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みゅーじっくふうちゃんねる 

~show我が青春、涙からもらった元気~   

雪化粧 (Yuki-Geshou) --- Teresa Teng

2013年12月02日 | J・POP・演歌・歌謡曲



雪の降る夜は静かです・・・

空から舞い降りる雪が、さまざまな音や声を包み込んで、降り積もっていくからでしょうか・・・
だから、春になって、雪が解ける季節になると、包み込んだ音や声も解けてきて、北国、雪国の春が賑やかなのでしょう。(笑)
まぁ、冗談はさておき・・・、って、こんな雑文で、冗談をさて置いてしまったら、何も残らないのですが・・・あはは。

夜になって風がなく気温が零下十五度位になった時に静かに降り出す雪は特に美しかった。
真暗なヴェランダに出て懐中電燈を空に向けて見ると、底なしの暗い空の奥から、 数知れぬ白い粉が後から後からと無限に続いて落ちて来る。
それが大体きまった大きさの螺旋形を描きながら舞って来るのである。
そして大部分のものはキラキラと電燈の光に輝いて、結晶面の完全な発達を知らせてくれる。
何時までも舞い落ちて来る雪を仰いでいると、 いつの間にか自分の身体が静かに空へ浮き上がって行くような錯覚が起きてくる。
中谷宇吉郎「冬の華/雪雑記」より


雪の結晶は、別名、六花(りっか)とも言います。
六角形の整った美しい結晶は、その成長過程の温度や湿度により様々な形となり、ひとつひとつが、それぞれに、異なる美しい形を持っています。
六花は、まさしく、一つとして同じものはない、そう、「世界に一つだけの花」なのです。(笑)

雪の降る夜は、暖かです・・・

反対に、冬の晴れた日の夜空に、冬の星座を代表するオリオン座のベテルギウスと、こいぬ座のプロキオン、そして、おおいぬ座のシリウスを頂点とする三角形、いわゆる、冬の大三角が、天空高くに、凛として輝くときは、寒さも極まります。

おまけに、オリオン座の中心にある三ツ星の斜め左上に、ウルトラの星、M78星雲がくっきりと見えたとしたら、ウルトラマンでなくても、空を見上げる余裕もなく、すぐにお家に帰りたくなりますよね。(笑)

でも、お家に帰っても、暖房器具の貧弱な部屋では、やはり、どうしょうもなく寒いものですが。(笑)

学生時代の頃のことです。

三畳一間の小さな下宿で、夜も更けて、ぼくが、ため息まじりに吐いた息が、部屋の中なのに、白く見えたことがあります。
長い髪をかきあげながら、相手が吐いた息も、もちろん白くなって、狭い部屋の真ん中で、二人の白い息が交わりあいました。

「寒い?」
「うん、少し寒いね・・・。」
「毛布、出そうか…。」
「ううん、それほど、寒くはないよ・・・。」

・・・と言えば、少し、艶っぽい感じがしますが、相手はもちろん男性、髪を伸ばした貧乏苦学生で、泊まりこんで徹夜で議論しあってた頃の話です。(笑)

なんか期待した人・・・、ごめんなさい。(笑)

あはっ、いつも言ってるでしょ。
ふうちゃんの青春時代は、こう見えても、けっこう硬派だったんですって。

・・・ということなので、残念ながら、そのときの二人は抱き合って、暖を取ることはしませんでした。(笑)

そのかわりに、三袋のチキンラーメンを鍋で炊いて、学生食堂から失敬してきた香辛料のコショウを、やや多めに入れて食べ、暖を取りました。(笑)

しかし、チキンラーメンにコショウを入れて食べるよりは、やはり、寿がきやうどんに、大量の七味を入れて食べる方が、より暖を取るのに効果的ではないか、というのが、二人の深夜に及ぶ議論の末の実証結果でした。(笑)

テレサ・テンさん、いろいろと謎の多い方でしたが、ふうちゃん的には、その、たおやかで、母性的で、愛らしいままで世をさられた彼女は「理想の女性像」だったかも知れません。

1953年1月29日 ‐ 1995年5月8日、42才で亡くなられた彼女、その死因については、エイズ、麻薬中毒死、スパイ謀殺説などが飛び交いましたが、真実は気管支喘息によるものだったと思っています。

歌唱力は抜群でしたねぇ、日本人以上に日本語を理解されて歌っていましたし・・・

この曲は日本でのデビュー曲と言ってもいい「空港」に次いで発売された3曲目のシングルですが好きな曲です。
   


君恋し 前川清

2013年11月14日 | J・POP・演歌・歌謡曲



1 宵闇せまれば 悩みは涯なし
  みだるる心に うつるは誰(た)が影
  君恋し 唇あせねど
  涙はあふれて 今宵も更け行く

2 唄声すぎゆき 足音ひびけど
  いずこにたずねん こころの面影
  君恋し おもいはみだれて
  苦しき幾夜を 誰がため忍ばん

  君恋し 唇あせねど
  涙はあふれて 今宵も更け行く
  今宵も更け行く 今宵も更け行く


この曲はフランク永井さんの歌だと思われておられる方が多いと思いますが、オリジナルは、昭和4年(1929)に浅草オペラの人気歌手・二村定一(ふたむら・ていいち)さんが歌った曲で、『波浮の港』や『東京行進曲』などとともに、歌謡曲の草創期を代表する作品の1つです。

ところで、来月、清水寺で発表される恒例の「今年の漢字一文字」は何と言う字になるのでしょうね。(笑)
これは、日本漢字能力検定協会が全国から公募して一番票が多かった漢字が「今年の漢字」となるわけですが・・・

「倍返しだ!」の倍でしょうか、2020年の五輪招致で「輪」でしょうか、それともメニュー偽装で「偽」でしょうか。(笑)

五輪がせまれば 悩みは涯なし

偽装の心に うつるは我が影

お・も・て・な・し 言ってはみたけど

汚染があふれて 世論は倍返し・・・♪~


ふうちゃん的には「偽」でしょうか、メニュー偽装もそうですが、今年は全てのことで「偽」が多かったような気がします。

「潮風の吹く町」森田由美恵

2013年11月11日 | J・POP・演歌・歌謡曲



震災2年8カ月 「マスコミなんて来なくなった」風化との戦い

風化が切実な問題になっている。東日本大震災の被災地で取材を続けている同僚にこう言われ、三陸を歩くことにした。

津波に流された岩手県宮古市の田老地区の集落は、だだっ広い空き地か原っぱのようにしか見えなかった。東北の別の場所ではあるが、2年前の秋に見た被災地の風景とほぼ同じだ。

復興が進んでいない。そういう事前の下調べで想像していた景色とそう変わらないはずなのに、まったく違って映る。

空き缶が転がっている。人が暮らしていた跡がわずかとはいえ、はっきりと目に入ることを忘れていた。少ない人通りでも、時間の蓄積が人の表情を変えることに思いが及んでいなかった。風化は自分の頭の中で起きていた。

誰かと話をしないと、どこに何があったのかも分からない。周囲を見渡すと、プレハブの理容店がぽつんと建っていた。

ドアを開けて名乗ると、店主の高橋優さん(63)はきょとんとした。「東京の記者さん? 珍しいね。マスコミなんてめったに来なくなったのに」

仮設住宅の暮らしが続く高橋さんとの話は3時間に及んだ。明るい人柄だが、たまに顔を曇らせた。申し訳なさそうに、9月8日早朝に東京五輪開催が決まる直前のことを振り返った。

 「東京、落ちろ」

そう祈っている自分に気付いて、ハッとしたそうだ。

「誤解しないでほしいんだけど、オリンピックがくることは喜んでいるんですよ。復興にもつなげてほしい。でも、ここが忘れられていくような不安が頭をよぎったんです」

見送ってくれるとき、高橋さんは高台にある寺の墓地を見上げた。「月命日に墓参りする人が減りましたね。多いときの3分の1ぐらいかな」

それが単に悲しい変化だとは思わないという。「つらい思い出を乗り越えないと、前を向いて生きてはいけないから」。被災者や遺族の心で大惨事が風化することはないとも言われた。

岩手県釜石市では、200人以上が犠牲になった鵜住居(うのすまい)地区防災センターの中に入った。「祭壇」に向かうと、両親を描いた幼い子供の絵やお菓子、ぬいぐるみなどとともに、壁に貼られた手紙が目に入った。

年内に解体されることが決まったこの建物の保存を訴えている。幼稚園教諭だった娘の片桐理香子さん=当時(31)=を亡くした寺澤仲子さん(62)の名前が添えられていた。

寺澤さんは毎月11日、月命日の度にここを訪れ、娘とそのおなかにいた孫に語りかける。9月下旬、生存者の証言で、理香子さんがいたのは2階の部屋だと分かったばかりだ。「建物がなくなると、また場所が分からなくなるね」

もちろん、建物を見るだけでつらいという遺族や生存者は多い。市によると、解体を望む声のほうが強かった。寺澤さんもその気持ちは分かるという。「この問題に答えはないと思います」

寺澤さんの頭には、理香子さんを育てた自分の町の歴史がある。釜石市の隣、大船渡市の三陸町吉浜。吉浜村といわれていた明治29年、明治三陸津波で約200人が犠牲になった後、当時の村長の手腕で低地の集落を高台に移転させた地区だ。低地はその後も農地化などで人が住むのを防ぎ、今回の震災の人的被害は行方不明1人だった。

「センターが残れば、見るだけで震災の教訓が将来に伝わる。風化が防げる。娘の死も無駄にならない。そう思っていたんですが」

被災地での風化との戦いは、その人の生き方を投影していた。(副編集長 三笠博志)

                                     2013年11月11日(月)  産経新聞


久しぶりにお目にかかった良い新聞記事でしたので紹介してみました。



さて、この曲「潮風の吹く町」ですが、歌っているのは森田由美恵さん、・・・多分ご存知ない方が多いと思いますが、彼女、1969年フジサンケイ・グループ主催《全国歌謡コンテスト》で最年少優勝、そして1971年、 東芝EMIからこの曲でデビューされるという実力派演歌歌手でした。
しかし、運が悪かったいうか、デビュー時期が悪かったというか、路線を誤ったというか、当時は天地真理さんはじめ、百恵ちゃん昌子ちゃん淳子ちゃんの中三トリオの陰に隠れ、期待の新人歌手として、一度だけ「夜のヒットスタジオ」に1972年出演されたものの、そこがピーク、以後は消えてしまったのではなかったかと・・・・・思います。

ただ、この曲は妙に印象が残っていて、今でも聴きたい曲の1曲です。

1)ふるさとは 遠い北の果て
   潮風の吹く町
 荒れた手をして 網をあむ
   小さな母の肩
 浜なすの花が 咲く頃に
 帰ろうと思いながら 二年が過ぎた

2)海鳴りが唄う 子守唄
   潮風の吹く町
 今日も夜なべの 針仕事
   乱れた母の髪
 許してね私 悪い子ね
 帰ろうと思いながら 四年が過ぎた

3)雪ふれば つらい冬が来る
   潮風の吹く町
 凍る井戸水 汲みながら
   吐息も白い母
 もう二度と そばをはなれない
 逢いたくて甘えたくて 夜汽車にのった

この世の花 ・人生いろいろ

2013年11月10日 | J・POP・演歌・歌謡曲







島倉千代子さんが8日午後、肝臓がんのため亡くなりました・・・・・享年75才。

島倉千代子さん、・・・平成生まれの若い方々にとって、もしかすると島倉さんは「人生いろいろ」がデビュー曲で、それしか彼女の歌は知らないと言う方が多いかもしれませんが、団塊世代、そう、昭和が青春そのものだった人々にとっては、島倉さんが美空ひばりさんと並ぶ昭和の代表的女性演歌歌手だったことを疑う方は、・・・多分いないだろうと思います。

NHKの紅白歌合戦が全てとは言いませんが、昭和の時代だけに限れば島倉さんの紅白出場回数は歴代トップ、歌われた曲は2000曲以上、最初のヒット曲から最後のヒット曲までの黄金期が32年、・・・ともかくどれをとっても凄い歌手だったのです。

ただ、その間、舞台過多から声が出なくなり失踪するとか、ファンのテープを目に受け失明寸前になるとか、阪神タイガースの藤本勝巳と結婚する前に3度の中絶があったり(3年で離婚)、友人に実印貸し16億円の負債、2年後またも騙されて2億4千万円の負債を抱えることも、さらに姉敏子さんの自殺、乳癌の手術などなど、波乱の人生を送られた方でもありましたが・・・。

しかし、それでも、つねに第一線で歌い続けられたわけですから、島倉さんがいかにファンからも関係者からも愛されていたかが分かります。

デビューが16才(本当は12歳で、童謡「お山のお猿」がテイチクレコードから発売されていますが、ただ、ジャケットの誤植により「戸倉千代子」名義となってしまったため、「島倉千代子」のデビュー作とはならなかった)、以後、今年3月まで歌手として歌い続けておられた島倉さん、「人生いろいろ」そのタイトルそのものの人生だったかも知れませんが、歌手一筋で人生を全うされた戦後昭和の歌姫だったことは間違いありません。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

愛に走って 山口百恵

2013年10月30日 | J・POP・演歌・歌謡曲




ある調査会社で、コーヒー愛好家の女性(300人)を調査した結果、「一日3杯以上コーヒーを飲む人はおっぱいが小さい」 とする統計が浮かびあがったそうです。

「(メ・ん・)?それって、ホントぉ~?」

「・・・・・・・」

ところで、女性は思春期になると大量のエストロゲン(女性ホルモン)を分泌し、このエストロゲンが女性の体を形成するのに重要な役割を果たすホルモンであるということは医学的にはよく知られているところだそうです。

それでは、コーヒーに多く含まれているカフェインにはエストロゲンの分泌を活発にする作用があるという事が定説となっていますから、コーヒーを飲むとおっぱいが大きくなるのではないか? と思われがちです。

でも、・・・

じつはこのエストロゲンという女性ホルモン、分泌は脳下垂体という場所で行われています。
そして、この場所は凄くデリケートな場所で、ストレスを受けるとホルモンの分泌が低下してしまうのだそうです。

ですから、エストロゲンの分泌を活発にするために、いくらコーヒーを飲んでもストレスを受けやすい女性には効果がありません。

「だったら、思春期にストレスを持つことなく、コーヒーをがぶ飲みした女性はおっぱい大きくなってるっつうの?」

「う~ん、・・・」

でも、そう言えば、巨乳と言われるアイドルタレントを見てると、・・・何となく・・・(笑)

まぁ、ふうちゃん的にこの調査結果を理解すれば、コーヒー愛好家にはストレスを貯めやすい人が多い、だから、・・・・・と言うことでしょうか。(笑)

ちなみにですが、ふうちゃんは巨乳は苦手、貧乳もダメ、BかCくらい?・・・

コラッ、何を言わすんじゃ。(笑)

加山雄三/雨のシャッフル .

2013年10月28日 | J・POP・演歌・歌謡曲




旅ゆけば 雨のしずくも

かなしみを おまえにはこぶのか

君をコートに つつんで

歩けばなお 雨がふる

むなしいこの世に 疲れても

二人で探そう 愛の宿

あの人も 又 あの人も

背を向けた 僕らの恋だけど

とおい どこかに 二人の

青い空が あるだろう


むなしい この世に 疲れても

二人で探そう 愛の宿

あの人も 又 あの人も

背を向けた 僕らの恋だけど

次の生命を 育てる

赤い屋根があるだろう



「年をとって困ることは、身体が固くなるばかりでなくて、頭が固くなること、心が固くなることです。心が固くなると、感動、感激がなくなります。一生青春を保つためには、心のやわらかさを保つこと。そのためには、具体的に何かに打ち込んでいくことだと思います。学校には卒業がありますが、修業には卒業がありません。一生修業です。一生勉強です。一生勉強と一生青春は、一枚の紙の裏表のようなものだと思います。」


相田みつをさんは、生前、このように語り、その意味をこめて、「一生感動一生青春」、「一生勉強一生青春」という言葉を好んで使っていたそうです。
享年67歳、そのいちずに一本道を歩んだ相田みつをさんだからこそ残せた言葉かも知れません。

ところで75才にして未だ若大将と呼ばれる加山雄三さん、戦前戦後の日本映画界を代表する天下の二枚目俳優上原謙とあの岩倉具視の曽孫である小桜葉子の長男として誕生するも、所有ホテルの倒産による多額な借財、重なるように愛する母との死別、女優松本めぐみとの駆け落ち同然の結婚による人気低迷・・・など、決して平坦な人生ばかりではありませんでした。
しかし生来の真面目さと明るさが救いとなり、彼もまたこの言葉に象徴されるような人生を歩んでこられたように思います。

この曲「雨のシャッフル」は1971年発売ですから、そんな彼の低迷期34才の頃の作品でしょうか・・・あまり知られてはいませんが好きな曲です。
歌詞の内容からして、この曲、きっと自身と松本めぐみさんを歌ったように思います。


加山雄三/いい娘だから

2013年10月28日 | J・POP・演歌・歌謡曲




いい娘だから ふたりで
今夜はダンスにいこう


こんなこと言った覚えありますか?。
こんなこと言われた覚えありますか?。

えっ、そんなことを、言ったような、言われたような~・・・覚えがあるような、ないよう~なって、ですか?。

ハイハイ、心痛む想い出さえも、遠い昔のことともなれば、美しく変わってしまうといいますからね。
美化作用という「時間グスリ」でしょうかね。(笑)

いま「クスリ」って笑いましたか。(笑)

・・・って、親父ギャグに笑ってしまった自分に、しまったなぁ~なんて思ったあなたも、きっと大昔のデートの前には、もしかしての接近戦に備えて、エメロンのシャンプーとリンスで、髪の毛のヘアーケアを入念にしましたよね?(笑)

えっ、わたしは、シャンプーとリンスは、バスボンのヘアコロンシリーズを使ってましたよって?

遠まわしに、エメロン姉さんたちより、少し若いってこと、アピールしてる?(笑)

まっ、エメロンでも、バスボンでも、メリットでも、エッセンシャルでも、トニックシャンプーでも、ノミ取りシャンプーでも、なにを使おうとも、どっちみち、年取りゃ、艶はなくなるし、白髪は増えるし、おまけに禿げになるんやから、あまりこだわらんときましょうね。(笑)

ぼくの腕に おすがり
すべてまかせて


ハイハイ、ここまで来れば、もはや夢想というより、妄想としか言いようがないですよね。(笑)

もっとも、被害妄想や加害妄想とは異なって、単に希望妄想、願望妄想ですから、大丈夫としましょ。
人に迷惑のかからない妄想なら、誇大妄想でも、若かりし時への古代妄想でも構いません。(笑)

しかし、もし青春時代に静かによりそい、やさしくみつめるだけのこんな感じのデートを今もされていたとしたら、なんと、若くして老成しているのでしょう。
羨ましい!!(笑)
もはや、恋人以上の茶飲み友だち。?(笑)

さて、「いい娘だから」なんて、こんな言葉を、ささやかれた覚えがありますか。

えっ、そんなんナイナイ!?

そうでしょ、そうでしょ。
でも、それはそれで幸せなことです。
巡り会ってきた人たちが、とても正直者で、あなたに対して、うそのつけない誠実な人だったのですから、おおいに喜んでくださいね。(笑)

えっ、まっ、多少は覚えがあるって!?

そうですか、そうですか。
でも、それも幸せなことです。
巡り会ってきた人たちが、とても賢明な方で、あなたに対して、配慮深い人だったのですから、おおいに喜んでくださいね。(笑)

いい娘だから、あるいは、おまえ、あなたなどの人称代名詞は、どなたさまに限らず、相手を選ばずに、使い回しができます。

一方、固有名詞で呼び合ったなら、うっかりと、名前を呼び違えてしまうおそれがありますから、相手の人はきっと、その危険を回避しようとした配慮深い賢人に違いありません。(笑)

でも、そんな燃えるような囁きも、やがては燃え尽きてしまって、しびれと脱力感、四十肩に五十肩、疲れ目、乾き目、弱り目、たたり目にもなります。

知識も経験も増えて、体重も増え、減っていくのは、永遠の愛と、髪の毛と、貯金残高なり。

ご破算で願いましても、はややり直す、時間とお金もなくなりて、おまけに若さも無くなりぬ。
人生の冬に、なにを想うや、ヤーレン、ソーランソーラン、ハイハイ。(笑)

って、なんかふうちゃんだけがハイ状態なのかも。(笑)



まちぶせ 三木聖子

2013年10月27日 | J・POP・演歌・歌謡曲




あなたに 名前を呼ばれるたびに
甘酸っぱい 愛の装飾のような
憂鬱の中へ わたしは
迷い込んでしまいそうになる

こうして あなたと漕ぐ舟は
何処まで 流れてゆくの?

あなたと見た 少し前の景色のこと
もう忘れてしまっているのに
こんな時でも 思い出す

あなたと舟を 漕ぎながら
あなたに云えない 懐かしさが
水に流れて行く

気付かずに 漕いでいて

お願いこのまま漕いでいて・・

by  ふうちゃん




この曲をヒットさせたのは石川ひとみさん(81年)ですが、最初に歌ったのは、僅か2年で引退した三木聖子さんでした。(76年)。

さて元祖ストーカー・ソングとも言えなくないこの曲、ユーミンのメロディーにノった状態で聴いていると、詞の怖さを感じません。
しかし、歌詞カードだけ読んでいると結構怖いかも・・・。(笑)

もっとも、「考えすぎ」と指摘されそうなふうちゃんのこの年齢(とし)での妄想がもっと怖い?(笑)