当に実践するためには、相手もレベル3が見えなければならない。
つまり、自分だけでなく、相手にもレベル3になってもらうという働きかけが
本当の解決方法になる。
そして、それも自分が絶対正しいと思い込むと、レベル1に落ちてしまう。
うわぁ、難しい。
戸塚ヨットスクールの体罰は、レベル3だったのか
分からないが、結局、トレーナーには、レベル1でしかなかったのではないか?
「愛や調和や許し」だけで、世の中の対立が解消する訳ではない。
ただし、ではどうすればいい・・・というのは、なかなか見えては来ない・・・
どうやって、相手を引き上げてレベル3の目を開いて貰えるか・・・
歴史は、レベル1、2の間を振り子のように行きつ戻りつ・・・
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はっちん
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気楽マスター
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