Right and Wide

シンガー・ソング・ライター田中正浩の素顔

2つのリサイタル

2023年05月21日 | 記事

この1週間に2つの≪特別なリサイタル≫があった。何が特別かというと、会場が同じという偶然もさることながら、どちらも≪教え子≫という点である。≪教え子≫と言っても僕は音楽の教師ではないのだが。

中川優芽ソプラノリサイタル(5月14日Sun)

 

「京都民報」5/14にも告知が掲載さていたのだが、僕が知ったのはK氏の投稿からだった。1993年3月にN中学校を卒業した中川優芽さんは学年ピカイチのリーダーだった。勉強もよくできたし、とにかく歌は上手だった。当時、宇治市少年少女合唱団でも活躍しており、その指導者だったK氏に招待券を譲り受けて2人で車に乗って会場に向かったのだった。事前にチラシを読んでいたので優芽さんの病気のことは頭に入っていたが、国指定の難病(視神経脊髄炎)ということで、完治が難しいということは分かった。5年前に亡くなった僕の母も国指定の難病だったから。
開演して現れた優芽さんは電動車椅子に座っていた。慣れた手つきで車椅子を操作して舞台中央に収まると、妹さんがスカートの裾を整えてくれた。この光景はリサイタルの間、何度か繰り返されたが、その都度、姉妹の堅い結びつきを感じさせるものだった。
リサイタルは優芽さんの独唱とピアノ独奏が前後半それぞれ交互に演奏された。ドイツ歌曲を歌い上げる優芽さんの姿は自信に満ちており、病気と付き合いながらどれだけの練習を重ねてきたのだろうと思いつつ、また、座位であることのハンディも乗り越えた綺麗で伸びやかな歌声にうっとりとさせられた。
そしてプログラムが終了し、何度かのアンコールの最後に歌った「おかあさん」は思わず僕の涙を誘った。後で聞いたのだが、当のお母様にとってもこの選曲はサプライズで、練習しているのも知らなかったそうだ。
(左から)筆者、中川優芽さん、K氏

宮國香菜ピアノリサイタル(5月20日Sat)

2013年3月にH中学校を卒業した宮國香菜さんは高校、大学の音楽科、そして大学院の音楽研究科修士課程を修了した新人ピアニスト。中学2年の時に僕が担任をした。あの年度を最後に学級担任からは遠ざかっている(ずっと進学主任を務めている)ので、最後に担任した教え子。だから殊更印象深い。香菜さんは何事にも誠実に取り組み、もちろん成績も優秀だった。杏菜の1つ下の学年であり、ヴァイオリン演奏会にも来てくれた子で、立派に成長して堂々とした演奏を披露してくれた。こんな優秀なピアニストに合唱コンクールの伴奏をしてもらっていたなんて、今から思えば贅沢なことだ。
こちらのコンサートには1人で出かけたが、行ってみると香菜さんの3年の担任だったO先生や、当時の同級生たちも来ていて、演奏会終了後のロビーはまるでプチ同窓会の様相を呈していた。
(左から)香菜さんの弟、宮國香菜さん、筆者

たまたま同じ週に同じホールで開催された演奏会。どちらも≪教え子≫だが年は20年も離れている。(よくもこんなに長くこの仕事をやっているものだとしみじみ思う。)そして、それぞれの状況は全く違う。当然、音楽に対する思いも、リサイタルを開く意味もそれぞれに違うだろう。(比べるのも恥ずかしいが、僕自身も「ミュージシャン」の端くれとしての自負は持っている。)それぞれのご両親ともお話ができた。いわゆる親の七光りでない限り、この国で音楽を続けることの難しさは音楽家を目指す子の親なら誰もが実感していることだろう。(杏菜もロシア~スペイン~ドイツと修行を続けている。)


そして2つのリサイタルの余韻覚めやらぬ今日、僕はグッデイの部長兼ベーシストとして「第25回やましろ健康まつり」に出演しました。即席野外ステージは直射日光で暑い中でしたが、楽しく演奏することができました。コロナは5類になったけど、まだやっぱりマスクを外せないなど、完全に元通りじゃないです。けど、できるだけ積極的に活動していこうと思っていて、毎月の練習も頑張ってます。なので、宇城久地域の民主的な団体の皆さん、どんどん声を掛けてくださいね!

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 歌をつくるセンス | トップ | ソプラノ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。