翻 身 Fanshen

いつの日か『翻身』を遂げる事を夢見て
歩き続ける想いの旅。

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ベニカミキリ虫

2005年05月31日 | 日記

先日、私の部屋へ1匹の虫が迷い込んだ。
虫好きの可愛い甥っ子の為、嫌々ながらもビニール袋へ一先ず捕獲。

最近、甥が一番フィーバーしている虫は『カミキリ虫』。
その姿形から図鑑で調べた所、私が捕獲した虫は『ベニカミキリ虫』ということが判明した。
『カミキリ虫』のカラーバージョン、甥が見たらきっとハイテンションになるに違いない。

昨晩はヒンシ状態だったこの虫も、キュウリのかけら2個で今朝は元気バリバリの様子。(安いなぁ・・・)
こうなると、だんだん可愛くなってくる。

必死で外界へ逃げ出そうとする虫に、過去を振り返ることなく『今』を見つめてもらう為、少しだけ住環境のレベルアップを試みた。

ビニール袋から折り詰め用の透明パックへ。
庭でむしった草に霧吹きで水をかけ。
同じく庭から採ってきた枇杷の実をご褒美に。

どうだ。これで大分快適になっただろう?
そんな言葉をかけている内に、今度は名前を付けたくなってくるのだから、面白い。

いつか犬を飼ったら『先生』という名にしよう、そう私は決めている。
仕方がない、それまでお前を『先生』と呼んでやろうじゃないか。

先生(ベニカミキリ虫)は、今も尚あきらめるコトなく、外への扉を必死で探している。
自分の身に降りかかった災難、この現実を乗り越えようと諦めないその姿はすばらしい。

しかし先生。
私だって目に入れても痛くないほど甥っ子は可愛いのだ。
だから、甥っ子の喜ぶ顔を一目見るまでは。
もうしばらくの辛抱だ。

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きょうのできごと

2005年05月30日 | 日記

潤いの午前

仕事復帰まで今日を入れてあと2日。
出来る限り時間を有効に使いかつ体を動かして過ごすべく、午前中は市営のトレーニングセンターへ出かけた。
市営と言っても、民間のスポーツジムに劣らない設備が整っており、建物全体の雰囲気もスタイリッシュと言っても過言ではない。
地下1階にアクアスペース、1階はジムとロビー、2階にレストラン、それより上は体育館や宿泊施設になっている。
施設敷地内にはサッカーコートもあり、数年前のワールドカップ開催の際はロシア代表チームの、Jリーグでもビッセル神戸の合宿場所に使われていたりと、プロ・アマご用達の場所なのだ。

プールは月曜日と言うのに意外と込み合っていた。(若者もちらほらいたから、美容師さんや住宅関係の仕事に就く人なのだろうか)
私はまずジャグジープールに入り泳ぐ為の心の準備をする。(泳ぎは得意だが気持ちを強く持たないとそのままサウナ(ドライ・ミスト)やリラクゼーションプールの甘い誘いに負けてしまうからだ)
その後、水中を10分程歩いて20分泳ぐ、それを3セット終えるとジャグジースペースで横になる。仕上げはサウナ(15分×2)に入りプールを後にした。

この施設の上手いのは、2階にレストランがある事。
しかも、ランチタイムは1000円のランチに、サラダ、パン、スウィーツ、飲み物の食べ放題が付いている。
私のお気に入りは、この飲み物なのだ。
コーヒー、紅茶、オレンジジュースはもちろんのこと、フレッシュのハーブが各種そろっており、自分でティーポットにブレンドして飲む事ができる。

有酸素運動後、水分を欲している体に、レモンバームやレンモングラス、パイナップルミントで入れたホノ緑り色のハーブティーは、見た目にも体にも優しく爽やかなのだ。
写真はパスタランチのパスタを待つ間に、サラダとパン、ハーブティーをテーブルまで運んだ所。
立方体の1アイテムを除けは、身体には良いランチテーブルになった。

このランチバイキングは、前述の通り、スウィーツも食べ放題のところがミソ。
ワザワザご丁寧に、ケーキ1つ辺りのカロリーまで教えてくれてある。
私が食べたのは小ぶりのスウィーツ3つ。しめて90キロカロリー、パスタは800キロカロリーはあるあから、先ほどの水泳で消費した分は優に超えている。
そうすると、罪悪感に襲われまた水泳に来なければ・・・と言う気持ちになり、上手く施設内を循環する様に出来ているのだから憎い。
また、男性の肉体美に触れたい時などは、1階のトレーニングルームに行けば、マシーンの案内画面に、外人のマッチョな男性が笑顔で登場するのだ。

微睡みの午後

ランチバイキングを一人で満喫する様になったらオバサンだよな・・・。

そんなつぶやきを残して、午後1時を回る頃には施設を後にし、100円ショップを経由して帰宅。
その後、ゆっくり映画鑑賞か読書でも・・・と思ってベットに横になった。
映画はキューブリック監督「2001年宇宙の旅」をチョイス。
この映画は見る場所、聞く場所が非常に充実している。
この上なく効果的に使用されている音楽「ツァラトゥストラはかく語りき」や「美しき青いドナウ」、オリビエ・ムルグ作の赤いソファ。難解なモノリス、反乱するコンピュータHAL、1968年に既にこの世界観を映像にした彼の偉才ぶり。

しかしながら、この映画はジョン・ウー監督のわかり易い定番の展開など皆無(じゃぁ他の観なよ)、さらに主題の奥行きはかなり深い。
基本的に奥行きの浅い私なんかが観ると、巨匠の映画も心地良い子守唄と化す。
(私は今までこの映画を数回観ているが、終始眠らずに完鑑賞したコトは一度もない)

気が付けば、『HAL』の反乱シーン。あぁ、またやってしまった。
午前中に欲張って潤った分、午後はうっかりベットの上で時間を無駄にしてしまった。
はたしてこんなんで、仕事復帰が出来るのだろうか・・・。

今夜辺りから、仕事復帰へのプレッシャーで不眠モードに入りそうなfashenのきょうのできごとでした。

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わたしの知らない世界

2005年05月29日 | 日記

今日、未だかつて味わったことのない恐怖を感じた。
恐怖と言っても他者から危害を加えられたり、またその様な恐れからくる恐怖ではなく、ジワリジワリと自分の心の奥底から感じる恐怖なのだ。

きっかけは腰のリハビリの先生からの「ヒーリングカウンセリング」の誘いだった。
その先生は理学療法士で、去年入院中に私のリハビリを担当した人。
入院中はもちろん、退院後通院で会った時もずっと「ヒーリングカウンセリング」に誘われていた。

先生はかれこれ一年ほどそのカウンセリングに通っているらしく、当初は半信半疑で通い始めたものの、続けるうちにその効果を実感している、と言う。
主な効果は「バイオリズムの上昇」「美容・健康に」「人間関係の清浄化」など等・・・。
20分間、カウンセラーのパワーを受けるとお会計3000円也。

表面では興味深げに話を聞いていながらも内心は半信半疑だった私は、この1年間は何気なくお誘いをパスしてきたのだが、先日積極的に携帯アドレスを聞かれあれよあれよと言う間に、今日のカウンセリングへの同行まで決定してしまったのだ。

しかし、一応市立病院に勤める理学療法士が勧めるカウンセリングと思えば、例え目に見えないパワーだろうが、少し宗教チックな臭いがしようが、何とかなるだろう・・・そう軽く考えていた私。
さらに、身近にサラリーマンから気孔士へ転職した信頼できる知人もいる。
ヒーリングも気孔も目に見えないという点においては同じじゃないか。
モノは試しだ、いざ出陣。気合を入れてカウンセラーと先生が待つマンションのドアを開けた。

やわらかい笑顔で出迎えたカウンセラー、その横には病院で見せる表情とは全く違う、落着いた様子の先生が居た。
室内は普通の住宅マンションの一室と何ら違いは感じられない。
私はリビング・ダイニングに通され、テーブルのお茶を囲んで、カウンセラー、先生と3人で何気ない会話をはじめた。

ふと部屋の隅に目をやると、コーナーテーブルに置かれた水各種。
2リットルのペットボトルに入った水には数万円のポップが。
その前には200グラム程度1万円のお清めの塩が並べられていた。

あやしい・・・

その高額な塩と水を見たとたん、私の中で必死に抑えていた「不安」が一気に湧き上がってきた。
私は室内全てのモノを疑いの目でチェックした。
どうしても気になるのが、先ほどから不自然なくらいにキッチリと締め切り塞がれている和室への引き戸3枚。

あの向こうの部屋には一体何があるんだろう・・・?
恐る恐るでも顔は爽やかに質問してみた。

「あの奥の部屋には何があるんですか?」

「怪しがらないでね。あの和室には神様が祭ってあって・・・」

やばい。

神様という言葉を聞いたとたん、先ほどまで穏かな表情に見えていたカウンセラーと先生の目が顔が、何となく虚ろな形相に見えてくるのだから、不思議だ。

聞くところによると、ヒーリングとは神様から受けたパワーをカウンセラーを通して私の体に吸収させた後、全ての毒素を体外へ放出させる、らしい。
毒素の放出には個人差があり、頻尿になる人、全身に蕁麻疹ができる人、頭痛、腰痛など、その人の体内で一番毒が溜まっている部分にそれぞれの症状が現れるとのこと。

一通りの説明を聞き終わる頃には、私の心身の中は「拒否感」満タン。
ヒーリングが宗教ではない事位は重々承知なのだが、「神様」「見える御光」「パワー」「全国各都道府県に拠点がある」と聞くと、いかがわしい臭いはぷんぷんなのだ。


しかし一番怖かったのは、これだけ拒否感を感じていながらも、これからパワーを受ける事を拒めない自分だ。
私にはそこで「すみません、今日はやめます」と言える自由はあったのだ。
しかし、その一言が言えない。
そんな自分を感じれば感じるほど「目に見えないパワーの世界にめり込んでしまう自分」が自分で抑えられない様な気がして、怖くて溜まらなかった。

そうこう考えているうちに、20分間の私の知らない世界は始まった。
神様の前で対座して、カウンセラーが私に手をかざす。
感じようと思えば感じるが、やはり気のせいの域を超える程の「何か」は私には感じられなかった。一方で何か感じたら最後、そんな恐怖感と20分間必死に戦った。

20分後、カウンセラーは私は「何か」を感じたはずだと言う。
私の体はパワーの吸収が非常に良かったのだそうだ。
リハビリの先生は、神様の後ろや聖典を開くと後光らしき「何か」が見えるという。

「信じることはできないので、パワーを実感したらまた来ます」

そう言って私はマンションの一室を後にした。

自分で自分を拒絶感溢れる世界へ追い込んでいく恐怖。
この世界を信じるか否かは別として、運気上昇を願って気軽に試みた今回の体験で私は、意外にも自分の中に潜んでいる怖い弱さと対面する事になった。
何にしても新しい世界に入ろうとした時、いかなる力を持っても決して揺るがない確固たる自分、そんな自分を自分で信じられる強さ、がなければあらゆる事象に流されてしまうのだ。

でも、そんな強さは今の私にはまだない。
だから。
例え、カウンセラーや先生が言うように、頻尿になろうが、全身に湿疹が現れようが、全て気のせいにすると、心に決めた。
強い自分になろうと日々を頑張っているうちに、きっと運気は上昇するはず。
カウンセリングなど行かなくとも、気がつけば、後光バリバリの三十路ネエーちゃんになっているのさっ。


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痛い視線

2005年05月28日 | 日記

先日、実姉宅へ向かうべく電車に乗った時のこと。
平日の午前、早い時刻だったせいか、思いのほか車内はすいていた。
リハビリ中の腰を労わってあいている席へ腰を下ろした私。
しかし、その電車は温泉地を通過するため、その後3つ目の駅に到着する頃には車内は満席になっていた。

すると70歳前後のご婦人が私の前へ立った。
そのお婆ちゃんは両手にA4サイズの重そうな手提げ袋を抱えていかにも辛そうに私の前に立っていた。
車内のどこを見渡しても空いている席などない。

ここで健康体でいつもの私なら迷う事なく席を譲ったのだが。
私だっていわばケガ人。人の体において肝心要の腰はいまだ正常な状態に回復していない。
電車の横揺れは非常にきつく、実は座っているのも大変なくらいだった。

ごめんなさい、お婆ちゃん。席を譲ってあげたいのは山々だけど。私だって辛いの。

そう心で謝りながらも、それまで読んでいた新聞をさらに高く上げて顔全体を隠した。
するとお婆さんは、座席から天井へかかっているポールに体全体をあずけ、もたれ掛かった。
その時お婆さんのかばんが私のひざにコツンと当たった。

アンタ若いんだから。早くあたしに席譲りなさいよ。

そんなお婆ちゃんの心の声が聞こえた気がした。
さらに先ほどからどうにも痛い視線を横から感じる。
隣に座っていた同じく70歳前後のお婆ちゃんが、私の方をジロジロと眺めているのだ。

ハッと顔を上げ周りを見てみる。
車内全員が私を冷たいマナザシで見つめているような気がしてならない。

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
私は目的地まであと1時間は乗らないとならないの。だから今日限りは勘弁してください。


その電車内で不道徳な若者のレッテルを貼られた私は心の中で平謝り。
一瞬、お婆さんに事情を話して、重そうな荷物だけでも私の膝の上に置いて・・・とも考えた。
しかしその時の私の装いは、サンダルに温泉帰りのリゾート系ファッション。
「腰が悪い人」と理解してもらうには、全く説得力のないスタイルだったのだ。

『私若いけど体が不自由なんです』
とわかってもらえるバッチがあったなら・・・。


確か北海道のある女性が、妊婦さんが交通機関に乗る際につけるバッチを制作した話を、ニュースで聞いたことがある。
体が不自由な人は、決して松葉杖や車椅子、ギブスで固めた腕などわかり易い状態ばかりではないのだ。

私はその後、周囲の冷たい視線を感じながらも、そのお婆ちゃんが次の駅で降りてくれる事をひたすら祈った。願いが通じたのか、前と隣の2人のお婆ちゃんは次の駅で降りてくれた。
しかし、車内に残る他の乗客の痛い視線は、新聞を通り抜けいぜんとして私に降り注いでいる様な気がしてならない。
全く頭に入らない活字だけがその時の私のバリヤだった。



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百年も二百年も生きれる人間にあらず。悟れ君

2005年05月27日 | 映画・音楽・読書

気がついたら最後の記事から2週間余りが経過していた。
特に大忙しだったわけでもなく、相変わらずのリハビリ暇人には変わりないのだが。
愛しい甥・姪のお世話やらケガの温泉療法(家族旅行)を試してみたり、6月からの仕事復帰にそなえ試験的に一般社会に溶け込んでみたり(ショッピング)で夜は毎日バッタンキューだったのだ。

それでも、毎日出会う新しい瞬間で想うことも色々あった。
相変わらずネガティブに考え事もしたりしたが何故かブログに向かう気にならなかった。
良く言えば想ったことが言葉や文章になって出てこない、悪く言えば話の「オチ」がつかない。

ブログが仕事だったら「ブログの5月病」というのが一番近い表現なのか?
PCに向かうのもブログに記事を残すのも全て私の自由。
しかしながら面白いものでブログを離れれば離れる程に夏休みの宿題を最終日まで残している様な、落着かない心持になるのだ。
そこで重い腰を上げてPCに向かってみた。

さて長い前置き(言い訳)が終わった所でいざ本題。

今月号のサライ『漱石特集』は面白い。
手紙好きの漱石が友人、家族に宛てた手紙の一部が掲載されている。
中でも、共に才能を認め合った親友の正岡子規とのやり取りが興味深かった。
漱石23歳の時、自身の悶々とした想いを綴った手紙を子規に送った。
表題は、その際の子規の返信の一部だ。

この二人の手紙は、両者が文豪だと思うとさぞかし立派な賢い二人のやり取りにも感じられるが、現代の23歳の男子二人の何気ない会話に置き換えてみると。

漱石「俺、最近さぁ~なんかやる気しないんだよね。毎日がマジ面倒って言うかさー。自殺なんかも考えるけどそんな勇気ないし。意気地がないっていうかさー中途半場だよなオレ」

子規「この世の中何が起こるかわからないからさーそう長く生きられるわけじゃないし。地球の歴史からみたら俺達の一生なんて点じゃん?それを長いって言うのは小さい男だよお前は。だからって短いって思うのも視野狭いし。んなこと気付けよ」

若干無理があるかもだが、この次期の漱石と子規はまだ無名だったコトを思えば、極々一般の若者としてこんな風だったのかなぁなんて想像してみると少し笑えたりもする。
どの時代にも「迷える若者」は存在するのだな・・・なんて思ったりして。
(子規は実際肺病を患っており自身の「生や死」に対しては漱石のそれより根は深かったのかもしれないが)

私にも仕事や人生に対する考え方が共感できてお互いに認め合える親友が豪州に居る。
漱石と子規の書簡とは比べ物にならないが、ふと彼女にまた手紙を書いてみようと思った。
取り留めのないラブレターを。

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どっち

2005年05月11日 | つぶやき

一生

許す事が出来ない人

許されない人

どちらが苦しいんだろう


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育まれる優しさ

2005年05月10日 | 好き

最近の甘夏や夏みかんは昔に比べてとても甘い。
食べていると、これじゃ贅沢すぎやぁしないか?と思ってしまうほどだ。

私は甘夏を食べる時、必ずある友達のことを思い出す。
彼女とは小学生~現在まで続いている間柄で、よくお互いの自宅を行き来していた。

あれは、中学生の頃。
いつもの様に、彼女のマンションへ遊びにお邪魔した。
と、居間のテーブルには沢山の甘夏が。
彼女から「一緒に食べよう」と誘われ、もちろん私はいただくコトにした。

テーブルの上には沢山の甘夏に加え、大きな白いボール(食器)が一つある。
と彼女は手馴れた手つきで甘夏の皮をむき、ホロから身をほぐしては、その身だけボールの中に入れていくのだ。

しかし、テーブルの上には5つ以上の甘夏がある。
果たしてそれら全部の身をほぐしてボールの中へ入れていくのだろうか?
私は普段から、食べ量だけの甘夏を剥いては食べ、剥いては食べ、と言った具合に食していた為、まず最初に全ての甘夏の皮を剥いてから、実だけを食べると言う工程に戸惑った。
しかも、彼女と私2人だけで、5つ以上ある甘夏全てを食すつもりなのだろうか?

ハテナ顔で彼女の隣に座りつつも、私も一緒にその作業に加わり、5つ以上もある甘夏を全て剥ききった。
これでようやく瑞々しい甘夏にありつける。

私と彼女はボール一杯になった甘夏の身を共に食べ始めた。
そこでようやく私は彼女にたずねてみた。

「ねえ、これ全部私たちが食べるの?」

「ううん。こうやって剥いておいて冷蔵庫に入れておくと、お母さんが後で食べるから」

彼女は普段仕事で忙しい母親が、片手間で季節の果物を口に出来る様、あらかじめ剥いておいたのだ。
私は普段、自分の食べる分のことしか頭になく、母親が用意してくれた食べ物を食べたいだけ食べていた。
だから、そんな彼女の母への労わりというか思いやりに、とても感心したのだ。
当時の私はその時、人は突然に優しくなれるわけではなく、彼女が甘夏の皮を一つ一つ剥くように、こうして少しずつ、少しずつ育まれていくのだろうな・・・とシミジミ思ったのを覚えている。

私はきっとお婆さんになっても、甘夏を食べ彼女のことを思い出すだろう。
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そっくり顔

2005年05月08日 | つぶやき

お化粧を付けてしまわないように気をつけながら洋服を脱いでいる時の私の顔が、ロバート・デ・ニーロが笑った顔みたいに、強張っていた。

この顔だけは、人様にはとてもお見せできません。
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モーニング娘。 新メンバー卒業

2005年05月08日 | 日記

昨晩就寝前、安倍なつみのシングルVCを偶然観たり、カゴちゃんとツジちゃんはどっちがドッチ?等と考えていた性か、その夜の夢で私は、図々しくもモーニング娘。のメンバーになっていた。

夢は、早くも私の卒業コンサート当日の朝から始まる。
私は年齢からくる体系の崩れにより他のメンバーとお揃いのステージ衣装ではサイズが合わず、自前の服の中から、最後の晴れ舞台で乱れ散る為の衣装を選んでいた。
しかし、私のタンスの中は『地味一色』。どれもステージ衣装には程遠い代物ばかり。
そこで、十代の頃、歌手になりたかった時期にステージ衣装として着ていた、シルバーの超短い皮パンとスケスケのブラウスをタンスから取り出して着た。

「足がまずい。」

やはりそこでも自分の足への過剰なまでの嫌悪感が先立ち、皮パン却下。
Gパンに履き替え、いざ会場へ向かう。

コンサート会場はなぜか、富士屋ホテルのようなレトロな会館で、三十路を前にしてモー娘から脱退する私の趣味を徐に顕していた。
スタッフが慌しくセッティングしているメインホールに入ると、ディレクターが私を呼び止める。

「fanshenちゃん、今日はヨロシクネ~他のメンバーホローしっかり頼むよぉ。これからリハだから、みんな呼んできてっ!」

「はいっ今すぐ!」

今日のコンサートの主役は私のはずが、なぜかその時は「AD役」になっており、確定台本をもってメンバーが待つ控え室まで猛烈ダッシュで走る私。

しかし、いくら走れどメンバーの控え室には着かない。
この古いホテルは増改築を繰り返した性か、内部が迷路の様に入組んでいて、同じ階段を登って降りての繰り返し。
途中、高校時代のクラスのメンバーが客室から旗を振り、気が付くと伴走車まで着いて、私の走りが実況中継されているのだ。

私は頭の中で「何ナンダ。一体?」と思いながらも走り続ける。
自分が果たしてメンバーと共にステージで踊れるのか?なんとしてもリハだけはやりたい!と言い様のない不安と焦りに駆られ、一心不乱に走る。

結局私の不安は的中。
メンバーのいる控え室に到達する前に、何故か私の卒業コンサートが私抜きで開演する。
メンバーはすでにメインホールにいたのだ。

「私は矢口みたいに、卒業コンサートすらせずに脱退なんてしたくない!」

すでにモー娘のメンバー気取り私は、その最悪の事態を防ぐべくステージの袖へと急ぐ。
到着すると、マネージャーがスタートしたコンサートを満足気に眺めながら

「どっちにしても、その腰じゃ踊れないでしょ。fanshenちゃん、お疲れ様。」

満面に笑みを浮かべ、ポンッと私の肩を叩きながら締めの一言。
これにてfanshen、モーニング娘。脱退。

ステージの袖からメンバーが歌って踊る姿を羨望のマナザシで眺める私の顔には、
音楽に合わせて点滅する照明の明かりに不規則な光と影を作りだしている。
それが、また何とも言えず悲しげなのだ。

結局『モーニング娘。』気分をひと時も味わうコトなく脱退する虚しさを、かみ締める夢だった。
確かに三十路を前にして、モーニング娘。のメンバーになろうなんて、おくがましいのは重々承知だ。
だが、かつて歌手を志した私にとって、コンサートは憧れの舞台。
夢でもいいから、大勢の歓声を受け

「私はモーニング娘。を卒業しますっ!」

って言ってみたかった・・・な。

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裏道探訪

2005年05月07日 | 写真(D&D)

先月、一眼レフのカメラを持って写真の師匠と一緒に『裏道探訪』へ出かけた。
待ち合わせ場所で待ち構えていた師匠は私の顔を見るなり
「今日は歩きますよ。覚悟してください。でも、私より先に根をあげること。老人を労わりなさい。」
そう言ってスタスタと歩き始めた。

私と師匠は共に裏道好き。
その家の主が思い思いに育てている植物たち。
日陰が続く道にはひんやりとした心地よい空気が流れて。
飼い猫と野良猫のランデブーや家々から香るおかっての匂い。
裏道にはメインストリートにはない地味な風情があるのだ。

それら大好きな一瞬を撮りに私と師匠はテクテクと歩いた。
私は昔ながらの長屋や、お婆さん、お爺さんの後姿を。
師匠は、透過光に瑞々しく輝く新緑を主に撮影していた。

午後1時から4時過ぎまで歩き回り、帰り道は行きと同じ道をたどった。
師匠いわく「同じ道でも帰る道はまた一味違う」そうだ。
ちょうどフィルムを1ロール撮りきったところで、私はとても美しい香りに足を止めた。

「これはジャスミンです。多分、お茶にするのとは違う品種だと思います。」

植物にも詳しい師匠にそう言われて、私はあぁ、そう言えばジャスミンティーの香りと一緒だ、と気が付いた。
でも気のせいか普段嗅ぐあのジャスミンティーの香りとは少しだけ違う様な気がする。
上品な香りと言うより、何処となく草っぽいような、湿っぽいような・・・。

ちょうど一眼レフのカメラのフィルムが終わったところだったので、携帯のカメラで一枚カシャ。
師匠は気が向くままに、赤く染まりかけた空に向かってシャッターを切っている。

「では、いきますか。」

師匠の言葉で、私たちは休憩先の喫茶店まで歩き始めた。
私は空を眺めながらジャスミンの花をもう一度振り返って見た。
その時、日が傾きかけた裏道に咲き誇るジャスミンの花と夕暮れの路地の匂いが、まだ冷たい4月の風にのって私と師匠の間を抜けていった。

見つけた『裏道の匂い』。

私はこの匂いが好きだ、これからもコレを撮り続けよう、そう思った。
予てから師匠に言われていた写真のテーマ。
この時、やっと見つかりそうな予感がした。

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イケナイ楽しみ

2005年05月07日 | 楽しい

人間とは罪なものだ。
「駄目だ」と思えば思うほど、どうしてもそれをやってみたくなる。

最近の私にとってのそれは「ベッドの上で寝ながらビデオ鑑賞をしつつスナック菓子を貪るように食べること」。
寝ながら食べるなんてお行儀悪い事この上ない上に、スナック菓子というお肌には大敵な食料の大量摂取という、体に悪いこと尽くし。そんな自分にビデオ鑑賞というお楽しみまで付けてしまうことの罪悪感。
これらが一体となると「それだけはやっては駄目!」と言う理性が私の中に芽生える。
と同時に「だからこそ、やりたい・・・」と途轍もない衝動に駆られる。

で、結局やっちゃいまいした昨日。
トマス・ハリスの「羊たちの沈黙」を観ながら、ポテチをパリパリ。
ベッドにトドの様に寝そべって、バナナチップスをボリボリ。
その最中は、確かに大満足。
でも。
セレクトした映画も悪かったけど、観終わった後に「爽快感」など全くなく。
その日のお夕飯はステーキだったのに、スナック菓子が入った胃袋には重くて美味しく食べられず。
翌日も未だに胃が重い。

やっぱり、「イケナイ楽しみ」なんて存在せず、「イケナイ事」と「楽しい事」はしっかり分けて。
「楽しい事」だけした方が身のためだと、改めて実感したfanshenでした。

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嫌われ松子の一生 配役発表

2005年05月07日 | 映画・音楽・読書

入院前に、猛烈な勢いで上下巻を完読した『嫌われ松子の一生』(幻冬舎)が今度映画化される。
先日、主人公松子役は中谷美紀らしい、という情報が入ってきた。

この物語は、厳格な父の元育った主人公松子が、些細な事をきっかけに、どん底まで落ちてゆくと言う、転落人生を描いたものだ。
私は上巻の半分で号泣してから、下巻を完読するまで泣きっぱなし。
こんなに泣いた小説を読んだのは『蛍の墓』以来だと思う。

『嫌われ松子の一生』の映画化の話を聞いてからと言うもの、
このストーリーの登場人物の配役を考える事が私の密かな楽しみになった。

そこへ、主人公が中谷美紀に決まっている、という話を聞いた。
ムムム。綺麗過ぎる点を除けば、まぁまぁの配役だ。
私の中の松子像は、フェロモンが香る知的で幸薄く、やや痩せ気味の女性(でる所は出てて、メリハリのある体系)だ。

せっかくなので、映画の制作会社が他のキャストを発表する前に、私が考え現在決定している配役をここに記しておこう。(氏名の漢字がわからない場合はカタカナで)

・松子役/未定 or 中島朋子
・リョウ君/オダギリジョー
・松子の甥/ツマブキ君
・松子の甥の彼女/NHK「ほんまもん」の主人公だった子
・赤木/高木トラノスケ or 陣内タカヒロ or アベちゃん
・八重川/三上ヒロシ
・松子の父/岸辺イットク
・松子の母/原日出子
・松子の妹/菅野ミホ
・綾乃姉さん/常盤タカコ
・床屋の主人/未定 or 田中邦衛 or 尾美としのり

私的には、「深津絵里」「寺尾あきら」「原田ミエコ」「山口様」「シン・ソンウ」などもどこかに起用したいのだが、登場人物が多い上、手元にその本はない為、現在はココまででとまっている。

見事、誰か一人でも私の予想が当たったら、この上ない(自己)満足感に浸ること間違いない。
他の配役も早く決まって欲しい様な、いや、配役考える楽しみをまだ味わいたい様な、そんな複雑な心持だ。
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戻ってきました。

2005年05月04日 | 日記

手術後の経過が良好の為、1週間早く退院。

突然だが、月曜日のゴールデンタイムに高視聴率をマークする「東京フレンドパーク」。
病室内のお婆さん達にも大人気だった。
私には以前からこの番組の醍醐味がわからない・・・。

まあ、何はともあれ無事退院できました。
これから今月一杯、自宅静養に入ります。

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