銀河夢急行

公共交通の話題を中心に、幅広く取り上げます。
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名古屋の地下鉄、もともとは単なる高速電車、高速度鉄道の意味合いが強かった??

2022年07月24日 15時44分00秒 | 交通一般

名古屋市営交通は来る8月1日(月曜日)に創業100年、また日本🇯🇵の鉄道自体も10月14日(金曜日)には創業150年を迎えます。

さて、名古屋市交通局では公式サイトの中に創業100年企画コーナーが特設され、その歴史をモノクロあるいは天然カラーの写真を交えながら紹介していますね。

そのうち、戦前から構想があった地下鉄の建設。しかしながら、昭和25年から42年頃にかけては地下鉄道というよりは、今のあおなみ線のような単なる高速電車とか高速度鉄道というような意味合いが強く、名鉄、旧国鉄、近鉄(当時は一般狭軌)との大胆な相互乗り入れ計画が程なくご破算になり、今の東山線、名城・名港線のような車両、線路規格になった後も、暫くの間はその傾向が続いていたようですね。

昭和32年11月に当時の名古屋~栄町間が開業し、名古屋市交通局はすぐに栄町~池下間の建設を何と当初は高架線で進めようとしていました。どうやら、今の錦通(武平町付近~池下駅前間)の真上に高架線を造ろうとしたようだ。理由としては、この区間は地下埋設物が余りにも多すぎて、地下トンネル🚇️の建設は困難と判断していたとか。この建設方法ならば、鉄道事業法の免許よりはむしろ軌道法の特許申請の方が遥かに楽だったに違いない。

しかしながら、沿線住民からは、あくまでも地下式にしろとの強い声。結局、市電のうち覚王山~東山公園~星ケ丘間を当分の間、運休と“誤魔化す”形で地下埋設物の移設期間に充てたようにも私自身は思えるのだが。言っちゃあ、悪いのだが。うん。

結局、市電(1、2系統)は復活しませんでしたが、線路や架線の一部分は残したままで、開削工事を構えていたように記憶しています。あの電車代行路線のモダンなスタイルのツーマン専用車の姿も懐かしいのだが。さては、一時運休を上手に装っていたのかも。

そのせいか、東山公園~覚王山間は初めてのシールドトンネル区間になりましたね。

最終的には一社~藤が丘間だけは高架式にはなりましたが、今の高層団地や民家の建て込み具合や、リニモの藤が丘駅は地下式になったこともあり、この区間も何とか地下式に出来なかったか?と悔やまれますね。

次に名城・名港線。こちらは、さらに複雑な問題があり、市役所改め名古屋城~大曽根間は当初の計画では土居下~清水~尼ケ坂~森下経由だったらしい。名鉄瀬戸線と全く重複するわけで、名鉄瀬戸線そのものをすべてバス輸送に転換する案とか、瀬戸線の全体規格を今の名城・名港線と同様にして相互乗り入れさせる案も一時はあったようだ。しかしながら、名古屋市交通局は将来の環状運行を理由に猛反対。結局は、名城線は名城公園~黒川~平安通経由に変更し、名鉄瀬戸線は独自に近代化して貰うことになりました。今の4000系や喜多山駅付近の高架化事業は、まさしく、その集大成だろうね。

さらに、金山~名古屋港間も計画当初は日比野~東海通経由ではなく、何とJR貨物・名古屋港線と横付けに高架線を建設する予定でした。金山駅から暫くは地下線に、恐らく当時の白鳥市場駅付近で外に出る形だったのだろう。

こちらも、東海通新幹線の建設や高層団地などの乱立などにより、用地の取得は不可能に。

もし、予定通りに高架式だったら、それこそ名港ららぽーと西口駅が出来ていたのかもしれないね。(微笑) また、その辺りから分岐して、飛島村ないし弥富市南部にも名港線の枝線が延びていたのかも。もし、この東名古屋臨港線が近い将来、本当に廃止になるようならば、名古屋市はその路線の有効活用も真剣に考えるべきだ。

また、東山線は高畑駅からさらに高架線で南下させ、汐止もしくは西稲永まで伸ばす構想もかつてはありましたね。まあ、今はあおなみ線があるから、発展的に計画は解消。欲を言えば、あおなみ線の最寄り駅までは僅かに延ばして、連絡させたらどうか?

鶴舞線でも、名鉄豊田線や犬山線への相互乗り入れが決まった当時は、塩釜口駅の東付近~赤池間は高架式や掘り割り式の採用も考えられていたそうです。

……………この特設サイトには市電や市バスの歴史も。市電では、私自身さえ全く知らなかった古井ノ坂~矢場町線(?)のことや、真後ろのビューゲルを高々と上げていた連節電車(2700形)、あの社交会館が最盛期だった頃の柳橋界隈を走るツーマンバスの60系統・島田一ツ山行き、ワンマン改造に備えてかZパンタ化されたばつかりの1400形(62系統・大門通始発の瑞穂通三丁目行きかな? 今の瑞穂区役所の筈だが……)のカラー写真も。まだまだ高度経済成長時代でしたが、市電のほかに、市バスでも長大路線はそろそろ陰りが見え始めたか。

この写真を見るたびに、少なくとも桜通線の稲葉地延伸だけは強く望みたい気持ちだね。中村区役所自体の本陣移転ならば、尚更だ!! そうでないと、名古屋~太閤通間のさらなる経営悪化は、まず間違いなかろうから。うん。かつては、あれだけ連節電車が走っていたではないか!!??

あの2系統(稲葉地~東山公園間)は近代的な1800、1820形も目立ったが、連節電車は2700形が主役でしたね。しかしながら、栄町~今池間の廃止時までには連節電車は広小路通からは姿を消して、すべてZパンタ化。東郊通や外堀通、瑞穂通とか昭和町通などに活躍の場を移しました。せっかくZパンタになったからワンマンカーとして何とか使えなかったか?と悔やまれますね。しかしながら、1300、1800形同様にワンマン運行には不向きと判断されたらしく、昭和45年3月には連節電車は姿を消したようです。


名鉄、今後の車両展望………6000系淘汰、一区切りに寄せて

2022年07月24日 06時58分39秒 | 鉄軌道

名鉄の6000系淘汰は、まず瀬戸線では6032F、そして本線系では確か6022Fから始められたと私自身は記憶しています。但し、具体的な時期までは残念ながら覚えていませんが。

しかしながら、中でも比較的新しい編成から始まった印象も。やはり、都市型ワンマン運行区間の拡大促進が深く関わったか。

中でも6001~6005Fは本投稿時点で車齢45歳半余りになりますが、ワンマン運用対応済みのこともあってか、主に三河線を中心に活躍中。まだまだ廃車の気配は全くありませんね。

また、ある筋の噂によれば、9100系の増備は今回投入の9107Fをもって、ここ暫くの間は休止になろうとの見方も。次の増備は、三河線用のワンマン編成から廃車が出る時かもしれませんね。

ちなみに、6500系でも初期の鉄仮面型(6501~6517F)や同じく6800系(6801~6808F)はいまのところリニューアルの動きが特にはなく、今後の9500系増備編成は6500系の初期型の取り換え用になるとの見方が支配的になりつつあるようだ。

昭和59年2月の6500系デビュー当時は、あの界磁チョッパ制御機器もまだまだ高価。また、ステンレス車体とか電気指令式ブレーキの採否も検討されたが、周囲は6000系や5500系、それに7000、7700系も多く、特に7700系、5500系との万一の連結運用も考慮してか、ブレーキ構造の変更は見送られたらしい。

私自身が思うには、来年以降は6500系前期型の淘汰→その編成分は9500系に取り換え、6500系後期型の全面リニューアルかつワンマン対応化に力点が置かれそうな気がしますね。

また、そろそろ蒲郡線や広見線末端部の6800系中期型への更新が具体化するのかも。あるいは、その一部に3100系も充てられるかな?