一生一度きりの別れならばいいものを 人は幾度となく悲しみを繰り返す
手探りの中でふと抱かれるような 甘い想い出は通り過ぎて行く
振り返ることなく明日だけを見つめながら いつか来た道と気付かずに歩いた
そこは幸せと不幸の分かれ道 悲しみおぼえた出会い道
私だけのあなたにはなってくれるはずがない
心のぬくもりも今は忘れてみるわ 忘れてみよう
揺れる二人の夢もよう
水に浮かぶ枯葉に目を向けると ちょうど今の私同じように見えた
風にうたれ雨にうたれたどる道は 苦しみおぼえた迷い道
はかない恋のほろにがさを知って 強がりはよせよと口ずさんでみます
あふれる涙はとめどなく流れて とまどう私は闇の中
私だけのあなたにはなってくれるはずがない
心のぬくもりも今は忘れてみるわ 忘れてみよう
揺れる二人の夢もよう
一生一度きりの別れならばいいものを 人は幾度となく悲しみを繰り返す・・・
さて、旧ソビエト連邦の生理学者イワン・ペトローヴィチ・パブロフが、犬に対して、「ベルを鳴らしてからエサを与える事を繰り返していたら、犬はベルを鳴らしただけで、唾液を出すようになった」というのが、パブロフの犬の話しで、これは条件反射の理論として有名です。
この理論をあてはめると、人は別れを繰り返していると、別れただけで悲しくなり、悲しむだけで、泣くようになるという条件反射が生じることになります。(笑)
もっとも、これを条件反射とするには、かなり異論があるでしょうね。
涙とよだれをいっしょにするわけにもいかないですし、犬と人とは違う、まぁ、それくらいのデリカシーは人として持ち合わせたいものです。(笑)
しかし、泣くということに関しては、100年以上も前に、生理的、身体的な反応、変化が生じて、それが感情を引き起こすとする、つまりは、「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ。」という、心理学者のジェームズ(William James)と、ランゲ(Carl Lange)が提唱した、いわゆるジェームズ=ランゲ説と呼ばれる有名な古典的心理学説があります。
ある種の感情が生じて、ある種の身体的な反応が起こる、つまりは、悲しいから泣くのであり、楽しいから笑い、恐いから震えるのだという、それまでの経験則的な常識を覆すような学説でした。
これに対して、生理学者のキャノン(Walter Cannon)とバード(Philip Bard)は、脳の中枢で生じた感情が脳の大脳皮質に伝達されて感情を経験し、同時に身体的反応が生じると主張して、いわゆるキャノン=バード説というものを提唱しました。
さらに、大学の心理学の教授であったシェクター(Stanley Shachter)は、ジェームズ説を発展させる形で、大学での学生とのさまざまな心理実験により、生理的な反応とともに、そのことを認知することが、感情を生成する重要な要因であるとした、情動二要因論を展開していきます。
しかし、いずれにしろ、人は何故、別れや悲しみを繰り返すのかは彼等はけっしてわからないでしょうし、そしておそらくは誰もわからないことだと思います。(笑)
あふれる涙はとめどなく流れて とまどう私は闇の中・・・
ともあれ、泣くということがストレス解消になり、涙を流すことが、免疫力を高めて、またうつ病の予防にもなるという医学的な研究もすすんでいることですから、みんなで一緒に泣いたらどうでしょうか。(笑)
まあ、すでに加齢により涙腺が緩んだ方々には、お勧めしなくても、すでに本を読んでは泣き、人の話を聞いては泣き、映画やテレビを見ても、よく泣いていらっしゃるかと思いますが。(笑)
私だけのあなたにはなってくれるはずがない・・・
人は孤独のなかに生まれて、孤独のなかに死ぬという、哲学的なことを意識せずとも、ひとりのときの孤独よりも、ふたりのときの孤独の方が、より孤独の深淵に近しいものだということを、人は出会いと別れの繰り返しの中で、経験的に知っていくものなのです。
鈴木 一平(すずき いっぺい、1951年1月6日 - )は、北海道札幌市出身のシンガーソングライター。拓殖大学卒業。1974年、フォークデュオ・ラビを結成。シングル「青春碑」でデビュー。1979年、第17回ヤマハポピュラーソングコンテストに「時流」で出場し、優秀曲賞受賞。同年、世界歌謡祭出場。翌年、シングル「時流」をリリース。同年、リリースした「水鏡」が、ヒットする。現在は、ライブ中心に活動する傍ら、ラジオパーソナリティとしても活躍する。(以上ウィキペディアより)
鈴木一平さん、あまりメジャーな方ではありませんが大好きな歌手です。
フォーク・ニューミュージック系にはなるんでしょうが、曲調は演歌っぽいシンガーソングライターでしょうか。
この曲も同様、歌詞もメロディーもほぼ演歌・・・・・それゆえ、演歌歌手によるcoverも多く、彼の曲の中では最も親しまれている曲です。