Re:SALOON & VBA

SNSの振舞い・・・「決め・分け」論⑯

インターネットが日常になって、久しい。
勿論、それは、個人的には既に仕事をする年齢になってからなのだけど
それまではなかった、外部との関わり合い方だと思う。
つまり、直接、接する人との関係と、メディア(テレビ、本、新聞・・・)
の中間の位置、
そして、名無しでも発信できる、という今までにない(ないことはなかったが一般的ではなかった)
コミュニケーション手段として。

ある意味、無責任でも有りうる発言であるので、
より、「本性」が出て来るということはあるだろうと思う。

今は、どうか知らないが、荒れる伝言板みたいなものがあった。
「荒し」に来る人物がいる。
「炎上」は、既に聞き慣れた言葉(既に死語)かもしれない。

2チャンネルというのもあった。
僕は、どうも好きになれない・・・ので、敬遠していた。
(好きな人は好きなんだろけど)

「炎上」とか「批難」とか、言う人はどういう人なのか
「決め・分け」で考えると面白いかも・・・というのが、
この投稿のトリガーになっている。

先日のうたコンという番組で、日向坂46 の「ってか」のステージで、
メンバーの2人は、最初に転んでしまった。
SNSで、「プロ失格」という批難が直ぐに上がったそうな・・・
メンバーがプロでないのか、フロアの配慮漏れ(激しいダンスを想定していない)なのか
理由は、いろいろだろうが・・・
感じるのは「悪意」だ。
他者を非難することが、「喜び」になる構図の「悪意」を感じる。

「批難」コメントの主の心情は、
他者のダウンは、自己のアップという思考回路にあると思う。

自己と同じものでないことを肯定することは、自己の否定になる。
自分が、男性で、女性を褒めたら、男性はダメだということになる?

「ナンバーワンになれなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」を
負け犬の遠吠えと聞こえてしまう、そういう考え方なのだと思う。

碁盤の陣地を白と黒で、取り合う。
自分が、白なら、黒が減ると、自分の石が沢山、置ける。

これは、「決めたい」人と、「分かりたい」人の価値観の相違の
端的な現れのように感じる。

「分かりたい」価値観では、他者を褒めることが、
自分の減点には、ならない。
寧ろ、他を「分かって」いることなの、好ましい。

SNSで「非難」している人の意見を吟味してみたら、
案外、「批難(非難)」している自分を「評価しろ!」と
懇願しているようにも見えたりする・・・

「批難」している人を、「批難」している(のかな?)のこの文章も
そうしているのかも(?)というジレンマはあるが・・・どうだろうか?

「決め・分け」論①
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