翻 身 Fanshen

いつの日か『翻身』を遂げる事を夢見て
歩き続ける想いの旅。

ライスワークとライフワーク

2008年06月07日 | 日記
ライスワークとライフワーク

先日、日本でベストセラーを生む5名の名物編集者に選ばれた
とある人が言っていた。

自分の仕事はあくまでもライスワーク。
ライフワークは別にある、と。

仕事は嫌なことも辛いことも沢山ある。
それでもご飯を食べるために、どれも必要なことで
好きなこと=仕事につながる人はまれだと。
自分の仕事はあくまでもライスワークで
ライフワークは別にあり。
人生を通して携わっていきたいあることをしていくために
今の仕事が有効だともいっていた。

そうして自分のライフワークを充実していこうと
思うと、上司が無能だから、評価や給料が低いか、とか
いろいろな言い訳をせずとも、ライスワークはおのずと
充実するらしい。
それができない人にはきっとその人のライフワークが
ないのではないか、と。

世間からみたら立派な成功者が、その仕事をあくまでも
ライスワークと割り切って名言している、という事実が
励まされる思いと、やりきれない苛立ちが自分を襲う。

その人はそうは言っていないけど
やっぱりライスワークとライフワークはずっと深いところで
つながっているんだと思う。
目に見える形ではなく、何かその人の根本というか本質的なところで。

今、目の前にある、やらなければならないこと、とやりたいこと。
その配分がハッキリしていれば、何も悩むことなどない。

でも(自分を含めて)多くの人は、やらなければならないストレスを
抱えているのにもかかわらず、やりたいことを名言できない
ストレスを同時に抱えている。
私の言葉で言うなら"本当の自分とつながっていない"という感覚だ。

私はいつもライスワークに翻弄される。
でもその人の言葉を聞いて、自分のライスワークが
ライフワークにつながるのかもしれない、という
新しい希望というか、発見ができた。


共通言語の力

2008年06月06日 | 日記
先日、友人から1冊の本を借りた。

(またその条件も面白い。2週間後に図書館で借りたその本を
返す必要がある。まだ十分に時間がるから、大丈夫だろう、との
ことでその友人は私に本をあたえた。
でも通常、活字に弱い私からしたら、2週間という期間は
決して長いものではない。
しかも、すでに2冊ほど併読している現状。
それが3冊になるプレッシャーは意外とデカイ)

そのエッセイにあった"義務スープ"という言葉が私にヒットした。

野菜が苦手で肉大好きな著者は、自分の体を心配して
野菜テンコ盛のスープを必ずとるようにしているらしい。
その名も"義務スープ"。

さらにその著者はお酒が大好き。
2日酔いの特効薬にぬかりがないものの
結局よいものに出会ったことがないらしいが
ついにその最たるものとご対面したとのこと。

その名も"アミノバイタル乾杯いきいき"。

飲んだ後にこれを飲めば、翌日のスッキリすることこの上ないらしい。
(どれだけ何かを飲んだら気が済むのだろうと思わざるをえないが)


そこで思うのがネーミングの力だ。

"アミノバイタル乾杯いきき"も
"義務スープ"もその名づけ親の視点と感性、
そのものの目的と役割にとても興味がわく。

共通言語、とまではいかずとも
合言葉的な何かに人の求心力は高まるのだろう。

そしてまた、そんな言葉に出会える文章と
出会ったことが嬉しい。

結局、共通言語を求めているんだな、と思った。

気がつくと、言葉を伝えようとしなくとも
感じてくれる人と近く過ごしているような気がする。

そんな錯覚を覚えさせてくれる言葉を用いた
事象に人間は弱い。

そんなことを思いつつも、言葉ではない何かとか
でもやっぱり言葉だよな・・・とか
言葉とそうでない何かとの狭間で、自分を楽しませてくれるのが
"YASUJI東京"だ。
これも大切な人から頂いた、一冊。
杉浦日向子さんの著書。(というか漫画かな)

きっと無人島に行くとき、持っていきたい1冊にランクインする
一冊だと思う。
年内に安治(YASUJI)の絵を観に、東京へ行きたいと思う。

誰かが誰かに何かを伝えよう(伝えたい)と
した結果、共通の言語が生まれて
それに気持ちが活性化されるという構図に
素直な喜びを感じずにはいられない、今日この頃です。

KY講習

2008年06月01日 | 日記
少し前、わたしからみたら最もKYな人から
あるメールをもらった。

「この前、KY講習をしたのでその資料を
とある場所に置きました。参考までにご覧ください」

その資料を見ると
K(危険)Y(予知)の講習だった。


危険を予知することと
空気を読むこと、

果たしてどちらが大切なのだろう。

無いものねだり

2008年06月01日 | 日記
半年くらい前から、わたしのミニコンポが壊れてしまった。

友人から格安で譲り受けた、音の具合もそれなりに
気に入っていたコンポ。

以前、テレビで観た。

家電製品の故障の原因は7割がホコリで、
とある修理業者では、ビデオデッキやステレオを分解して
中性洗剤で水洗いし、天日でしっかり乾かすとあら不思議、
何の問題もなく正常に動作する、といった取材。

よし。
コンポを分解して、水洗いまではせずとも
掃除機でホコリをキレイに落として
再度、組み立てた。

CDを挿入。ブラボー。
ちゃんと動くではないですか。

でもこれは2カ月前の出来事。
結局、今はまた動かず。
先日、聞きたくて入れた「セルマ・グレーセン」の
CDも飲み込まれたママ帰ってこない。

となると人は急に無いものねだりを始める。

実は、普段の私の生活に、そこまで頻繁に
そのコンポの出番があるわけではない。

でももう、PCでも、i-Podでも嫌なのだ。
どうしてもそのコンポであのCDを聴きたくて
どうしようもなくなる。

普段なら求めないふとした時にでも
どうしても欲しくなるのだ。


「先生、最近、わたしのコンポが動かなくて
好きな音楽が聴けないんです」

「そうですか・・・普段はどの位、そのコンポで
音楽を聴いているのですか?」

「1カ月に1度くらいでしょうか・・・」

「そうですか。その頻度ならばきっと代替品で
ケアできるのではないでしょうか?
それがダメなら、あなたの場合、"無い無い病"の
ひきはじめですね」

「"ナイナイ病"ってなんですか?」

「ようは無いものねだりですよ。隣の芝は青いって言うでしょ?
自分に無いものばかり敏感になり、精神的に満たされない状態が
続くことを言うんです」

「治す方法や特効薬はあるんでしょうか・・・」

「特効薬ではありませんが"アルアル病"ってご存知ですか?」

「知りません・・・」

「一種の思い込みです。例えばその壊れたコンポ。
音が鳴らないけれども、そこにアルわけじゃないですか。
コンポを持っていない人からしたら、CDを入れるチャンスも無い。
コンポがアルわけですから、故障を直せば、またすばらしい音楽に
出会えるチャンスがアルわけです。ナイナイ病もアルアル病も
同じある種の思い込みですが、状態からするとアルアル病の
患者さんの方が比較的、笑っていますね」

自分の芝が青かろうと、隣の芝が青かろうと
結局は、病気なのかもしれないけど。
やっぱり笑っていたいと思うわたしは、
"アルアル病"に感染したい。