Re:SALOON & VBA

「変な人が好き」的・・・「決め・分け」論⑱

人間関係の薄い人生を歩いて来ました。
勿論、全く孤独という人生ではないですが(親も妻も子もいる)
仕事のない休みでは、発声しない生活が可能です。
寂しいかと問われれば、どう返答すべきかと窮するのですが、
平和ではあるが、誰かの為になっているという張り合い、充実感はない
とは言えるかも知れません。
朋有り、遠方より来たる、 亦楽しからずや
あるいは、「親父呑もうか」とバーボンを持って来る息子はいない

友人がいる人が羨ましいです。

果たして、その(友達がいない)理由は、と考えて
「決め・分け」論に辿り着いたということです。

君は「変だ」と、僕は言いたいのです。
実は、言ったことがあります。
僕にとっては、「変だ」「変な人だ」「変わっている」というのは、
ある意味、誉め言葉です。
出来る、選ばれた、カッコイイ人より、「変な人」が大好き、
なので、その人の好きな部分を見つけて、「変だ」と、つい口走ってしまうのです。

その人が、僕同様、「変な」人に価値を置いている人なら、
いい訳ですが、
その人が、その性質を、自分の欠点、ウイークポイント、コンプレックスと
思っていたら、
その傷を敢えて突くことになってしまう。
実は、この失敗を何度かやってしまった・・・
つまり、その人は「決めたい」派の人だった訳です。

「個性的」という言葉があります。
これは、僕にとっては、ホントに誉め言葉で、
他の誰も持っていないものを持っているということで、
結構いいこと(誉め言葉)なんですが、
「個性的」を「負け犬の遠吠え」と聞こえてしまう人達がいます。
勿論、それ(そう聞こえてしまうこと)を「良くない」なんていうつもりは更々なく(良い悪いがそもそも「決めたい」なので)
その人たちにすれば、多くの人に共通する要素で、優れている(勝つこと)が価値(勝ち)な訳で
ただ、違っている、殊にそれが少数であることは、良くないこと(負け)な訳で
その違いが僕に「分かって」来ることで、
安易に「好きだ」(つまり「変だ」)とは、人(他者)に言えなくなりました。
なので、遠くから、あの人「変だ」なあ、面白いなあ、好きだなぁ~と観ている訳です。
ねぇこれだと、友達出来なくて当然ですよね。

危険ですよね、自分は、美味しい料理を出しているつもりでも
相手にとっては、「毒」と感じかも知れない。
なので、人に料理をもてなすことが出来なくなりました。

勿論、「決めたい」だけの人、「分かりたい」だけの人はいない訳で
「分かって」そして「決めて」人は、生きています。
「分かりたい」が、強い僕であっても、すべての選択肢を同時に生きることは出来ない訳で、
やはり、分岐点では一つを決めて、生きています。

勿論、人よりは、多くの選択を替わり番子に選んではいる気はします。
例えば、ビール、缶ビール昨日飲んだ銘柄は、基本、飲まないですね。
空き缶を見れば、20缶で、10種類の感じ。
例えば、通勤の経路、乗れるルートは、一通り試して、
まあ、一番早い経路をノーマルとして、週に2回は、別経路で帰ったりしてます。
電車も、乗り換え駅を換えたり、車両を換えたり、各停、準急、急行、特急と
一通り、試してみたりしてます。そう言えば、駅への徒歩ルートも、4パターンあって
いつもこの路を通るということはないですね、そういう奴です、僕は。

そう言えば、僕が「変だ」と言って、
予期せず傷つけてしまった(気付きを言いたかっただけなんですが)人物は、
「決めてしまう(マイルール)」ことが多かった、人でした。
彼の話は、僕は「○○にしている」と、自分のルールを僕に頻繁に喧伝してくれてました。
惜しいことに、僕はそれに気付かなかった
(自分は変わっているだろうと言ってくれていると、我田引水に聞いてしまってました)。

僕は、ちょっとだけ「分かりたい」が強く、決めたくない=何でも試したいという傾向がありますが、
こういうのは、やはり少数派で、
そこそこ試したら、「決めたい」人が多いような気がします。

父親と息子は隔世遺伝で、僕と正反対、
食べたことがないものは食べられない(食べようとしない)偏食家で、
「人生損している」と言われる程。他の・・・も・・・と(個人情報流出になるので止めますが・・・)
僕の周りには「分かりたい」派は、少ない(いないとまでは言いませんが・・・)
職場(職種にも依ると思うのですが)でも、「決める」が「仕事する(結果を出す)」になると思うので
そもそも、人間関係悪化は、避けたいので、仕事での「変」は、僕も歓迎しないですが・・・
(プロジェクトが終わった後の振り返りで、「変」は、自分を成長させてくれたと評価はしますが・・・(苦笑しながら))

で、人間関係では満たされない「変」への指向は、
もっぱら、最近は「YouTube」で消化ですね。
しなければならないことがない(用事がない)休日には、一日、「YouTube」観てますね。

「日向坂46」がお勧めです、アイドルが「変」なのが、凄く面白い。

「決め・分け」論①

コメント一覧

frontflug
「変な人」とは、「異な人」でもあります。
ちょっと「違う」人。

「決めたい」派の人は、よく解釈すると人より「優れている(勝れている・選れている)」人ということになります。
「分かりたい」僕は、別に、優れているという必要はなく、というか、
別の路線(選択肢・可能性)を行っている人なので、比較してどうこうということはなく、
どっちもいい(どっちでもいいというと投げやりに聞こえたりしますか?、僕にはそう聞こえませんが・・・)
のですが・・・

「異な人」「異人さん」は、外国人? は、筆頭ですね。
日本に来ている外国人は、そもそも「異文化」好きだったりするので、同類の可能性が高いです。
常に、アイデンティティを意識している存在として・・・
どっちの国が偉いかという発想をすれば「決めたい」系です。

「外国人は自国に帰れ」などと排斥するのは、そもそも「決めたい」系です。
あああ、言っちゃった・・・
そうとも限らないという姿勢が「分かりたい(決めたくない)」派なので、
矛盾を含んでいるのですが、
言いたいのは言いたいです(私も「決めたい」という気持ちはある)。
そもそも、「差別」は、「決めたい」と同意語なんじゃないかと思う程、固定観念的。

僕も「異文化」は大好きです。
アメリカのTVドラマは、随分、観ました、多分、人より多く。
(そういうホームページもやっていた程です。)
かと言って、アメリカだけがいいなんて思わないし、アメリカ人になりたい訳でもない。
いろんな国が自分に行けるというのがいいのです、そして、比較してみる、
そして、違う要素が何故違う(異なるのか)理由を考えるのが大好き。

日本が絶対いいという訳でもなく、
日本のいいところ、よくないところが比較して炙り出される
そして、「分かりたい」。

外国の「決めたい」と「分かりたい」の分布も、関心の対象です。
国民性もあります。

日本は、曖昧の文化とも言われる。
共存・共栄、和の文化、衝突させない、それは「分かりあいたい」でもある。
八百万の神々というのも、「決めない」に繋がる。
他国との比較では、「決めたい」より「分かりたい」が強いのが日本とも言えますが、
他者との関係で、暗黙のルール、本音と建て前がある文化でもあるので、
「決め・分け」の形態が違うだけとも思える。

ただ、「政治の話をしない」というルールもあり、
これは「決める」ことが、しばしば対立を生むという、ことを考慮した
日本の文化の一種の「知恵」なのかも知れません。

外国では、「政治の話」は、必須テーマ(話題・ネタ)であるので、
ケンカがしばしば発生、でも、それが人間関係の悪化にならない美点もあると思うが・・・
SNSでも、政治の話をしたばっかりに、距離を置く(コメントを憚る)ようになったこともあります。

「政治」は、そもそもが「決めたい」系分野。
「分かりたい」系の「決める」の理想は、分かったら必然、「決める」必要もなく、
最適解が自然と「決まる」ものであるけれども、
「決めたい」人の「政治」は、人が政治権力で「決める」もの・・・

「決める」は、本質的に、100%の「分かった」がないので(無限大には到達できない)
どこかで、見切り発車になる。

政治権力で「決める」は、極端ではあるが、
北の偉大なる将軍様の国では、その端的さが、実験されている、国民の犠牲(をスケープゴート)にして。

「右翼」「左翼」が政治の「分割」だけど
「右翼」も「左翼」も「決めたい」系の政治。
言語矛盾かも知れないが「決めない」「決めたくない」政治もあるのかも知れない。

毎回、同じ路を通らないで、いろいろ変えてみるのも、
一つのやり方、だと、ああああ、私は言いたい。
こんな私には「権力」はない。

ところで、ちなみに
外国人(在日)YouTuberの動画もよく観ます。
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