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一点の「濁り」もないBlog “G”

北海道を離れ、新たな土地で再出発。それに伴いタイトルだけリニューアル。
ただ、看板は挿げ替えたが内容は相変わらず。

駒大苫小牧 優勝は有効?

2005-08-28 | Hokkaido
【当たり前だ】
優勝が有効か、という議論自体が的を外している。今回問題とするべきことは選手が一切絡んでいないのだから。
http://www.nikkansports.com/ns/baseball/amateur/p-bb-tp5-050828-0009.html

【学校側の見通しの甘さ】
かの部長が行った行為を「指導」ととらえるか「暴力」ととらえるか、なんて議論は主観論からはなれることが出来ず、建設的ではない。今回の問題のひとつめは学校の動きである。そもそも今回のケースなんてのは部長が謹慎になるぐらいの処分しかならない事件である。それが何を恐れたのか学校は必死の隠蔽を図った。たぶん名前が汚れて生徒集めに支障をきたしても困ると思ったのだろうが、結果的におろかな先生たちの予想を選手は思い切り覆して優勝してしまった。あっさり流せるはずの問題が、優勝によって大事になってしまったし、「隠蔽」なんてことになってしまったし、被害者の父親にあれほどマスコミが注目することになってしまったわけだ。結局選手は優勝しただけで、それ以外この問題になんら関わっていないわけだ。優勝取り消しうんぬんなんていう議論事態がおかしい。

【問題は高野連にも】
そもそも高野連がやれ出場停止だのなんだのと連帯責任という発想を社会にはびこらせたこと自体に問題がある。物事の責任の所在がはっきりしない処分はなんの意味も持たないのに、喫煙した部員がいたから出場停止?下級生を殴った部員がいたから出場停止?それらが他の選手に何の影響があるのだろうか。監督責任のある監督や部長、そしてその選手だけが出場停止になるならまだしも、まったく関与のない他の選手まで巻き添えを食うのはどう考えても教育的とは思えない。最近では連帯責任はとらないというのが方針みたいではあるが、関係者の中で以前連帯責任による出場停止への恐怖が根強く残り、それが隠蔽につながっている感は否めない。

【明確な基準を】
処分に明確な基準を設けることが高野連には求められる。選手の部内での行為が高野連の規範に背くもの(例えば暴力による制裁など)、選手の部外での行為が法に触れるもの、今回のような指導者による選手への暴力行為。同じ「不祥事」という括りでも、どれも責任の所在や、行為そのものが持つ意味が異なるのだから、個別に基本となる罰則を用意しておくべきだろう。少なくとも個人の処分なのか、チームの処分なのか、これまで起きた案件から検討して、ある程度具体的に提示しておくべきではないのだろうか。そういうものが整備されていれば、例えば今回の駒苫の件と明徳義塾の件が「問題を起こした人間の立場の違い」「報告が遅れたという共通項」をごちゃ混ぜにして同じステージに乗せられることなどなかったはずなのである(個人的には明徳の処分自体がそもそも不可解だったのだが)。高校野球に打ち込みたい生徒たちから野球を奪うという何よりも重い処分を課すこともある機関なのだからそれぐらいのことをしてもいいはずだ。また、報告が速やかに行われないことを高野連は問題視しているが、今回の件にしても高野連は「学校側からの報告書を待つ」という姿勢だった。報告するのが当事者である以上、どうしても自分の悪事の報告には二の足を踏んでしまうのは仕方がないことだ。この問題報告のシステムも何か違和感を感じてしまう。高野連には、
・問題行為があった際の処分規定のより一層の明確化
・問題の調査から審議までのシステムの再構築

この2点を求めたい。特に指導者への罰が「謹慎」って事実上処分でもなんでもない。この辺のバカげたところも早急な是正を求めたい。

【教育】
ちょっと駒苫の問題と直接は関係ないのだが、ひとつ気になるのはこの手の問題がおきるたびに各所から言われる「高校野球は教育の一環」という言葉だ。確かに部活動は教育の一環だし、勝利至上主義であってはならないのかもしれない。だが、この言葉を特に声高に叫ぶ高野連の行為は果たして教育的なのだろうか?もし教育の一環だと言うのならば真夏の炎天下で連戦に次ぐ連戦を強いる甲子園大会は本当に教育的に意味のある行為なのだろうか?教育の一環のイベントをあれだけ大々的にメディア展開し、興味を煽り、多少のケガを押して出る選手をヒーロー化すらする。これだけ高校野球というものが個々の学校においても、それから全体としてもあまりに肥大化した現状を省みずに本当に教育と言えるのか?それでいてプレイスタイルには「高校生らしさ」なる、野球のルールブックにはない不可解な縛りを加える。力が劣るものがルールの範囲内で精一杯の工夫をして勝とうとするのを賞賛して伸ばしてあげるのも十分教育的であると思うのだが、何となくガチンコでぶつかって玉砕するのが美しい、みたいな風潮が蔓延している。かの松井秀喜5打席連続敬遠なんてひとっつもルールに抵触していない。力の劣るものが勝利のためにひねり出した立派な戦術だ。そういうのを否定する風潮にはなにひとつ文句をつけず、都合のいいときだけ「教育」という言葉を持ってくる高野連の精神が私には正直理解できない。

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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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はじめまして (いなちゃん)
2005-08-29 15:58:18
TBありがとうございます。

おっしゃるとおりです。

「学校の保身」と「高野連の自己判断能力の無さ」の産物で

優勝取り消しなんて事にならなくてよかったです。



今後は高野連がどう言った対策を作ってくるか、ですね。

「処分で幕引き」なんて事になれば、

高野連不要論がますます大きくなるでしょうね。



TB返しさせてもらいました。これからもよろしくです。
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