翻 身 Fanshen

いつの日か『翻身』を遂げる事を夢見て
歩き続ける想いの旅。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

お風呂上りのせつない行程

2004年09月29日 | 日記

はぁ・・・書く前からせつなくてたまらない。

お風呂上りの女性の姿は、男性から見たらもちろん、女性から見たって非常に色っぽいものである。
頭にタオル、胴にバスタオルを巻き、脚を組んで鏡台の前に座って、化粧水や美容液をパタパタと付ける仕草はたまらない。
fanshenだって小さい頃からずーっとそんな大人の女性になることが憧れであった。

だのに、現実は切ない程にかなり違った。

fanshenの場合。
お風呂上りに胴にバスタオルを巻き、顔に化粧水をパタパタと付ける。(ココまではいい。)
その後、育毛剤を手にとり頭皮にまんべんなく付け、トンットンッ、ゴシゴシとすり込み、すぐさま洗面所に駆け込み除菌・手洗い。
最後にボ○ギノールを一指し指につけ患部に塗り、すぐさま洗面所に駆け込み除菌・手洗い。
そして、一息つく「ふぅー」。

全体的に忙しく、せわしない。そして、全く色っぽくない。

しかも、普通の女性は、お風呂上りは薄桃色に火照った顔をしているのに対し、私は顔は火照っていても頭皮はスースーしているのである。せ、せつない・・・。

こんな私でもたった一度だけ「色っぽい」と言われたことがある。

ある日、郵便局での用を済ませ、喫煙コーナーで一休みしていた時。
もう定年退職までカウントダウン状態らしい気ままな臭いがプンプンしているおじさんがたが、やれやれと言った感じで私の近くに座ってきた。
きっかけは何であったか覚えていないが、気がついたらそのおじさんがたと私も話をしていた。
その話の中であるおじさんが、「あなたの雰囲気は色っぽいね~」と言ったのだ。

しかし、その時のおじさんの台詞は私にとって、過疎が進む田舎でもう何十年も若者を見ていないおじさんたちが、久しぶりに帰省した近所の子供を見て、「大きくなったな。めんこい、めんこい。」と言っている様にしか聞こえず、私が切望する「色っぽさ」とはかけ離れたものであった。
だが後にも先にも「色っぽい」という言葉を他人からかけられたのはその時しかない。
そんな「色っぽさ」でも私にとってはたった一つの勲章である。

こうして書くと余計に切なくなってきた。(だったら書かなければいいのに)
fanshenのこのお風呂上りのせつない行程は一体いつまで続けなければならないのであろうか。


コメント (6)

たっぷりの満足感

2004年09月28日 | 日記

私は特段料理が得意というわけではないが、ごくたまに作る。(作るというか、混ぜるというか、その程度の料理である)

母親や料理好きの人が作る家庭料理以外は、(私の料理のレベルだと)自分で作る料理よりお店屋さんで食べる料理の方が遥かに美味しい。
だが、自分で作って食べる料理は「食べる事」に対して我侭に満足感が味わえる。
なぜなら、自分のさじ加減で「たっぷり」を思う存分楽しめるからである。

例えば。
たっぷりのオリーブオイル、たっぷりのチーズ、たっぷりのバジルペーストや、たっぷりのバター、たっぷりのアンチョビ、たっぷりの昆布とかおつからとった出汁や、たっぷりのお酒で作った煮物、たっぷりのゴマを使った胡麻和え、たっぷりの生クリームで作るケーキなど、挙げていったら切が無いが、この食材や調味料を惜しみなくたっぷり使って調理していると、作っている最中から生唾を飲み込む程、食欲を刺激し、言いようのない満足感を味わえる。
Mよりの私なんかは、こんなに沢山使ったら体に悪いだろうなぁ・・・なんて思いながら作る事もポイントである。

出来上がった料理は、必ずしも美味しくなかったり、見た目も悪かったりするのだが、それまでに蓄積されたたっぷりの満足感がマジックを起こし、食したとき美味しく感じさせるのだ。
誰にも文句を言わせず、誰のさじ加減でもなく、自分の思うままに作り、食せるたっぷりの満足感
これだけは、高級レストランビップルームのプライベートキッチンでシェフ直々に調理してもらう事以外には、味わえない満足感だと思う。

また、たっぷりの満足感は質素な料理でも十分味わえるのだ。
昨日は、フランスパン一切れに、マヨネーズを薄く塗り残っていた明太子一切れと、とろけるチーズをのせオーブンで焼くだけだった。この場合、チーズをたっぷり使った。
フランスパン一切れ、残りの明太子一切れ、とろけるチーズ、マヨネーズで味わえるたっぷりの満足感
料理というより、食材を重ねて焼いただけ、という非常に低い技術力でも問題なく味わえる。

どうやって美味しい物を作ろうかと考えるより、いかにして美味しさを味わうか(又は楽しむか)を考えた方が、素人レベルの料理では、成功率が高いように思われる。
食材でも調味料でも何か一つ自分の好きなものをたっぷり使って料理する事で、料理はうんと楽しくなり、その味もうんと美味しくするのではないだろうか?

(または、私の「美味しさ」の基準値がかなり低いかのどっちかだろう。)
コメント

前向き駐車

2004年09月27日 | 日記

ネガティブにも色々な傾向がある。

私の場合。

最近、住宅に隣接する大型店の駐車場でこんな看板を見かける。

「近隣住民にご迷惑をおかけしますので、前向きに駐車してください。

私はこの看板を見ると、言いようの無いプレッシャーに駆られ、気持ちが沈む。
理由は決して前向き駐車が苦手なわけではない。

常にネガティブである自分に劣等感を持っている私にとって、この看板の文章は

「近隣住民にご迷惑をおかけしますので、前向きな気持ちで駐車してください。

と言っている様に感じてならない。
同じ様な看板がある駐車場にたて続けに訪れてしまった時には、まるで私がネガティブである事が周智の事実であり、

「ほら、いつも後ろばかり向いてないで、たまにはポジティブに生きなさい、まずは駐車から、はい、前向き駐車!

と、誰かから言われている様で、

「私にはできません。ごめんなさい。」

と謝りたい気分になるのだ。
これは意外と参る。そこに「前向きに」という言葉があるために自分が「後ろ向き」な事をわざわざ思い知らされるのである。

今日行ったお店にもその看板があった。
それを見た私は、立ち直りが自分より早く、良い意味で楽観主義である友人のことを思い出した。しかも彼女は前向き駐車が得意ときている。

「やっぱり、前向き駐車は気持ちも前向きでないと上手に駐車できないのであろうか?」

とふと考えさせられてしまった。さらに、それに比べて私は・・・とまた予定外の場所で落ち込むのである。

あの駐車場の看板は、付近の住民にとっては無くてはならない物だが、ネガティブな私にとってはあってはならない看板なのだ。手前勝手な言い分なのは重々承知だが、

「近隣住民にご迷惑をおかけしますので、正面から突っ込んで駐車してください。

と変えるわけにはいかないだろうか?

コメント (4)

突っ込みたい衝動

2004年09月27日 | 日記


先日実姉からこんなメールがきた。

---------------

小話

先日、動物園に行った。
全く動かない動物の前で私の後ろにいたカップルの男が


男 「なんかクンセイみたい。・・・・。あれ?クンセイ?なんか違うよね。
   なんだっけ?クンセイでいいよね?」

女 「何を言いたいのかわからない」


私は「はく製だろ!」とつっこみたい衝動をおさえるのに必死でした。

---------------

姉が頑張っておさえた「突っ込みたい衝動」にとても共感した。
さらに、このカップルのかみ合わなさが歯がゆい。
しかし、この時の登場人物3人(男・女・姉)の中で歯がゆさを感じていたのは男と姉だけで、女はきっと何も感じていないだろう。

そう思うと、そのマイペースさが羨ましいとも思う。


コメント (2)

我が愛しの田中邦衛さん

2004年09月26日 | 日記

今夜は待ちに待った田中邦衛さんのトークショーだった。

最初は、邦衛さんの姿はなく、イタリア料理店のコース料理を楽しみ、デザートの時間になる頃にあわせて邦衛さんのトークショーが始まる、という予定であった。
となると、コース料理などどうでもよい。早く食べて、早く会いたい。いっそうのこと、「コース」ではなく「ワンプレート」でお料理を持ってきてはくれないだろうか、と逸る気持ちで一杯だった。

デザートのケーキが私のテーブルに運ばれ、ケーキを食べ始めたその時、お店の入り口から邦衛さんが登場した!
しばらくは、ウェイティングコーナーに腰掛けて奥様となにやら話していた様だったが、邦衛さんの姿を見た時から、私のケーキを食べる手は完全に止まった。

憧れの田中邦衛さんである!
本当に田中邦衛さんなんだ!


その頃店内は食事中のお客さんがガヤガヤと話をしており、まだ邦衛さんの存在に気付いていない人が沢山いた。
トークショーは始まっていないのに、私の目はもう田中邦衛さんに釘付けであった。

きっと、そんな私の熱い視線を邦衛さんはひしひしと感じたのだろう。
奥様との話の途中で、ふと顔をこちらに向け、邦衛さんのつぶらな瞳がこの私を捕らえたのだ!
邦衛さんは、軽く頭を下げ、私に向かって会釈してくれた。
目と目で通じ合ったのだ。

ブラボー!!!!!
生きててよかった。


トークショーの内容は、黒沢監督、山田洋二監督、北の国からの杉田監督の話など、役者としての邦衛さんの姿勢や、感性など知ることができ、とても楽しいお話を聞けた。

邦衛さんのトークは、言葉と言葉の間がアベレージ3.5秒はあり、その間を全てつめれば、もう少し長くトークの時間がとれたのでは?と思うふしもあるが、それも邦衛さん独自の持ち味であり、余計にその愛しさを増すのだ。

そして最後に、邦衛さんへの質問タイムがもうけられた。
これは、邦衛さんとマンツーマンで話せる人生最後のチャンスかもしれない。

「はい!」と元気よく私は手をあげた。

手をあげたものの、質問内容をこの3つの中からどれにしようか一瞬迷った。
「役や映画についての真面目な質問。」
「好みの男性である、邦衛さん自身についての質問。」
「他お客さんの笑をとる質問」

邦衛さんはその時、「な~んでも良いので、どしどし気軽にご質問ください。」と言っていたのだ。
邦衛、邦衛と言い続けてもう十数年になる私には、役より映画より、男性としての邦衛にとても興味があった。
また、あなたを男性として想う女がここにいる、ということをアピールしたかったのだ。

「あ、あの・・・北の国からの五郎さんは、離婚した奥さん役の石田あゆみさんを想っていますが、邦衛さんご自身は、石田あゆみさんとその妹役の竹下景子さんとどちらがタイプの女性ですか?」

何故か会場は私の質問にバカうけであった。(何故笑うのかわからないが・・・)

き、聞いてしまった。「好きな男性のタイプは田中邦衛」と言い続けた私が、邦衛さんに好みの女性タイプを聞いてしまったのだ。
本当なら、「私との将来についてはどうお考えですか?」と質問したかった。でもそんな発言をしたら、ストーカーだと思われてしまう危険があるので、やめておいた。


「いやぁ・・・お二人とも素敵な女性でして・・・そうだなぁ・・・・・・」

私はわくわくであった。この答えを聞き「邦衛好みの女になろう」と決意していた。

「・・・・奥さんの前でそんな事答えられるかっ!バッカヤロゥ~!」

そして会場は再びバカうけであった。
ああ、邦衛さんに怒られちゃった・・・幸せ。

「す、すみません。おかしなこと聞きまして。」

ああ、邦衛さんに謝っちゃった・・・幸せ。

「いや、いいんだよ。でも、本当に二人とも素敵な女性だったんですよ。」


その後も何人もの人からの質問を邦衛さん独特のトークでかわし、トークショーが終わった。

それから、私は誰よりも早く「写真を一緒に撮らせて下さい!」と申し出て、握手もしてもらった。
私の行動をみて、他のお客さんも続々と撮影を申し出て、邦衛さんはにこやかに対応していた。

その時の邦衛さんの様子を眺めていたら、邦衛さんは、お客さんと撮影する際、その手を一緒に映るお客さんの背中にさり気なく回している事に気がついた。

私の時は回してくれたのかしら?そうだとしたら、邦衛さんのぬくもりを実感できずに終わってしまうのは非常に悔しい。

そう思った私は、他のお客さんらが続々と帰り始める中、どーしてもその場を離れる決心がつかなかった。
結局、最後まで残り、もう一度写真を一緒に撮ってもらい握手して、ようやく諦めがつき、そのお店を後にした。


明日から、「北の国から」と「学校」をもう一度観なおしてみよう。
きっと、今までとは違った新鮮な気持ちで、ドラマや映画の中の邦衛さんとまた出会えるかもしれない。

今日の出来事は誰にも羨ましがられなくても、私にとっては自慢したくてたまらない、素敵な夜だった。

コメント (4)

女同士の楽しい時間

2004年09月26日 | 日記

昨日改めて、女友達はいいもんだ、と思った。
気兼ねはしないは、話題は明るいは、耳寄り情報は満載だは。
私は特定の友達(親友)はいるが、複数で頻繁に集まれる女友達は少ない。(いや、いないかな?)
だから昨日のように、複数で遊んだのは久方ぶりだった為、妙に実感してしまったのである。

最近、毎週の定例会となりつつある同士且つ師匠のH氏とのお茶会での話は、労働法、明治の代表的な文豪、芸術写真について等、大半の話題提供はH氏だが、この話題のラインナップはかなり渋い。
それに比べ、女同士の話題は、美味しい料理店、リラクゼーションエステ、旅行、スイーツ等、あげていったら切が無いほど話題は豊富であり、さらに明るいのである。

H氏とのその楽しさが、桜の花や紅葉をしみじみ眺めて茶をすする楽しさとすれば、女同士のそれは、春のお花畑を笑いながらスキップふんでいる楽しさである。
現在、走る事や飛ぶ事ができない私は、気持ちだけでも軽やかでありたいのだ。

もちろん、H氏とのお茶会も楽しい。70年安保闘争の時代を全力疾走で駆け抜けてきた世代の方の話は多少融通は効かなくても、私にとっては勉強になることばかりだし、面白いことも沢山ある。(意外と話題も尽きないのである)
しかし、普段女性の話題に接する機会が少ない私は、女同士の時間を楽しめてこそ、やっぱり自分も女だったんだ!と再確認できた、貴重な機会でもあった。

女はいくら年をとっても、しゃべらない盆栽とはお友達にはなれないのである。
H氏とのお茶会ももちろんだが、この女同士の楽しい時間は女性として生きる上で必要不可欠な時間である。
(ガッテン!×5)
コメント

納得できない。

2004年09月25日 | 日記

私は以前の仕事場で、ローカルテレビ番組の番組制作会議に出席することが何度かあった。
その会議に出席すると必ず納得できずイライラする事がある。

番組は視聴率が命であり、会議ではいかにして高視聴率がとれる番組にするかを主に話し合うのである。
その際、ターゲットをどの年齢のどんな層にするかも、重要な視点であり、私が納得できない事が発生するポイントもそこである。

彼ら(制作ディレクターやプロデューサー)は女子高生は「女子高生」、OLは「OL」、子供や家族は「ファミリー層」、と呼ぶのに対して、35~49歳の女性の事は「F2層、又はF2」と呼ぶのである。

このF2とは「個人視聴率の集計区分の俗称」であり、F1=女性20~34歳、F2=女性35~49歳、F3=女性50歳以上を言い、逆に男は、M1、M2、M3と言う。
これは、これで、いい。特に意義申し立てする気はない、だが!
百歩譲って女子高生は「女子高生」でもいいとしても、OLは「F1」と呼ばず「OL」と呼ぶのに対して、女性35~49歳は何故「F2」と呼ぶのか!失礼極まりないと言ったらありゃしない。

女性35~49歳を区分する総称がないとしても、「若奥さんや大人の女性層」とか「いい塩梅に熟した女性層」など、他にもた~くさん(?)その年齢層の女性を呼ぶ名はあると思うのだ。想像力が足らん。

まだ私は「F2層」ではないので、その会議中、単純にイライラしているだけで言いのだが、その会議にまさに「F2層」の女性社員がいようもんなら、イライラの上ハラハラしなくてはならないのだ。

また、F1層の最低年齢(20歳)から見た最高年齢(34歳)に対し、F2層の最低年齢(35歳)から見た最高年齢(49歳)は、女性としてのイメージがかなり違う!
そこは乙女心をしっかりくみ取り、もっと、もっと、もーっと!細かく区切るべきである。
(F1層はそのままでいい、20歳も34歳も対して変わらない。20歳のギャルもF1層であり、私も同じ仲間のF1層である。逆に区切られると困る。)

テレビ局にとって、視聴者はお客様であり、それをF2などと言う俗称で一括りにしてしまうとは、何事だ!
お客様は神様です、この事その胸によーく刻み込んで番組制作会議を行うこと、彼らに強く希望します。

コメント (2)

表現の自由

2004年09月25日 | 日記


日本国憲法での「自由権」とは基本的人権の中で最も基礎となる権利である。
そのうち「精神の自由」の一つに第21条では「表現の自由」を保障している。
これは内面的精神活動の産物を外部に表す自由をいう。
そして表現の手段は問わない。

何故突然こんなことを言い出したのかというと、この権利を我が物顔で濫用している人が身近におり、(jeepwayの旅行話で火がつき)私はその人に対して反論すべく、参考書(なんのだ)をひらいたのだ。
その相手にこの場をかりてどうしても物申したい。

母は固有名詞を正確に覚えようとしない。そしてその姿勢を頑なに崩そうともしない。
いくら権利が行使するものであっても、決して濫用してはならないのだ!
これら、私の母の行為・姿勢全般に対して不満があるのだ。その実態は・・・。


先日、旅行の話をしていた時、

「ねえ、今度の旅行、ピザ(PIZZA)は大丈夫かしら?」(母

としきりに聞いてきたので、

「そんなの、現地に行ってから沢山食べられるよ。今決めなくても。」(fanshen

と返答していた。しかし、一向に話がかみ合わないのである。
よくよく聞いてみると、入国査証 ビザ(VISA)のことであった。

「お母さん、それを言うならビザ(VISA)でしょ・・・。」(fanshen

と言っても

「いいのよピザ(PIZZA)で。大体の見当つけなさい。あんたも気が利かないねぇ。」(母

母流・自由権の行使である。

その他にも特に目立った濫用は、

アンコールワット→「マリーアントワネット」

玉置浩二→「たまおきこうじ」


私がこの誤り(過ち)を訂正しようとすれば、

「どんな言葉で表したって、お母さんの自由じゃないの!」(母

と逆切れである。何度その間違いを訂正しても、頑なに崩そうとしない姿勢をより固めてしまうのだ。
しかし母の主張する表現の自由は、この3つの例でいえば「たまおきこうじ」しか立証されない。
他はみんな他固有名詞のパクリであり、オリジナリティーがない。

確かにアンコールワット→「マリーアントワネット」と変換してしまうことは、内面的精神活動なのかもしれないが、産物として表現された言葉は、すでになにかやどこかの固有のものであり、表現方法がまずい。

実は言い間違いや勘違いで間違った発言をしたのに、その間違え方が母的にGOODだと、それ以降わざとその言葉を使うのだ。
知っていて知らない振りをする、これは完全に法律で言うところの悪意である。

また、この母の自由権の濫用を笑ってやり過ごせないのには訳があるのだ。
それは子供であるfanshenにしっかり遺伝しているのだ。

話は高校時代までさかのぼる。
当時、私とjeepwayの間ではアメリカの連続ドラマ「ツインピークス」が流行っていた。
私はそのドラマがきっかけでデビット・リンチ監督の存在を知った。
ある日、jeepwayのお父さんが運転する車に乗り、その話をしていた時。

「レオナルド・ダビンチが、レオナルド・ダビンチが・・・・」と私はデビット・リンチと完全に言っているつもりで、ずっとその話をしていた。

するとjeepwayのお父さんが「お~い、レオナルド・ダビンチは大分前に死んでるぞぉ~」と私の濫用に歯止めをかけてくれたのだ。

jeepwayのお父さんのおかげで、不特定多数の前での自由権の濫用を回避する事ができたわけである。
やはり母にもその間違いを訂正し指摘してくる人が必要なのだ。

母よ、これは表現の自由では決してなく、勘違い、覚え違い、言い間違いである!
速やかに、自分の間違いを認め、自由権をfanshen家の範囲外でも放棄しなさい。
さもなければ、近い将来とても恥ずかしい思いをする事になります。




コメント

検証!金曜日のブロガーたち

2004年09月25日 | 日記

知ってましたか?みなさん。
金曜日のブログは、その他の曜日に比べて、ブロガー事情がじゃっかん違うんです。

それは、記事アップ&レスポンスが遅い!(きっぱり)

週末、みなさん、一週間の心身(からだ)の疲れを癒すため、遊びに(飲みに)行っている率が高いんです。
私の様に、リハビリ期間中で夜の外出はひかえなければならない人間には、ブログから金曜日の夜の臭いがプンプンに感じるんです。
終日、人との接点が限りなくゼロに近い私には、ブログからひしひしと伝わってくる花の金曜日的楽しい雰囲気が痛い。
いいなぁ・・・。遊びに行きたいな・・・。飲みに行きたいな・・・。仕事したいな・・・。

「あっ!今日、ブログチェックするの忘れちゃった♪」と言えるほど忙しくなりたいもんだ。
早く普通に働ける様にならないかな・・・。


これじゃ、「検証」もなにも、愚痴っただけか。(反省)

コメント

ドラッグストア マジック

2004年09月24日 | 日記

無防備にドラッグストアに入ると毎回不本意な結果に終わる。

いつも、たった1つの必要なモノを求めて入店しても、帰る時には必要なものが沢山になっている。
今日も「マキロン」¥980を買いに行っただけなのに、レジのお姉さんから告げられた合計金額は¥4,188。なぜだ!

ドラッグストア。あそこには魔物が潜んでいるに違いない。

コメント (4)

決断できない2つのこと

2004年09月24日 | 日記

優柔不断の典型的A型の私には、どっちだっていいのだけど、どうしても決断できない2つのことがある。

①「初心者マークを外す時期」

9月1日に第一種普通自動車初心者運転者として任期を満了し、もうそろそろ若葉マークを外してもよいのだが、私の場合、交通事故の入院とリハビリで実際の所、初心者運転者としての運転キャリアは8ヶ月間しかない。若葉マークは付ける義務はあっても、外す義務はないのである。

運転に弱気な私は、気持ちとしては一生若葉マークを付けて、時期がきたらそのままもみじマークへと移行したいと考えているが、世の中には好い人ばかりではなく、悪い人も沢山いるわけで、若葉マークは至極なめられるわけである。
はて、いつ頃この若葉マークを外したらいいものか・・・。

今日、ちょっとした度胸試しに前方の若葉マークだけ外して運転してみた。
しかし、これだと、警察に見つかった時、本当は付けなければならない若葉マークを外していると思われ、呼び止められてしまうかも、とドキドキしてならなかった。

やはり、外すなら一気に前後両方を外した方がよい。
後は度胸の問題の様な気もする。


②パスポートの有効期限5年?10年?

数年前にパスポートの有効期限が切れ、これから新規発給申請する。
手数料は5年間有効で10,000円、10年間有効で15,000円である。
私のような微妙な年齢だと、ここは非常に迷うのである。

女性の場合、結婚で名前や住所が変わった場合、そこでまた新規発給申請をしなければならない。
5年後と10年後、めでたく結婚している確率は遥かに10年後の方が高いのだが、これから5年以内に結婚できたらいいな、という希望が捨てられない。
ここで、10年有効のパスポート申請を行ってしまうと、自ら5年以上は結婚できないことを予言している様で怖い。

また5年間有効で10,000円、10年間有効で15,000円という価格差の問題もある。
有効年数は2倍になっているのに対して手数料は1.5倍。
10年間有効のパスポートが持つ、このお買い得感が捨てられない。

8年間有効12,500円位のものがあるとちょうどいい。


若葉マークを外す時期はこれからゆっくり考えればいいが、
10月末に海外へ逃亡するため、パスポートは一日も早く申請しなければならない。

ああ、どうしよう・・・・。

コメント (2)

大阪弁が欲しい

2004年09月23日 | 日記

方言はあげたり、もらったりするものではないと重々承知なのですが、現在のfanshen家では非常に大阪弁を欲している。
正確に言えば、大阪弁で突っ込んでくれる人をだ。

突っ込みたい人は二人いる。

まずは父親。
この人は話は長いし、新聞やニュースで誰もが既知の事をまるで自分しか知りえない事実かのように話すのである。
でも、「お父さん、それ新聞で読んだよ、ニュースでやってたよ。」と水をさすような発言をしようもんなら、「お父さんの話を聞いてくれたっていいじゃないかぁ!また皆でお父さんの話がくどいとか言うのか。」とウルウルした目で訴えてくるのである。
こうなると非常に面倒であり、どんなに「お父さんは、お父さんなりに皆に話を聞いてもらえるように、頑張っているんだ。」と可愛そうなお父さん役で責めてきても、それは私にとっては「売られた喧嘩」であり、いくら親のすねをかじっている身分であろうが、徹底的に対戦状態になるのである。

だから、そこで「あんた何ゆーてんねん。そらもうとっくのとんまに知ってまっせ。アホカ。」と重みのない言葉ながらも、バシと相手を打ちのめす突っ込みを入れさえすれば、父親もそれ以上の発言はひかえるのではないか・・・。
この突っ込みは、握手を求めてきた相手にイキナリハグする感じである。

二人目はお祖母ちゃん。
お祖母ちゃんは何にも悪くないのだが96歳にもなるとお祖母ちゃんの頭には、「今」と「ずっと昔」以外、その間の出来事は殆どメモリーされない。
多いときは5分おきに、月日、曜日を確認してくる。私はその度初めて聞いたつもりで普通に答えるのだが、お祖母ちゃんが実の母親である、私の母は、毎日のそのやり取りに少し参っているようだ。
毎日のんびりと「今」を生きているお祖母ちゃんのマイペース加減は少なからず私の母をイライラさせ、そんな母を私がまた非難して、とお祖母ちゃんのおとぼけ具合が遠因で母と私の仲までギクシャクするのである。

だから、ここでも「アンタ何べん聞いてるとおもーてはるのや。ボケるのはまだ早いっちゅーねん!しっかりしーや。」と大阪弁でキレよく突っ込んで頂きたい。お祖母ちゃんがこの言葉を聞いたら、「大阪の人ですか、はるばる遠い所からよくいらっしゃった。」と言うだけだろうし、こんな突っ込みを自分以外の人が言ってくれたら、母親のストレスも解消し、もしかしたら、そんな強い事言わないで下さい!と逆にお祖母ちゃんへの愛情を確認するかもしれないのだ。

私の知る範囲の大阪弁はストレートな言葉のわりには、重さがなく、リズム感があって、耳にも気持ちがいい。
音声の波形で言うならば、縦の波形は尖って大きくギザギザと振幅しているのだが、波形の横幅が短い感じ。要は余韻が余りない。
突っ込みよりボケ系の家系であるfanshen家には、なりふり構わず突っ込む人が現在最も必要な人材である。

「高齢化社会」から「高齢社会」へと突入した今日、fanshen家も今後確実に「突っ込み不足」が深刻になるわけで、この現象が日本各地に広まれば、確実に日本は大阪弁で突っ込んでくれる人の需要が拡大し、今のうちに大阪弁で突っ込んでくれる人を確保する事が賢く、楽しい老後を過ごせるカギである。(かもしれない。)

コメント

早朝クッキング

2004年09月23日 | 日記

またしても早朝に小腹がすいた。
早速一階へ行き、日中は母の城であるキッチンを思う存分を我が物顔で占領した。
しかし、今日はコレが食べたい!という強い欲求ががない。
炊飯ジャーにはまだ炊き上がっていないお米が、パスタはこの前食べたし、ラーメンではいささか重い。

はて、何を食そうか・・・と考えていたらふとガレット!と思いついた。
そうか、そうか、今朝はガレットを食べればいいんだな、と納得しながら準備を始めようとしたその時。

あれ?ガレットって何だっけ?
確か・・・そば粉を使った料理だった様な、あれ小麦粉だっけ?
んん?ガレットって一体何者だ?
そんな洒落たもの作ったことはないぞ!


そこで手が止まると思ったら大間違い。
今引き下がる訳にはいかないが、これからガレットをネットで調べるのも面倒くさい。
「あなた!これはガレットじゃありません!」と叱る相手もここには居ないし。
ガレットもどきだっていいじゃないか!いいや、作っちゃおう♪

思うままにfanshenのガレットを作り始めた。

作り方は簡単且つスピーディー。
ここで、fanshenが思いつくままに作った手順をご紹介します。

(ガレットは確か生地があったはず。生地といえば小麦粉だ。)

ボールに適当に小麦粉を入れて、適当に水を入れ混ぜる。
(なんかちょっと玉になってるぞ、まあいいか。)

(具もあったな・・・冷蔵庫から使えそうな食材をチョイス。と言っても2種類だけ)

玉ねぎとウインナーをスライス。

ついさっき小麦粉を混ぜたボールを見ると、かんばしくない様子。
小麦粉が沈殿していて、上澄みの水が濁った白をしている。
(うーん、これはまずい。)

冷蔵庫から卵を取り出し加えて混ぜる。
(うん、うん、なかなかいい感じの色具合だ。)

だが、ここでは決して色が重要なわけではない。あくまでもよさそうな感じである。

スライスした玉ねぎとウインナーをフライパンでいため、夕方に母が作ったトマトフォンデュを加えひと煮立ちさせ、塩、胡椒で味を調える。

もう一つのフライパンにオイルをひき、ボールの生地を全て入れる。
生地の表面にいくつか空気のふくらみが出来てきたら、さっき炒めた具をのせる。
その上に、とろけるチーズをのせ、しばらく火を通したら、生地で具をつつみ、完成。

fanshen流ガレットの出来上がりだ。
(というより、お好み焼きか?)

なんと!思いつきで作ったわりには、これが中々の美味であった。
小麦粉の量に対して水や卵の水分が多かったせいか、一見オムレツにも見えるが
私がガレットだと思って食べればガレットである。

ここまで書いて、やっぱりガレットはそば粉だった様な気がしてきたが
まあ、細かいことは抜きにして、美味しかったからヨシとしよう。

私が適当に作ったわりには、上出来であったが、人に出せる味でもなかったかも。
でも、調理の簡単さといい、見た目といい、味といい、トータルでみれば60点ってとこかな。まずまずである。
生地が卵だけでなく、小麦粉が入っている為、食べた後に満腹感もほどよくある一品だ。

ここで、より美味しく食べる為の注意点。

思いつきの自作料理には出来上がりに対して高望みしない事。
適当に作ってレストランの味を出せるくらいだったら、料理人になっているはず。
何者でもない自分が作る料理に最高の美味しさを求めるのは筋違いである。
思い上がった態度ではいけない。常に謙虚な姿勢で食さなければならないのだ。

また、周りに炊き立てのご飯、母が作った煮物、サンドウィッチやケーキなど、魅力的なものがそろっている時に食べても決してこの満足感は味わえない。
朝の、まだ誰も起きていない、コンビニに行くのも面倒くさい、昨日の夜の残り物もない、自分が作らなければ誰も作ってくれない、こういう制限の中作るからこそ、実力以上の美味しさを味わえるのである。

以上を厳守して調理できるならば、このfanshen流ガレット、是非お試しあれ。
コメント

あなたならどうする?

2004年09月22日 | 恥の肥し

私は去年の9月に第一種運転免許を取得したばかり。
すなわち、それ以前までは、車の運転ができなかった。

去年の4月に転職を決意した私は、その就職活動をするにあたり、運転免許はあった方が有利な事を人よりかなり遅れて気が付き、当時在籍していた会社に勤めながらも、せっせと自動車学校に通っていた。
そんな中、ある会社に転職の目星をつけ、面接を受けることになった。

面接には欠かせない履歴書。私は恥ずかしながら資格欄に書ける資格は何一つ持っていない。
何者でもない女27歳の転職活動は思っていた以上に厳しく、希望の職種且つ給料を満たす会社に入るのには難しい所か、選べる立場にも中々なれなかった。
しかし、面接までこぎつけたその会社は、先の条件を全て満たしていたのだ。
私は何としてでもその会社に入りたい、とかなり意気込んで面接へ挑んだ。

その会社は当時在籍中だった会社の取引先でもあった為、社長と担当者とは面識もあり、面接は和やかムードで行われた。
そして、社長の履歴書を確かめるその目が資格欄に届いた時。

「ん?これは一体どういう事だろう・・・?」(社長)

と社長は履歴書を、横に座る人事担当者に確認させた。

「え?何ですか?これ。」(人事担当者)

担当者も同じ台詞を言って、苦笑しながら履歴書上のある部分を指差し私に見せた。

<免許・資格>
平成15年6月 仮運転免許取得

(以下空欄)

その頃私は、まだ自動車学校に通っている途中であり、仮免許試験に合格したてでもあった。
仮免許と言えども私にとっては、人生初めての「免許取得」であり、何としてでもその会社に入りたい強い思いから持っている免許は全て書き自分をアピールしなければ!とそれはもう力強い字で平成15年6月 仮運転免許取得と書いたのだ。
どうやらその選択はまずかったらしい・・・。

「これって、仮免許までは取ったけど、その後は止めちゃったって事なの?」(人事担当者)

とんでもない誤解をされていた。

「いえ、違うんです!現在自動車学校に通っておりまして、これから本免の試験を受け運転免許を取得するんです。現在はまだ仮免許ですが、仮免許と言っても、仮免許練習標識をつけ、貴社の3年以上の運転経験者の方が助手席に乗って頂ければ、外回りだって私は運転できるんです、ご、ご安心ください!」(fanshen)

私はかなり必死だった。
仮免許しか持っていない社員に社用車を運転させる無謀な会社などあるわけがないし、きっとその時の問題はそういう話では無かったと思う。
単純にいつ運転免許を取れるかをきちんと冷静に伝えれば良かったのだ。

「そうか、でも普通は書かないでしょ。仮免許じゃ。苦笑」(社長)

ああ、どうしよう・・・仮免許が原因で不採用になってしまったら。
仮運転免許取得なんて書かない方が良かったのかも知れない・・・。

心配と後悔で私の頭はグチャグチャになり、その後の面接の内容はあまり詳しくは覚えていない。
ただ、自分が思ったほどその面接の雰囲気は悪化していなかったようだ。

なぜなら、実務経験などの採用基準は全く無視して、「本免試験一発合格!」を条件として私の採用が内定したからだ。
私にとっては嘘みたいな嬉しい話である。
そして、入社後、車での出張の際は若葉マーク持参で同行した。

結果的には理解ある会社だったから良かったものの、私にはこの結末にちょっとした不安が残る。
果たして、ああいう場合、仮運転免許取得と資格欄に書いたことが妥当かどうか。
私のあの突っ走った判断基準は、この先の運命を良くも悪くも大きく変えてしまう気がした。

世間の人々は、この場合仮運転免許取得と履歴書に書くのだろうか?


コメント (4)

思い込みのぶ厚い壁

2004年09月21日 | 日記


私はここの所色々と心労がたまり気味であり、その性で大分痩せてしまった。
これは、女性なら喜ぶべきことなのであるが、今回の私の場合どう見ても健康的な痩せ方ではなく、見た目的にもキレイに痩せたとは言い難い。

それでも、昔はきつかったパンツが余裕をもって楽に穿けたり、ジーンズを選ぶ時もインチをそこまで気にしなくても試着できるなど、ささやかな喜びはあるものだ。

しかし、いくら体重が数キロ落ちても太ももが数センチ細くなっても、鏡に映った自分の手足はやっぱり太い
脂肪が落ちて欲しくない場所はすっかり落ち、手足だけは中々細くならならないのだ。
そう簡単に喜ばしてはくれない。

先日友人にそんな愚痴をポツリと言ったら

「fanshenの手足は細くなったって!」

と友人は即答した。

友人は客観的視点で細くなったと言う。
体重も減っているし、サイズもダウンしている。
よって、確実に以前より細くなっているはずだ。

それでも鏡に映った自分の脚は以前と変わらず太い。
どう頑張って見ても細くなったと思えない。

どうやら私と鏡の間には「思い込み」と言う、ぶ厚い壁があるに違いない。
(か、以前が極太で現在が普通に太いかだが、今回この場合は除く。)

この「思い込みの壁」はある意味皮下脂肪よりぶ厚いのだ。
「人の心」には、いかなる権力であっても干渉できないはず。
これは、民主主義の前提であり、明治以降初めて日本国憲法において保障された内心の絶対的自由は非常に崇高な理想である。
よってこの「思い込み」は意外とやっかいであり、どんな権力をもってもこのぶ厚い壁は崩れないのである。

そのため脚が太いぶんざいでスカートなんか穿くんじゃない!という心の叫び声は、私がスカートを穿く行為を絶対に許さない。(注:fanshen限定への心の叫び)
私だけでなく「思い込みのぶ厚い壁」に悩まされる世の女性は意外と沢山いると思う。

だが、本心はスカートも穿きたいし、脚が(以前と比べて)細くなった事実は立証されているのにそれを実感できないのは、いささかやるせない。

どうにかして、この頑強なぶ厚い壁を崩す事はできないものか・・・?

(あっさり)できる。
(極端に言えば)法律でも崩す事を許されていないこの壁を、唯一崩せる貴重且つ重要な宣言があるのだ。
それは、大好きな人からの「そんな事ない宣言」である。
この場合のそんな事は「脚が太い」事であり、故に「そんな事ない宣言」とは「fanshenの脚は太くないよ宣言」である。

よくドラマで、恋人の信じ難い事実(浮気など)を知った女がヒステリックに「お願い!そんな事ない、そんな事ないって言ってよ!」と泣きながら訴えるシーンがある。
ここで男があっさり「そんな事ないよ。」と言えば円満解決、ハッピーエンドとなり、恋人の「そんな事ない宣言」には救われる確率がかなり高い。

「そんな事ない宣言」「そんな事」は誠実で公共の福祉に反しない限りどんな事にも当てはめることが出来き、広義に解釈できる宣言である。よって宣言の内容が必ず事実でなくとも、実はそんな事あっても全然OK。

注意点として、私の場合、脚が太い自分がスカートを穿くことを自分で禁じているのだから、「fanshenはスカートも似合うよ。」ではなく、「fanshenの脚は太くないよ。」と脚の太さを絶対的に否定しなければこの宣言は全く意味が無い。
よって、「そんな事ない宣言」「スカートが似合わなく無いよ。」とか「可愛くなく無いよ。」など、「そんな事」にネガティブな内容が限定されるなど、やや使い勝手は悪い。

さらにこの「そんな事ない宣言」には私にとって絶望的で、絶対的な拘束性が唯一あるのだ。
自分の大好きな人による「そんな事ない宣言」だからこそ効力があり、大好きな人が居ない人にとっては、条件に合う人の宣言が聞けない以上、効力を期待するチャンスすらないのだ。



結論、現在大好きな人が居ない私の「思い込みのぶ厚い壁」が崩れる確率=

「好きな人と出会う確率」+「その相手も自分を好きになる確率」=かなり低い!(涙)


注釈1:文中の「脚が細い」という表現はあくまでも、「以前に比べて」であり、決して一般的に細いというわけではありません。
注釈2:思い込みの壁が存在すると思うこと事態が思い込みであり、事実を受入れられない単なる逃避の壁という説もあり、これについては一部の学会(何のだ?)で、現在も論争中である。


コメント