翻 身 Fanshen

いつの日か『翻身』を遂げる事を夢見て
歩き続ける想いの旅。

解禁したのはボジョレー・ヌーボーだけ。

2004年11月20日 | お酒

せつない・・・。
昨日、世界でボジョレー・ヌーボーは解禁したのに私の禁酒令は解禁せず。
この気持ち、どうしたらわかってもらえるでしょう・・・。

例えるならば。
毎年家族で食べるお正月のお雑煮。自分だけ食べられなかったら?
最後に食べようと残しておいた北京ダッグの皮を、お父さんにイキナリ食べられてしまったら?
新茶を熱湯で入れて飲んでしまったら?

あぁ・・・どれもこれも、ナンカ違う。
せつない夜です。

150円の代償

2004年10月03日 | お酒

昔、極貧生活をおくっていた頃。

ある夜(毎晩)、どうしてもお酒が飲みたくなった。
でもお財布には150円しか入っていない。
そこで私は行きつけのバーへ行きとんでもない行動に出た。

「150円分、飲ませて。」

カウンターに小銭をジャラジャラ~と並べ、オーナーでもあるバーテンに懇願した。

「貧乏なんだね。仕方が無い、今夜は特別。」

若さゆえの特権なのか、夜の街のアウトローなマジックか、かわからないが、慈悲深いオーナーは飲ませてくれたのだ。
そして、その夜は150円ポッキリで何故かしっかり酔っ払って帰宅した。


それから数日後。
私はまた別の行きつけのバーへ訪れた。

「いらっしゃい。貧乏fanshen。」

確かに私は極貧だったし、「貧乏」は私の代表的な枕詞である事は間違いないのだが、前回このバーに来た時は

「いらっしゃい。fanshenちゃん~」だったのが
「いらっしゃい。貧乏fanshen。」に呼び名が変わっている。

夜の街は思っていた以上に狭かった。
私があの夜150円で別のバーで飲んだ事は、行きつけのバー圏内では周知のこととなり、その圏内で飲む常連客には、どこで会っても私は「貧乏fanshen!」と呼ばれるようになってしまったのだ。

あれから数年たった今、私は名前も覚えていない当時の知人とばったり会っても、相手は

「おっ!貧乏fanshen!」

とまだ呼ぶのだ。
(確かにまだ貧乏な私だけど、名前も覚えていないあなたに貧乏fanshenと呼ばれる筋合いはない。)

そもそも、150円しかないのにお酒を飲もうとした私がどうかしていたのだ。
150円の代償は、思っていた以上に大きかった。

パンペロ・アルベリサリオ

2004年09月06日 | お酒

<役に立たない徒然バーカウンター講座>

パンペロ・アルベリサリオ

ベネズエラ産のダークラム
オールドファッションド・グラス(要はロックグラス)でロックで頂く。

このお酒は
「酒には強いが量が飲めない、ややこしい洋酒(やカクテル)は恥ずかしくて頼めん。」
という方にお勧め。

また、スニーカーやナイロンバッグを買いに出掛けても
必ず、革靴や革バッグを購入してしまう、革好きの方にもお勧め。

ダークラムの甘い香りがイケル。そして、頼む時の気分が違う。
何故ならこのパンペロ・アルベリサリオはそのボトルが豚皮に包まれていて、革製品の味わい好きな人間には二度美味しいのである。

「ジャックダニエル」「ワイルドターキー」等の定番アメリカ酒も美味しい事には美味しいが、たまには違った味を試してみるのもオツである。

Point:飲みすぎてロレツがまわらなくなった場合、パンペロ・アルベリサリオと言える確率はかなり低いのでパンペロと略して言っちゃいましょう。

ソルクバーノ

2004年09月06日 | お酒

<役に立たない徒然バーカウンター講座>

ソルクバーノ

ベース:バカルディ ホワイトラム
グレープフルーツ・ジュース
トニック・ウォーター
ライム

技法:ビルド
グラス:10オンスタンブラ
氷:クラックド・アイス(直径3~4cm大)

1.グラスに氷を入れる。(コリンズグラスを使うバーもあるが私はタンブラの方が好き)
2.ラム 45 ml(ワンジガー)を入れる。(お酒の弱い人だと30 ml でもよい)
3.GFジュース 45 ml を入れる。
4.トニック・ウォーター 適量 を入れる。(私はソーダの方がさっぱりで好き)
5.シャトー切りしたライムを少しだけ搾って入れる。
6.炭酸が抜けない様に、軽くステア。

このソルクバーノはロングカクテルのなかでは一番好き。
ベースのラムを「ハバナクラブ3年」にすると、ラムの癖が少し出て
私好みの味になる。

居酒屋の後の2~3件目で、行き慣れないバーのカウンターに座る羽目になったら、是非このソルクバーノを頼んでみてもらいたい。

「甘過ぎずさっぱりしてて、飲みやすく、そんなにアルコール度数の高くないカクテル下さい。」

と頼む前に、

「ソルクバーノ下さい。」

と是非言ってみて欲しい。

かつて私がカウンターに座ったお客さんに勧めて、8割の確率で満足してもらえたカクテルだ。

Point:イメージ的には映画「ホテルビーナス」のソーダに似合うカクテルだと思う。

懐かしい匂い

2004年09月04日 | お酒

しばらくの間、不眠に悩まされていた。

部屋の電気を消してベットに入り辛抱強く目を瞑る事4時間以上。
やはり眠れない。
そんな夜、ふと昔のある出来事を思い出した。



小さなバーのカウンターでバーテンの仕事をしていた23歳の私。
オーナーと私はそれぞれの昼間の仕事を終えると、夜にはそのバーに来て趣味半分、金儲け半分でお店をオープンする。
オーナーはカウンターに座りお酒を飲みながら常連客と話し、私はお酒係&その話の聞き役だ。

ある日のこと。
オーナーはさっきまで居た常連客を連れ他のお店へ飲みに出掛けた。
その夜はシトシトと霧雨が降り、夜の街には全体的に人影が少なかった。
しばらくの間私の立つカウンターにも誰一人としてお客の姿はなかった。
1人きりカウンターでお客を待つ私は、売り物ではない安いワインをロックグラスでチビチビ飲んでいた。

その時、1人の客が入店した。そのお客は2ヶ月に3回程度の出席率で来店する、30代後半の男性。
某有名ブランドのショップ店員であるその男性客は、渋くてお洒落な感じでもあるのだが、アパレル業界の持つ華やかなイメージとは裏腹に、何故かいつも淋しそうな雰囲気をもっている、至極無口な人だった。

無口なお客にとって「無言は心地よいもの」であり、私はこのタイプのお客には、無理に話しかけるような接客態度は控えていた。
しかし、その夜は男性客の方から話し掛けてきたのだ。


「最近、眠れないんです・・・」(男性客)

一瞬、独り言かと思ったが、すぐ返事をした。

「そうなんですか・・・それは辛いですね。」(fanshen)

「fanshenさんは眠れない夜はどうしてますか?」(男性客)

「そうですね・・・私の場合よくハーブティーなんかを飲みますよ。リラックスして眠りに付きやすくなります。」(fanshen)


実はこれは全くのウソだった。
当時、9時~25時まで働き詰め、その後朝まで飲んだくれていた私の辞書には「不眠」の二文字は皆無であった。でも、枯れ果てた知識の泉から出来る限りの情報を引き出し、何とか答えたのだ。


「実はハーブティーも試してみたんですけど、やっぱり眠れなくて、でも薬も飲む気がしなくてね。苦笑」(男性客)

「でも、人って匂いに敏感ですよね・・・例えば、昔懐かしい何かの匂い・・・お母さんが作ってくれたお菓子や風邪をひいた時に食べた桃缶の匂いだとか、そんな子供の頃の懐かしい匂いのするもを、眠る前に食べたり芳いでみたらいかがですか?」(fanshen)


実はこれで不眠が解消できる確証はなかった。
でも、いつも無口な男性客がポツリとこぼしたその想いをどうにかして拾ってあげたいという気持ちから、私はそんな返答をしたのだ。


「ええ、そうですね。それってとてもロマンチックですね。今夜試してみようかな。」(男性客)

「ぐっすり眠れるといいですね。」(fanshen)

私の思い付きの一言にその男性客は思いやりの一言を返してくれた。
その後男性客は2杯目のワインをお代わりして、また黙ったまま静かに飲んだ後、帰っていった。



と、こんな出来事を思い出し眠れぬ夜を過ごしていた私は、あの夜、あの男性客はどんな「懐かしい匂い」を思い出し、眠れぬ夜を乗り越えたのだろう、また果たして乗り越えられたのだろうか・・・と今になってかなり遅すぎる心配をしていた。
そして私にとっての「懐かしい匂い」はなんだろう、と遠い昔を思い出してみた。

お祭りの屋台で売られていたニッキの香り、母が作る大学芋の甘い香り、それから、それから・・・・

・・・気が付くと私は、久しぶりに深い眠りにつくことができたのでした。

禁酒令

2004年08月30日 | お酒
ある事情で、5月からお酒を飲んでいない。。

かつて一時でも「酒は人生の友だ」と信じ疑わず豪語した「お酒大好き」の私にとって、4ヶ月以上の禁酒状態はミラクルに等しい
こうなった原因は、これまでかなり恣意的に生きてきた私にあるのだが、最終的にこの「禁酒令」を公布・施行したのは我が両親、特に頑固な母である。
それも、「無期禁酒令」である。

アフターファイブは必ず「酒と共に過ごしてきた」私にとって、この「禁酒令」を言い渡された時は、言葉では言い尽くせぬほどの絶望感であった。

「禁酒令!それも無期。」

その言葉を聞いた時、頭の中では、映画「ゴッドファーザー」愛のテーマが流れ、アメリカ禁酒法時代に闇酒場を開いてぼろ儲けしていたマフィアの気持ちにすら、なれる程であった。
はたまた映画「アン・タッチャブル」の主人公ケビン・コスナーすらもこの手で倒して、あのアル・カポネの片腕でとなり、禁酒法時代のアメリカに酒をばらまいてやろうじゃないか、と思えるほど。


でも、人間の防衛本能と言うべきか、どんな苦境に陥っても私達はその環境に慣れるものである。

「酒・酒・酒」と騒いでいたこの私が、4ヶ月以上の我慢の末「お酒などなくても平気さ」と顔を引きつらせながらも、言える様になってきたのだ。
あぁ、人ってなんて素晴らしい。

また、他の動物にはない人間の持つ素晴らしさ、「希望」という二文字を忘れてはならない。
そう、私はこの「希望」を捨てずに持ち続ける事にした。

同志でもあり、師匠でもある敬愛すべき友人H氏が「無期禁酒令」を言い渡され落込んでいる私にこんな言葉をかけてくれたのだ。

「・・・でも、たとえはなにですが、無期でも模範囚には恩赦で早期釈放もあります。」

そうだ、早期釈放の希望を捨てず、私は両親・周囲の親族・友人からの信用回復に勤しめばよいのである。
本来なら行政機関の法規範でもある「命令」だが、ここは法の下の平等(?)を訴えるべく、“頑固な母による「無期禁酒令」の恩赦による停止”を、最後の望みとして心の励みにしようではないか

さらに、私には「音楽」がある。
これまでは、シンガーソングライターのソウルがこめられた「音楽」か、身近にある空気みたいな「音楽」を好みとして主に聴いてきたが
最近、「甘美な陶酔に浸るとはまさにこれだ」、という様な「音楽」と出合ったのだ。ブラボー!
酒に酔いたいと少しでも思った時は、この「音楽」に酔いしれればいいのだ。


果たして、じりじりと迫り来る恐るべき秋の最大の山場、
「ボジョレーヌーボー解禁!(毎年11月第3木曜日)」
の荒波に、この気持ちはさらわれないだろうか・・・

「希望」と「音楽」これさえあれば、私は強く生きていける、そう願いたい今日この頃である。

「酒と涙と女と自転車」

2004年07月28日 | お酒
 まだ私がやっとお酒を自由に飲める様になった頃・・・
若いならではの事情があり仕事も辞め一人暮らしの極貧生活をおくっていた。
(うっかり?)公共料金の支払いが滞りガス、電気も止まり、
冬の寒い夜をなんとか乗り切ろうと、当時付き合っていた彼の実家へ一晩だけお湯をもらいにいった。
 彼の母は「二人でご飯でも」って暖かな援助をしてくれ、私達二人は彼の実家近くの居酒屋へ・・・・

 当時の彼と私は将来一緒にバーをやるのが夢。
二人はその夢に胸をはずませてもう話まくりの飲みまくり。
彼のお母さんからもらったせっかくのお小遣いがすっからかんに。
居酒屋に入って2時間余り二人の話はちょっとした意見の相違から徐々に白熱。
と同時にお酒もだんだんアルコール度数の高いものになり、
そこで神様は冷ややかにゴングを鳴らした。

もうどうにも止まらない。二人はすぐにでも殴り合いになりそうなほどに
話はスパークしお店のお客さんもハラハラモードで見守る。
と何を血迷ったかイキナリ私は立ち、お店を出た。
そして走った。泣きながら走って、走って走りまくった。
そこで月9の恋愛ドラマなら・・・

 追いかける彼、泣きながら走る彼女、追いついた彼は彼女の腕をつかみ、
 抱き寄せる。きつく抱き合う二人・・・・

でも現実は違った、私は走って、走って、自転車に乗って走っていた・・・・
誰のチャリ?なぜチャリ?そんなの知らない。覚えてない。
言うならばそこに自転車があったから・・・

酔って泣きながら自転車を思いっきりこぎまくる私に
同じく泥酔状態の彼は当然追いつくはずがない。
私はそのまま見知らぬ田んぼだらけの夜道を自転車で暴走し、
しまいには田んぼに自転車に乗ったままダイブ。

きっとテレビの衝撃映像としてもあれは使えた。
そんな頃彼はきっとどこかであきらめて歩き始めたんだと思う。
まだ歩いてでも追いかけてきてくれてよかった。
だって次の日、私は気がついたら彼の実家の布団の上だったから。
顔面右半分が腫れ上がり、着てたコートは泥だらけ。
完全KO負けのボクサー状態。

私はお昼を待たずに彼の家をそそくさと後にした。
自転車の持ち主の方ごめんなさい。

あなたのチャリは私の涙と共に冬の寒空の下、
美しく弧を描いて田んぼの中へダイブしました。