翻 身 Fanshen

いつの日か『翻身』を遂げる事を夢見て
歩き続ける想いの旅。

当番医

2004年09月20日 | 日記

昨晩、突然家族の具合が悪くなり、急遽当番医へ駆け込んだ。
病院に着くと、待合室には私と病人(家族)の2人、20代後半のお兄さん1人、私達のすぐ後に来たご夫婦2人、の3組だけ。
休日当番医にしては意外と患者も少なく、すぐに順番は廻ってくるだろうと安心してしばらく待った。
受付の人からもfanshenさんは2番目ですよと聞いていた。

しかし、30分待っても1時間待っても、誰一人として名前は呼ばれない。
当番医にのんびり診察にくる人なんておらず、誰もが「何とかしてこの痛み(苦しみ)から逃れたい。」と切に思うからこそ、駆け込んでくるのだ。

いったい、いつになったら医師は診察してくれるのだろう・・・。
私は少し不安になり、受付の人に決して強い口調ではなく、優しく訊ねてみた。
すると、救急車が着たので、そちらの処置を優先していて、窓口の方は後回しと言うではないか。
でも家族の症状はそれほど深刻ではなかったし、自分が同病院に5月に救急車で担ぎこまれた事を思うと、それ以上は突っ込めなかった。

ふと受付上方の壁の貼り紙を見ると

「当番医の時は、予約は受け付けておりません。当日の受付の順番で診察を致します。
 病状やお体の具合を優先する場合や、検査などで順番が前後することもございます。」

(みたいな内容が)書いてあった。

このままでは私の家族は(一見深刻そうな状態ではないので)後回しにされてしまうかも。
受付順から行くと、隣に座る20代後半のお兄さんが一番、私の家族が二番目だ。
最後のご夫婦も含め、私の家族より元気そうな人はいないか確かめた。

すでに2番目は確保しているのだから、狙うは1番目。
隣に座る1番目のお兄さんの元気の度合いが1番の座を獲得するカギである。

私はもうこれ以上は待つのはごめんだ、(お兄さん、順番譲ってよ)とつい心の中で言ってしまった。
みなさんは、こんな私を冷たい人間だと思うでしょうが、そう言いたくなるのには、訳があるんです。

待合室では確かにみんなとても辛そう。
でも、20代後半のお兄さんの様子は他のそれとちょっとだけ違っていた。
ずっと下を向いて、たまに肩をピクとさせているだけで、他は健康な人にしか見えないのだ。


(・・・)

(嫌々まさかね?それで当番医までこないでしょう・・・)

(でも・・・もしかして!)



私はじーっとお兄さんの様子を窺った。
付き添い人が誰もいない、体温も測らない、ピク、ピクと小刻みな肩の動き。
たまにこぼれる「ヒッ」という声。
間違いない。お兄さんはしゃっくりが止まらないのだ。

私の頭の中で「しゃっくり VS 家族の症状」の対戦が始まった。
でも、「辛さ」の面ではお互い様でも、「深刻さ」の方面からだと、どーしても
「アンタ、たかがしゃっくりじゃない(笑)」と笑いまで込み上げてきてしまうのだ。(残酷な私)
そんな背景があっての、前述の心の声である。


と私の家族はイキナリ、

「お兄さん、あなたしゃっくりが止まらないの?」

なんてストレート且つ無神経な質問。
私の家族は一人で待つお兄さんを気遣っての言葉だったらしいがそれにしても、直球過ぎる。

話によると、そのお兄さんはまる二日間、しゃっくりが止まらず、もう体も心も何もかもが疲れ果ててしまい、病院に駆け込んだらしい。
みんな辛そうな患者さんだらけの待合室。自分もとっても辛いのに、でも駆け込んだ原因はしゃっくりが止まらない
出来る事なら自分も「高熱」か「急性胃痙攣」など派手な病状でその存在をアピールしたかったに違いない(?)。きっとお兄さんはその場に居辛かったのだろう。またしゃっくりを隠すことで必死だったはず。
ずっとうつむいていたのも、貼り紙の文面を読んで、「しゃっくりは後回し」なんて事になったら大変だからだ。

そう思った瞬間、例え看護士が私の家族を優先してくれたとしても、「一番目はしゃっくりのお兄さんにしてあげてください。」と言える仏心が湧いてきてたfanshen。
でも、私がそんな言葉を言うまでもなく、順番通りお兄さんは診察室に呼ばれて行った。
診察室近くで待っていた家族の話だと、お兄さんは医者に「あなたここは救急だからね。しゃっくりでは人は死なないから、大丈夫。」と言われていたそう。
そして、やっぱり肩をヒクッとさせてながら、しゃっくりのお兄さんは帰っていった。

結局、私の家族も駆け込んだ時の症状とは裏腹に、何も悪い所はなく、むしろ3番目でいいくらいだったのだ。
今朝の朝食の話題は、しゃっくりのお兄さんが気の毒だ、あのしゃっくりはもう止まったか、であった。