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みゅーじっくふうちゃんねる 

~show我が青春、涙からもらった元気~   

越後獅子の唄 田川寿美

2014年01月19日 | J・POP・演歌・歌謡曲




この曲は美空ひばりさんが越後獅子の少年を演じて主演した松竹映画『とんぼ返り道中』の挿入歌としてヒットさせた曲です。

越後獅子とは新潟県新潟市南区(旧西蒲原郡月潟村)を発祥とする角兵衛獅子のことで、7歳以上、14、5歳以下のこどもが、しま模様のもんぺと錏(しころ:兜(かぶと)の鉢の左右から後方に垂れて頸を覆うもの)の付いた小さい獅子頭を頭上に頂いた格好で演じる大道芸です。

もともとは、洪水に悩まされた月潟村の人が堤を造る費用を得るために、子供に越後の獅子踊りをさせて旅稼ぎをさせたのが始まりのようで、江戸に登場したのは宝暦5年(1755年)のこと。
以来、明治初期まで続くわけですが、義務教育の定着などの社会の意識の変化により、児童に対して親方と呼ばれる大人が鞭を用いた体罰で芸を仕込むことや学校にも通わせないことに対する嫌悪感が生まれ、次第に忌避の対象となっていきます。

そして昭和8年(1933年)の「児童虐待防止法」によって、児童を使った金銭目的の大道芸そのものが禁止となり、『大道芸』という形態としては姿を消すこととなりました。

おさげと花と地蔵さんと

2014年01月14日 | J・POP・演歌・歌謡曲



人民の人民による人民のための政治(government of the people, by the people, for the people)

これは第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンが1863年11月19日、南北戦争の激戦地となったゲティスバーグで戦没者を祀った国立墓地の開所式での、272語、3分足らずの短い挨拶(ゲティスバーグ演説)の中のことばで、民主主義の本質を語ったものとして世界的に知られていることばでもあります。

和文的には「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」といったところでしょうか。

日本憲法の前文、

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。・・・

と通ずるところがありますが、現実的に日本は、

官僚の官僚による官僚のための政治

まぁ、議会制民主主義を採用してるとは言っても、日本の常識は世界の非常識。
国会議員が民意を代表しているというのは名ばかりで、そもそも、公約は当選するための方便に過ぎないということを、政治家はもちろん、国民もまた、それに対し然程の違和感を感じているわけでなく、まぁ、官僚がリードしないと行政が機能しないということも無理からぬことかも知れません。

官僚にも問題がないわけではなく、世間から叩かれたりすることもしばしばですが、まだまだ政治家よりはマシなような気がします。
悲しい択一ですが・・・・・・

三橋 美智也さん、民謡をベースにした伸びと艶のある美声で戦後を代表する歌謡歌手と言っていいかも知れません。その生涯のレコード売上は1億600万枚、レコード・CD売り上げは日本一で2位のB'zを2000枚以上リードしています。
特に全盛期の昭和31年から32年当時は「三橋で明けて三橋で暮れる」と言われるほどの絶大な人気を得ていましたよね。

ちあきなおみ 夕笛

2014年01月07日 | J・POP・演歌・歌謡曲




ふるさとの 蒼い月夜に
ながれくる 笛の音きいて
きみ泣けば わたしも泣いた
初恋の ゆめのふるさと

おさげ髪 きみは十三
春くれば 乙女椿を
きみ摘んで うかべた小川
おもいでは 花のよこがお

ふるさとへ いつの日かえる
屋敷町 ふるいあの町
月の夜を ながれる笛に
きみ泣くや 妻となりても

ああ花も恋も かえらず
ながれゆく きみの夕笛



そのときを打ち砕くように、一頭の馬が片岡谷から一気に城へ駆け上った。
「ご開門、ご開門、駆け馬でござる。ご開門、ご開門、殿にご進講。
松永の軍勢がこちらに向かって進軍!」
河内から休み知らずで駆けてきた馬が、城内に入るや、門は閉じられ引き橋が一斉に上げられ、井楼矢倉(いろうやぐら)や門脇に旗が上がった。
具足を纏った景頼も臨戦態勢をとり、城内では鐘が鳴り太鼓が響き渡る。
その緊迫は瞬く間に郷まで及び木戸を閉める者、裏山に逃げる者、家財を隠す者と右往左往の大騒動。
やがて西から進軍してきた松永の軍勢が片岡谷に姿を現すや、法螺貝や大太鼓の音を合図に槍や石が一気に飛び交いはじめた。
片岡勢の必死の防衛に、松永の攻撃もいよいよ激しくなり、麓の民家にも火が放たれ、人々が逃げ惑う。
戦は数十日にも及んだ。
今までにない多勢の松永の進軍は一進一退を繰り返しながらも、じわり、じわりと城に近づき、ついに城内にも火の手が上がり出した。
「姫! 姫! 佐葦姫は何処に」
「景頼さまー」
「姫・・・お怪我は?
この度の攻撃はあまりにも激しい。もはやこれまでかと」
「景頼さま」
「姫、お逃げください。今宵は闇夜。ひとまず闇にまぎれて、谷伝いに滝川まで」
「その後は、その後はどこへ」
「こうなっては、本郷、飯盛山(いもりやま)の寂光門跡に縋(おすが)りするしかあるまい」
「浄安院まで」
「そこまで景頼がお護りいたす。さあ、すすきもこれからともに浄安院まで!」
「はい」
「さっ! 姫! 早くこれを羽織って!」と、夜目に目立たぬように粗末な着物を渡す景頼。
三人は一旦東谷から滝川へ逃れ、更に川に沿って南に走る。
東谷越に瓔珞山を眺めると、先ほどまでいた城が真っ赤な炎となって辺りをかざしていた。
火炎が立ちのぼり火の粉が谷まで降ってくる様は地獄絵のようであった。
五反田から坂口の辻まで一気に走ってきた時のこと。
「どうなされました景頼さま、急がねば追っ手も来ている筈」
とすすき。
「だから迷っているのだ。このまま南へ走るべきかそれとも一旦薬師山へ逃れるべきか」
と、そこへ、
「おや白い鳥が」
佐葦の指さす方に一羽の白い梟が舞い下りるやすぐに南へ飛び立った。
「何かのお導きか、もはや梟にでもすがるしかあるまい、よしこのまま南へまいりましょう」
飯盛山の浄安院目指して三人は川伝いに南へ走り続けた。
「もう地蔵峠、あと一息だ」
「姫さま大丈夫ですか」
気使うすすき。
「さっ! 急ぎましょう! ん?」
気配を感じて振り返った景頼の目には、はっきりと追っ手の火が見えた。
「しまった! 追いつかれる! すすき! 姫をお連れして先に浄安院へ」
「景頼さまは」
「わたしは後からまいります」
「いやです。私もまいりません」
「姫さま、何をおっしゃるのです。急ぎましょう」
と手を引くすすき。
「姫さま、これを」
「ぇ」
「この笛を私と思ってお持ちください。すすき、姫を早く」
「景頼さまー」
「姫さま後を見てはなりませぬ早く、早く」
「もう一度笛の音をお聞かせくださいね。約束ですよ」
「ええ。必ず」
すすきに引かれながらも約束を信じ遠ざかる程、心は景頼の元に戻っていく。
「ご門跡さま! ご門跡さま! 門をお開けください」
真夜中の静かな山門が急に慌ただしくなった。
「ご門跡さま! 片岡の佐葦でございます」
すぐに門は開けられ、寺男の呼ぶ声に寂光が驚いて駆けつけた。
「姫さま、すすき殿、どうなされました」
辺りの様子をうかが窺いながら、事の始終を話す二人。
「ご門跡、間もなく景頼さまもここに。門を閉めずにおいてくだされ」
「分かりました、敵の姿がないか、しばらく様子を見ることに。ひとまず庫裡へ」
二人の話しから景頼の思いを悟った寂光は、気づかれぬよう門を堅く閉じてしまう。まんじりともせず朝をむかえた佐葦は、
「ご門跡」
「姫さま、昨夜はゆっくり休まれましたか」
「景頼さまは如何なされました」
「先ほど郷の者に確かめましたが、景頼さまは地蔵峠で行方知れずとのことでございます」
片岡家の壊滅をも聞かされ、最愛の君をも無くして淑(しと)やかに泣く佐葦姫に、
「姫さま。諸行無情の乱世でございます。こうして生き存らえるのも、大慈悲のおかげ。如何でございましょう、これからはここにお留まりいただき、郷の人々に慈悲の手を差し伸べてはいただけないでしょうか」
「ご門跡」
「郷の者は皆、姫さまのご来山を心より喜んでおります」
それから何日たったことだろう。
佐葦姫は浄安院に身を寄せながら、悲しみを忘れようと作物を育て、郷の人々と供に働いた。常に明るく振舞い、人々の心を和ませササユリの花を慈しむその姿に、いつしか人々から笹ゆり姫と慕われ穏やかな日々を送っていた。
そんな佐葦姫が時折一人でそっと、院を抜け出すことがある。
景頼との約束を胸に、三十三体の観世音菩薩を祀る裏山に佇む。
花衣の袖に忍ばせた笛を取り出し、黄昏の瓔珞山に向かって静かに吹きはじめる。
頬を伝う涙は竹笛を伝って足許に落ちていった。
「景頼さま・・・・・何処に」
ササユリが風に揺れ、夕笛の音が静かに流れていた。

関東春雨傘

2014年01月06日 | J・POP・演歌・歌謡曲






昨年ですが、イギリスの有力誌「エコノミスト」が自誌の表紙で安倍総理大臣を映画などで知られるスーパーマンになぞらえたイラストを掲載してました。

そして、そこには「鳥か?飛行機か?いや、日本だ!」という見出しがつけられていました。

また、巻頭の記事では、大胆な金融緩和などを受けた東京市場の急激な株高や政権の支持率の高さなどを紹介したうえで、「日本を20年に及ぶ不況から 脱却させるのは大変な課題だが計画の半分でも実現できれば、偉大な総理大臣だとみなされるだろう」と論評していましたっけ。

さらに、経済規模で日本を上回った中国の存在感の高まりが安倍政権に切迫感をもたらしているとして、「いわゆるアベノミクスは経済政策のように聞こえるが、 実際は、安全保障政策の意味も同じくらいもっている」とも分析していました。

そのうえで、今後の課題は中期的な財政健全化の実現や、農業などの改革を抵抗に屈せず進められるかどうかで、懸念は外交面で強硬路線を取り過ぎることだ、 などとも指摘していました。

さすが「エコノミスト」、安倍さんへの賛辞なのか期待なのかはともかく、日本に対する海外からの関心の高まりを改めて伺わせると共に、併せて不安材料も指摘していたと思います。

掲載されたのは昨年前半の頃でしたから、まぁまぁというところですが、後半は不安材料のみが浮き彫りになりましたよね。

もっとも、ふうちゃん的には安倍さんはあの鳩山さんと似たりよったりの政治家ではと思っています。

基本的には坊ちゃんタイプ?

政治家として必要な力強さがなく、綺麗事は言っても泥を被る覚悟がない・・・・・

勿論、戦後レジュームからの脱却を標榜する安倍さんと友愛精神の鳩山さんでは真逆の理念ですが、政治家としての資質・能力はほぼ一緒と思っているからです。

同盟国のアメリカとしても、同じような評価ではと思います。

昨年暮れの突然の安倍さんの「靖国参拝」は、鳩山さんの「普天間県外移設」以上の困惑だった筈です。

安倍さん本人は「靖国参拝」を中韓の反応は予想していたでしょうが、まさか、アメリカに「失望」されたり、EUやロシアなど、世界のあちこちからも非難されるとは思っていなかったと思います。

慌てて、中韓を刺激したり、先の戦争を肯定したりするものではなく、ただただ戦争で亡くなった方々への哀悼と不戦の誓いを祈っただけだと言い訳していましたが、いかにも子どもっぽい印象がしました。

安倍さんにとっては、今年が正念場。国内的には野党がどうしようもない状態なので支持率も、政権運営も心配はないでしょうが、外交的には( >Д<;)クッ クルシイ・・・かも知れません。

鏡花水月 (必殺仕事人2009テーマ )

2013年12月26日 | J・POP・演歌・歌謡曲




租税を薄くして、

民を裕(ゆたか)にするは、

即ち国力を養成する也。


小人は己を利せんと欲し、

君子は民を利せんと欲す。

己を利する者は私、

民を利する者は公なり。

公なる者は栄え、

私なる者は亡ぶ。


急速は事を破り、

寧耐は事を成す。


※寧耐(ねいたい)とは、心静かに落ちつきはらって、迫りくる困難や苦痛に耐えること。


クリスマスも過ぎ、2013年も残すところ、あとわずか・・・

前半はともかく後半は、政治は暴走するし、経済は多少上向きになったとはいえ、新たな格差が産まれそうな気配ですし、社会はマスコミの誘導で真実を知らされない、そう、戦前に逆戻りしたような、・・・そんな感じだったでしょうか。

もちろん、プロ野球で楽天が初優勝、日本一、マー君の最後の一球など、感動のニュースもありましたけどね。

上記は西郷隆盛の言ですが、長州出身の安倍さんも参考にして欲しいものです。(笑)

惚れた女が死んだ夜は すぎもとまさと .

2013年12月20日 | J・POP・演歌・歌謡曲




こんなに寂しい夜があっただろうか

何時も傍に居てくれた人が居ない夜に

飲むしかなくて涙をこらえる

男が一人

みなみ大介作詞、杉本真人作曲、「惚れた女が死んだ夜は」・・・・・・


なぐさめなんかは ほしくない
黙って酒だけ おいてゆけ
惚れた女が 死んだ夜は
俺はひとりで 酒をくむ

わかりはしないさ この痛み
どこへもやりばの ない気持
惚れた女が 死んだ夜は
雨よ降れ降れ 泣いて降れ

酒よ 酒よ 俺を泣かすなよ

甘えてすがった さみしがり
ふり向きゃいつでも そこにいた
惚れた女が 死んだ夜は
何を言っても ぐちになる

いいやつばかりが 先にゆく
どうでもいいのが 残される
惚れた女が 死んだ夜は
涙流れる ままでいい

酒よ 酒よ 俺を泣かすなよ
酒よ 酒よ 俺を泣かすなよ



昭和から平成への過渡期にあたる頃、昭和を代表する人気スターだった石原裕次郎さん(昭和62年)と美空ひばりさんが(平成元年)が相次いで亡くなっています。

共に映画界、歌謡界のトップスターで芸能界の頂点を極めた人と言ってもいい2人でしたよね。

その美空ひばりさんが事実上生涯一度だけの結婚相手として選んだのが裕次郎さんと共に日活の二枚看板だった小林旭さん。

しかし、実母にしてマネージャーでもあるひばりさんの母喜美枝さんや周辺関係者が2人の間に絶え間なく介入し、結婚生活はままならず、わずか2年あまりで離婚することとなりました。

離婚会見の席上小林さんはは「理解離婚」とした上で、「未練はいっぱいある。みんなの前で泣きたいくらいだ」と語っています。

理解離婚とは言え、その具体的内容を公表しなかったこと、また山口組組長の田岡氏の介入があったことなどからいろいろな憶測を呼びましたが、小林さんにとっては未練の残る結婚劇だったことは間違いなかったようです。

その美空ひばりさんが生きていれば還暦を迎えていた平成9年に作られたのがこの曲。

もともと企画段階では「ひばりさんの還暦記念」ということで作られたこの曲ですが、歌ったのが小林さん、さらに2人の別れた経緯などが憶測をよび、いつしか小林さんからひばりさんへの追悼歌みたいになってしまいました。

ところで「恋は誤解から生まれる」という言葉があります。

そしてまた、「理解から愛が生まれる」という言葉もあります。

もっとも昨今は、恋より、愛より、さきに子どもが生まれるということもあるようですが、これには、純情なふうちゃんゆえに、ノーコメントとさせていただきますね。(笑)

小林さんとひばりさん、実際はどうだったのでしょうね。

ただ、2人の経緯(いきさつ)を傍観する限り、恋は誤解から、厄介へ、そして苦界へと登りつめていくしかない一本道ではとも思ってしまいます。(笑)