最愛のパートナーを探す旅。

いろいろな恋と出逢い、何度も転んで、傷ついて、やっと辿り着いたスタート地点までのお話。

彼の来日。

2007-03-26 10:38:15 | 進行形の恋
しばらく更新しなくてごめんなさい。

実は今、愛しのダーリンが日本に来ています☆

16日に来日するはずだったのが、霧のために一日伸びて17日に日本に来ました。

「出発前に空港から電話するからね」

そう告げられて今か今かと待っていた電話。

出発時間を過ぎてかかってきた電話に、あれ?っと思い、

「今、空港?」

と尋ねると、

「家に戻ってきた」

と信じられない言葉が返ってきました。

あのときは本当にがっかりしてこのまま日本に来ないのではないかと思いましたが、

翌日無事飛行機は飛び、17日に成田で感動の再会を果たしました。


それから10日間。

ラブラブ幸せ、、、、のはずだったのですが、

一泊二日の温泉旅行でケンカ。

その理由も本当にしょうもないことがきっかけで始まり、

朝まで険悪なムードは続きました。

この時、初めてEricも怒っていました。

朝、わたしが

「まだ、怒っているの?」

と聞いても返事をせず、違う話しをしてきます。

何度も聞いても、答えず、昨晩の話しになりさらにお互いの怒りがまた込み上げ、

言い合いになり、、、、、、、、、、、、、

わたしの悪かったところ、

彼の悪かったところ、

話し合いました。

悲しかったのは、

「キミは怒りっぽい、それはいけない」

と言われたこと。

でも、わたしの言い分は、わたしが怒りっぽいのではなくて、

あなたがわたしを怒らせるのよ。

「今まで、どんなに頭に来ても我慢できていた、こんなに怒り易くなっている自分に驚いている。普段は怒ることはない」

「僕の時だけ怒りっぽくなっているの?」

「そう」

「僕の時だけ?」

「そう」

Ericがわたしを怒らせる理由は、

わたしが真剣なときに、わたしを茶化したようなことを言うからなんです。

「You are funny!!! You are angry!!!! Funny!! Funny!!」

わたしが冷静を保とうとすればするほど、

口を尖らせてわたしが怒っているマネをして、わたしを挑発してきます。

そして、わたしがその場から離れようとすると腕をつかんで、

にたにた笑いながら、「You are funny!!!!」と始まるのです。

「なんで、おかしいの??」

と顔をしかめてわたしが聞くと、

さらに「あははは!!!おかしい、おかしい、怒ってるよ~!!!」

と言われるので、

もう、離してよ!!っと無理に手を振り解いてその場を去る、と言う形になるのです。

しかも、それがしつこい。

わたしの顔を見ればむかついていることはわかると思うのですが、

そんなのお構いなしにわたしの感情をおちょくってからかうのです。

『怒りっぽいのではなく、怒らせているのよ!!』

わたしが怒るのには理由が必ずあります。

そして、

さらなる大きな問題は、

わたしが怒る前の何度も何度も彼に「こうして」というお願いを、

寝起きの彼は全く覚えていないということでした。

それも話し合いでわかりました。

はっきり話しているのに、

全く覚えていないのです。

そのケンカがきっかけで、

わたしの中に、

(結婚を決めるのは早すぎる)

という思いが出てきました。

その時は、何時間も話し合い、お互いの誤解を解きましたが、

わたしのこころにはわだかまりが出来ました。

生活習慣で合わないところは、過去の経験から致命的です。

今、こんなに怒りっぽくなっているのにこの先うまくやっている自信はありません。

過去の結婚はその妥協で失敗したからです。

本物の愛を見極める時だ、

と思いました。

わたは彼に言いました。

「わたしは、規則正しい生活が自分のやり方で、なんとなく布団に入ってそのままながらで歯も磨かず電気、テレビを付けっぱなしで寝てしまうような生活は耐えられない。どんなに疲れて帰ってきても、寝入ってしまうのがわかっていたら先に済ませることをしてそれから休もうと考える。
生活習慣の違いは大きな溝になることをわたしは経験している、このままだとわたしは自分の気持ちが変わるかもしれないということを恐れている。
もし、それで上手く行かなかったとしても、それはしょうがないと思う。」

日本語ではこんな感じに言いたかったのですが、英語なのでそうも行かず、

ニュアンス的にこんなことを言いました。

モントリオールでもそうでしたが、

とにかくEricはよく寝るのです。

一方、わたしの睡眠時間は当然割かれるわけで、

ほとんど寝ていない状態で、

常にあれやこれやと動き回っていて、

その中でわたしのイライラが募っていったのでした。

仲直りはしたものの、

それからのわたしは彼のやることなすことムカついてしまう自分を認めざる得ませんでした。

ケンカした夜は、

(何がいけないんだろう、わたしの言っていることは間違っているのかな)

ずっと、考えていて眠れませんでした。

当然翌日も眠くて仕方ありません。

そんな時に、意味もなくにたにた笑われると、

「何がおかしいの?」

と思ってしまい、

さらに彼に対する気持ちが下がっているのがわかりました。

そして、わたしは意味のないジョークは通じません。

まともに受けてしまいます。

特に疲れていてそっとしておいて欲しい時はそうです。

そんなこんなで、

わたしの心に、彼に対する気持ちにブレーキがかかったのでした。

「今日はアイラブユーを聞いてないよ、バッドガール!!」

「昨日の夜にアイラブユーを言わなかった、バッドガール!!!」

「どうして最初、矯正を隠して写真を撮ってたの?バッドガール!!」

「今日はラブボックスをチェックした?まだ?バッドガール!!」

朝6時に起きて朝食作ってランチ作って、自分のメイクして洗濯してお皿洗って、

部屋片付けて、お風呂洗って、友人と会う約束を取り付けたり、

どこにそんな時間あるのよ!!

グーグー寝ているEricの横でわたしは少しも休まず時間の調節を頭で考えながらいろいろやってるじゃない!!

どうでもいいことを指摘されるとますますアイラブユーを言う気がしなくなり、

自分の気持ちがネガティブになるのがわかりました。


わたしの休みの最終日、お気に入りのカフェでまた話し合いました。

「わたしは自分の生活にプライドを持っているの。自分の出来る努力を最大限にしている。仕事も、家事も、遊びも、趣味も、すべて。」

人間には、どうしても譲れないところってありますよね。

例えば、全くの怠け者が自分の主張を突き通すのはわがままですが、

「All talk and all action」をポリシーとして努力する人は、

自分の主張を通すことはわがままだとは思わない。

そんなこんなでEric来日から6日間、わたしはEricとの結婚を考え直すことにしたのでした。

ああ、やっぱり結婚て難しいな。

違う人間が一緒に生活をするのだから、

全く同じ生活習慣であるわけないのだけど、

ポイントを抑えてお互い譲れるところ譲れないところが一致しないと、

いずれ壊れてしまう。。。。。。

そんなことを考えていました。


でも、あることがきっかけで、

気持ちが切り替わることが出来たのでした。






日本上陸。

2007-03-15 19:14:05 | 進行形の恋
トロントに着くと、ますます天気は悪くなる一方で、

風と雪で滑走路がとても見にくくなっていました。

成田行きの飛行機は飛べるのだろうか。。。。

と少し不安になっていました。

飛行機の到着は遅れに遅れ、

一時間がたちました。

搭乗した後も、翼についた氷を溶かす必要があるため順番を待っているということで、

どのくらい待たされたか、ようやく飛行機が動き出しました。

そしたら、

「氷を溶かす作業をする地点に移動中に、4つあるエンジンの一つにトラブルを示すランプがついたので、点検に向かいます。」

とアナウンスが。

しかも、その点検にどのくらい時間がかかるか未定だというのです。

外は大雪。

出発時間はとうに二時間は過ぎていました。

その間、

何も食べ物は出ませんでしたので、

お腹がすいたわたしはお土産用のメープルクッキーを食べ始めました。

そして、エンジンの不具合も解決し、翼の氷を溶かす作業を終え、飛行機が飛び立ったのは予定時刻から4時間後でした。

その間、機内でのサービスは飛び立つ数十分前にオレンジジュースが一杯。

・・・・・・


きっと、Ericは心配しているだろうな。

到着時刻を過ぎても連絡がないことに。

そう思っても、連絡する手段がありませんでした。


夜9時ごろ成田に着きました。

メールを確認すると、Ericからメールが2通来ていました。

「空港で、手を振ってのさよならはあまりにも辛いものだった。急いで駐車場に戻って涙を流したよ。空港では泣きたくなかったから。」

今でも思い出すと涙が出てくる空港でのお別れです。

そして、

「キミからの連絡を寝ないでずっと待っているよ。無事到着したかとても心配だよ。」

2通目のメールは連絡がないことを心配したメールでした。

わたしは荷物を受け取る所に行くと、待っている間に急いでEricに電話を掛けました。

トロントで飛行機が4時間遅れたこと。

飛行機の中では携帯は使えなかったこと。

今、荷物をまっていることを伝えました。

近くに聞こえていた愛しい彼の声が、

また、電話口から聞きとりにくい会話になったことで、

しばらく会えないんだな~って、

悲しくなりました。


そして、日本の忙しい生活に戻ったわたし。

あの時の気持ちの変な感覚は、もしかしたら体調を崩す前ぶれだったのかもしれません。

でも、そんなことは思いもよらないので、

帰国した翌日から働き始め、

その週末はクラブでオール、

寝ないで仕事後実家に帰り、

とにかく休まずEricを3月に迎える準備に取り掛かっていました。

しかも、また夜の4時間電話を再開していたので、

本当に寝ていませんでした。


ああ、限界。

でも、意外と持つものだな~。

なんて、思っていました。





涙の帰国。

2007-03-14 08:37:53 | 進行形の恋
外はシンシンと雪が降っています。

そして、風もありました。

滞在中、一番寒い日でした。

(飛行機、飛べるのかな)

ちょっと不安になりました。

わたしの乗る飛行機は11時発トロント行き。

一時間半前に空港に着いたわたしたちは、

その便がキャンセルになっていることを知りました。

その代わり、

一時間早い便に変更されました。

つまり、

あと30分でお別れです。


朝ごはんを食べていなかったわたしたちは、

カフェでキャロットマフィンを食べました。

わたしはずっと泣いていて、

食欲がありませんでした。

Ericは泣いているわたしに、

「僕はすぐキミのところに行くから、心配しないで」

と何度も、何度も言いました。


もう時間が来てしまいました。

ここでお別れです。

何度も何度もハグをして、キスをしました。

でも、

体が行こうとしません。

涙でぐちゃぐちゃの顔で、

何を話したのかわかりません。

一度、離れて、行きかけた時、

Ericが名残惜しそうにこちらにきました。

わたしは振り返って、

まだ戻ってハグ。キス。

帰りたくないよ。

寂しくて仕方ないよ。

重い荷物で、

フラフラになりながら、

Ericから離れました。

「I love you, I love you, I love you......」

何度も何度も言いました。

「Aishieruyo!!」

わたしの姿が見えなくなるときEricが言いました。

一度姿を消したけど、

また戻ってEricの顔を見ました。

Ericは一生懸命に笑って手を振っていました。

大きく手を振っていました。

ああ、こんな寂しいさよならは二度とイヤだ・・・・・・・・

遠距離恋愛は初めてではありませんが、

寂しさで、

死にそうでした。



やけくそになっていたわたし。

重い荷物にはちきれそうなこころ。

荷物チェックの場所で荷物をベルトコンベアに載せていると、

「荷物が多すぎる、ダメだよこれじゃ」

と言われました。

んなこと言われたって。。。

「トゥーバッグ、ワンショルダー」

どう見ても、3つの大きな荷物に2つの小さいバッグ。

しばらくそのおじさんが困っているのを見ていました。

無線で、「荷物が多すぎるから待って」と言っているのがわかりました。

おじさんは、荷物を指しながら、

「これは何?、これは何?」と聞いてきました。

「これは家族のお土産」

「これは鳥の置物」

家族のお土産と聞いたおじさんは、

はぁ~~~とため息をつきました。

どれか置いていかなきゃいけないのかな。

そう思ったわたしは、

「これは絶対に持って帰る」

と言って鳥の置物を握り締めました。

そしたら、おじさんは、

その鳥の置物が入っている袋に家族のお土産を詰め込み始めました。

そして、わたしは自分のショルダーバッグを、

もう一つのラブボッグスが入っているバッグに押し込めました。

笑っちゃうくらいに、パンパンになっていました。

無理やりジッパーを締めてたら、おじさんが手伝ってくれました。

そして、

おじさんは勝ち誇ったように

「トゥーバッグ、ワンハンドバッグ」

と言ってベルトコンベアを動かしてくれました。

それからわたしは金属探知機のゲートをくぐりました。

ピーピーピーピー

見事に音が鳴りました。

そこに待ち構えていた若者が、

「わかるね、今鳴ったでしょ。」

と大威張りで立っていました。

「手を広げて」

と言ってわたしの顔をじっとみて、

「中国人か、日本人か」

と聞いてきました。

「日本人」

すると、

「なぜ、泣いている」

「え?」

「なぜ、泣いている」

なんだ、その質問。

わたしは、

「彼がモントリオールにいて、わたしは日本に帰らなきゃいけない」

と言って、

またおいおいと泣き始めました。

もう、ひくひくいいながら泣いてしまいました。

それを遠くから見ていた荷物チェックのおじさんは、

わたしのところにやって来て、

「もう、心配しなくていいんだよ、荷物は大丈夫だから、泣かなくていいんだよ」

と。

また、わたしは「彼氏が~~~~」と説明をしながら

涙をさらにぽろぽろと流しました。

そしたら、そこにいた一同、

「Ohhhh,,,」と納得。。。。。。。。

おじさんは、若者に、

「お前が泣かせた」

と笑いながら言ってました。

若者は、

「僕は彼氏じゃない」

と笑いながら答えてました。


そこでだいぶ時間を取ってしまいました。

もう、Ericはいないんだろうな。

そう思いながら、入り口が見えるところまでフラフラ荷物を持って移動しました。

そしたら、

そしたら、

愛しのダーリンは、

まだそこでわたしを待っていてくれたのです。

ああ、、、、、、、、、、、

わたしは一生懸命に手を振りました。

涙でぼやけていましたが、

Ericも一生懸命に手を振っていました。

これで、

本当に、

バイバイなのね。。。

わたしは、トロントに着くまで、

ずっと泣き続けていました。

わたしの中で、Ericの存在の大きさを、

本当に痛感したのでした。


空港へ。

2007-03-13 10:49:31 | 進行形の恋
わたしは一睡もしないで支度を始めました。

ダーリンはほんの少しの睡眠をとっています。

8時には家を出なければならないので、何度も起こしましたが、

起きません。

でも、何とか自分で起きてきてバタバタと8時半には家を出ることが出来ました。

ダーリンは、ヘビー級の荷物を抱えてアパートの下に降りていきました。

外は滞在中で一番寒い日でした。

喘息持ちのダーリンはぜーぜー言っています。

「ここで待っていて、車を近くまで持ってくる」

雪がぱらつく恐ろしく寒い外にわたしを出さないように、

一生懸命に動く彼。

帰りたくなくて、寂しさが込み上げてくるのでした。


「寒い、寒い」

そういいながら戻ってきたEric。

荷物を運び、「ベイビー、早く車に入って寒いから」

とわたしを車に入れ、

自分は車にスーツケースと他の荷物を詰め込みました。

あまりの寒さに後ろのドアが開かなかったんです!

運転席に乗り込んだ彼を見ると、

鼻水が垂れていました。

ゼーゼー言いながら、鼻を垂らしている彼に

わたしはごそごそとティッシュの準備をしていると、

それを見たEricは、

「鼻、垂れてる?」

と鏡を見て言いました。

わたしがティッシュを用意するときは、

Ericの鼻がでているときか、涙が出ているときなのを知っているからです。
(あまりにも乾燥しているので、涙が出てしまうのです)

こんなことをしてあげられるのも、今日が最後なんだな~。

そう思うと、わたしは悲しみの涙を止めることが出来ませんでした。

車の中で、

ずっと泣いていました。

ずっと、ずっと、泣いていました。







前日。

2007-03-12 09:07:54 | 進行形の恋
明日、日本に帰ると思うと、

車の中で涙が止まらなくなりました。

声を出さずに涙を流して、

それを知られないように窓の外を見ていると、

「ベイビー、どうしたの?」

「泣いているの??」

Ericは、わたしの左手を握り締めて、

「一ヶ月後に僕が日本に行くからね、あっという間だよ」

とわたしを慰めてくれました。

流れていく景色を見ながら、

たった1週間の滞在で、

しかも外はマイナス十何度の世界なのに、

モントリオールがとても安らげるところになっていました。

周りには日本車ばかりだったこともあると思いますが、

日本に居る時の感覚と変わらない、

それ以上に居心地がよかったのです。

日本の生活をすっかり忘れていました。

家に戻ったら荷物をまとめなくてはいけません。

寂しくて、寂しくて、

涙は止まりませんでした。


結局家に戻ったのは夜中。

遅い夕食とわたしが帰った後にEricが食べれるようにと保存食を作り始めましたが、

「ベイビー、ちょっとこっち来て」

何度も彼に呼ばれてそばでパソコン観賞(汗)

パソコンで、音楽のダウンロードをしていました(笑)

「ダーリン、食事作らないと、、、」

とキッチンに戻ると、

また、

「ベイビー、見てごらん、はやく、はやく」

と呼ばれ、またパソコン観賞。

ちょっとでもわたしが動くと、

「どこ行くの」

と。(笑)

そんな、こんなで、

真夜中の夕食をやっとこ食べられました。

保存食も出来上がりましたが、

パンプキン丸ごと一つと、

ニンジンが、

中途半端に残ってしまいました。

本当は茹でて煮付けにしたかったのですが、

ダーリンはわたしをキッチンに留めておきません。

荷物の整理も終わっていなかったので、

そっちに取り掛かることにしました。


軽くなるはずの荷物は、

つめきれず、

スーツケースの他に、

家族のお土産の袋。

大きな木の置物。

手提げの大きなバッグ(この中にラブボックス2つ)。

マムから貰ったバッグとショルダーバッグ一つ。

これが精一杯でした。

Eric宅には、入りきらなかったヘアーセットと化粧水他、

ナイキのスニーカーも置いていきました。

これまた、ヘビ====!!

気合で持って帰りましょう。

荷物が出来たら、

今度は、

ダーリンたら、

午前3時半だというのに、

「いつもはしないんだけど」

と言いながら、

ラップトップ内蔵のなにやら簡単なゲームを始めました。

テトリスとは違うのですが、そんな感じのゲームです。

わたしもゲームは一切しないので、

彼の背中にくっついて後ろから見ていると、

「ハニー、揃うのを見つけたら教えて」

と、一緒にゲームを楽しみました。

ちょっとでも離れようとすると、

「どこ行くの」

その時のEricはまるで子供のようでした。

母親に子供時代甘えられなかったその姿が見えました。

そして、そんな彼がとても愛しく感じました。

結局、わたしは一睡も出来ませんでした。

翌日は朝8時には家を出なければなりませんでした。






お土産。

2007-03-11 10:11:30 | 進行形の恋
日本からのお土産をたくさん持って行っていたわたしは、

(帰りはお土産がない分かなり楽だな)

と思っていました。

エアカナダに持ち込める荷物は、日本でネットで調べた時には、

「規定のサイズのバッグ2つ」「ショルダー類は数に含まれない」でした。

しかし、エアカナダの搭乗口で、「バッグ一つ」と記載されていて、

心配して日本人スタッフに聞いたら、

「その位の荷物なら大丈夫でしょう」

と言われてホッとしたのでした。

行きに筋肉トレーニング並の重い荷物を持って行ったわたしは、

モントリオールに着く頃には全身筋肉痛でした。(涙)


Ericの部屋に入り、日本のお土産を披露。

これはダーリンの、

これはマムの、

これはシスターズ、

これはあなたの友達だれでもいいよ、

日本食の調味料あれこれと、、、、、

重かった。。。。。。。。

と、

Ericから、

「キミにジャマイカのお土産があるよ!」と。

持ってきたものは、

大きな、大きな木彫りのすばらしいオウムの置物。

(で、でかい!!)

置物はとっても素敵でわたしの大好きなテイストでした。

しかし、

その大きさと重さに、

(これ、持って帰るのか・・・・・・)

そして、

彼のスウィ~トなアイデアで、

「ラブボックス」なるものを貰いました。

2つの箱がありまして、

一つには小さなメッセージの書いたメモがぎっしり入っています。

毎朝一つとって、僕のメッセージを読んだらこっちの空の箱に入れてね。

全部、手書きで違うメッセージが書いてあるからね。

う~~~~ん、ロマンチック!!!!!!!

って、でもこの箱2つ、

どこに入れて持って帰るの~~?????


帰りの荷物はどうなることやら、

でも、

鳥の置物といい、

ラブボックスといい、

わたしを喜ばせるために彼が一生懸命に考えてくれたことが

とっても嬉しかったです。

しかし、

その鳥の置物、

ジャマイカはとっても暑くて湿度が高い国。

カナダは寒くて乾燥している国。

そのために、

木が乾燥して何本も亀裂が入ってしまっていたのです。

それを見た彼はとってもテンションが下がってしまい、

「I'm unhappy...」

「心配しないで、わたし、これ直せるよ。日本に戻ったら直すから」

こればっかりは、気候の違いなので仕方ないことですね。

実際、日本に帰ってきて体調が崩れる一週間前に中にパテを埋めて直しました。

それから体を壊してしまったので色を塗ることが出来なかったのですが、

ついこの間、色塗りも完成しました。

出来上がってみて、

自分でもその才能に惚れ惚れ(笑)

すばらしい、仕上がりです!

そして、その鳥の置物の技術の素晴らしさを再確認しました。

一本の木に、オウムが3羽止まっている木彫りですが、

彫るのはとっても難しいのです。

(昔、趣味で平面に木彫りをしていたのでよくわかります)

そして、その鳥の色使いは、

黄色とブルーで時折グリーンのコントラストで

イメージ上の鳥ですがわたしのテイストにぴったりです。

見れば見るほど、愛着が沸きます☆

聞けば、最初は色はなく、木のままだったそうです。

でも、わたしはルリコンゴウを飼っていて

その色が「黄色とブルー」だから、

Ericはお店の人に、

「この置物、黄色とブルーに塗っておいて」と

頼んだそうです。

ですから、そのお店の人のイメージでペイントしたのでした。

へ~~~、グッド・ジョブ!!!!

ダーリンが日本に来たら、

壊れてしまった鳥の置物が、素晴らしくよみがえっていることにとっても驚くでしょう。

きっと、たくさん褒めてくれると思います☆

楽しみだな~~~~。





彼の友達。

2007-03-10 11:33:51 | 進行形の恋
総勢20人の友人に会いました。

Ericも思いつきで行き成り予定が決まるので、

毎日帰りは夜中になってしまい、

それから夕食を作って寝るのはいつも明け方。。。。。


Ericの友達は誰もが同じ質問をしてきました。

「モントリオールはどう?」

「彼は(メールと)同じ人だった?」

そして、誰もが同じことを言いました。

「彼はいつもいつも君のことは話しているんだよ」

「彼はとってもいいヤツなんだ」

中には、明らかにわたしに興味を持っている人もいました。(笑)

目つきで分かります。(笑)

六本木に居る怪しい外国人と同じ目つきです。(笑)

そういう人は、してくる質問が違います。

「誰か、日本人を紹介して」


Ericの本当に親しい友人の一人、Juniはとても紳士で穏やかな人でした。

Ericがわたしが寝てばかりいることで怒ったことを話したら、

Juniは、「そういう時は、バケツの水をぶっかけて頬を叩いて起こすんだよ」

って教えてくれました。

大切な旦那様にそんなことは出来ません~~~~~。

Juniは今彼女が居ません。

ふくよかな人が好みらしいです。

わたしの友達が国際恋愛オッケーであれば紹介したいくらいです。

でも、超遠距離恋愛ですが。。。


Ericは友人に会うたびに、

「彼女はとってもおとなしいんだ」

と言っていましたが、

言葉がついていけないので、おとなしくせざるを得ないのでした。

なぜか、Eric以外の人に話しかけられると、

英語が分からないのです!!!

そして、言葉が出てこない!!!

だから、隣でニコニコただ笑うだけ。

Ericのアクセサリーと化していました。(笑)

「みんな、キミのことを好きだよ」

今でも電話はそう言ってくれます。

モントリオールの生活、たった1週間でしたが、

とっても恋しいです~~~~~(涙)




体調不良の原因は??

2007-03-08 19:28:44 | 進行形の恋
ご心配お掛けしました。

ようやく、良くなる兆しが見えて来ています。

最初の発端は2月17日の左下腹部の痛みからでした。

いつもの排卵痛だろうと思っていたのですが、何かが違うと感じました。

そして、19日に不正出血。

それと同時に左腹部全体が筋肉痛のような痛みで夜には身体を伸ばすことすら出来なくなりました。

その夜は痛みのために眠れず、寝返りを打つのもやっと、

翌日には歩くと痛みが響くような状態。

婦人科では異常なし。

そして内科へ。

腹部の痛みは、夜にとてもひどくなるのですが、その時は日中も間欠的に搾り出すような痛みでもがき苦しむといった感じでした。

物を食べた時にも刺すような鋭い痛みが左腹部を襲い、

痛みに耐えるために身をかがめてじっとしているしかありませんでした。

病院では、血液検査、尿検査、レントゲン、超音波、CT、大腸内視鏡、

すべて検査しました。

炎症を表すCRPという値が、通常0.3以下であるはずなのに、

5.6、8.0、12と痛みが腹部のあちこちに移動するたびに上昇していきました。

それ以外、これという異常は見つかりませんでした。

CRP12というのはとても危険な状態だと言われ、

入院をすすめられました。

そして、この説明のつかない状態がある一つの免疫介在性の病気の疑いがあるということで大学病院に回されました。

そのときは、鋭い痛みは腹部全体にあり、

その時によってあっちこっちに移動する状態でした。

結局、大学病院に行って入院と言われた日の血液検査でCRPが5に下がっていたので、入院はカンベンしてもらいました。

その翌日、つまり今月4日からあの激しい痛みがす~っと引き始め、

今、まだ痛みは残るものの激痛で眠れないという状況はなくなりました。

そして、日に日に痛みが終息していることが、

生きる気力をまた沸き立たせてくれるのでした。

本当に、辛かったです。

原因は結局わかりませんでした。大学病院でも、、、、

腹痛は、お腹は下らないし、吐き気もありませんでした。

内視鏡で潰瘍もありませんでした。

多分、極度の疲れとストレスで、

身体の均衡が保てなくなったのかなって思っています。

その位、体力の限界を感じるほど無理はしていたのは自分で分かっていました。


体調を崩すなんて自分にはないと思っていました。

今回、これほどの思いをして、やっと自分の生活を見直そうと目が覚めました。

そうじゃなかったら、今でも無理していたと思います。

そして、今回のことで、

わたしとEricの絆がさらに深まりました。

原因不明の状態で、ましてや大きな病気の可能性があるとわかったとき、

わたしは「わたしたちの将来を見直さなければいけない」と彼に言いました。

このままわたしが回復しなかったら、Ericに迷惑をかけるだけだと思いました。

3月に日本に来ても、何もしてあげられないし。。。。。。

しかし、彼は一番わたしが痛みに苦しんでいる時に、

日本行きのチケットを買いました。

そして、「バカなことをいうんじゃない」と言って、

わたしを毎日電話で元気付けてくれました。

「何があっても僕達は一生一緒なんだ」

「僕達の計画になんら変わりはない」

「キミをケアーするためだけに日本に行くよ」

「You are my deam...Do'n forget that」

状況があまり良くなかったとき、

病院の帰りに電話がなりました。

わたしの状態が良くないことで、わたしを失うかもしれないと思った彼は、

わたしの「ハロ・・・」という弱弱しい声を聞いて、突然電話口で声をつまらせました。

「どうしたの?何かあったの??」

彼は言葉になりませんでした。

「泣いてるの?心配しないで、わたしは大丈夫だよ」

大丈夫と言いながら、

わたしの状態は、良くなったと思ったら痛みが別の場所に現れたりと、

わたし自身、「このまま良くならないんじゃないか」

と不安に思っていました。

でも、こんなにわたしを心配して苦しませてしまっているということに、

(なにがなんでも良くならなくちゃ)

と思いました。

それが、4日にすーっといい傾向に向かったことで、

今、わたしとEricは本当に安心しています。

今回のことで、

わたしは彼の一生懸命な姿に、

本物の愛を感じました。

こんな状態になっても、わたしを精神的にサポートしてくれて、

頑張る力をくれた彼は、

神様が贈ってくれた運命の人なんだな~って

再確認しました。

本当に、ありがとう。

わたしたちの絆はさらに深まりました。

そして、

もう少ししたら、

Ericは日本にやってきます!!!!