最愛のパートナーを探す旅。

いろいろな恋と出逢い、何度も転んで、傷ついて、やっと辿り着いたスタート地点までのお話。

ちょっと休憩。

2007-07-01 16:25:57 | つぶやき
結婚前の話し合いは少し休憩して。


やっと、7月になりました。

いや、今思えば早かったかな。

でも、その日その日をしっかりと生きてきたから、長く感じたような。。。

ホント、ここ数年(離婚してから)は、一日一日を大事にしていて、

またその年々の季節感を感じて生きている気がします。

うん、いい事ですね。

尚更、その時期にいろいろ思い出してしまうのですが・・・・・


最近、ずっと踊りに行ってないので、

踊りたい症候群です。

理由なく楽しいと思えることってやっぱりダンスだったり、

音楽聞くことだったり、

R&Bシンガーのようには歌えないけど、歌を歌うことだったり。

それが、わたしがわたしらしくいられる元なんだと本当に思います。








白のプルメリアさん。

2006-10-01 10:25:02 | つぶやき
去年、トシに振られて失恋のショックから立ち直れずに腐っていたわたしが、

国際恋愛がわたしの求める恋愛だ!と思い、国際恋愛をされている方のブログをみていてたどり着いたのが、白のプルメリアさんのブログでした。

わたしは、そこから深い感動と幸せな気持ちをたくさん貰い、

何が何でも大好きな人を見つけるんだ、とやる気が出てきたことを思い出します。

今日、ブログにお邪魔したら、しばらくお休みするとのことです。

その言葉の、あたたかいこと。あたたかいこと。

本当に、彼女のブログでどれだけ幸せな気持ちを貰ったことか。

どれだけ勇気付けられたことか。

一度失敗しているわたしの結婚生活ですが、

白のプルメリアさんのように幸せをかみ締めて結婚生活が送れるんだな~って思ったものでした。

楽天のメンバーだけのコメントになっているので、

わたしのブログでこの気持ちを伝えたかったのです。

わたしがどれだけ感謝しているか。

また、戻ってきてくださいね。

最後の記事に感動で胸が熱くなりました。

『無理してでも、頑張って』

この言葉は今のわたしに深く刻まれました。

そう、無理ができるうちに後悔しないように頑張るのです。

今のわたし。

はあ、、、、感動。。。

本当に、たくさんの幸せと勇気をありがとうございました。



I never talked about my teeth for some time!!

2006-08-13 16:14:18 | つぶやき
矯正を始めてそろそろ4ヶ月が経とうとしています。

歯、すごい勢いで動いています。

大移動です(笑)

特に下の歯は、もう並んでいます。

まだ、隙間だらけなので、これからはその隙間を

ぎゅぅう~~~~っと締めていくのでしょう。

また、締められるのか、、

まだ、痛いです。

というより、

痛いとムズ痒いが一緒になった感じです。

だから、軟らかいのもしか食べられません(未だに)

矯正をしている人たちが、普通の食事を食べられるというのが

信じられません。

なんで、わたしはいつまでたっても食べられないんだろう。

ワイヤーは、まるで猿ぐつわをはめられているように、

口の中の違和感で本当に大変です。

来年、来年の今頃には、

きっとワイヤーをはずせる見通しが立っているはずです。

長いようで短い期間です。

頑張るしかありませんね。



昨日、久しぶりにクラブに行ってきました。

たのしかった~~~~。

めちゃくちゃ楽しいダンスパフォーマンスをする黒人さんがいて、

あんなに笑い転げて踊れなかったのは初めてです。

でも、

人を楽しませるエンターティナーは、

あの、

あの、

もう記憶のかなたにいた、

Kの知り合いでした。

しばらくして、

Kが来ました。

一応、あいさつを交わしましたが、

そのあと、フロアーでそのエンターティナーと楽しく踊っていたので、

気まずいような感じがあったかな。

でも、何もお互い悪いことしてないし、

気まずくなる必要なんかないな、と思い、

気にしませんでした。

やっぱり、わたしには、

ダンスと音楽がなくては生きていけません(笑)




失恋にはつきものの時間。

2006-08-11 10:45:50 | つぶやき
Jと連絡を取らなくなって、一週間が経ちました。

こうして、連絡を取らないでいると、

少しずつ、記憶が薄れていくし、

思い出す時間も少なくなっていくのです。

でも、

でも、

音楽の大好きなわたしは、

その頃によく聴いていた曲が流れたり、

思い出の曲が流れると、

胸が締め付けられる思いになります。

はぁ~~~~

あまりに、そのような曲が多いので、

乗り越えるのは大変です。

去年、トシに振られたときも同じだった。。。

でも、今はその頃聴けなかった曲は、

全然普通に聴けるから、

きっとそんな時がやってくるはず。

トシの時は、自分から連絡先を全部消しました。

連絡できないように、連絡してこれないように。

結局、行き着けのクラブで何度も顔をあわせることになるのですが、

今は会っても全然、何とも思いません。

Jは、きっと、12月に日本に来た時は、

わたしと会いたがると思います。

そして、わたしに歌を歌うと思います。

そうすれば、フルールはすぐに自分のところに戻ってきてくれると思っていると思います。

Jは、わたしをそこまで真剣に愛していなかったことはわかっています。

というより、Jは、人を真剣に愛せないんだと思います。

そのときは真剣のつもりでも、

近くにいないと愛が感じられない。

また、

自分を愛してくれている証がいつも欲しいんだと思います。

会うのが最後となってしまったカナダへの帰国の日(結局、これも嘘でしたが)。

Jは、ぼそっと言いました。

「Nobody loves me....」

『誰も、僕を愛してくれない・・・』

そのときわたしは驚いて、「わたしが愛しているじゃない」

と言ったら、慌てて、「君以外は、、、」と何度も言いました。

でも、最初の言葉はJの本当の気持ちだと思います。

どんなに、

「あの頃、僕は君を真剣にこころから愛していた、

もし、僕が今日本にいたら君と一緒に居るよ、

距離が僕達を引き離したんだ。」

と言われても、

Jの偽りの姿は、今となっては赤裸々になっています。

わたしの記憶に残る、

誠実で優しくて頼もしいJの姿が、

今のわたしのこころを締め付けるのです。


12月がくるのが恐い。

そう、もう二人にはあの時間は戻らないから。

わたしの気持ちが、

あの頃には戻れないから。

ふぅ・・・・


もう、悩まない。

2006-08-05 09:13:50 | つぶやき
考えてみたら、

物事って、

自分が思ったように行かないときは行かないし、

自分が思ってもみなかった方向に勝手に進むことを、

思い出しました。

その例を2つお話します。

まず、わたしの今の仕事。

わたしの仕事は、詳しくは言えませんが、

高校2年のときの進路指導で、

あまりに勉強のできないわたしに、

担任の女教師は、

『夢を追うのはやめなさい』

と、言いました。

信じられない話ですが、

本当です。

わたしの仕事は、その学科がある大学を出て、

国家試験に合格しないと、

資格をとることが出来ません。

それには、理系のクラスに入る必要があったのです。

理系のクラスは秀才が集まるクラスで、

一クラスしか設けられていませんでした。

その狭き門に、

落ちこぼれのわたしが、

「入りたい!!」

と駄々をこねられるのが困った担任が、

苦肉の策で放った言葉だったのでしょう。

絶対に、無理だと思われた理系のクラス。

でも、不思議な力がわたしをそこに導きました。

そして、わたしは、その担任の言葉があったから、

悔しくて、がむしゃらに頑張りました。

一浪して、大学に合格。

それも、偏差値が高く、倍率が40倍で諦めていたところだけ、

合格しました。

このときも、不思議な力を感じました。

本当に、わたし、勉強できなかったんです(笑)

大学に入り、

わたしの場合、大学生活は6年間必要なのです。

最初の志はどこへやら、、、

ぎりぎりの単位で、

バイトと遊びで資格をとってからの自分の進む道は何にも考えていませんでした。

国家資格に合格するかどうかも、

危なかったです(!!)

というか、大学になじめなかったんです。。。

晴れて、合格、いざ働き始めました。

だいたい、独立を考えますが、

わたしは絶対に独立なんかしない!と思っていました。

そんなお金ないし、自分の時間がなくなるし、、、

これまた、不思議な力が働いて、

とんとん拍子に独立が決まりました。

同級生や大学の担任の先生は、これまたびっくりです!

「本気でするつもりなのか」

と言われました。

しかし、今の現状は、

仲のいい同級生は、

資格を生かす別の道に進み、

自分で自分の城を築いて、自分なりのやり方で資格を生かしている数少ない中に入るのです。

大学時代、誰も予想しなかったことです。

わたしもですが(笑)

明らかに、大学の時と、みんなの接し方が違います(笑)


今のわたしは、

自分が望んで切り開いたわけではないのが正直です。

でも、そうはいっても、そういう方向に物事が進む過程で、

『腹をくくって頑張る決意』

はしてきました。



もうひとつ。

前の結婚です。

前のダンナはこれまでストーカーのような行動など、

お恥ずかしい話ばかりですが、

それこそ縁なしでは語れないです。

なぜ、そんなに長く続いたのか、

自分でもよくわかりません。

6年近い付き合いでした。

「えっ?何この人」

と思いながらも、

何度も別れる決意をしたのに、

他にいい人いないかと、いろんな人と出会いましたが、

別れられませんでした。

どこに、そんな魅力があるのか、と思っていましたが、

別れられませんでした。

もっと、かっこよくて、条件もいい人もいましたが、

別れられませんでした。

きっと、彼とは結婚するする運命が決まっていたんだと思います。

そして、離婚する運命も。

そのことがあって、

わたしは大きく成長できたから。

このときの結婚も、

あれほど「無理」と思っていたのに、

とんとん拍子で話が進みました。

その過程でも、

何度も、

「やめよう、今なら間に合う」

と思ったのに、

その一言が言えませんでした。

本当に、不思議な縁でした。



Jのこと。

これも、

自分でどうのこうのできる問題じゃなくて、

勝手に導かれていくと思って、

考えるのを止めます。

どうせ、今日本にいないんだし、

わたしは自分の目の前の生活があるし、

連絡がなければ忘れていくんだろうし、

自分からは連絡しない方が悩まなくていいのかな、

と思うようにしました。

この間は、たまたま母のことがあったから連絡してしまいましたが、

それがなかったら、もう連絡はしてませんでした。

わたしがどうしたい、こうしたい、思っても、

人の気持ちは動かせないから、

なすがままに、

任せます。

わたしは、これまで通り、

クラブ行って、

友人と食事行って、

適当に知り合い作って、

自分の時間を有意義に過ごすことにします。

いちいち考えていると、

自分て狭い世界で生きてるな~

と思えてきました。

ばかばかしくなってきました。

だから、

わははっははっははは~~!!!

って笑えることをたくさん探して、

今の気持ちのもやもやを吹き飛ばそうと思います。

頑張るぞ。












わたしのするべきこと。

2006-08-04 14:07:40 | つぶやき
I know that you really want to see me. But I dont know that how your feelings do you have now. I have to ask you that how do you think about ex girlfriend of Toronto now? and do you still continue Japanese girlfriend? and do you have someone now? You need to make it clear. If you cant do, I cant see you.

わたしは、12月までに、

Jに聞かなければいけないでしょう。

今は、お互い「会いたい」気持ちだけを語っていればいいのですが、

実際に「会う」時は、

きちんとけじめをつけなければいけないですよね。。。。

それまでに、気持ちの変化かあるかもしれない。

わたしに好きな人が出来るかもしれないし、

Jが日本に来ることを止めるかもしれないし、

4ヶ月の間にこの流れが変わる可能性も含め、

じっくり考えていきたいと思っています。

今は、恋愛できないし、

母のこともあるから、

焦る必要はないですよね。

でも、

どうするべきかは、

一番自分がよくわかっているんです。

それが、

出来ないんです。

まだ。




リハビリ。

2006-08-02 09:22:06 | つぶやき
一週間ぶりに会った母は、

格段と良くなっていました!

人工呼吸器をつけていたので声はかすれ気味ですが、

元の母に戻っていました。

そして、足もしっかりしていて、

車イスを使わずに、歩くことが出来ていました。

変な言動も、もう、ありませんでした。

“もう、変なこと言わないの?”

と、冗談で笑いながら聞くと、

「夢だったのよね・・・」

と、笑いながら答えました。

今では、父のゴルフバックを買ったとか、イタリア人がでてきて、、、とか、

わたし達家族の中で笑い話になっています。

まだ、深刻な問題は、

両方の手首から先の神経の問題です。

左は、手首から下はダランとしてしまいます。

かろうじて動かせるものの、

感覚は全くないようです。

右は、物をつかむには握力が足りず、

そして、自分の意志で開くことが出来ません。

ですから、足はしっかりしてきたとはいえ、

ふらついてしまったときに支える手がないので、

一人で歩かせことはできません。

食事も一人でできません。

トイレにも一人で行けません。

今は、その手のリハビリを中心に行っているようです。

原因は、3年前に痛めた首の神経で、

今回の事態で、2次的に障害が出てしまったようです。

3年前は母の努力で日常生活は普通に送れるくらいになっていたのです。

最初の病院の担当医は、

これだけわたし達家族に精神的な負担と肉体的負担と経済的負担をかけてしまったことを、充分に知るべきですし、

二度と、このようなことがおこらないように、

反省してもらう必要があります。

後日、わたしは直接話しに行くつもりです。



母のリハビリにつきあい、

離れてイスに座って、他の方達のリハビリも見ていました。

わたしたちが、普通にしていること。

立つ。

座る。

歩く。

物をつかむ。

物を移動する。

なんてことない、日常の生活のひとつひとつを、

リハビリに来ているみなさんが、

一生懸命に、体を震わせながら行っています。

「上手に座れたね!」

「右足をだしてごらん、ほら、うまくできたね!」

リハビリの先生方は、

その一つ一つの行動に、褒めて褒めて褒めちぎっています。


わたしが、普通に生活できて、

音楽を聴いて、歌を歌って、恋をして、傷ついて、引きずって、、、、

喜怒哀楽を感じて生活できること。



なんて、ありがたいことなんだろう。。。



その日ほど、

普通に生活できることのHappyを、

実感したことはありませんでした。

母の手は、

どのくらいかかるかわかりません。

日常生活が出来るくらい回復するかも、わかりません。

これから、母は、動かない手をいかに動かせるようになるかの、

自分との戦いになると思います。

これだけ頑張っているのに、動かない、と

精神的に落ち込む時期もくると思います。

わたし達家族が、

それを支えていくために、

今、自分がこうして生活できることに感謝して、

ちょっとのことでいちいち腹を立てるのはやめようと、

改めて、思いました。

最近、いろいろなことがありすぎて、

感情のコントロールが出来ていませんでした。


we should live a life every day like our last.
Remember to be happy today.






“愛”について、考える。

2006-07-30 10:44:31 | つぶやき
Jと付き合っているとき、

自分の「愛」がどんなものか手に取るようにわかりました。

Jが、わたしに何をしてくれたかを思い出してみても、

歌を歌ってくれた、

くらいしか思いつかないのですが、

彼の普通にする思いやりと気遣いと行動や言葉が、

わたしを自然な形で感動させて、

なおかつ、わたしの大好きな歌で、

さらに「愛」を深めてくれたのだと思います。

そういう気持ちにさせてくれることに感謝をして、感動して、こころから幸せを感じられて、

わたしはJに尽くすことは、なんにも苦じゃなかったし、

むしろしてあげたいと思いました。

“Give and Take”が、わたしの口癖でした。

だから、Jの不誠実な部分を知っていても、

未だ、そのときの幸にしてくれた気持ちを忘れることができないから、

許せているのだと思います。

Jに与えた「愛」は、

見返りを求めず、わたしが感じた思いをただ自分なりに表現してたものでした。




わたしのかわいい、かわいいベイビィたち(つまり、ペット)に注ぐ「愛」もまた、

見返りを求めないものです。

かわいこちゃんですね~ ←親ばか~~~(笑)

おりこうさんにしてたの~~~~ ←親ばか~~~(笑)

ちゅ~は??  ←親ばか(笑)

な~~んて、優しい声で言うと、

鳥たちはぼわ~~~っと毛を逆立てて、

喜びます(笑)

赤ちゃん言葉になればなるほど、

身体をくねらせて、うひゃひゃひゃ~~と声が聞こえそうな勢いで、

喜びます(笑)

ですから、みんなわたしが大好きで、

彼らをみると、

みんなの視線はわたしに集中して、

声をかけてもらおうと、一生懸命それぞれがオリジナルのパフォーマンスをします。

そんなとき、自分の溢れる「愛」を感じます。

でも、あんまりぎゃーぎゃー騒いでうるさいときは、

一喝して叱ります。

しかるといっても、にらみ付けるだけなのですが、

ぶるぶる震えて恐がります。

でも、わたしに対する信頼と尊敬(あはは!)は絶対に崩れません。



母に対する、「愛」

これまで、考えたことはありませんでした。

反面教師を言い続け、

感謝はしているけど、母の人間性を認めることはできないと思っていました。

わがままで、自分勝手で、思いやりの言葉がかけられなくて、自己中心的。

ずっと、そう思っていました。

初めて、母の死、というものを身近に感じたことで、

自分の中に隠れていた、

母への「愛」に気が付きました。

そして、ばらばらだった家族の絆の深さも、

感じました。

担当医のT先生は、

『家族のみなさんの姿にとても心を打たれました。あんなに一生懸命で、真剣になっている姿をみて、とにかく助けなければ、と思いました。家族の絆が深まったでしょう。』

そう、母に言っていたそうです。

実際、ICUに運び込まれた母の状態は、

血圧が測れず、薬で上げることも出来ず、先生方でも

ダメかもしれない。。

という状態だったそうです。

酸素マスクをして、心拍は200近くに上がり、呼吸はとても荒く、

母とは思えない姿で、

“おかあさん!!頑張ってよ!!”

と叫んだわたしに、もうろうとする意識の中、母は、

うん、うん、

とうなづきました。

わたしは、そのときの状況を思い出すと、

涙が出てきます。

母は、よく、

「長生きなんて、したくない、ぽっくり死んじゃいたい、この世に未練なんてちっともない」

と言っていました。

“世の中には、生きたくても生きられない人、ご飯を食べたくても食べられないで死んでいく人がたくさんいるんだよ、そんなこと言っちゃダメだよ”

と、わたしは半ばあきれて言っていました。

(お母さんは、今、生きようと頑張っている)

今回のことで、

母の気持ちの持ち方も、わたしたち家族のそれぞれの気持ちも、

大きく変わったと思います。

今は、本当に母の命の感謝と、愛と、尊敬を、

実感しています。

無償の愛。

本物の愛です。


わたしにとって、なくてはならないもの。

それは、

音楽への愛です。

これは、ほとんど、

病気です(笑)

わたしの恋愛観は、

きっと、ここにあるのかな~と思います。

エモーション

パッション

センシビリティ

すべてが詰まっています。

いつか、きっと、

見つけられると信じて、、、














母のこと。

2006-07-27 10:28:09 | つぶやき
姉から聞いていた、母の言動のおかしさを、

しっかりと確認するつもりで面会に行きました。

でも、最初に母の姿を見て驚いたのは、

びっくりするくらい、老け込んでしまっていたのです。

まだ、話せるようになって3日位しか経っていないので、

声はとても小さく、話し方もおばちゃんみたいに弱弱しく、

まるで別人でした。

“お母さん、よく頑張ったね”

そう言って、わたしは母のおでこにキスをしました。

感染が恐いので、マスク越しで。

“これは、友達からの元気になるためのキスだよ、頼まれたの”

母のためにお花を買っていったのですが、「花粉が心配」というので、

“そうだね、ばい菌がいるかもしれないね、じゃあ、気持ちだけ受け取ってね、元気が出るようにひまわり買ってきたんだよ、エネルギー貰おうね”

と言って見せました。

黙ってうなづいてその花を覗き込む母の姿は、かつての毒舌の母ではありませんでした。

今回のことで、母の左手は全く感覚がなく、わたしが手を握っていてもわからないと弱弱しく言いました。

反対の手の方は、感覚はあるのですが、物をつかむことが出来ず飲み物も自分で飲めないのです。

「夜にこれ、飲みたかったんだけど、お母さん手が効かないから飲めなかったの」

一生懸命話す母が愛しかったです。

目が覚めて、普通に動けると思ったら、両手が麻痺して不自由するとは思わなかったと、落ち込んでいるようでした。

“大丈夫だよ、お母さん頑張り屋だから、リハビリでよくなるよ”

手の麻痺はまだ原因がわかっていません。レントゲンとMRIを撮ると聞きました。

そして、母の記憶は、倒れる数日前からありませんでした。

覚えてる?と聞くと、気が付いたら病院だった、と答えました。

“ICUのみんなが一生懸命してくれて、お母さんは助かったんだよ、本当に危ない状態だったんだよ。主治医の先生と、麻酔科の先生方と、スタッフのみんなに感謝しないとね。お母さんも頑張り屋で我慢強いから、助かったんだね。本当に頑張ったね。”

我慢しすぎは、よくないね。

ぼそっとつぶやきました。

ああ、こんな母の姿は見たことありません。


しばらく話をしていたら、突然、

母:ほら、この間、静岡行ったでしょ。

(もしや、、、、)

私:ああ、そうだっけ。

母:そのときに、インターで、後ろのナンバーをチェックされたの、2ヶ所で。

父:静岡なんて言ってないよ、それは・・・

わたしは父を制しました。

私:静岡は去年お墓参りで行ったっけ。そのときのこと?

母:この間だよ、ねえ、○○(姉の名前)、この間の静岡、覚えているでしょ。

姉:ああ、そう、そうだったね。

母:前と後ろにナンバーがあるのに、後ろだけチェックされて、お母さん、心配で心配で、2ヶ所でチェックされたの。

姉:ああ、カードが使われてるんじゃないかって心配なの?

母:そう、そう、、そしたら、道路の向こう側にマックがあって、お父さんがこんなときにゴルフバック買ってて、、お母さんは早く出たほうがいいと思っているのに、、

私:お父さん、ゴルフバック買わなかったんだよ。

母:あなた、買わなかったの?

私:お父さん、ゴルフ今するの?もうやらないよね。お母さん、お父さん、見てただけだって。

母:見てただけなの?でも、買おうと思って見てたんでしょ?お母さん、早く出なくちゃと思っているのに、金縛りにあっちゃって、、、

私:金縛りにあっちゃったの?そう、だから、ゴルフバックどころじゃなくなったんだよ。

母:イタリア人と、二人の外国人が、やめてくださいって言ってるのに、ナンバーをチェックしていて、、ねえ、(姉に)、、ピーピーって警告の音がなっているのに、、、

姉:ああ、、、でも、カードは確認すれば大丈夫だから。

母:お母さん、心配で、心配で、あんた(私のこと)がすごい責められているから。

私:わたしが何で責められているの?

母:お母さんのゴールドカードを使って、すごい借金を背負って、、、

私:あたしがすごい借金を背負って、責められていたの?

母:そう。。

私:じゃね、お母さん、まず、お父さんはゴルフバックを買わなかったし、わたしはお母さんのゴールドカードは使っていないし、たくさんの借金も背負ってないし、大丈夫だから。カードは、○○(姉)が確認してくれるって、でも、使われていないから、大丈夫だよ。

母:・・・六本木・・・

私:六本木??

母:あんたが、○○(わたしの住んでいるところ)に家を借りてるのに、六本木ヒルズに家借りたって聞いて、そんな、身の丈にあった生活をしないと。。って。

私:六本木に家は借りれないよ、遊びにいってるだけだから、心配しないで。家は一つしかないよ。


母は、ひとつひとつを思い出すように話していました。

そして、話はときどき、飛んだり、また、もとの話にもどったりしていました。

まるで現実のように話す母ですが、わたしは思いました。

これは、昏睡状態のときと、意識不明の期間に見ていた夢なんだな、と。

主治医の先生や看護士さんが話をしていて、おかしいというところはないと報告を受けていました。

でも、姉は、身内の話やペットの話をすると、おかしくなると言っていたのです。

母は、現実と夢が混同しているようでした。

“お母さん、それはきっと夢を見ていたんだよ”

最初、そう言ったのですが、

じっと考えて、

「あれ?静岡、覚えてない?ほら、イタリア人いたでしょ」

と、姉にふったりしてるので、母の中では現実と思っているのかな、と感じました。

わたしが面会に行く前は、

わたしが白衣を着て、病院の中をうろうろしていると言ってたそうです。白衣で会いに来た、と言った翌日に、「フルールは面会に来ない」と言ったそうです。

そして、昨日の姉の報告では、

『今日は、静岡の話と、名古屋でわたし(姉)が結婚して、子供が3人いて安心したって言ってたよ』

でした。

母の心配事が、夢になって出てきて、それが現実と夢の区別ができなくなっているんだよ、と姉に言いましたが、

姉はそうだといいけど、、、とまだ心配のようでした。

顔面麻痺とか、ろれつが回らないとかはないので、

主治医の先生も脳梗塞の心配はないと言ってますが、

MRIの結果を待つばかりです。


わたしは、動かない手を気にしている母に、簡単なリハビリを教えました。

“手をね、こう広げて、動いても動かなくてもいいから、親指からイチ、ニィ、サン、シ、ゴ、ってタイプを打つみたいにするんだよ、意識だけでいいからね。今度は小指から指をあげていくの。動かなくたっていいんだよ、気持ちだけでね”

一生懸命わたしのまねをして、指を動かそうとしてました。

すると、薬指と中指がピクっと動きました。

“すごいじゃん、動いたじゃん、来たとき全然動かなかったのに!!”

母は嬉しそう。

「神経の先生が来た時は、動かなかったのに、今、動く」

“じゃあ、来週あたしが来るまでに頑張ってリハビリしてね”

そして、昨日の姉の報告で、

『指が動かせるって、先生に嬉しそうに見せていたよ』


褒めて、褒めて、とにかく生きるエネルギーをどんどん与えたいと思います。

来週の母の面会が楽しみです。




母の報告を受けて。

2006-07-23 18:50:18 | つぶやき
母の様子を、姉と父からの報告を聞きました。

少し、健忘気味のところがあるようです。

まだ、少ししか話せないようですが、

「フルールは来ないね」

と言っていたそうです。

父が、

「お母さんが寝ているときに来てたよ」

と言っても、

今日また、

「フルールは来ないね」

と、姉に言っていたそうです。

しかも、わたしが火曜日しか休みでないことも、

忘れているようです。

今日の姉のメールでも、

「話がいきなり飛ぶんだよね、それがちょっと心配」

と言ってました。

でも、

「よく、頑張ったね」

と言ったら、

「誰の親だと思ってるの」

って言ったそうです。

父が、

「死にかけたんだよ、7日からずっと寝ていたんだよ」

と言うと、

「お花畑が見えた」

と言っていたそうです。

わたしは、母が昏睡状態の時に、

「三途の川が見えても渡っちゃダメだよ!!」

とこころの中で叫んでいましたが、

『お花畑』だったんですね。

わたしがあまり顔を出さないことを気にしているので、

たくさんのお花を持って、

火曜日に会いに行きたいと思っています。

そして、

母が見たお花畑で、

誰かが、「こっちに来ちゃダメだよって言ってなかった?」

と、聞いてみたいと思います。