goo blog サービス終了のお知らせ 

みゅーじっくふうちゃんねる 

~show我が青春、涙からもらった元気~   

.倍賞千恵子/忘れな草をあなたに

2013年12月19日 | 童謡・唱歌 ・懐かしの抒情歌




別れても 別れても 心の奥に
いつまでも いつまでも
おぼえておいて ほしいから
しあわせ祈る ことばにかえて
忘れな草を あなたに あなたに

いつの世も いつの世も 別れる人と
会う人の 会う人の
さだめは常に あるものを
ただ泣きぬれて 浜辺につんだ
忘れな草を あなたに あなたに

喜びの 喜びの 涙にくれて
抱(いだ)き合う 抱き合う
その日がいつか 来るように
ふたりの愛の 思い出そえて
忘れな草を あなたに あなたに



昔、騎士ルドルフは、ドナウ川の岸辺に咲くこの花を、恋人ベルタのために摘もうと岸を降りたが、誤って川の流れに飲まれてしまう。ルドルフは最後の力を尽くして花を岸に投げ、„Vergiss-mein-nicht!“(僕を忘れないで)という言葉を残して死んだ。残されたベルタはルドルフの墓にその花を供え、彼の最期の言葉を花の名にした。

このような伝説から、名付けられたと言われる忘れな草・・・・・

この花の名前は当地ドイツで Vergissmeinnicht と呼ばれ、英名もその直訳の forget-me-not だそうです。
日本では、1905年(明治38年)に植物学者の川上滝弥によって初めて「勿忘草」「忘れな草」と訳されました。
花言葉の「真実の愛」「私を忘れないで下さい」も、この伝説に由来するものです。

この曲、もともとは「ヴォーチェ・アンジェリカ(Voce Angelica=イタリア語で「天使の歌声」)」によって歌われた曲です。

ヴォーチェ・アンジェリカといってもご存知ない方が多いと思いますが、国立音楽大学声楽科出身の6人の女声重唱団で、ダークダックスの女性版を目指して1960年(昭和35年)にデビューされたグループです。

しかし、表舞台で活躍することはなく、主に著名歌手のバックコ-ラスをしていました。

そんなか彼女たちのところに、ある日、作曲家の江口浩司さんが「あなたたち六人のイメージでこんな曲を作ってみた」と、「忘れな草をあなたに」の曲を直接持ち込みました。
そして昭和38年8月にキングレコードから発売されました。



その後、ステージで一緒になった梓みちよさんが、「とてもいい歌ね、私にも歌わせて」と申し入れ、昭和40年4月に発売、続いて、菅原洋一さんがこの歌を歌いたいと言い出し、菅原さんのマネージャからキングレコードに「菅原洋一の愛唱歌にして日本レコード大賞を狙いたい。ポリドールで録音させて欲しい」と申し入れました。そこでキングレコードは、先ず倍賞千恵子さんに急遽レコーディングさせ、昭和46年8月に倍賞千恵子盤を発売、その後OKを出し、3ヶ月後に菅原洋一盤が発売されて大ヒットするわけです。



冬の星座

2013年11月22日 | 童謡・唱歌 ・懐かしの抒情歌





北斗七星、それは、ふうちゃんが星空に興味を持ったときに、いちばん最初に覚えた星たちです。

「アチョ~!」

(メ・ん・)?・・・・・それは北斗の拳ですよぉ~(笑)

「コノヤロー」

あっ、それは北斗晶ですぅ~。(笑)


さて、北の空に、七つの星が、ちょうど柄杓(ひしゃく)のような形の配列をしているのが北斗七星、そして、その北斗七星の柄杓の先のふたつの星を結んで、その5倍のところにあるのを、北極星と呼びます。

ちなみに、北の空にあるW字の配列のカシオペア座の外側の線2本を伸ばして交わった点と真ん中の星を結んで,その方向に5倍のところからも、北極星を探すことができます。

北極星は、ポラリス(Polaris)またはポーラスター(polestar)、あるいは北辰(ほくしん)、妙見(みょうけん)とも呼ばれ、古くから、船乗りや旅人に、北の方角をを示す指標として知られていました。

もっとも、北の空に揺らぎなく、凛として、輝やいているのが北極星のイメージなんですが、実は、光度が変化する変光星であり、また、地球の自転軸の揺らぎ(歳差運動)により、1万3千年後には、いまの北極星に代わって、こと座のベガ(織姫星)が北極星になります。
まあ、しかし、1万3千年後はともかく、いまのところは、先の方法で、夏場は北斗七星、冬場はカシオペア座から北極星を探せば、その方向がほぼ北ですから、北にふるさとがある方は、きっと道に迷わずに、帰郷することができるでしょう。(笑)
もっとも、酔っ払いの目には、星だか、ネオンだか分からないと思いますので、ケンシロウに死なん程度に北斗の拳なんかを見舞ってもらって、ちょっと酔いを覚ましてからにしてください。(笑)

ちなみに、北斗七星も、北極星も、星座の一部を構成する星たちで、北斗七星は、おおぐま座に、北極星は、こぐま座に属します。
森の中でよく見かける動物、民話や童話などに登場する親しみのある熊を、先人たちは、見慣れた星たちの姿に星座としてなぞらえたのでしょうね。

しかし、近年、我が国では、都市化が進み、また山林の樹木の種類も変わって、熊と人間が一定の距離を置かずに遭遇する機会が増えて、悲しいことに害獣として射殺駆除されるといったことが増えてしまいました。

人と自然の共生は、なかなか難しいことです。

ところで、星座のおおぐま座とこぐま座にまつわる哀しいギリシャ神話があるのをご存知でしょうか。

ここで、お話しささせていただきますので、お子さまたちと一緒に、北斗七星を見る機会があれば、そのときにはロマンチックに語ってあげてください。

森のニンフ(妖精)にカリストという娘がいました。
この娘に、大神ゼウスが、ちょっかいを出して、妊娠させてしまい、ニンフが妊婦になりました。(笑)

いきなり、生々しいお話ですね。(笑)

そして、生まれた子がアルカスです。
しかし、大神ゼウスの妻である女神ヘラに、このことがばれてしまって、嫉妬に怒り狂った女神ヘラは、カリストを熊にしてしまいました。

一方、ゼウスとカリストの間の子アルカスは、立派な青年に成長して、狩の名人となりました。

はい、ドラマ好きのあなたには、これで、もう次の展開と結末が、見えてきましたね。(笑)

アルカスが森で狩をしていたある日、なんと熊となった母親カリストと出会ってしまったのです。
もちろん、アルカスは、それが母親カリストの化身とは知らずに、その熊に向かって弓を引きました。

これを見ていた大神ゼウスは、矢がカリストを射抜く前に、二人を天にあげて星座としました。

母親カリストが北斗七星のあるおおぐま座となり、息子アルカスが北極星のあるこぐま座となりました。

だから母親であるおおぐま座は、離れて暮らしていた息子のこぐま座を、いつでも見守るようにして、その周囲を回っているのです。

哀しいけれど、温かなギリシャ神話ですね・・・。

もっとも、女神ヘラも黙っちゃいませんよ。(笑)

なんやのんな、カリストって娘は、人の亭主を寝取っといてからに、悲劇のヒロインヅラして、ほんますかん娘やわ、うちは絶対に許さへんからね・・・、と、女神ヘラが言ったかどうかはわかりません。(笑)

でも、それで、二つの星座は、永遠に地上に降りて休むことを許されず、北の空で地平線に沈むことがないようにされてしまったといいます。

げに、恐ろしきは~~女の執念じゃ~~~。(笑)

大神ゼウスの権威と権力を持たぬ、地上の星の男性諸君、気をつけましょうぞ。(笑)

でも、神々のお話しなのに、妙に人間味のあるのが、ギリシャ神話なんですよね…。(笑)

・・・と、まあ、この星座のギリシャ神話は、お子たちが、も少し大きくなってから話してあげた方がいいのかも・・・の話になりましたね。(笑)

・・・と、こんな、とりとめのない星たちのお話をしているうちに、ほら、流れ星がひとつ、ふたつ、みつと見えはじめて、さて、東の空が明るくなってきました。

さあ、いよいよ夜明けです。

今宵は、みゅーじっくふうちゃんねる付属プラネタリウム館に、お越しいただきまして、ありがとうございました。

ほんのわずかな、ひとときでございましたが、冬の星座をめぐる星空の旅、いかがでしたでしょうか。

それでは、またお会いしましょう。

ありがとうございました。<(_ _)>

足元の段差に気をつけてお帰りください。(笑)

山本和美  琵琶湖哀歌

2013年10月24日 | 童謡・唱歌 ・懐かしの抒情歌




遠くかすむは 彦根城
波に暮れゆく 竹生島(ちくぶじま)
三井(みい)の晩鐘(ばんしょう) 音絶えて
なにすすり泣く 浜千鳥

瀬田の唐橋(からはし) 漕(こ)ぎぬけて
夕陽の湖(うみ)に 出で行きし
雄々しき姿よ 今いずこ
ああ青春の 唄のこえ

比良の白雪 溶けるとも
風まだ寒き 志賀の浦
オールそろえて さらばぞと
しぶきに消えし 若人よ

君は湖の子 かねてより
覚悟は胸の 波まくら
小松ケ原の 紅椿(べにつばき)
御霊(みたま)を守れ 湖の上




全国屈指の実力を誇った四高漕艇部が琵琶湖で合宿中の1941(昭和16)年4月6日、滋賀県高島町沖でボートが転覆し、部員とOBの計11人が死亡した。警察の捜索打ち切り後も、金沢の金石港漁協組合員が漁網を持ち込み、高島町の住民も参加して懸命の捜索を続けた結果、転覆から66日目に最後の遺体が収容された。四高生の悲劇は人々の琴線にれ、「琵琶湖哀歌」は全国で流行した。 (北國新聞)

ふうちゃんが、この曲とこの出来事を知ったのはつい最近のことでして、それも某小説を読むまでは全く知りませんでした。

それまでは、ボート事故での惨事と言えば1910年(明治43年)発生した七里ヶ浜沖ボート遭難事故だけしか思い浮かばなかったのです。

もちろん、こちらのほうは「真白き富士の嶺」として映画にもなりましたし、歌も「真白き富士の嶺」、「七里ヶ浜の哀歌」としていろんな歌手が歌っていましたので、ある程度の年代の方はどなたもご存知ですよね。

ところでこの曲ですが、聴いていてどこか似たメロディーが浮かんで来ませんか?。

そうです、「琵琶湖就航の歌」と「七里ヶ浜の哀歌」です。

そこで調べてみますと、この「琵琶湖哀歌」、事故を知ったレコード会社が追悼歌なら売れると見込んで、慌てて制作したものだったらしく、遺体がまだ収容仕切れてないままの発売となっていました。
たしかに、歌詞は近江の景勝地にただ追悼句をはめ込んだようなものですし、メロディーに至っては「琵琶湖就航の歌」と「七里ヶ浜の哀歌」を合作した作ったような出来栄えで、今なら当然盗作問題に発展しそうなしろものです。

とはいえ、多くの若い生命が無念にも失しなわれたという事実は悲劇そのもので、この歌が当時の女子学生の涙を誘うなど、それなりに人々の心に刻まれていったのは間違いなく、そう言ったレコード会社の思惑とは別に聴いていれば充分追悼歌として聴ける曲であることは間違いありません。

花かげ Hana Kage .

2013年10月24日 | 童謡・唱歌 ・懐かしの抒情歌




十五夜お月さま ひとりぼち
桜吹雪の 花かげに
花嫁すがたの おねえさま
くるまにゆられて ゆきました

十五夜お月さま 見てたでしょう
桜吹雪の 花かげに
花嫁すがたの ねえさまと
お別れおしんで 泣きました

十五夜お月さま ひとりぼち
桜吹雪の 花かげに
遠いお里の おねえさま
わたしはひとりに なりました



この曲、「花かげ」の詩碑がある山梨県塩山の向嶽寺境内、その説明書きによりますと、作詞者大村主計(おおむらかずえ)は自分の姉が嫁ぐ際、この向嶽寺に咲いていた桜の樹の陰から見送り、その時の悲しかった思い出を書き下ろした詩が、この歌詞だそうです。

花嫁人形 山崎ハコ

2013年10月24日 | 童謡・唱歌 ・懐かしの抒情歌




1 きんらんどんすの帯しめながら
  花嫁御寮はなぜ泣くのだろ

2 文金島田に髪結いながら
  花嫁御寮はなぜ泣くのだろ

3 あねさんごっこの花嫁人形は
  赤い鹿(か)の子の振袖着てる

4 泣けば鹿の子のたもとがきれる
  涙で鹿の子の赤い紅(べに)にじむ

5 泣くに泣かれぬ花嫁人形は
  赤い鹿の子の千代紙衣装




ジューン・ブライド、 直訳すれば「6月の花嫁」。
6月に結婚した花嫁は幸せになれるという意味合いで、もともとはヨーロッパからの伝承とされています。

もっとも説にはいろいろありまして、

6月すなわちJune という月名が、ローマ神話の結婚をつかさどる女神である"Juno"からきていて、婚姻と女性の権利を守護するこの女神の月に結婚すれば、 きっと花嫁は幸せになるだろう、と"Juno"にあやかっての説。

その昔、ヨーロッパでは、3、4、5月の3ヵ月間は結婚することが禁止されていて6月は結婚が解禁になる月であるため、6月になっていっせいにカップルたちが結婚し、 周りの人達からの祝福も最も多い月だったとする説。

また、ヨーロッパの6月は1年中で最も雨が少なく良いお天気が続くため、はつらつとした季節の始まり、若者の季節と呼ばれ季節的環境がベストな月であり、 加えて復活祭も行われる時期であることから、ヨーロッパ全体が祝福ムードで溢れ、6月の花嫁は幸せになれるとする説などがあります。

何れにしても、みなさんから祝福されての結婚、そして幸せに成れれば万々歳というところでしょうか。(笑)

ところで、この曲ですが、そんな「花嫁」を題材にしているにしてはどこか切なく聴こえませんか?

花嫁御寮さんは嫁に行く事をとても悲しんでいるようです・・・

好きな人がいるのに貧乏ゆえ金持ちとの結婚を強いられたのか、政略結婚か、あるいは病弱や若輩の家族を残して、自分だけ結婚のために家を出て行く身勝手さを自身に責めているのでしょうか・・・

それとも、この曲が作られた時代(大正12年)はまだ嫁の権利など認められない時代でしたから、他家へ嫁ぐという事の辛さが若い娘にわかっていたからでしょうか・・・

ところで、「花嫁」ですが、この語源は、その昔、結婚式に当事者の女性を迎える際、 男性の家では女性が歩く為の花道を作ったと言われています。
その道を通って「嫁」が来る事から、「花嫁」と呼ばれたのだとか。

また、文金高島田は嫁ぎ行く娘の為に母親が、いつか困った時に自由に使えるように、 との思いを込めて、和紙に包んだ文金(小判)を、その髪の中に隠し持たせたところからと言われています。

どちらにしても、どうせ、何年持つかわかりゃ~しないから、というような現代娘からは理解し難い意味合いであることは間違いありません。(笑)

                                 
                                 (初稿2013.6 未改訂)