『不器用な生き方』

うつ病の診断から12年余り。その間に精巣がんや糖尿病の宣告を受け現在も薬を服用しながら不器用に生きる日々の出来事を。

今日という日は一生に一日だけ。

2005-10-25 22:49:31 | 思いつくままに


あたりまえですよね。
一生の中で2005年10月25日は、たった1日だけ。
でも、今日も心から笑えたり楽しんだりすることは、できなかった。

仕事に対して何も与えられず、指示もなく、叱責も賛美もない。
もうサラリーマンを20年以上やっているのだからとはいえ、なんの仕事をいつまでに、
どういう方向性で、どのような結果を得たいと考えているのか。「情報が欲しい。」「どういうベクトルに結果を持っていきたいのか?」「自分の思い通り勝手にやって良いのか?」どんなに質問しても答えが、いや方向性さえなしのつぶて。
ところが、こういう人って誰でもそうみたいだけど、いわゆる仲間意識は強くて自分の気に入った人には何でも話す。それと上役に対しての保身力の強さははんぱじゃない。
「私が改善して良くなりました。」「私の方は完了しております。」「私の方は問題ありません」何度聞いたことか・・・しかも時には部下の功績さえも「私が・・・」いい加減にしろよ!
こんな上司の元、あとどのくらいやっていけるのか。
心療内科の先生は仕事は辞めずに、「我慢くらべのつもりで…」って言われたけど、こちらがいくら悪意なく心を開いても、上司が「しかと」「差別」「無関心」など、まるで小・中学生のイジメみたいな事をやっているから、コミュニケーションなんてゼロ!!
もちろん「うつ」とはどんな病気なのかもよく解らないらしいし、かといって本とか買って調べるような律儀な心はお持ちにならないようだし。

自分が「うつ」を病んでいることも、まるでさぼりやなまけの言い訳にしているみたいな態度で、K課長の顔を見るだけで精神安定剤が必要になるくらいです。
反面教師の参考にもなりません。すべてをお話すると一晩や二晩では、おさまりそうにないので話を元に戻します。

こんな上司に今日はあざむかれ、かすり傷程度ですが思わずリスカを少しやってしまいました。こんな奴のためになぜ自分が血を流すのか、あてつけの一種なのだろうか、とにかく自分の体も心も一日もボロボロ。くやしい。くやしい。くやしい。

自分の残された人生と年齢や預貯金などの現実を、じーっと見つめ直して。
いまはボロきれのようでもなんとか見返してやりたい。あとは上記のような嫌がらせ的な行為を自分がどれだけ耐えられるか。聞き流せるか。

じっと言われた事、された事なんかを考えると悔し涙が出てしまいそうです。

今日、2005年10月25日は自分にとって、「なければよかったのに。」   
そんな一日になってしまいました。それにしてもただただ『くやしい』       

  明日になればまた同じように、一生のうちのたった一日が訪れる。
    
     ♪あしたは、どっちだ~♪