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みゅーじっくふうちゃんねる 

~show我が青春、涙からもらった元気~   

旅立ち

2013年12月03日 | 松山 千春



私の瞳が ぬれているのは
涙なんかじゃないわ 泣いたりしない
この日がいつか 来る事なんか
二人が出会った時に 知っていたはず

私の事など もう気にしないで
貴方は貴方の道を 歩いてほしい
さよならいわずに 笑ってみるわ
貴方の旅立ちだもの 泣いたりしない

言葉はいらない 笑顔をみせて
心の中の貴方は いつもやさしい

私は泣かない だって貴方の
貴方の思い出だけは 消えたりしない

私の瞳が ぬれているのは
涙なんかじゃないわ 泣いたりしない

涙なんかじゃないわ 泣いたりしない



松山千春さん、1955年(昭和30年)12月16日、いて座、血液型O型、北海道足寄郡足寄町出身。

この「旅立ち」は、松山千春さんのデビューシングルで、ファーストアルバム「君のために作った歌」に収録されています。

「旅立ち」は内容的には恋愛仕立てになっていますが、素材としては、足寄高校を卒業して地元で就職した松山さんが、就職や進学で、足寄を去っていく友人たちを思って作ったそうです。

1975年(昭和50年)に、ニッポン放送の音楽番組「バイタリス・フォークビレッジ」が主催した全国フォーク音楽祭の北海道・帯広地区予選会がありました。

二十歳くらいのちょっと神経質そうな痩せぎすの男子が、高校のときに道路工事のアルバイトをして買ったという5000円くらいのチープなギターをひっさげて、この「旅立ち」という曲で参加します。

審査員の一人は、彼に、こう言います。
「歌はいいが、ギターがひどいな。」
この講評に、彼は臆することなく反論します。
「俺は、ギターの品評会に来たんじゃない。歌の批評をしてくれ!」とその審査員をにらみつけました。

そして、彼は予選会は通過しますが、北海道大会では落選して、本選会に出場できませんでした。

ちなみに、1972年(昭和47年)の本選会では、中島みゆきさんが優秀賞を受賞しています。

本選会に出場できなかったこの彼が松山千春さん、そして、このときの審査員が、札幌テレビ放送(STV)ラジオディレクターだった竹田健二さんでした。

竹田さんは、北の大地に育まれた反骨精神の中にナイーブな優しさを秘めた彼の素質を見抜いて、他の反対を押し切り、担当していたラジオの深夜番組のコーナーに、彼を抜擢します。

そして、1977年(昭和52年)の1月25日に、この「旅立ち」で、松山千春さんはデビューします。

1974年(昭和49年)「白い冬」のふきのとうがデビュー、1975年(昭和50年)中島みゆきさんが、「アザミ嬢のララバイ」でデビューと、北の大地から、続々とアーティストが生まれてきた頃のことです。

竹田さんは、地方ローカル局とはいえ、北海道ではメジャーなSTVラジオのディレクターとして、北海道出身のアーティストたちを応援するとともに、とくに、北海道に愛着を持ち、地元志向の強い松山千春さんには目をかけていました。

「東京なんか出てく事もないし、お前の好きな北海道で足寄でずっと唄ってれ、そのために俺いろんな事してやっから。」と松山千春さんに言ったそうです。

そして、1977年(昭和52年)8月27日、ファーストコンサート「旅立ちコンサート」の函館ツアーの朝、松山千春さんは、竹田さんの訃報を聞くことになります。
竹田健二さん、享年36歳でした。

松山千春さんは、その後、竹田さんの期待を裏切らずに、「時のいたずら」をヒットさせ、「季節の中で」で、北の大地ブランドの松山千春を確立しました。

千春さんが、コンサートで竹田さんの話をすると、いつも「旅立ち」が涙声になって歌えなくなり、客席ファンが合唱しながら静かにフォローしているさまは、あたかも北の大地に咲くはまなすの群落が風にそよぐときのような感じで、優しい気持ちにさせてくれます。

今でも北海道にこだわり続ける松山千春さん。

最近は、政治的な活動も目立ちはじめて、往年のファンとしては、少しヒクところもあるんですが、それもこれも、松山千春さんにとっては、純粋な郷土愛ゆえの行動だと理解しておきたいと思います。

まぁ、千春兄さまよ、したら、頑張るべしネ。

星 松山千春

2013年11月02日 | 松山 千春




奥様の療養中には、旦那様も一生懸命に頑張ってこられ、お疲れがあったと思いますが、その後、いかがお過ごしでしょうか。
奥様に旅立たれ、寂しくなってしまいましたね。息子さん方にとっても、少し早いお別れとなってしまい、元気をなくされているのではないかと心配しています。
お食事など摂れていますか?
お辛いときですが、少しでも早く、悲しみから立ち直ることと皆様の健康を、奥様も願っておられると思います。まだまだ、息子さん方が成人されるまでは、旦那様のご苦労があられると思いますが、お身体に気を付けて、頑張って下さいね。(担当看護師 ○○ ○○子)


これは、平成19年5月、妻が肺腺がんで他界したあと、2ヶ月後に入院していた病院のホスピス病棟看護師一同からのお便りに添えられていた担当看護師さんからの言葉の原文です。

嬉しかったですねぇ~・・・・・今も大切に保管してます。

死後の家族のことまで心配してくれる病院・・・なかなか無いのではないでしょうか。お忙しいお仕事のなかの、束の間の休息を利用しての心遣い・・・本当に心打たれ、紹介してみました。



                                                  画像は亡き妻です


「人間が死んだら星になる」・・・

よく聞く言葉ですが、これは、

(1)星が恒久のものだから→いつも、いつまでもある不変のもの
(2)空という未知なるものへの憧れ
(3)たくさん存在している
(4)見かけが美しい

というような理由から、死んだあとの姿として誰もが納得しやすかったので生まれた言葉のような気がします。

身近で大切な存在の消失が信じられなく、星になっていつも((1))上空から((2))見守ってくれているんだ・・・と信じることで心強くなれる・・・

そしてご存知のように星は幾百幾千あるので((3))、その中の一つを特定するには漠然としすぎて、適度な匿名性を持ち、今まで亡くなった人々の魂の変化した姿だと考えやすかった・・・

最後に、星は暗闇の中に光り輝く美しい見かけなので((4))人々の浪漫をかきたてる・・・

・・・と言ったところでしょうか。

ふうちゃんは、妻は星にはならず、いつも心の中に居ついてくれてると思っていますが、時には夜空の星を観ながら、「もしかして・・・」と思うことがあります。

それはやっぱり実在しない淋しさを、変わりなく実在している「星」に想いとして求めているのかもしれません。

時のいたずら 松山千春

2013年11月02日 | 松山 千春




時のいたずらだね 苦笑いだね
冷たい風が今 吹き抜けるだけ

木枯しに震えてる 君の細い肩
思い切り抱きしめて みたいけれど
今日はやけに君が 大人に見えるよ
僕の知らない間に 君は急に

時のいたずらだね 苦笑いだね
冷たい風が今 吹き抜けるだけ

交わす言葉もなくて すれ違う心
ひとり歩き出した 君を見つめて
むかし愛した人を 思い出しただけさ
いまさら言えないよ それは君だと

時のいたずらだね 苦笑いだね
冷たい風が今 吹き抜けるだけ

時のいたずらだね 苦笑いだね
冷たい風が今 吹き抜けるだけ




今年の暑さはハンパじゃなかった、・・・そんな夏も去り今は秋、・・・そして間もなく冬へ、さらには春へと季節は巡っていきます。

しかし、季節はそうであっても、時間の経過というものは、人それぞれ、そして、それぞれの状況によって、さまざまな速度で流れていくものです。
決して、物理学的な時間で均一に流れてるわけではありません。
楽しい時間は短く、あっというまに過ぎて、苦痛の時間は永遠の時を刻むかのように、長く感じられる・・・

   時のいたずらだね 苦笑いだね
   冷たい風が今 吹き抜けるだけ


まさしく、こんな、時のいたずらですね。
二人は同じ時間を過ごしていたと思っていたのに、気がついたら、一人だけの時間差攻撃だったって・・・ほんま、苦笑いです。(苦笑)

いったんすれ違えば、あとは、どんどん遠ざかっていきます。
直線の交わりに似て、どんどん近づいて、交点に達したあとは、どんどんと離れていくものです。
そしてあとは、後ろ姿を見送るだけ・・・

   むかし愛した人を 思い出しただけさ
   いまさら言えないよ それは君だと


いまさら言えないし、また言ったところで、昨日にもどる明日がないように、むかしに戻ることはできません。
ただ、思い出として残る人と出逢った・・・そう思うしかありません。

   時のいたずらだね 苦笑いだね
   冷たい風が今 吹き抜けるだけ


これは男女の間を歌ったものですが、わたし達の人生も、また世の中の流れも、もしかするとこれと似たようなものかも知れません。

いいことは快く受け止め、わるいことは避けて通ろうとする、・・・人がそうである限り、時もやはり戒めとしての「いたずら」を繰り返すのです。

街角 / 松山千春

2013年10月30日 | 松山 千春




夢見続けたあのころの

わたしの願い・・・それは好きな人に

愛されること 愛してもらうこと

それが人生の幸せなんだと 信じて 待って 夢見てた

でも何か忘れてた それで生きたことになる?

                   by ふうちゃん



ふうちゃんのブロ友に「喧嘩」をテーマにされたエッセイを書かれている方がおられます。

勿論、その方は喧嘩を推奨されるとか、美化されたりしてるわけではありません。逆に、喧嘩を未然に防ぐ「こころの持ちよう」と言いますか、「アドバイス」と言いますか、それをご自分の体験などをと絡ませて書かれているのです。

そうですねぇ~、たしかに、その方の記事はひとつの真理を言い当てています。・・・ただ、ふうちゃんは、どちらかというと攻めタイプ、喧嘩を未然に防ぐ方法より、喧嘩をしても仲良くしていられる方法を考えるタイプなので、もしかしたら、その方とはタイプ違いなのかも知れません。(笑)

でも、その方の記事は欠かさず読ませて戴いていますし、メッセを交わさせて戴いたりもしています。

それはその方の文章のタッチが、最初読ませていただいとき、とても印象に残り、好きだったからです。

話は飛びますが、「あばたもえくぼ」・・・、

・・・恋愛ではよく使われる言葉です。

あばたとは天然痘の水ぶくれが治った後にできる皮膚の陥没です。そんなものがエクボ(笑ったときにほっぺにできるへこみ)に見えるくらい、つまり欠点が欠点に見えないくらい、その人のことが良く見えてるってことですよね。

つまり、最初に好きという感情を備えていれば、あばたもエクボに見える。

そうです、喧嘩の原因になる意見の違い、捉え方の違い(あばた)も、その違い自体が新鮮な魅力(えくぼ)として映りうるってことです。

たまに「あばたはやっぱりあばた」と喧嘩しても、それは素敵なエクボを感じる前哨戦です。

「喧嘩のあとでくちずけを」・・・・・してみませんか?あの街角で・・・・・

松山千春 - 君が好きさ

2013年10月24日 | 松山 千春




ぼくがとても好きなものは
青い青い空の色と
夏の风に全てまかせた 君の長い 長い髪

*いつも遠くから君のこと
 みているだけのぼくだけど
 君が好きさとても好きさ
 君の全て欲しいけど

ぼくがとても好きなものは
赤い赤いバラの花と
夏のに全てまかせた 君の瞳 君の笑颜



いやぁ、青春を謳わせたらさすがというか、やっぱり日本一?、そんな松山千春さんの青春ソングです。^^
その感性はふうちゃん世代にとって、当時はなるほどと唸らせ、なんか、めっちゃ、鳥肌が立ったことが思い出されます。
もっとも、その感性がするどかった分、そのストレスが頭髪に来たと思うのは、ふうちゃんだけかしら。(笑)

いつも遠くから君のこと
みているだけのぼくだけど


このフレーズ、・・・これは初恋シーンにおけるよくある情景です。
恋煩いとまではいかなくても、ともかく初恋の初期症状として、ふと、こんな思いに駆られた人もきっと多かったはず。

君が好きさとても好きさ
君の全て欲しいけど


そして、「このままで、オレ、ほんとに良いのかなあ~」、「この想い、どうかして、あの人に伝えたい」なんて思い始めて、相手にそれとなくサインを送りたくなったのが2期症状。

そして、相手から「ゴメンナサイ」なんて取り合ってもらえず・・・「そうなんだぁ~、そうだよね」なんて自分を説得しつつも、どこかに感じる、こころの隙間が広がっていく・・・そう3期症状。

そして、なんども、なんども、階段を上り下りするように、回廊を巡るようにいったりきりの恋愛を繰り返した4期症状。

今、思えば懐かしく微笑ましいあの頃の青いページ・・・

もっとも、そう思いながらも、インスタントな、レトルトな、ほんとにファーストフードのようなお手軽な恋愛が氾濫する今のご時世に、かなわないまでも反発している自分にこの曲、とても貴重だと。(笑)