きっと住みよい所だったんだろうなあ。
好天の中、穏やかな太平洋を望みながら、そう感じた。
先日、日本記者クラブの主催で東京電力福島第1、第2原発を訪れる機会があった。
バスに揺られながら現地に近づくにつれ、異様な光景が広がってくる。
人の気配が全くない。
道路脇の田んぼには大きなカバーが至る所にかかっていた。
除染で出た廃棄物の置き場だった。
ふと、ある看板が目に留まった。
「3月12日からセール・・・」
恐らく東日本大震災と原発事故が起きた翌日から予定していたのだろう。
スーパーには何台もの車が乗り捨てられていた。
どんな思いで、そこから逃げていったのか。
誰がいつ書いたのか分からないが、一瞬、目に飛び込んできた「がんばっぺ福島」という黄色い文字が胸に刺さった。
「想定外」では済まされない事故だったとはいえ、極めて過酷な環境にさらさた現場で働く人たちには頭が下がった。
同時に、原発をコントロールする難しさをあらためて思い知った気がする。
原発周辺では、双葉町や大熊町、富岡町といった地域が、放射線量が高い帰還困難区域や居住制限区域などに指定されたままだ。
「またおいでください。桜の町富岡へ」。
看板の文字通りに地元住民や行楽客でにぎわう日は、いつやってくるのだろうか。
被災地は事故から間もなく3年、4度目の春を迎えようとしている。
某地方紙編集委員記事