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みゅーじっくふうちゃんねる 

~show我が青春、涙からもらった元気~   

愛されてばかりいると

2013年11月29日 | 井上陽水



夜の中をめだちすぎる赤いドレス
街の中でひかりすぎる銀色のピアス
Baby あなたの指先は
スピーディーな黒猫のよう
男達と出会うごとに 指輪をかえ
ささやくたび ふちどられる 唇のルージュ
Baby あなたの誘惑は
バラエティーな星空のよう

※愛されてばかりいると 星になるよ
ゆきすぎてばかりいると 空にゆくよ※

笑いながら 踊りながら 転びながら
口の中へ 胸の中へ そそぎ込むワイン
Baby あなたの喜びは
クレイジーなときめきのそば

(※くり返し)

どんな夜もパラダイス
喜びだけくり返す
甘いワインに酔わされたままでいるのさ いまも
いつも夜はパラダイス
喜びだけくりかえす
恋のゲームに誘われたままでいるのさ

夜が終り ひとりきりでとり残され
次の夜をむかえるなら眠らせてあげる
Baby 夢見る時だけは
スパイシーな瞳をとじて

(※くり返し×2)

愛されてばかりいると 星になるよ
ゆきすぎてばかりいると ほんとうにゆくよ



最近はすっかり見かけなくなりましたが、ふうちゃんの子どもの頃は、よく紙飛行機を折って飛ばしたものです。
空にあこがれていたせいでしょうか、それともいつか帰るところと思っていたせいでしょうか・・・

そんな子どもの頃、扇風機がなぜ飛ばないのか・・・真剣に考えたことがあります。(笑)

扇風機の羽って、立派な四枚や五枚の羽があって、あんなに強く風を発生させて、しかも結構、回転数も相当あると思うのに、なんで飛行機のように空を飛ばないのだろう・・・

友だちにも聞きました。

結果、「扇風機には、電気コードがついていて、扇風機が飛ぼうとすると、電気コードが邪魔をして飛べなくしている」という答えが一番多かったように思います。

やっぱり、子どもらしい素直な結論です・・・(笑)

しかし、そうだとすると、扇風機は、そのコードを断ち切って、飛ぼうとするのでは・・・素直でないふうちゃんは、また、不思議に思ったのです。(笑)

そして出た結論は、「扇風機が飛ぼうとすると、電気コードがコンセントから外れ、電気が供給されず、羽が回らなくなり、飛べなくなるのだ」と言う、多少科学的解明に落ち着きました。

だから扇風機は飛べない・・・(笑)

首輪でつながれたら逃げようとするけど、首輪がないと不安で逃げられない、臆病な犬のよう・・・

アメリカに支配されてるときはそこから必死で逃げようとするけど、自立できるようになると、こんどはアメリカに見放されることが不安になりをそれを怖がる・・・

若い頃は「浮気は男の甲斐性」とか言って妻の束縛を拒むけど、老いてくるとその束縛がないことを不安がり妙に寄り添ってしまう・・・(笑)

紙飛行機から扇風機と話を飛ばし続けたので、そろそろ本題に移しましょうか。(笑)

愛されてばかりいると 星になるよ
ゆきすぎてばかりいると 空にゆくよ


この曲で注目されるフレーズは繰り返されるこの2行です。

しかし、意味がどうも・・・

何で愛されてばかりいると 星になって、ゆきすぎてばかりいると 空にゆくんだろう?・・・

一般的には「星」も「空」も好感を持って受け止められる対象ですから、愛されてばかりいると 星になって、ゆきすぎてばかりいると 空にゆくのは、どちらも良いことだと言っているんでしょうか?

どうも、違う気がします。

それでは、陽水さんにとって星とか空って何なんでしょうか。

これは想像ですが、多分、陽水さんにとって星とか空は「逃げ場のない場所、分からないもの」として映るのではないでしょうか。

そう考えると、このフレーズがスッキリします。

つまり、愛されてばかりいると分からないものになっちゃうよ、ゆきすぎてばかりいると逃げ場のない場所に行っちゃうよってことなんだと思います。

(^0^)/うふ、なんか今の日本みたい。

井上陽水さん、本名、井上陽水(いのうえあきみ)さん、1948年(昭和23年)8月30日、福岡県生まれ、血液型AB型。

1969年(昭和44年)に、芸名「アンドレ・カンドレ」で「カンドレ・マンドレ」の歌でプロデビューするも、あまり売れず、1972年(昭和47年)、井上陽水と改名して、「人生が二度あれば」で再デビューして、ファーストアルバム「断絶」で、その名を知らしめ、その後の多彩な活躍は、記載するまでもないと思います。


いつのまにか少女は 井上陽水

2013年11月20日 | 井上陽水



いつのまにか・・・

似たような言葉に、いつしか ・ 気がつけば ・ いつとはなしに ・ 気がついたら ・ 知らないうちに、などがあります。
これらは、ふと注意を向けたらすでに事が起こっていた様子とか、それと気付く前に物事が進行していた時期とか、意識しない間に物事が起こったことを意味する表現として使われます。

いつのまにか見つめ合い

いつのまにか信じ合い

いつのまにか求め合い

いつのまにか・・・

そして、日本は「いつのまにか」55基〔2011年3月では54基〕もの原子力発電所を作ってしまいました。

その発電量は「いつのまにか」、アメリカ、フランスに次いで世界第3位、この地震国日本がです。

ところで、地震国で津波も多く平地面積も少ない日本、原子力の恐ろしさを誰よりもしっているはずの日本が、なぜ原発大国への道を選んだのでしょう。

原子力の威力も怖さもしっている日本が、最初に原子力開発への第一歩を踏み出したきっかけは、アメリカの意向にあったと言われています。
そして、アメリカが日本に原子力発電を奨めた理由ですが、それは、冷戦下における自由主義陣営に原子力の果実の分け前を与えることで、日本などの同盟国の共産化を防ぐためだったようです。

1953年、日本では原子炉建造予算2億3500万円が国会で可決しています。その予算案を改進党の中曽根康弘代議士が提出したのは、アメリカによるビキニ環礁の水爆実験に日本の第五福竜丸が被爆した2日後でした。

それから17年後の1970年3月、初めて日本での原子力発電所が稼働することになります。(日本原電敦賀第1)

以後、美浜・高浜、玄海、福島・・・と続くわけですが、1972年、田中角栄首相の登場で、日本の原子力政策は決定的な変質を迎えます。
「日本列島改造論」の一翼を担うかたちで実施された電源三法〔電源開発促進法,電源開発促進対策特別会計法,発電用施設周辺地域整備法〕は、過疎地への原発の誘致が完全に利権として定着するきっかけになってしまったのです。

もちろん、若かりし頃の中曽根さんも、首相時代の田中さんも、原発による事故の怖さなど、当時は想像もしていなかったはずです。
田中さんなど自分の生まれ故郷に誘致しているわけですからね。

それが、いつのまにか・・・


井上陽水さん、1948年8月30日、福岡県田川郡糸田町出身。(井上陽水公式HPでは糸田町の隣接の田川市出身となっています。)

本名、井上陽水(いのうえあきみ)、血液型AB型。

1969年(昭和44年)に、芸名「アンドレ・カンドレ」で「カンドレ・マンドレ」の歌でプロデビュー。
あまり売れず、1972年(昭和47年)、井上陽水と改名して、「人生が二度あれば」で再デビュー。

この曲「いつのまにか少女は」は、1973年の映画『放課後』の主演の栗田ひろみさんを意識して作られた曲で、その映画の挿入歌として使われています。