別れても 別れても 心の奥に
いつまでも いつまでも
おぼえておいて ほしいから
しあわせ祈る ことばにかえて
忘れな草を あなたに あなたに
いつの世も いつの世も 別れる人と
会う人の 会う人の
さだめは常に あるものを
ただ泣きぬれて 浜辺につんだ
忘れな草を あなたに あなたに
喜びの 喜びの 涙にくれて
抱(いだ)き合う 抱き合う
その日がいつか 来るように
ふたりの愛の 思い出そえて
忘れな草を あなたに あなたに
昔、騎士ルドルフは、ドナウ川の岸辺に咲くこの花を、恋人ベルタのために摘もうと岸を降りたが、誤って川の流れに飲まれてしまう。ルドルフは最後の力を尽くして花を岸に投げ、„Vergiss-mein-nicht!“(僕を忘れないで)という言葉を残して死んだ。残されたベルタはルドルフの墓にその花を供え、彼の最期の言葉を花の名にした。
このような伝説から、名付けられたと言われる忘れな草・・・・・
この花の名前は当地ドイツで Vergissmeinnicht と呼ばれ、英名もその直訳の forget-me-not だそうです。
日本では、1905年(明治38年)に植物学者の川上滝弥によって初めて「勿忘草」「忘れな草」と訳されました。
花言葉の「真実の愛」「私を忘れないで下さい」も、この伝説に由来するものです。
この曲、もともとは「ヴォーチェ・アンジェリカ(Voce Angelica=イタリア語で「天使の歌声」)」によって歌われた曲です。
ヴォーチェ・アンジェリカといってもご存知ない方が多いと思いますが、国立音楽大学声楽科出身の6人の女声重唱団で、ダークダックスの女性版を目指して1960年(昭和35年)にデビューされたグループです。
しかし、表舞台で活躍することはなく、主に著名歌手のバックコ-ラスをしていました。
そんなか彼女たちのところに、ある日、作曲家の江口浩司さんが「あなたたち六人のイメージでこんな曲を作ってみた」と、「忘れな草をあなたに」の曲を直接持ち込みました。
そして昭和38年8月にキングレコードから発売されました。
その後、ステージで一緒になった梓みちよさんが、「とてもいい歌ね、私にも歌わせて」と申し入れ、昭和40年4月に発売、続いて、菅原洋一さんがこの歌を歌いたいと言い出し、菅原さんのマネージャからキングレコードに「菅原洋一の愛唱歌にして日本レコード大賞を狙いたい。ポリドールで録音させて欲しい」と申し入れました。そこでキングレコードは、先ず倍賞千恵子さんに急遽レコーディングさせ、昭和46年8月に倍賞千恵子盤を発売、その後OKを出し、3ヶ月後に菅原洋一盤が発売されて大ヒットするわけです。