翻 身 Fanshen

いつの日か『翻身』を遂げる事を夢見て
歩き続ける想いの旅。

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いよいよ。

2004年10月31日 | 日記

明日は、9年ぶりの日本出国、何気に緊張しております。
さらに、出発を明日にひかえた今ごろになって、自分は飛行機が苦手だという事を思い出してしまった。
あの離着陸時に感じる重力(G)が、何だか不安で嫌いなんです。さらに、小心者且つ心配性の私にとって、あのシートベルト着用の「ポーン」という音がするたびに、ビクッとしてしまう。
飛行機は何度乗ってもきっと慣れない。

また、先進国への旅行とは言っても何が起こるかわからない。(現在、非常食の乾パンを所持するか考え中。)
今日電気店で、友人からレンタルしたデジカメの充電用アダプタのイギリス用の変換プラグを1個数百円で購入するつもりが、気がついたら店員さんに勧められるまま「世界中のほとんどのコンセントに差し込める、サスコム!」を2千円弱の価格で購入していた。これで、もし飛行機がアメリカやオセアニアに飛んで行ったとしても、デジカメでバッチリ記念撮影だってできるのだ。(我ながら用意周到で感心する。フムフム。)

昔、学校の先生が「遠足は家に着くまでが遠足です。心を引き締めて帰りましょう。」と言った様に、10日後、再び故郷の土を踏むまで心を引き締めていかなければ。
さらに当時の先生は「遠足のおやつは300円まで!」と言っていた。ただここで重要なのは、「バナナはおやつに含むかどうか?」である。遠足における「バナナ」のポジションは、当時私たち子供の間で論議の的となったものだ。
大人になった現在も、やっぱり「バナナ」の答えは出ないので、今回は「おやつ」を持って行くことをやめた。

よしfanshen!ココまでは中々いい調子で旅行の支度が整いつつあるぞ!
後は、成田空港での搭乗のチェックインの際、「乗り物酔いするので、景色が見えやすい前の席をお願いします。」と言えれば完璧である。(さらに、搭乗の前にみかんは絶対食べてはならない。)


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まだかな・・・。

2004年10月30日 | 日記

今日は、去年オーストラリアへ旅立った友人との一年ぶりの再会の日!
彼女は午前8時に成田へ到着すると聞いていた。
だからという訳ではないが、もしかしたら帰国してすぐ連絡があるかもしれない、と思い、今朝は8時前に起きた。
その後、彼女からの連絡を待つ事、約一日。そんな今日も、残すところ後2時間30分で終わるが未だ彼女からの連絡はない。
少し不安になって、先ほど彼女の実家へ電話してみた。その結果、私は彼女が私の町内にある「焼肉屋」に居る事を突き止めた。やれやれである・・・。あたしゃ貴方に早く会いたいんだよぉ!
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最強ブレーンが決定。

2004年10月30日 | 日記

欧州旅行出発まであと2日。最初の訪問都市アイルランド、ダブリンへ着いたら?
私にとっては、(両親からの禁酒令が旅行中特別に解禁すれば)「ギネス」と「モルト」を「アイリッシュパブ」で楽しむこと、これが、今旅行でのメインイベントである。
しかし、その後、イギリス、イタリアと周るのに、具体的にどこで何を観ようか、したいか、現在の所(ロンドンでのミュージカル観賞以外)決まっていない。

そこで今日、旅行上級者である友人Jに、上記のことを話して、色々とアドバイスをもらった。
友人Jは歴史的、文化的な側面からヨーロッパの見所をそれとなく説明してくれ、非常に助かった。(←と言うか、そこが重要なのに、パブの事しか頭にない私もどうかしてるが。)
いやあ、前から思っていたが、この友人Jはやはり本を沢山読んでいるだけあって中々の知識人である。(人並み以下に無知な私が人の知識の有無を判断できるのかも微妙。)

さらに、この時の友人Jの博識さは、私の『クイズ$ミリオネアに出演し一千万円を獲得する』想像(妄想)に大きな展開を促したのである。それは、予てから決めかねていたライフラインである、テレフォンブレーンの4人目が友人Jに決定したのだ。一千万円獲得まで途絶える事なく、この想像(妄想)を貫徹させるには、4名の「テレフォンブレーン」は、ライフラインの要として慎重に選考しなければならない。
この想像(妄想)は、ココが重要なポイントと思えば思うほど、私は4名のうちの最後の一名を決定できず、想像(妄想)が中々先に(4名の決定→クイズ応募→予選選考突破→予選突破→本番出場→早押しクイズ突破→・・・・・一千万円獲得!)進まなかったのだ。

(前々から有力候補としてあがっていた)友人Jのメンバー入りが見事決定し、最強ブレーンによるライフラインを確保したことにより、私の想像(妄想)は一千万円獲得まで一気に加速しそうな予感がする。
それどころか、もはや想像(妄想)の域を脱して私は現実に一千万円獲得してしまうかもしれない。(そんなにもらっても困るなぁ。)

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連想回路が故障?

2004年10月29日 | 日記

何だか近頃、私の連想回路が故障しているらしい。

先日は、「神田正輝」の顔に「小雪」がちらついて仕方がなかった。
今日は、「グレゴリー・ペック」が「劇団ひとり」に見えて・・・・。

どういうわけだろう。
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うっかりに大いに悩む。

2004年10月29日 | 日記

来月の旅行にそなえ、普段愛用しているシャンプーを携帯用の容器に入れようとした時、ふと昔のどうでもいいけど、答えが出ないコトを思い出してしまった。

それは友人がやってしまった日常のうっかりした出来事から、その対処について私に意見を求められた事だった。
「この間、シャンプーが切れたから、切れたシャンプーのボトル(未洗い)に詰め替え用のそれを入れたんだけど、間違えてリンス入れちゃったんだ。Fanshenならどうする?」

この返答にはかなり困った。このうっかりのシャンプーとリンスが逆だったらココまでは悩まないのである。未洗いのリンスのボトルにシャンプーを入れてしまったとしても、リンス効果がやや効いたシャンプーを使っていると思えない事もなく、ギリギリセーフだったと思う。
しかし友人の場合は、シャンプーのボトルにリンスを入れちゃったあたりが難題なのだ。

個人的にシャンプーは、洗髪後にキュッとしたスッキリ感がある方が好き。汚れをしっかり落とした後だからこそ、じんわりトリートメントしたくなるのだ。それなのに、そのトリートメントにも微量だが洗髪用のシャンプー成分が混じっていると思うと、軽くすすいでしっとり仕上げたいトリートメントも、入念に濯ぎたくなるのである。

では、間違えて入れたリンスを他の容器へ一旦移し、リンスがついたシャンプーのボトルをしっかり洗ってから、もう一度入れなおしてはどうか?とも考えた。
しかし貧乏性の私には、それは何とももったいない様に思えてならない。普段から、シャンプーが終わったと思っても、容器に少し水分を加えシャカシャカ振り、それから少なくても2日はもたせる。いつもより水っぽいシャンプーになるが、それでも十分泡立つので諦めきれずに使ってしまうのだ。
リンスやトリートメントだって同様で、ボトルを勢いよく振り内壁についているリンスをキャップ付近に集め、圧力を利用して出せば、1~2回分はまだ残っている。
だとしたら、間違って入れたリンスを別の容器に移し、また戻せば、1~2回分のリンスが最初に入れたボトル、一時移しておいたボトルの内壁に残り、トータルで4回分のリンスが無駄になる。

私はこんな風に悩んでいた為、友人の質問に答えるのに時間がかかった。多分友人としては、そこまで悩んでいなかったようで、私の返事を期待して待っているわけでもなく、気が付いたら他の話題に話が移っていったので、私もその答えを出せぬまま今日まで過ごしてきた。

それが、旅行の支度でうっかり思い出してしまったのである。
あの時から一年以上経った現在、またこうして考えても、この難題の画期的な答えは見つからない。
友人のあのうっかりは、決して必然ではなく偶然に起こったうっかりなのだから、私が答えを無理やり探す必要もないのだろうが、こうして思い出してしまった以上やはり悩むのである。
もしかしたら、うっかりな失敗なだけに、その答えも偶然に思いつくのかもしれない。
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胡散臭いかほり

2004年10月28日 | 日記

また派遣会社の登録に行って来た。
私と同じ歳かまだ若い派遣会社の女性が、丁寧に「派遣とはなんぞや?」みたいな事を説明してくれた。
その女性の流暢な話しぶりに、「まだ若いのにしっかりしてるなぁ~」なんて感心しながら、途中までは素直に聞けていたのだ。

ところが、話を聞き始めて15分ほど経った頃、だんだんと何か臭ってくるのである。
あれ?なんだ、なんだ?この臭いは・・・。
その女性から何故か微妙に漂う胡散臭さ。このかほりの原因は一体何だろう?


そう思ったとたん、もうその女性の話は殆ど耳に入らず、胡散臭さの原因である胡散臭さ菌が彼女のどこに潜んでいるのか、またその正体は何か?じっと凝視して考えてみた。ファッションから、髪型、装飾品など通して見てもビジュアル的には、極めて一般的である。(私は人を判断出来るほどファッションには敏感でないが。)では、何故こんなにも彼女から胡散臭いかほりがするのだろう?
これは、外見ではなく内面的なものに違いないと思い、今度は視覚的な印象を全て捨て、彼女の話をじーっとよく聞いてみた。その結果私は、胡散臭さ菌の正体を突き止めた。

「えーとですね、ウン、fanshenさんの場合、ウン、○○○○してウン、△△△△やウン、□□□□□□などウン、○○○してみてはいかがですか?ウン。」

彼女の言葉の端々におまけの様に必ずつく「ウン」胡散臭さ菌の正体はこれだったのだ。
これは何のための「ウン」なのだろう。彼女は、自分で自分の発言に納得しながら説明しているのだろうか?だとすると、説明を聞く側としてはやや頼りない相手の姿勢だ。

派遣登録とは言っても、ある意味折衝の場でもあり、私の心持ちとしては「きちんとした話」をしなければならない場面なのに、「ウン」という友達と話す様な言葉が使われている事に、私は恐らく違和感を感じていたのだと思う。
また半歩譲って、「ウン」を「ええ」に変換して聞いたとしても、「ええ」の使用回数も、使用箇所も違う気がして、やはりしっくりこないのだ。

胡散臭いかほりを嗅ぎながら、説明や話を1時間以上双方で続けるのは、とても苦痛だ。だから、気持ちを切り替えて、私は胡散臭さ菌の正体がわかった時から、「ウン」の登場回数をカウントしてみた。そして、胡散臭さ菌を67まで数えた時、詳しいお仕事の紹介へ話が移ったので、カウントはそこで中断した。
どうやら私は胡散臭さ菌67が発する胡散臭いかほりは耐えられるらしい。

ちなみに、ポロシャツの襟を立て(30)、サマーセーターを肩からかけている(45)業界人気取り(40)のプロデューサー(20)は、胡散臭さ菌135で完全アウトである。

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第1回 富士山国際ヒルクライムサイクルロードレース

2004年10月27日 | 日記

町の西端が富士山頂まで達する、静岡県駿東郡小山町で、10月24日 「第1回 富士山国際ヒルクライムサイクルロードレース」が開催された。
これは、町の財源が富士山の登山客による観光収入を主とする小山町が、来客数が減るこの季節に、財源確保と富士山に比べて知名度が低い小山町の町興しの為に、企画・開催したらしい。

『距離 11.8km標高差 1200m(800~2000m)平均勾配 10%ついに実現!富士山を!あなたはやれますか?世界レベルの激坂!最大勾配22%!!』
検索でヒットしたサイトより

このレース、2年後に絶対出よう。私はこのニュースを聞いて、このままお蔵入りしそうだった(私のボロ自動車よりも高価な)ロードの自転車の晴れ舞台を決めた。
制限時間の2時間半以内に、果たしてゴールできるのだろうか?ゴールまでの距離約11キロは、以前ロードタイプの自転車で通っていた片道の通勤距離なので、全く問題ない。
大問題なのは、最大勾配22%の世界レベルの激坂!である。さらに、延々と続くやや急勾配の登り坂。これはかなりきつい事が予想される。
数年前に、2度ほどMTBの耐久レースに出場したが、二つとも登りあり下りありのコースだった。しかし、このレースは登りオンリーだ。

2年前、私の町から西伊豆土肥までのツーリング(100キロ以上はあった?)に参加した時、西伊豆の海岸線の山道を、クロカン用MTBでは最低スペックの私のマシーンで、必死に登った。でも、戸田の山を越えたところでギブアップだった。
登り好きな私だけど、その時はかなりキツカッた。スピードメーターを見たら、時速5~7キロ程しか出ていおらず、歩くペースとほぼ変わらないなのだ。となると、もうココで降りてしまおうか・・・と何度も思うのだが、中々悔しくて降りる決心がつかず、ギアを一番軽くして、進まなくても一生懸命こぎ捲くるのだ。ちょうど、マラソンの中盤から最後にかけての苦しさがずっと続く感じである。
しかしこの苦しさが、普段私に不足がちな『頑張ってる感』を満足させてくれるのだ。(多分潜在的な部分で私はM気味なのかもしれない。)苦しいけど楽しいのである。

これまで自分の腰のケガの治癒に無関心だった私だが、このレースのおかげで、治療やリハビリに意欲がわいてきた気がする。
来年の再手術を終え、主治医の許可がおりたら早速トレーニングを始めよう。2年後の「第3回 富士山国際ヒルクライムサイクルロードレース」出場目指して!
(初回のレース参加者のコース感触は良かったらしい。もしかしたら、第三回目あたりには、海外からの招待選手なども参加するかもしれない。)

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お掃除ソングと危険なダンス欲

2004年10月27日 | 映画・音楽・読書

今日、さ~て音楽でも聴きながらお仕事(ネットサーフィン)でもしようか、と特に選曲せずにコンポの再生ボタンを押し、PC前に腰掛けた時。突如、私の中でダンス欲が勃発した。
本来ならお仕事しながら何気なく聴くはずだった音楽。そうメインはお仕事(ネットサーフィン)だった。しかしセレクトされたCDトレイに入っていたCDは、あの三代目お掃除ソング「ブルースブラザーズ」だったのだ。

あれ?なんだかおかしいぞ。急に体が勝手に・・・!気がついたら、二階の自室の床をミシミシと音鳴らし、無心にダンシング。それが何と極めて楽しのだ。霧雨が静かに景色をぬらす秋の午後、私は「ヤッー!」「フゥーッ!」「アゥ!」等と奇声を上げて、それはそれは踊りまくった。時には洋楽には絶対ありえない「それっ!」「よいしょっ!」「あっこーりゃっ!」等の合の手さえも登場した程、ありのままの自分をダンスで解き放ったのだ。それも一人きり。

お掃除ソングでお掃除以外の時に踊るのは極めて異例である。(嫌、実際はお掃除をしているから、あまり踊らない。)しかも、大人になってからの私は、盆踊りを除くダンスには非常に苦手意識が強く、大好きなバンドのライヴやアルコールが入っている時以外では、滅多にダンス欲は生まれないのである。もしも、生まれたとしても、ダンスは苦手というコンプレックスにダンス欲が勝利する事は余りない。

ちょうどアルバムの3曲目辺りまで踊りまくった頃、私の中から不安のつぶやきが聞こえた。私は一体いつまで踊るの?誰が私を止めてくれるのだろう・・・。
ここで偶然、誰かが部屋に来て、私にブレーキをかけてくれるのを願った。しかし、その願いは空しく4曲目のイントロと共に流れ去り、再び踊らなければならなくなった。
これは何か大きな力に踊らされているに違いない。そう思った瞬間、その大きな力をも踏み倒す勢いで私の腰が悲鳴を上げた。そうだった、私は腰をケガしているんだった!
ここで、やっと「部屋で一人踊りまくる」という特異な己の行動を冷静に判断できるほどに、私のダンス欲は治まったのである。

それにしても、これは一体どういう事か。私にとって「ブルースブラザーズ」はお掃除ソングでは留まらないダンス欲を過剰に刺激する危険なソングなのだろうか?でも、こんな事を意識してしまったら、明日のお掃除タイムが怖くてたまらない。それはお掃除そっちのけでダンシングしてしまう恐れがあるからだ。それどころか、お掃除しながらダンシングしてしまうかもしれないのだっ!
前傾姿勢が続くお掃除は、それだけで十分腰に負担がかかる。さらにダンシングなんてもっての他であり、このまま「ブルースブラザーズ」をお掃除ソング三代目にしてしまったらケガの回復が遅れてしまうよ!

どうやら私にとって「ブルースブラザーズ」は、危険なダンス欲をそそる、脅威のソングだったらしい。(その原因については余り深く追求しない)明日のお掃除ソングは無難に、二代目「買物ブギー」にしておこう。うーん、やっぱりお掃除ソングのセレクトは難しいなあ。

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ゴルゴ13の仕事術

2004年10月26日 | 映画・音楽・読書

戦前の文学 小説が好きだと言っておきながら、いきなりこんな本を紹介していいものかどうか迷ったが、私としては中々気に入っている一冊なので、「草の花」のついでに。

究極のビジネスマン ゴルゴ13の仕事術~なぜ彼は失敗しないのか~
〔濱田公一&デューク東郷研究所〕


この本は何年か前のビジネス雑誌の今月の紹介本コーナーで知った。
35のビジネスシーンにおいて、「秀才」「凡人」「バカ」「ゴルゴ」の4タイプをカテゴライズしたもの。
漫画「ゴルゴ13」の主人公デューク東郷についての様々な疑問や謎にも触れながら、デューク東郷の確固たる哲学と照らし合わせてビジネスシーンにおける4タイプの人間のパターンを、シビアにしたためた一冊。

真面目なんだかくだらないんだか、微妙にわからないが、私としてはそこが面白かった。
まず、デューク東郷の哲学が無条件でカッコイイ(ある意味笑える)。

例えば、私のお気に入りは、ビジネスシーンにおける「握手」について。
「ゴルゴの法則」は「利き腕を他人に預けない」
『利き腕を人にあずけるほど、俺は自信家じゃない・・・だから握手という習慣も・・・俺にはない』
世界をまたにかける、殺し屋スナイパーなのに、各国のクライアントとも決して握手をしない、ゴルゴの徹底した哲学。うーん、イケル。

他にも『報酬は依頼の「内容」よりも「意味」で決める。』など、殺し屋という仕事を肯定する意味ではなく、パーフェクトに依頼を全うするゴルゴのスタンスが、消化の仕方を間違えなければ(例えば、自分も殺し屋をやってみたい、ゴルゴになれる等)ある意味勉強になる。

「ビジネスライフに不安や疑問を持っている人」「ビジネスライフに自信のある(ない)人」「ゴルゴ13に興味のある人」「くだらな本が大好きな人」(←私はこれ)などにはお薦めの一冊だ。


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草の花 福永武彦

2004年10月26日 | 映画・音楽・読書

たまには、極めて苦手な本の感想などを書いてみようと思う。
読了した本についての感想はjeepwayの「良さ」を押付けない程よく読みたさをそそるそれを読むと、「私は読む専門でいいかな。」とも思うが、一応カテゴリーに「映画・音楽・読書」とあるので、一度くらいは書かなければ、と半ば使命感で試みてみる。

語彙に乏しく恐ろしい程読めない漢字ばかりの私。本の読み方は、わからない箇所はあくまでも「感じ」として流すかなりの斜め読みである。よって全くをもって身にならない読書である。(その前にIQの問題かもしれないが・・・)
そのくせ、好きな本は何度も繰り返して読むたちで(でも斜め読み)、好きな本に出会うとその本だけで長期間満足してしまう。(ある意味では燃費はいい)その姿勢は映画や音楽にも一貫している。いつも、著者やその他の作品についても、もっと深く興味を持てれば、少しは奥行きのある知識や感性を養えるのに、と思うのだが思うだけで終わる。

しかし、こんな私でも一応は好きな本があるのだから記してみようと思う。
それが、この福永武彦「草の花」だ。
福永武彦は大林監督の映画「廃市」の原作者だ。また大林監督は福永武彦が最愛の作家であり、最初に出会ったのが「草の花」だったらしい。私がこの本と出会ったのはこれがきっかけだった。しかし私は「草の花」以外の福永武彦の作品はまだ一冊も読んでいない。(「廃市」くらいは読もうよ!)
(以降fanshenの取りとめも無い文章が続きますので、お時間に余裕のない方、この本を読みたいと思っている方は、末文までショートカットしちゃって下さい。)

「草の花」は、結核を患いサナトリウムで療養中の「私」が、同じ施設である青年に出会い、その青年から渡されたノオトにあった青年の手記が、物語の大半を占める。
実は初読3分の1を終えたあたりまで、私はもしかしてこの話はホモセクシャルの話なのか?と思ってしまった。
しかしそれは大きな間違いだった。(この時点で私の読みの浅さが伺える。)その先を読むにつれ、「友情」の一言では語りきらず、親友として友を愛する青年の純粋な心の葛藤が美しく描写されており、思春期の青年の心のひだが痛いほどに伝わってきたのだ。
まだ異性への愛に目覚めていない、「人」を愛することへの不安や葛藤に明け暮れる青年の心情が、現代の若者と余りにもかけ離れていて、私には逆にそれが心地よかった。と同時に現代の若者にも、物語中の青年の様な純真さを持ち続けて欲しいとも思った。(できれば大人も)

またこの青年の背景に重く佇む「孤独」。現代よりも戦前の、人の愛・死・孤独を題材にした作品にめっぽう弱い私は、ページをめくる度にこの物語に魅了されて言った。
そして、軟らかな文体で表現された情景は、読みながら一瞬にしてその世界に引き込まれてしまう。無音の中広がる星空を眺める様とでも言おうか・・・。(うーん、やっぱりあまり上手く表現できない。)

もしも、私がこの物語の時代に生まれて、物語の青年の様な人物に出会ったなら私の目に彼はどんな風に映ったのだろう。恐らくこの青年を好きになっているかもしれない。私は、健やかに生きる人の姿を愛おしく思う反面、俗に言う陰のある人間から感じられる負の美しさにも無意識のうちに惹かれるのである。
物語の最後から、きっとこの青年は大人になって純真な心を失った自分、またその悲しみに終止符を打ちたかったのではないだろうか?とそんな青年の心情にも共感できた。

・・・とこのままだとダラダラ取りとめも無く続いてしまいそうなので、この辺で早めに締め。

福永武彦「草の花」はまだ熟れきらぬ孤独な魂の愛と死を、透明な時間の中に昇華させた、青春の鎮魂歌である。(By新潮文庫 裏表紙記載文より)
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残念賞のパイナップル

2004年10月25日 | 日記

今日、就職活動のため街へ出かけた。
主治医より12月から労務の許可が出た為、来年の再手術までの短期間、派遣のお仕事をしてみようかと考えている。

午前中に面接と登録手続きを済ませ、本命の仕事の有無はカメムシ色の感触だった。
その後は、街で働く友人Jとランチの約束をしていた為、それまでの1時間余りをつぶそうと商店街をぶらり歩いた。
商店街と交差する公園通りに差し掛かった時、その広場に止まっている献血車と「A型O型が不足しています!」という看板に目がいった。

私はここ数ヶ月家でごろごろしている無職A型の女性である。こんな私の血でも誰かのお役に立てるのならばいくらでも採っちゃってください!そんな思いで献血の申し込みカウンターまで勢いよく進んだ。
身分確認と問診表の記入を終え、献血車入り口にて待つ事数分。私の順番がやってきた。
まずは医師による問診から。

「今日の体調はいかがですか?」(医師)
「腰以外はバッチリです。」(F)
「腰?(問診表を見て)あっあなたは最近手術を受けてますね?」(医師)
「はい、5ヶ月ほど前事故で腰を骨折し手術を受けました。」(F)
「すると腰に金具か何か入ってますか?」(医師)
「はい、入ってます。」(F)
すると、医師は足元に置いてあった赤いファイル(これが怪しい)を手にとり、付き添いの看護士さんと相談を始めたのだ。そして、
「・・・これはまずいなぁ、術後半年たたないと駄目なんですよねぇ。」(医師)
「それは私は献血できないって事でしょうか?」(F)
「はい、せっかくですが。」(医師)
「・・・・。」(F)

地味にショックです。私の血はいらないって事ですか?
その時の私は、片腕にジャケットとスーツの上着、書類バッグをどっさり抱え、反対の腕は献血やる気満々で肩までブラウスの袖を捲くり上げ医師の前に差し出していた。そのままの状態で固まること2秒半。
はっと我に返った私は取り急ぎブラスの袖だけ直して、そそくさと入ったドアから再び外へ出た。

非常に残念だった。リハビリの為の休業と言っても、ここ数ヶ月働かずにのんびり過ごしている私は、社会に対して後ろめたさと罪悪感を抱かずにはいられなかった。今日献血車を見た時、そんな私の血液でも必要としている人が居るかもしれない、だから献血をすれば少し癒されそうな予感がしたのだ。誰かに必要とされたい、ただその想いにかられ、やる気満々で向かった献血だった。

どうして?私が無職だから?それともわが県でNO.1を誇る貧乏だから?(痔だから?それなら最近すこぶる調子がよいのよ!)
そんな想いをため息にすら、する事ができず「私は働けない、献血できない役立たずの人間なんだ」と劣等感をかみ締め、とぼとぼと献血車を後にしようとした時、ニコニコしたおじさんが献血の粗品を渡そうと私のもとへ走り寄って来た。

「今日は献血してくださってありがとうございます!」
と私の気持ちを逆なでする見事な一言。(fanshenここで完全にノックアウト、善意無過失の人間の言葉ほどその衝撃は想像以上にデカイのだ。)
「すみません・・・献血できませんでした。」(F)
「あ・・・そうなんですか。でもまあせっかくだからお気持ちだけ受け取りましたという事でこれどうぞ!」
と献血できなくて残念でした!と言わんばかりの笑顔のおじさんから、無理やり手渡された粗品はラグビーボール大のパイナップル丸ごと一本
「・・・あ、ありがとうございます。」(F)
これは一体なに?一瞬、このおじさんは残念賞のトロフィーと間違えてパイナップル持ってきちゃったのか?と思ったほど。(どっちをもらっても困る)納得して受け取るのに少々時間がかかった。

何の因果か知らないがその後から一日中パイナップルを持って歩く事になった私。
のんびりした秋の午後を足取り軽く街で過ごす予定が、友人Jとのランチ、百貨店のウィンドショッピングと、残念賞のパイナップル丸ごと一本片手に困り顔でとぼとぼと街を歩いて周った。

そして、立ち寄ったお店の店員さん全てに「そのパイナップル・・・どうしたんですか?」と必ず質問され、そのたび献血できなかったショックにチクリと胸は痛むは、「あ、ちょっと・・・。」と濁した返事をしなければならないはで、帰る頃にはパイナップルの重さにも耐えられず、かなりうんざり。
だがここまでくるとスーツ姿にパイナップルを抱えた自分の状況がいささか滑稽にも思え、こんな午後もたまにはあり?と苦笑してしぶしぶ家路を辿ったのだった。

とはいえ、幸せなランチの味と友人Jとのランチタイムがあったから今日はこれでマル!

追記)今日、静岡市街でパイナップルを持って歩いている人を見かけたら、その人達は献血をした心優しい善い人なんです。(fanshen除く)
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お掃除ソング

2004年10月25日 | 映画・音楽・読書

小学生時代、学校のお掃除の時間に音楽が流れていたせいか、私はお掃除をする時、どうしてもお掃除ソングが欲しくなる。

いつの頃からか自室のお掃除をする際は必ずノリノリの音楽をかけ自分の気持ちを無理やり盛り上げながら作業をするのが定着していた。私の場合、お掃除よりも音楽の選曲がかなり重要なポイントとなる。どうしたものか選曲したソングがイマイチだとお掃除が全くはかどらないのだ。

お掃除ソングの第一条件は「無条件にノリノリ」、第二に「聴かせすぎるヴォーカルはNG」、第三に「合の手が入れたくなる曲」である。
ここ10年間のうち、fanshen的ノリノリソングとして見事セレクトされたソングはたったの2曲。
初代お掃除ソングは「MOTOWN LEGENDS JACKSON 5」、二代目は「笠置シヅ子の買物ブギー」。
このお掃除ソングのセレクトは意外と難しく、10年間に2曲ではいささか飽きるので、これまでネビルブラザーズ、マイコー、ストーンズ、JB、ボブ・マーリー、スペシャルズ、ジプシーキング、ベンフォールズ、オリジナル・ラブ、橋幸夫、光GENJI・・・と沢山の様々なジャンルの音楽を試したが、これだ!というソングに中々出会わないのである。
基本的にメローな音楽をこよなく愛する性分なので、ノリノリの音楽の選曲は苦手なのかもしれない。

ところが!最近ついに3代目のお掃除ソングが決定したのである。
それはあの『THE BLUES BROTHERS』だ。(ここは一応正式名で)
きっかけは、愛しい甥っ子のダンスだった。
つい先日、義兄からラッキーにもブルースブラザーズの音源を譲ってもらい何気なくかけた所、部屋に居た甥っ子がブルースブラザーズの音楽に合わせてそれはもう可愛く(←叔母バカ)踊りまくったのだ。
そんな甥っ子の姿を見て、居てもたっても居られなくなった私は(骨折した腰が完治してない事をすっかり忘れて)一緒に踊りまくってしまった。いやあ、それはもう楽しかったですよ。

と叔母バカ丸出しの結果、3代目お掃除ソングが見事決定。
その翌日から、朝のお掃除タイムの時はブルースブラザーズをかけ、ノリノリでお掃除をしている私であった。
日本文化を愛する私としては、洋楽ばかりでなく邦楽も試したいところだが、未だ平成の歌謡曲がランクインしそうな気配はない。

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秋のご馳走

2004年10月24日 | 日記

毎年この季節になるとfanshen家には新潟の父の実家から収穫したての新米が届く。
この新米を見ると毎年fanshen的秋のご馳走を想像する。

それは、鉄釜を使用してかまどで炊いた、炊きたてのご飯の上に、うずらの卵を入れよくかき混ぜた納豆をのせ、純国産の紀州梅だけの塩分でご飯を食すというものだ。
未だ実食したことのないこの秋のご馳走は、「生きているうちにいつか食べれたら・・・」という私的なある種の「生きがい」の様な存在にもなりつつある。

しかし、今年限りはその想像は慎むことにした。
新米の収穫後だったから、農家のその被害は少なかったものの、やはり大地震の惨事は痛々しい傷跡を大地にも人にも残す。
その人と大地がなければ、私の秋のご馳走を想像する事もできないのだから。
新潟や近県の地震による被害の復旧支援が迅速に進み、一日も早く元の生活に戻れることを心からお祈りする。

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パンポン全国大会

2004年10月24日 | 日記

今朝の食卓で母と「ストレス性の下痢」についてあれこれ話した。(一応食後だったけど)
「適度な運動は能にストレスを与える為ストレスに強い神経を養える」という私のどこかで聞いた話から始まって、現代の社会人には運動不足が目立つ→お昼休みの過ごし方という話題まで話が進んだ。

そこで母がこう言った。
「お母さんが会社勤めをしていた頃、お昼休みに男性社員はみな外に出て、キャッチボールやパンポンをやっていたよ。」

パンポン?(ピンポンじゃなくて?)

母の話によると、パンポンとは、卓球と同じ様なコートが地面にありテニス大のボールに木の板切れをラケットとして、卓球と同じルールで点を競うらしい。
どうやらその競技は母が務めた「Inspire the Next」でも知られている某企業オリジナルの競技で、当時その会社では「パンポン全国大会」なるものが開催されていたという。

高度経済成長期に守られたサラリーマンだったとしても、なんとまあのんびりしたお話だろうか。
現代では、不景気、不景気と叫ばれ、お昼休みを返上してまでも利益を求め走り回る企業戦士らが沢山いる。
いつだか私は、お昼時の県庁や市役所近辺を歩いた時、キャッチボールしているサラリーマンを見かけ、「公務員はお気楽でいいなあ~」などと思った事がある。
極端なことを言えば、キャッチボールなど適度な運動をしてお昼休みを過ごせるサラリーマンは、国民の税金によって守られている公務員くらいしかいないのではないだろうか、とまで思う事も容易なご時世だ。

「健全な肉体に健全な精神が宿る」という言葉通り、やはり健やかに生きてこそ、社会にとっても有益な経済活動ができるのであって、社会貢献にも繋がるのだと思う。

という事で浅知恵fanshenは全国の企業に向けて、大人も子供も楽しめる(だろう)パンポンの復活を提案したい。
ネーミングからしてゆるゆるのパンポンは、疲れきった現代人にはもってこいの娯楽になるのではないだろうか。
パンポンが大ブレイクした暁には、パンポン公式サイトを開設し、公式ユニホーム、チーム名入りラケット(木板)やストラップなどのグッツ販売なども手掛けてみようか。
そのうち、なんとパンポンがオリンピック競技として認められ、日本人選手が初金メダルを獲得したりして。

もしかして。パンポンで一攫千金も夢じゃない?
ブラックティッシュに次ぐ億万長者の道が新たに拓かれた様な気がする・・・。(錯覚だろうが)



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無防備な姿

2004年10月24日 | 日記

昨日、久しぶりに電車でお出かけした。
ここしばらく通っていない商店街を抜けてバス停まで歩いた。
その商店街終端にある私の同級生の実家でもある理髪店の前を通り過ぎた時、理髪店内のシートに横たわる無防備この上ないおっさんの寝顔がいきなり私の視界に飛び込んできた。

見ず知らずのおっさんの寝顔、それは普通に考えれば無関心な上に遠慮願いたい映像でもある。
ところが、今日のそれは、何故かとても印象的で微笑ましささえも感じたのだ。

私はそれからバス停に着いてバスに乗った後も、そのおっさんの無防備な寝顔がずっと頭から離れず、どうしてここまで微笑ましく思えるのか、少しだけ考えてみた。
その結果、やはりキーワードは「無防備」だと思った。

恐らくあのおっさんは、理髪店のシートで横になり顔の剃りを終えた所だったのだろう。首まで覆われたケープで両手の自由をやや奪われ、なすがままに横たわり温かいタオルが顔に載せられ、流血をも想像できる剃刀を持った理髪店主人にその身を投げ出す。もしもバイオレンスな主人だったら、剃刀で攻撃してくる事も無くはないが、もはや抵抗するには遅すぎるその体勢から、全てを潔く諦めた結果、リラックス感が拍車をかけ心地よい睡魔に誘われる。これは大の男が、家庭外では余り見せることのない、とことん無防備な姿ではなかろうか。

ひげ面もシワもハゲ頭も抜きにすれば、あのおっさんの無防備な寝顔は純真無垢な子供の寝顔にも通じるものがあるのだ。きっと私はおっさんの寝顔を見て、それと同種の母性本能が私の中に芽生えたのだろう。
これは私にとって衝撃的な発見でだった。なんせ、見知らぬおっさんの寝顔が母性本能を刺激するアイテムとして、純真無垢な子供の寝顔の次にいきなりランクインしてきたのだから。

信じ難い自分の母性本能のありように気付いてしまった、秋の午後の一瞬だった。

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