骨董と偶像

好きなもの&気になるものリスト

みそじのおんな(その2)

2004-11-14 22:08:40 | みそじのおんな
「プリンセス・サーヤが婚約したよー」という家人の声に起こされた。

紀宮清子内親王殿下の婚約。朝日はトップ記事だったが、読売などは間に合わなかったと見え、町に出れば、案の定、号外を配っていた。
ついこの間の週刊誌では、エッセイストが「負け犬の星」というようなことを書いていたが、今の心境をふたたび語ってもらいたいものである。祝福か、怨み節か。

紀宮さまの結婚問題についてはもう10年ぐらい前から話題にのぼっており、なかなか候補がきまらない状況を半分面白がるように関心を寄せていたが、「かんりにん」は先方さえよければOKと発言して、周囲をのけぞらせたことがある。
のけぞった理由は、おそらく「皇室顔」にあるのではないか、と思う。
しかし、と「かんりにん」は続けた。「おそらく、家柄によって先方から断られるだろう」と。

紀宮さまのお相手も、都の職員ではあるものの、旧華族や旧大名家とはしっかり結びついているような家柄だ。
それに、紀宮さまも20代よりは30代のほうが素晴らしい(多くは語るまい。昔の写真と今の写真とを比較してみてほしい)と感じている。

いずれにしても、紀宮さまは結婚によって、皇族を離れることになる。皇室は貴重な働き手をひとり失うことになろう。


それはそうと、黒田さん、月曜日は無事に登庁できるのだろうか?

さらば、キツネ狩り?

2004-11-12 23:09:22 | Weblog
英国でキツネ狩り禁止法案が提出された。愛好家の間ではこれに抗議して暴動、議会にまで乱入する始末。
キツネ狩りといえば、『キャンディキャンディ』のアンソニーを思い出す。キャンディにマフラーをプレゼントすると不届きな考えをおこしたため天罰をくらい(アレ、違ったっけ)、キツネを追い詰めたところで落馬し、首の骨を折ってしまった、あのシーン。

そういえば、キツネ狩り以前に『キャンディキャンディ』も今や読めなくなっているんだっけ。

まあ、鯨を捕るなとよその国の食文化にまで口を出してんだから、キツネ狩りもやめたらよろしい。愛好家は「調査キツネ狩り」を行えばよいのでは?

うんざりする言葉

2004-11-11 13:28:06 | Weblog
「ご理解いただきたい」
※ひらたく言えば「これで納得してよ」。

「遺憾」
※頻度多し。対外レベルにはさまざまなニュアンスを含めることができて便利だろうが、個人向けには使われると無礼というか尊大というか・・・・・・

「情報」
※必要のない「情報」まで背負い込み、これに振り回され・・・・・・。ただ、情報集めが上手な方は情報発信もお手の物。「情報」を吸い込むだけというのは、企業の上のほうのご老体(情報、情報と連呼し自分では動けない人)に多い。

「事実確認を急ぐ」
※打つ手なしの場合、とりあえずの逃げ口上。

「バール」
※「バールのようなもの」と報道する際、バールを写真で示してほしい。

『死の競歩』

2004-11-11 00:03:54 | 
ミステリや探偵小説で「密室」というのはトリックの一大分野であるけれども、もうひとつトリックのほかに舞台設定も限定されているものが、「かんりにん」はとりわけそそられるものを覚える。
たとえば、交通が途絶した雪の山荘、孤島、閉鎖的な村(横溝正史の一連の作品)、乗り物の中(刑事コロンボの『歌声の消えた海』やクリスティの『オリエント急行殺人事件』とか)などの空間的制約を受けるものである。

ピーター・ラヴゼイの『死の競歩』は、捜査側にとっては空間的な制約は受けないものの、六日間の耐久レース「ウォッブルズ」という徒歩競技が行われているフィールドが舞台。殺害された人間は選手の中のひとり。そして、当然ながら犯人もそのフィールドで競技中か観戦中。各章ごとに一日が終り、最後にその日のレース結果が表示される。

普通、死者が出れば競技は中止すると思うのだが、これは百年以上も前のヴィクトリア朝時代の大英帝国での話。読んでるこちらも何だか膝が痛くなってくるような佳作。


ルビコン以前・以後(『ローマ人の物語』より)

2004-11-11 00:03:01 | 
塩野七生の大著『ローマ人の物語』が文庫化されはじめたので、「かんりにん」も手を染めた。『失われた時を求めて』の項でも書いたが、どうも大長編は文庫でないと根気が続かないのだ。
しかも、すでに16冊を数える文庫版さえ、気後れする人もいるかもしれない。活字が大きいし、一冊あたりが薄いので、プルーストのような苦痛は味わわなくて済むが。

しかし、どれか一部でいいから話としてまとまっているものを、というのならば、読むべき巻は『ハンニバル戦記』か、『ユリウス・カエサル―ルビコン以前―』&『ユリウス・カエサル―ルビコン以後―』あたりだろうか。まさか、『勝者の混迷』だけを読むという人はあまりいるまい。

「かんりにん」が特に薦めるのは『ハンニバル戦記』だが、知名度でいえば、勇勝ハンニバルと名将スキピオ・アフリカヌスの二人がタッグを組んでも、ユリウス・カエサルには敵うまい。
しかし、一般にユリウス・カエサル(あるいはジュリアス・シーザー)の名は、エリザベス・テイラー主演の映画『クレオパトラ』か、シェークスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』(しかも、「ブルータス、おまえもか」の部分だけ)のイメージというのがもっとも一般的なのではないだろうか。今読み返しても、シェークスピアの『ジュリアス・シーザー』では、カエサルの偉大さというものは伝わってこないし、演劇的名場面(暗殺場面やマーク・アントニー演説場面など)を楽しむほかにこの作品が魅力的とは思えなくなった。しかも、「おまえものか」のブルータスが、ブルータス違いの可能性あり、とは。

昔、エリザベス・テイラーの映画などを観た印象を大事に持っている人は、カエサルらぶらぶクレオパトラ、アントニウスらぶらぶクレオパトラ、アウグスティヌスは無粋で冷酷な男という図式、『ユリウス・カエサル―ルビコン以後―』では、このイメージが一変する。
とりわけ、アントニウスの対する著者の評価は辛い。

ローマ人の物語 4 ユリウス・カエサル
塩野七生著

出版社 新潮社
発売日 1995.09
価格  ¥ 3,255(¥ 3,100)
ISBN  4103096136
前人未踏の偉業と破天荒な人間的魅力、類い稀な文章力の故に、没後二千年に亘って多くの人々を魅了してきたユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)。彼の全貌を、ルビコン川を前に賽が投げられた時まで、解き明かす。* [bk1の内容紹介]
bk1で詳しく見る オンライン書店bk1


ローマ人の物語 5 ユリウス・カエサル
塩野七生著

出版社 新潮社
発売日 1996.03
価格  ¥ 3,360(¥ 3,200)
ISBN  4103096144
賽は投げられた。ルビコン川を渡ったカエサルは、暗殺されるまでのたった5年間で世界を変えた…。息もつかせぬ迫力で描かれるそれからのカエサル。塩野七生が書き下ろす、刺激あふれる物語、第5弾。 [bk1の内容紹介]
bk1で詳しく見る オンライン書店bk1


火を噴け、ワンダーボーイ!『ナチュラル』

2004-11-10 00:04:00 | 映画
文豪バーナード・マラマッドのスポーツ小説『奇跡のルーキー』の映画化。

若くして野球の天才と呼ばれるが、凶弾によって球界入りを遅らされ、35歳にして“奇跡のルーキー”として活躍することになったロイ・ホッブズ。そんな彼の半生を詩情豊かに描いていく。
『メジャーリーグ』ほどの迫力はないが、いつまでも余韻が残る名作。どちらかというと、『フィールド・オブ・ドリームス』のテイストに近いかもしれない。それでも、ワンダーボーイという名のバットをひっさげたロイがフルスイングをすれば、スタジアム上空に稲妻が走り、打球は黒焦げになるなど、見せ場は多い。時代背景を感じさせてくれる抑え気味の色調や、音楽もいい。
ボールを投げることが苦手な小学生が増えているらしい。キャッチボールをしたことがないせいだという。この映画では父と子のキャッチボールを通した「対話」も印象的に描かれている。
プロ野球の惨状に愛想を尽かした方も「お口直し」にいかが?。


ロバート・レッドフォードというと、『明日に向かって撃て!』『スティング』『追憶』あたりが代表作になるだろうが、前三者に比べて知名度は低いが、こいつも代表作に含めてよさそうだ。

ナチュラル...THE NATURAL COLLECTOR'S EDITION

やはり、西部の男は納屋で女を抱かなきゃね。干草は常に多めに積んでおくこと。


山と海、CD対決

2004-11-08 00:14:13 | 音楽
「漁港」を借りて、聴いた。マグロ節、解体マグロック。
インパクトはあるが、二度目はもういいやという気がする。曲がどうこうというのではなく、「かんりにん」側の問題である。なんか、明日仕事なのにコンディションが狂ってしまうような気がするのである。

で、不思議と映画『茶の味』に挿入されていた「山よ!」のほうは、今でもオフィシャルサイトのほうで視聴している。

そういえば、昔から海より山のほうが好きだったなあ・・・・・・
食べ物は海の側の方が旨いけどね。

マルセル・マルソーのパントマイム

2004-11-07 02:51:34 | 演劇
「もう最後の日本公演かもしれないから観にいくか」と友人を誘って、ずいぶん昔に鑑賞した。
マルセル・マルソーのパントマイム。
当時、もう相当に高齢で。でもまだ元気で第一人者として舞台に立っている。あれから何度も日本に来た。1923年生まれだから、もう80歳を超えた!

チャップリンが山高帽にドタ靴、ステッキの似非紳士といったキャラクターを造形したように、マルソーにもビップというキャラクターがある。つぶれたシルクハット(花がついている)をかぶった道化師といった格好だ。くれぐれもフランス人の「のっぽさん」とは呼ばないで。

舞台の前のほうで観たので、彼の息づかいまでが聞えてくる。息があがってるんじゃないかと思ったが、実際、1時間半ほどの舞台での運動量はかなりのものだと思う。無言で体を動かすって、喋りながら動く以上に体力いるのかも。ヨイショって言うわけにもいかないし。

最初はパントマイムというあまり馴染みのない世界に溶け込めなかったが、次第に「笑い」が自然に楽しめるようになると、もうラストまであっという間だった。正直、もうちょっと見ていたいと思った。
惜しみない拍手の中に「アンコールしろ~」という下心を、舞台の彼は読み取っていたようだ。
きっと、オーケストラなどと違って、小ネタぐらいならばできるだろ?という欲深な気持ちが我々も含めて拍手をやめない観衆の中にあったのだと思う。

ごめんなさい、わたしはもう休みたいというようなことを、彼はパントマイム(というよりは、仕草)でしてみせ、舞台のそでに消えた。

gooブログで「マルセル・マルソー」を検索したところ、ヒットせず。ちなみにソフィー・マルソーとは同国人である以外、まったく関係ない。

Marceau Foundation

↓当然のことながらマイム役者は滅多にしゃべらない。一般には珍しいマルソーの音声ファイルがある。
Marceau speaks


『下妻物語』ふたたび

2004-11-06 12:24:26 | 映画
DVD発売が待ち遠しかったが、あとわずか。

問題は2つのエディションのどちらを選ぶか。どうも人は特典とかおまけに弱いが、『スターウォーズ』で劇場公開版が重宝がられているように最初のオリジナルの形さえ手にできれば、という割り切った考えの「かんりにん」。『下妻物語』にしても数年ぶりに足を運んだ劇場で観たそのままがパッケージに封入されていればいい。(2度目に観た時は英語字幕つきで鑑賞。これはDVDに収録されているんだろうか)

で、スペシャルエディションのほうにだけ付いている特典ディスクの内容をみると、

新撮サイドストーリー・・・・・・観たい。
DVDオリジナルメイキング・・・・・・1回で十分。
未公開シーン&NG集・・・・・・1回で十分。
主要キャスト10人+監督インタビュー・・・・・・観たいけど1回で十分?
妃魅姑伝説のヒミツ・・・・・・観たい。
桃子のお部屋ほか美術のヒミツ・・・・・・1回で十分。
完成披露会見・・・・・・いらない。
渋谷ジャック・・・・・・いらない。
アートギャラリー(静止画)・・・・・・どっちでもいい。
隠しコマンド付・・・・・・?

インタビューとかメイキングはこれまでろくに見たことがない。あっても1回観たらそれっきり。これまでも2種類以上のバージョンが発売された時でも「安いほう」を購入してきた。

『下妻物語』にしても、とりあえず「この映画、観たい」と「かんりにん」を劇場へ足運ばせた予告編が本編ディスクのほうに入っていれば自分にとっては十分か、と。
あまり通してみないような映像特典だったら、いっそのこと「牛久大仏」か「下妻の牛」のフィギュアでもついていたほうが・・・・・・。

ただし、パッケージはスペシャルのほうがいい(写真はスタンダードエディション)。スタンダードエディションの価格でハートマークのパッケージだったら、迷うことはなかった。
これまで予約もせずに結論を先送りしてきたが、やはり、ここはスペシャルを奮発すべきか。
ネットでスペシャルエディションを購入すれば、町でスタンダードエディションを買った場合とでは差額も1000円ぐらいしか違わない。

下妻物語スペシャルエディション

下妻物語スタンダードエディション

桃子バージョンとか、いちごバージョンとか発売されたら危なかった。両方買うハメになったかも。

ほぼスペシャルエディションに傾いてる「かんりにん」の選択結果については、今月26日を待て!?

みそじのおんな

2004-11-06 01:05:34 | みそじのおんな
年とってからわりといいじゃん、と思う女性タレントが何人かいるけど、華原朋美もそのひとり。
CDもアルバム一枚しか持っていないし、曲も「I’m proud」ぐらいしか思い出せないので、全盛期をさほど知っていたわけではないのだが。

「20代は全然、後悔していない。ただ30代になったので、同じ間違いを繰り返して自分を傷つけないようにしたい」(華原朋美)
朋ちゃん「20代後悔していない」

まだまだ危うそうに見えるんだけど(マスコミが「ちゃん」づけをやめないせいか)、ひとまず健気な発言ということで。
もう、コムロウなんかに目もくれるなよ。