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みゅーじっくふうちゃんねる 

~show我が青春、涙からもらった元気~   

森田童子「ぼくたちの失敗」

2013年12月05日 | 森田童子




話題になった言葉に贈られる「新語・流行語大賞」が、今年も12月2日、都内で発表されました。年間大賞に選ばれたのは「じぇじぇじぇ」「倍返し」「今でしょ!」「お・も・て・な・し」・・・・・

「じぇじぇじぇ」は、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」の中で、能年玲奈演じる「天野アキ」らが使う驚いたときの表現。「倍返し」はTBSのドラマ「半沢直樹」で主演の堺雅人が使った決め台詞で、いずれもテレビドラマを契機に流行しました。

また、「今でしょ!」は、予備校「東進ハイスクール」の現代文講師・林修氏のCMがきっかけで流行。「お・も・て・な・し」は、2020年東京五輪招致の最終レセプションで、フリーアナウンサーの滝川クリステルがアピールした言葉です。

今年は例年になく選考が難しかったようですが、それにしても4つが大賞とは・・・・・どうも分かりません。

ところで分からないと言えば、サッパリ分からないのが「特定秘密保護法案」。

日本の安全保障に関する情報のうち「特に秘匿することが必要であるもの」を「特定秘密」として指定し、取扱者の適正評価の実施や漏洩した場合の罰則などを定めることを目指す法案ということで、漠然とは理解出来るのですが、中身は曖昧で利用の仕方では、世の中が一変するような内容を含んでいます。

しかし、自民党が衆参両院の選挙で圧倒的議員数を確保したからでしょうか、安倍政権は「今でしょ!」とばかりに欠陥だらけとも言えるこの法案成立に躍起になっています。

そして、「じぇじぇじぇ」と驚かせたのが野党である「みんなの党」と「維新の会」の賛成です。
将来、自民と連立させてもらえるというような「お・も・て・な・し」でも受けたのでしょうか・・・・・

ふうちゃんはこの法案、全く反対というわけではありませんが、もっともっと審議して、少なくとも曖昧さを解決してから成立を期したほうがいいと思っています。
数の力に頼り、前例のないような乱暴な国会運営をやって成立ということになると、次の選挙で有権者から「倍返し」されますよ。(笑)



春のこもれ陽の中で 君のやさしさに
うもれていたぼくは 弱虫だったんだョネ

君と話し疲れて いつか黙りこんだ
ストーブ代わりの電熱器 赤く燃えていた

地下のジャズ喫茶 変れないぼくたちがいた
悪い夢のように 時がなぜてゆく

ぼくがひとりになった部屋に
きみの好きなチャーリー・パーカー
見つけたョ ぼくを忘れたカナ

だめになったぼくを見て
君もびっくりしただろう
あの子はまだ元気かい 昔の話だネ

春のこもれ陽の中で 君のやさしさに
うもれていたぼくは 弱虫だったんだョネ


青春とは、青い春と書きます。

そしてこの2文字から浮かぶイメージは、若葉の芽吹きを(青)、生命の躍動(春)、・・・まさに人生においての春の季節、若く元気な時代と言ったところでしょうか。

しかし、反面、青春は、挫折と失意を、繰り返す時代だったと振り返る方もおられるかも知れません。

たしかに、振り返れば、恋人に振られたとか、志望校に落ちたとか、就職がなかなか決まらなかったとか、そんな「初めての失敗」の体験が、立ち向かえないほどの挫折と失意として、感じ取ってしまったことがあったかも知れません。

でも、また、思いを巡らせば、・・・そう、青春時代ゆえに、その失敗が乗り越えられたということを、そんな体験を繰り返し重ねて来たわたし達は自然に学び取っていることも事実です。

ただ、青春(せいしゅん)から、朱夏(しゅか)、白秋(はくしゅう)、玄冬(げんとう)という、めぐり行く季節と同じように、齢を重ねて来た世代にとっては、残された時間を意識する分、その失敗に対する思いが、青春時代より深刻に、複雑に、挫折と失意を感じ取ることになります。

そして、これがストレスの多い現代社会において増幅され、中高年のうつの発症や自殺などが多発する一因ではないかと考えられてもいます。

しかし、よく、考えてみてください。

少なくとも、「ぼくたちの失敗」は、それがどんな失敗だとしても、とても日本の将来を絶望の淵に追いやるとか、未来の地球の滅亡につながるとかいうほどのことはありませんよね。

比べて、頂点を極め指導的地位に立っている人が、人のいのちを奪ってしまうような失敗をしていながら、のうのうと厚顔にも生き抜いているのです。

そう、そのような極悪非道な人達と比べるまでもなく、地上の星、いや地上の星にもなれなかった、地上の星屑のような「ぼくたちが犯す失敗」は、しょせん、たかがしれている失敗なのです。

いつでも、やりなおせばいいほどの失敗です。

失敗を得意がる必要はありませんが、そうそうに、失意にうちひしがれるほどのことはないのです。

ぼくがだめになったのか、あるいは周囲が、環境が、時代が、だめになったのか、あるいは、もともとから、ぼくがだめだったのか、これがほんとのダメモト?。(笑)

冗談はともかく、・・・・・だから、失敗をおそれず、また、失敗しても思い悩まずに、ぼちぼちと、歩いていきましょう。

ほら、中高年のみなさん、思い悩まずとも、そう、彼岸のお花畑だって、もう、そんなに遠い道のりじゃないのですから・・・えっ、┐(´∀`)┌ハイハイこれは失礼、「ぼくの失言」でした。(笑)

森田童子「君は変わっちゃったネ」

2013年10月27日 | 森田童子




ゆうやけ(夕焼け)とは、日が沈む頃に、西の地平線に近い空が赤く見える現象のことで、天候不順で長雨でも続かない限りは、一年中、それも頻繁に見れるものです。

     夕やけ小やけの 赤とんぼ
     負われて見たのは いつの日か
                    「赤とんぼ」-童謡

とは言うものの、夕やけと言いますと何故か秋を連想しませんか?
これは、秋の空は空気が澄んでいて、他の季節よりは、ゆうやけが、よりきれいにみえますし、夏の季節が終わって秋に向かうと、日没が次第に早くなっていくために、それまであまり気にしていなかったゆうやけを特に意識しやすくなるとされていますので、きれいなゆうやけをみるのが、秋のような気がするということでしょうか。

それとも、秋も深まるにつれて、気温が下がっていき、なんとなく人肌が恋しくなってきて、ゆうやけがいっそう、目に沁みて、心に沁みて、身に沁みるからでしょうか。(笑)

そして、ゆうやけといえば、山や海などの雄大な自然の風景の中でのゆうやけ模様を想い起こしますが、もちろん、ゆうやけは、日常の街中での生活空間の風景の中でもありますし、人生に例えれば、ふうちゃんの年代もゆうやけ世代として、そう、あるのかも知れません。

     夕焼小焼けで 日が暮れて
     山のお寺の鐘が鳴る
     お手々つないで みな帰ろ
     からすと一緒に 帰りましょう
                    「夕焼小焼」-童謡




.森田童子「ラスト・ワルツ」

2013年10月24日 | 森田童子




婚姻件数70万件(内、再婚件数17万件)

離婚件数28万件(内、協議離婚23万件)

訴訟による離婚5万件
     (妻側の申立70%、夫側30%)

     _最近5年、厚労省統計_




振り返れば、わたし達、これまでの季節の流れの中で、いろんな人と出会い、ふれあい、信じ、愛し合い、裏切られ、恨み、憎しみ、そして別れてきました。

それでも懲りずに人と出会い、人と別れる・・・そんな繰り返し。
とは言っても、それがそもそも人生なのかもしれませんね。

しかし、人と別れるときに感じることは、そこで時間が一瞬、止まってしまうということです。
流れる季節のように、緩やかに流れていた時間(とき)が、止まってしまいます。
おなじ時間(とき)を過ごし、共有していたはずなのに、それがまったく錯覚だったようにも思えます。

それが恋人同士のときならば、なおさらです。

さて、失恋して失うものはなんなのでしょうか。
そうです、失うものは、恋でも、愛でも、まして、相手でもありません。
失うものは、次の相手に出会うまでの間の時間(とき)、失われた時間(とき)だと思います。

このことは、ふうちゃんのようにいくつかの恋を経てこそ、修得できるものかもしれませんが。(笑)

それにしても、ゆく秋は 人肌恋しき 目に泪 (ふうちゃん 作)

ここはやはり、ちょっとセンチメンタルになって、ノスタルジックにひたって、目頭でも熱くしましょうか。
まあ、熱い渋茶でもすすりつつでもね。(笑)
そして、少しけだるくアンニュイに、ふうっと深く、ため息くらい、ひとつついても、許されますよね。
秋だから・・・。

                                    (初稿2012.10 未改訂)