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耕運機入札♪

2010年05月20日 | Weblog
横浜は今日、昨日からの雨が降り続き
当分止みそうにありません


遂にネットのオークションで耕運機を落札しました♪

新潟の義父の畑で使うためです

僕の腰が痛まないように・・・・・

というわけではありません

義父ももう80歳鍬で畑を耕すのがあんなにも大変なものなんだと
先日、いやというほど思い知らされ

隣の家から借りてきた
小さい耕運機の楽なこと♪

小さいといっても、一輪車に乗せて返しに行ったのですが
かなり大変

自分の耕運機なら畑の横にビニールかけておいておけるし・・・・

ということでこの前新潟に行ってから連日オークションを見ていました

たくさん出てるんですね

いままで、見たことないジャンルだったのですが

毎日 毎日
その日に終わる分だけ見てもかなりの台数が・・・・

小さい耕運機はやはり人気で
それなのにたくさん出品されていて

今が需要のピークなのでしょうか?

やはり、農閑期に落札すれば安いのかな~?

ネットオークションをご利用でない方・・・・
たとえば、のりこちゃん・・・・

今日落札できたのは終了時間が
昼間の10時30分ころだったから・・・

大抵、夜の10時ころに終了の品物が多く

自分の出せる最大の落札金額を入れて
パソコンの電源を切ってしまいます


朝起きて、お店を開けて
パソコン開いて
落札できたのかな~?

と、楽しみに開くのですが
毎日、遥かに及ばないときも
わずか数百円違いで落札できなかったことも・・・・

今日は、昼間でしたのでのりこちゃんとパソコンの画面を見ながら

入札金額を入れると
最高入札者です

とうれしい画面が

ところが終了間際に他の人がそれよりも高く入札すると・・・・

時間も延長されます・・・・

今回の耕運機は 500円単位でしたので

あと、500円ならいいか

の繰り返しで

気が付けば当初の予算より
3000円ほど高くなっていました

それも、500円のマジックでしょう

のりこちゃんにいくらまで出す?

と、しつこく聞き
あと500円くらいなら

いや違う、ちゃんと、予算を決めないと500円だから・・・・
500円だから・・・・
500円だから・・・・


と、ずるずる、相手のペースに引き込まれちゃうよ

と、最後の500円予算を上げたところで
終了時間が来るのを祈るような気持ちで待っていました

ふゅー

やっと落札できました

これで父の日には新潟に着くでしょう♪


祈る???



昨日ここに書かせていただいた
コベル先生のことがその後も気になりネット検索をしていたらこんな記事を見つけました


コベル先生は日本軍に銃殺される前に
日本人の平和について30分も祈ってくださったそうです


僕がそんなことで祈っていけはいけないんですよね・・・・。反省


赤羽教会礼拝説教集

のなかに収められていた文をそのまま貼り付けさせていただきますと・・・・

今から約90年前、アメリカからバプテストの宣教師コベル先生ご夫妻が日本に来られました。
関東学院で学生、生徒たちを教えながら、伝道されていましたが、
1939年、戦争反対を叫んで軍国主義日本から国外追放され、
フィリピンに渡られました。そして太平洋戦争が始まります。
日本軍がフィリピンを侵略し、コベル先生のおられたバネイ島にも上陸してきます。
先生たちは村で女性や子どもが捕らえられ、殺されるという噂を聞かれました。
先生たちは、女性や子どもを処刑すべきではないと訴えられました。
先生の持ち物が調べられ、何と、携帯ラジオを持っていたのが、
米国のスパイであるという嫌疑となり、先生も銃殺されたのです。
1943年のことです。
しかし、この出来事は悲劇では終わりませんでした
。先生の死が多くの日本人に救いをもたらしたのです。
その中にあの真珠湾攻撃の司令官・淵田美津夫大佐もいます。
終戦後、淵田大佐の下に捕虜収容所を釈放されたかつての部下が訪ねて来ました。
そこで彼らから驚くべき話を聞きました。
収容所が天国のようだったというのです。
そこに一人の白人女性が働いていました。
その名はマーガレット。
彼女は日本人に食料品や薬を差し入れ、身の回りの世話をして彼らを励ましたというのです。
あまりよくしてくれるので彼女に、
「何故捕虜の私たちにこんなによくしてくれるのか」
と尋ねると、彼女が答えました。
「私の両親は日本で20年宣教師として働き、
その後、フィリピンで日本軍に殺されました。私は日本を憎み、日本人を憎みました。
しかし、両親は処刑される直前、30分間の祈りをささげたというんです。
何を両親が祈ったか、考えました。
そして、それは決して日本人を懲らしめて下さいというのではなく、
最後まで日本を愛して、自分たちを殺そうとする日本人の救いを祈ったにちがいないと思ったのです。
だから、両親が最後まで愛した日本のために自分も働いているのです」。
そう、彼女はコベル先生の長女です。
そして、妹のアリスも、自分の給料を日本人の救いのために捧げて下さっていました。
彼女が日本語の聖書を持ってきてくれたので、
彼らはキリストを信じてクリスチャンになったというのです。
淵田大佐はその話を聞いて、自分も渋谷で聖書を求め、貪るように読みました。
そして、「父よ、彼らをお赦しください。
自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23章34節)という主イエスの祈りを見つけ、
彼もクリスチャンとなる決意をしたのです。やがて、聖書を読み教会に出席しているうちに、
自分の罪を贖った主イエスの救い、神の愛を悟ったのです。
 その後、淵田大佐は神学校で学び、牧師となりました。
そして、再び真珠湾を訪れました。
あの真珠湾攻撃の司令官が牧師となって真珠湾にやってきたということで、
世界を駆けめぐる大きなニュースとなりました。
 自分たちを国外追放し、スパイの嫌疑を掛けて処刑しようとする日本を愛して最後までその救いを祈られたコベル先生ご夫妻、
その両親を殺した日本兵を愛して働いているマーガレットとアリス、
彼らを通してクリスチャンになった日本兵、そして淵田大佐。
そこには主イエスの平和と愛がありました。主イエスは、
暴力に打ち負かされない平和と愛をお与えになりました。憎しみも愛に変えるのです。

なんと、昨日、ここに載せさせていただいた
コベル先生のクリスマス・新年のはがき に写っていた
お嬢さんが ご両親を殺してしまった日本人なのに
戦後日本人のためにご尽力いただけたという話を読み
本当にすばらしい一家なのだな
と、改めて思いました


関東学院には他にも先生の名前を冠した部屋があります

講堂はグレセット

今、ざっと
グレセット
という名前で検索しても・・・・この一文しか出てきません

グレセット先生は戦時中も日本に残り、戦後マッカーサー元帥に占領政策の進言をした宣教師。


僕たちが学生のころのグレセット講堂の入り口左右に

左右???

グレセット先生のレリーフがあった

左右どちらかがグレセット先生で
もう片方は誰だった?



中学生になる12歳から高校卒業18歳までの6年間
すばらしい学校で学ぶことが出来たのに
僕に何が残り
何を心の中で育てているんだろう







コメント
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