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みゅーじっくふうちゃんねる 

~show我が青春、涙からもらった元気~   

ダンディズム 谷村新司

2014年01月26日 | アリス・谷村新司



――慰安婦を巡る問題については

「戦時中だからいいとか悪いとかいうつもりは毛頭無いが、この問題はどこの国にもあったこと」

――戦争していた国すべてに、慰安婦がいたということか

「韓国だけにあったと思っているのか。戦争地域にはどこでもあったと思っている。ドイツやフランスにはなかったと言えるのか。ヨーロッパはどこでもあった。なぜオランダには今も飾り窓があるのか」

――証拠があっての発言か

「慰安婦そのものは、今のモラルでは悪い。だが、従軍慰安婦はそのときの現実としてあったこと。会長の職はさておき、韓国は日本だけが強制連行をしたみたいなことを言うからややこしい。お金をよこせ、補償しろと言っているわけだが、日韓条約ですべて解決していることをなぜ蒸し返すのか。おかしい」


いやぁ、吃驚したというか、ガッカリしたというか・・・・・

25日、NHKの籾井勝人会長就任記者会見での発言です。

NHKと言えばイギリスのBBCと並ぶ公共放送事業者、そのトップが、あの橋本大阪市長と同様の発言をするとは・・・

籾井会長は、安倍首相の財界応援団「さくら会」の重鎮で元経営委員長の 古森重隆・富士フイルムホールディングス会長と親交があった方で、籾井会長就任は「政権の意向が反映された」といわれて居ます。

まさか、こういった発言が安倍政権の直接的意向とは思いたくはありませんが、いわゆる「忖度して」的な思いはあったかも知れません。

世界は、昨年末の安倍総理靖国参拝の目的は先の東京裁判の否定、すなわちサンフランシスコ講和条約による戦後秩序の否定とみなしています。

これに対し、安倍総理は年末、靖国神社を参拝した理由を「恒久平和を誓う」ためと弁明していましたが、今回のNHK会長発言と併せ、世界の見方は、やっぱり日本は・・・と思ったかも知れません。

秋止符 松浦亜弥 X 谷村新司

2013年11月07日 | アリス・谷村新司


左ききのあなたの手紙 右手でなぞって真似てみる
いくら書いても埋めつくせない 白紙の行がそこにある

友情なんて呼べるほど きれいごとで済むような
男と女じゃないことなど うすうす感じていたけれど

あの夏の日がなかったら
楽しい日々が続いたのに
今年の秋はいつもの秋より
長くなりそうな そんな気がして

夢を両手に都会に出て 何もつかめず帰るけど
やさしさの扉を開ける鍵は 眠れない夜がそっと教えた

心も体も開きあい そこからはじまるものがある
それを愛とは言わないけれど それを愛とは言えないけれど

あの夏の日がなかったら
楽しい日々が続いたのに
今年の秋はいつもの秋より
長くなりそうな そんな気がして

春の嵐が来る前に 
暖かい風が吹く前に
重いコートは脱ぎすてなければ 
歩けないような そんな気がして



左ききのあなたの手紙 右手でなぞって真似てみる いくら書いても埋めつくせない 白紙の行がそこにある・・・

いかにも、谷村さんらしい歌詩の出だしです、ここでグっと惹きつけるといいますか、意味が分からず頭部分から立ち往生すると言いますか・・・(笑)

ところで、左ききと右ききというきき腕の差ですが、この腕のうごきを支配するのは、司令塔である脳によって為されると言われています。
つまり、きき腕は、右ききの人は左脳が、左ききの人は右脳が、発達しているからだというのです。

さらにですが、右脳は、感覚脳とも言われ、感覚、感性が鋭く、雰囲気で行動するパターンに使われ、左脳は、論理脳とも言われ、 論理的な思考や行動パターンに活用されているとも言われています。

ですから、右ききの人が、左ききの人の文字を真似て書いたしても、そもそも、感覚や思考、そして行動形態が脳レベルから異なるわけで、(メ・ん・)?・・・だから真似のできない、埋めつくせない白紙の行が残るのでしょうか・・・。(笑)

さらに言えば、右きき、左きき同士であっても、溝はできます、・・・その場合は脳そのものが白紙になっちゃったと、考えればいいのでしょうか・・・。 (笑)

まぁ、そう言った疑問はふうちゃんだけで、ともかく、心に残る名曲であることだけは間違いありません。

帰らざる日々  谷村新司 .

2013年11月05日 | アリス・谷村新司



最後の電話を握りしめて
何も話せずただじっと
貴方の声を聞けば何もいらない
いのちを飲みほして目を閉じる

Bye,Bye,Bye 私の貴方
Bye,Bye,Bye 私の心
Bye,Bye,Bye 私の命
Bye,Bye,Bye,Bye my love

何か話さなきゃいけないわ
わかっているけれど
目の前を楽しい日々が
ぐるぐるまわるだけ

Bye,Bye,Bye 私の貴方
Bye,Bye,Bye 私の心
Bye,Bye,Bye 私の命
Bye,Bye,Bye,Bye my love

酒びたりの日も今日限り
私は一人で死んでゆく
この手の中の夢だけを
じっと握りしめて

Bye,Bye,Bye 私の貴方
Bye,Bye,Bye 私の心
Bye,Bye,Bye 私の命
Bye,Bye,Bye,Bye my love

貴方の声が遠ざかる
こんなに安らかに
夕暮れが近づいてくる
私の人生の

Bye,Bye,Bye 私の貴方
Bye,Bye,Bye 私の心
Bye,Bye,Bye 私の命
Bye,Bye,Bye,Bye my love



この曲、「帰らざる日々」は、アリスの8枚目のシングルで、1976年4月5日に東芝 EMIから発売されています。

谷村新司 口笛が聞こえる町

2013年10月31日 | アリス・谷村新司




アリスの人気絶頂期(77年)にリリースされた谷村新司のアルバムの中にあった曲です。
いやぁ、何ともくら~い曲ですね。
ロシアの船が着く港ですから稚内あたりでしょうか・・・・・イカ釣り船も登場しますから、さて函館あたりでしょうか・・・・・?
青春に疲れ、思い出の本を片手に失恋の旅・・・・・ほんと、暗いです。(笑)

しかし、曲を聴いてると暗さより哀愁として、その雰囲気が伝わってくるから不思議です。

陽はまた昇る 谷村新司 .

2013年10月31日 | アリス・谷村新司




夢を削りながら 年老いてゆくことに
気がついた時 はじめて気付く 空の青さに
あの人に教えられた 無言のやさしさに
今さらながら 涙こぼれて
酔いつぶれた そんな夜
陽はまた昇る どんな人の心にも
ああ生きてるとは 燃えながら暮らすこと
冬晴れの空 流れる煙 風は北風・・・・・




あぁ・・・暑い・・・メチャ暑い・・・
梅雨も開け、いよいよ夏本番といったところでしょうか。

もっとも、これは人間の感覚、・・・・・他の生物は夏至を過ぎた辺りから、徐々にではありますが秋の支度に入ります。

これはもしかすると、気温よりも、陽の光を信じて生きているからではないでしょうか。
気温は毎年変わりますが、陽の光はずっと同じ日には同じ時間だけ照らしてくれますからね。(笑)

さて、人には、人それぞれに夢というものがあります。

たとえ、それが他者から見て、ほんのささやかで、ちっぽけな夢であったとしても、それはその人にとって、かけがえのない夢であるはずです。

Dreams come true-夢は現実となる、夢は叶う。
好きな言葉です。
でも、なぜか、せつない言葉です。

ささやかな、ちっぽけな夢でさえも、ときとして、叶わざる夢となってしまうことも、哀しいことに、true-事実であることを知っているからです。
そう、Un unfulfilled dream-見果てぬ夢。

だからこそ、人偏に夢、人の夢と書いて、儚い-はかない、と読ませるのでしょうか。

若いというだけで、ただそれだけで夢があった、そんな夢見る頃を過ぎると・・・。

夢は夢にして終わるもの、だからこそ、それが夢なんだよねぇ~と、したり顔して、達観した顔つきになって、問わず語りに答えている。

そんな、自分の姿に気がつくときに、なぜかそこに、醜く老いそうな自分を見つけたような気がして、自己嫌悪に陥ることがあります。

人は、夢があるときは、前を向いて歩いていきます。
ときに早足に、ときに駆け足となっても、たとえ坂道であっても、目の前がドブであっても、前のめりになって、ずんずんと前を進んでいきます。

しかし、夢を失って、なすすべもなく、立ち止まったときに、人は恨めしげに、ただ天を見上げることになります。

そこではじめて、いままで気がつかなかった、空の広さ、空の青さに気がつきます。

夢は失った・・・、でも、そのおかげで視野は広がった・・・、見えなかったものが、見えるようになったんだ・・・、そう慰めながら、ふうちゃんは今日も・・・・

三都物語 谷村新司 .

2013年10月27日 | アリス・谷村新司




胸さわぎの 旅は いま始まって
時の流れのままに こころを遊ばせ
この私は 誰を 訪ねるあてもなく
まるで詩人のように 景色に染まって
ああ なんて
街 それぞれ 美しいの
ああ なんて
人 それぞれ 生きているの
昨日 今日 明日 変わり行く私
紅くいろづくときめきを
誰に告げましょう

風そよげば ひとり 胸抱きしめて
愛の不思議を思う 吐息をもらして
この泪(なみだ)は きっと 感じるよろこびね
揺れる瞳に映る 季節に恋して
ああ なんて
街 それぞれ 美しいの
ああ なんて
人 それぞれ 生きているの
朝に舞う夢
黄昏(たそがれ)に出会い
ほんの一時(ひととき)のためらいを
誰に言いましょう
昨日 今日 明日 変わり行く私
紅くいろづくときめきを
誰に告げましょう




京都ではお金を出しても美味しいものは食べられない

神戸ではお金を出せば美味しいものが食べられる

大阪ではお金を出さずとも美味しいものが食べられる


京都は過去に生きる

神戸は現在に生きる

大阪は今日の夕方まで生きる


京都の八百八寺

神戸の八百八坂

大阪の八百八橋


京都の着倒れ

大阪の食い倒れ

神戸のラッシュアワーでの人倒れ


京都10代

神戸3代

大阪1代



三都物語・・・・・京都・大阪・神戸の3都市を指して1992年、JR西日本のイメージソングとして発表された曲です。

歴史と文学の京都、商売と人情の大阪、そして、ムーディーな港町神戸・・・まさに、関西が誇るそれぞれ特色ある3都市です。

上記に言われているように、良くも悪くもそれぞれ違った文化、雰囲気が隣接して存在するこの地域、一度、じっくりと訪れてみてはいかがでしょうか。

デュードロップ「青春残酷物語」

2013年10月25日 | アリス・谷村新司




「青春残酷物語」、・・・このタイトルだけから想像すると超重量級の重~いimageを抱いてしまいます。

なお、これくらいの重さになると、いま流行(はやり)の低インシュリンダイエットをしても、多分、効果がないほどの重さかも知れませんネ。(笑)
しかし、よ~く聴いてみますと単なる青春時代の「失恋ソング」。

いかにも谷村さんらしい(作詞・作曲、谷村新司)、感情を必要以上に盛ったタイトルというか、13億人の大国、中国を相手にしているように、・・・壮大に誇張された表現です。(笑)
いえいえ、決して非難していると言うわけではなく、その感性が羨ましいと思っているのですよ。(笑)

ところで、最近、思い通りに、自分勝手に、気ままに生きている人が、とても多くなってきているような気がします。
それも、人の幸せや不幸せを省みることなく・・・、さらには、踏みにじってまで・・・。

それこそ、「世間残酷物語」?

さて、ここで問題です。

「あなたはいままでの人生で、幸せと不幸、どちらが多かったですか?」

幸せを数えたら 片手にさえ余る
不幸せ数えたら 両手でも足りない


これは、ばんばひろふみさんの「SACHIKO」という曲の冒頭部分の歌詞ですが、これまた超重量級の重~い歌い出しです。

そこで、今回は、いつもの軽い文系アプローチから、少々重々しく理数系アプローチにして、その効果を検証してみましょう。(笑)

まず、この重~い歌詞を、数式に置き換えてみると、幸せ<5 不幸せ>10となります。そして、余る、足りない、ということから、その数と等しい場合は含まず、ゆえに、幸せ≦5 不幸せ≧10という式は成立しないことになります。

さらに、これを文章解析してみると、幸せは、5以下の数ではなく、5未満の数であり、不幸せは、10以上の数ではなく、10を超える数であるという事も分かります。

ところで、これは、手の指=5という条件があって、はじめて成立する式であって、この手の指が、カラスやサンショウウオなどのものであったとしたら、3、または4を代入する必要があるでしょう。
さらに、これが、アンパンマンやドラえもんの手の指であったとしたら・・・、果たしてどんな式になるのか、悩むところです。
まあ、こんなことが、悩みというのならば、これは、幸せのひとつなのかもしれません。(笑)

さらに、この曲は続きます・・・・

泣いた夜さえ いつの日か
笑い話に なるものさ


泣くということに関しては、「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ。」という有名な学説があります。
心理学の入門書に必ず取り上げられている、いわゆる、ジェームズ=ランゲ説と呼ばれるもので、100年以上も前に提唱された学説であり、近年の精神医学・脳科学の進歩で、否定的に解されるようになってきましたが、実感としては、妙に納得できる学説です。

しかし、学説がどうであれ、ひとは一生に一度くらいは、悲しくて悲しくて、涙がとめどもなく流れ、泣けて泣けてしかたないときがあるのも、厳然たる事実です。

こんなとき、悲しいのではない、泣くから悲しいのだ・・・、なんて学者ぶった言葉よりも、月並みな表現であっても、やはり、枯れない涙も、明けない夜もないんだから、今夜は思い切り泣きなさい、涙を流しない・・・一晩中泣き明かした夜でさえも、いつかは時間が思い出に変えてくれるさ、という言葉の方がいいのかも知れません。

SACHIKO 思い通りに
SACHIKO 生きてごらん


人は、それぞれの生まれ育った環境によって、そのしがらみの中で、生きていくしかない・・・、なかなか思い通りに生きられない・・・だからこそ・・・の、この言葉です。

自分を大切にして、自分を失わずに、思い通りに生きるということと、自己を中心にして、尊大傲慢に、思い通りに生きるということは、まったく次元が違うことだと思います。

幸せを話したら 五分あれば足りる
不幸せ話したら 一晩でも足りない


前述した、片手、両手の歌詞と対句になるフレーズです。
数量的な対比、数値化した比較は非常に分かりやすいものです。
しかし、果たして、幸せ、不幸というものは、数として数えるなり、あるいは時間の長さで測るなり、できるものでしょうか。

たったひとつの不幸せが、すべての幸せを打ち砕く事もあり、数多くの不幸せの暗闇の奈落の底で、たたひとつの小さな幸せの光明に、あたたかく包まれることだってあるはずです。
フランダースの犬のネロとパトラッシュの最期は、果たして、不幸せですか、幸せですか。

そして心が 傷ついたなら
泣きながら帰っておいで
僕はおまえの そばにいるよ


幸せを求める旅・・・そう、それは、あるいは、青い鳥を追い求める旅ということになるのかも知れません。
そう、幸せの青い鳥・・・、それはどこにいましたか。
分からない人は、メーテルリンクさんに聞いてください。(笑)

禍福はあざなえる縄のごとし・・・人間万事塞翁が馬。

これがふうちゃんの回答かな。^^

あらら、「青春残酷物語」から、すっかり「SACHIKO」へ・・・

ふうちゃんの「青春残酷物語」に登場した相手が幸子(SACHIKO)さんだったものですから、ついつい・・・。(笑)

                                      (初稿2013.10 未改訂)