明治100年というのをご存知でしょうか・・・
(メ・ん・)?明治100年?、明治は45年までで終わりじゃなかったっけ?
そうです、確かに、明治は45年までで、正確には明治45年7月29日まで、翌日7月30日は 大正元年になります。(参考までに、大正15年は12月24日まで、昭和元年は12月25日に始まり、 昭和64年は1月7日に終わり、1月8日から平成元年になります)
明治100年、・・・正解は、明治元年(1868年)から数えて、100年目の昭和43年(1968年)のことです。
そして、その明治100年の前年にあたる1967年(昭和42年)、日本の人口が、初めて1億人を超えたといわれました。
日本の人口は、縄文時代、弥生時代はわずか100万人に満たなかったといわれ、奈良・平安時代には約500万人、戦国時代を経て江戸時代に入って、1000万人を超えたと言われています。
それから、江戸時代末期までは約3000万人で推移しており、明治時代からの人口急増で、大正時代には5000万人、そして昭和時代も、後半の昭和42年になって、ようやく1億人を突破しました。
だから、日本にはたくさんの人が住んでいるけど、といえるようになったのは、そんなにむかしのことではありません。(笑)
ああ、なるほど、そうか・・・、明治100年の話は、そう話をつながらせる伏線だったのかと、ようやく、いまごろ納得した人もいるかもしれませんね。(笑)
日本にはたくさんの人が住んでいるから。(笑)
ともかく、日本にはたくさんの人が住んでいます。
総務省の統計によると、日本の総人口は、2004年(平成16年)で、1億2768万7000人でした。
ところが、2005年(平成17年)には、日本人の死亡数は出生数を約1万人上回り、1899年(明治32年)の統計開始以来初の「自然減」となりました。
いわゆる少子高齢化といわれる社会現象が客観的な統計数値で、もっとも端的に数字に現れ始めたのです。
そうです。
日本の人口は、これから減少していくのです。

一人去り、二人去り、そして、あなたも、ぼくも、やがてはこの世から去っていきます。
でも、少子高齢化と言っても、まだ、日本にはたくさんの人が住んでいます。
そして、その多くの人たちは、見ず知らずのままに、生まれて、生きて、そして死んでいきます。
そんな中で、ふとしたことで知り合ったことは、やはり、なにかの縁でしょう。
数多くのインターネットのウェブサイトの中で、この「みゅーじっくふうちゃんねる」に辿り着いたのも、やはり、なにかの縁でしょう。
袖ふれ合うも他生の縁といいます。
他生というのは「たしょう」と読み、前世の、他に生まれたときの縁で、今に生まれた現世で、袖が触れ合ったというのです。
こうして会ったのは、あなたとふうちゃんは、前世では、赤い糸で結ばれた恋人どうしだったのかもしれません。(笑)
だから、今のこのひとときを、大切にしませんか。
N.S.Pのリーダー、天野滋さんは、2005年(平成17年)7月1日、大腸がんが全身に転移し、脳内出血で、亡くなられました。享年52歳でした。
さほど熱心なN.S.Pファンでもなかったのですが、人生の折節にN.S.Pの曲が、リードボーカルの天野さんの声が、慰めて励ましてくれていたように思います。
今のこのひとときを、大切にしよう・・・。
残された貴重な時間を、歌うことにかけ、そして歌を残すことによって、残された者たちへのメッセージを託してくれたものだと思っています。
君には君を愛する人が いつもそばにいるのに
僕の口づけを うけた訳がわからない
黄昏せまる面影橋に 見送るつもりで来たが
帰したくなくなって さよならいえない
ルールも友だちも約束も みんな棄てて
君を ああこのまま抱いていたい 面影橋で
心のままに生きたとしても 幸せとは限らない
ほら ふざけているうちに涙がでてきちゃう
楽しいことも悲しいことも 時が洗い流して
すべてを思い出という 言葉に変えてしまう
ルールも友だちも約束も みんな棄てて
君の ああ名前を呼んでいたい 面影橋で

恋に恋して、相手に自分の恋という抽象を押しつける、その手痛さと無様さ・・・
さて、どことなくロマンチックな響きの名をもつ『面影橋』、この橋は、豊島区高田1丁目 ・新宿区西早稲田3丁目の神田川に架けられている橋で、かぐや姫の「神田川」でもこの辺を舞台にしています。
ところでこの曲ですが、どうも、友達の彼女とデキてしまったが彼がどうしても離れたくないと言う男性心(?)を歌っているみたいです。
もちろん、数ある男女間の恋愛ではそんな事もあるかも知れません。
が、しかし、現実問題としてそんな事があったら大変です、隣の奥さんとかご主人とかとの不倫を想像してみてください。
あらら、まさか、本当にしちゃってる方、おられませんよか。ヾ(@^(∞)^@)ノ
ともかく、このセンチメンタルなメロディーとはミスマッチで真逆な歌詞、理解は出来たとしても、実行はなかなか難しいというところだと思います。(笑)
それでも、恋に恋して、ついついと堕ちてしまう、こういった恋愛の手痛さと無様さが、どこか懐かしく、甘酸っぱく感じ、許せてしまうのはやっぱり、天野さん独特の歌唱のせいでしょうか・・・・・。