お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

大岩山砦

2014-11-23 07:38:28 | 滋賀県
 大岩山砦

2014/10/8

滋賀県長浜市のお城めぐり

 賤ヶ岳合戦のときに柴田勝家の甥佐久間盛政に攻め落とされた中川清秀の陣城

≪ お城の概要 ≫

城名: 大岩山砦
よみ: オオイワヤマ
別称: 下余呉砦
所在地: 滋賀県長浜市余呉町坂口
現状: 山
築城年代: 天正十一年(1583)
築城者: 中川清秀
形式: 砦
遺構: 郭・横矢掛り・土塁・虎口
規模: 標高約240m
文化財:
訪城日: 2010/9/19・2014/10/8


≪ 訪城記 ≫

岩崎山砦から大岩山砦に向かう。

賤ヶ岳登山道をさらに登り、約15分で林道に出る。しばらく林道を進むと左側の賤ヶ岳標柱案内板がある階段を登って再び山中に入る。さらに約5分で中川清秀の墓の案内板のある大岩山砦入口の坂に着く。この入口に縄張図付の小さな説明板がある。坂を登った先に削平地があり、両側に低い土塁跡、東側に虎口跡、西側に横矢掛りがある。奥には中川清秀の墓、墓の奥にも土塁跡、この土塁横から奥に入って行った先にも削平地らしき広がりがある。
入口に戻り、登山道を約10分進んだところに首洗い池の説明板があり、左下約50mに中川清秀の首を洗ったという首洗い池があり、今も水が出ている。


≪ 歴 史 ≫

天正十一年 (1583) 賤ヶ岳合戦で摂津茨木城主中川清秀が陣城を築く。しかし、四月二十日、柴田勝家の甥佐久間盛政の急襲により大岩山・岩崎山の両砦が陥落、中川清秀は奮戦するが討死する。その後、佐久間盛政は大岩山砦を占領し続けたため、秀吉方の追撃を受け敗北する。

≪ 写 真 ≫


中川清秀の墓


大岩山砦


土塁跡


虎口


横矢掛り


墓の奥の土塁跡


入口の坂


首洗い池


首洗い池の降口


現地大岩山砦跡縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線余呉駅から徒歩約10分で賤ヶ岳登山口、登山口から登ること約25分で大岩山砦跡に着く。
<車>
北陸道木之本ICを降りて木之本IC口交差点信号を直進、国道365号を北上、余呉湖口交差点信号を左折、県道33号を西進、JR北陸本線踏切を渡り、約300m進んだ三叉路を斜め左折して川沿いに進んだ余呉湖畔にある余呉湖観光館前駐車場すると良い。ここから約300m東進した賤ヶ岳登山口、登山口から登ること約25分で大岩山砦跡に着く。


≪ 位置図 ≫

大岩山砦


賤ヶ岳登山口


紹介したお城の数 301城



近江城郭探訪―合戦の舞台を歩く
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滋賀県文化財保護協会




日本の名景 城郭 (Suiko books―日本の名景 (135))
森田 敏隆
光村推古書院

岩崎山砦

2014-11-22 06:02:56 | 滋賀県
 岩崎山砦

2014/10/8

滋賀県長浜市のお城めぐり

 賤ヶ岳合戦のときに摂津高槻城主高山右近より築かれた未完成の陣城

≪ お城の概要 ≫

城名: 岩崎山砦
よみ: イワサキヤマ
別称:
所在地: 滋賀県長浜市余呉町下余呉
現状: 山
築城年代: 天正十一年(1583)
築城者: 高山右近
形式: 砦
遺構: 主郭・西出郭・櫓台跡・犬走り
規模:
文化財:
訪城日: 2010/9/19・2014/10/8


≪ 訪城記 ≫

黒田城から賤ヶ岳砦へ向かう途中に岩崎山砦に寄る。

黒田官兵衛博覧会臨時駐車場をを出て国道365号を北上、余呉湖口交差点信号を左折、県道33号を西進、JR北陸本線踏切を渡り、約300m進んだ三叉路を斜め左折して川沿いに進んだ余呉湖畔にある余呉湖観光館前駐車場に車を駐車する。

徒歩で余呉湖観光館裏の山裾道を約300m東進した賤ヶ岳登山口から賤ヶ岳頂上を目指して登る。登山口には古い神社があり、横から登ること約5分で小さな縄張図付の説明板のある西出郭に着く。
西出郭は北に細長い、西出郭から東に犬走り状になった弓なりの道を進むと高山右近の本陣のあった小さな主郭の窪地があり、東側の高い部分に櫓跡があり、さらに奥に東出郭があるのですが、笹が繁茂していて良く分からない。


≪ 歴 史 ≫

天正十一年 (1583) 賤ヶ岳合戦のときの摂津高槻城主高山右近によって築かれるが、未完成だったため柴田勝家方の佐久間盛政が岩崎山・大岩山を奇襲によって落城、高山右近は羽柴秀長の本陣田上山に退却する。

≪ 写 真 ≫


岩崎山砦主郭


櫓台跡


主郭へ行く犬走り状の道


西出郭


西出郭入口


古い神社横の登山道


賤ヶ岳登山口


現地岩崎山砦跡縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線余呉駅から徒歩約10分で賤ヶ岳登山口、登山口から登ること約5分で岩崎山砦跡に着く。
<車>
北陸道木之本ICを降りて木之本IC口交差点信号を直進、国道365号を北上、余呉湖口交差点信号を左折、県道33号を西進、JR北陸本線踏切を渡り、約300m進んだ三叉路を斜め左折して川沿いに進んだ余呉湖畔にある余呉湖観光館前駐車場すると良い。ここから約300m東進した賤ヶ岳登山口、登山口から登ること約5分で岩崎山砦跡に着く。


≪ 位置図 ≫

岩崎山砦


賤ヶ岳登山口


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滋賀県文化財保護協会




城を攻める 城を守る (講談社現代新書)
伊東 潤
講談社

黒田城

2014-11-21 05:55:44 | 滋賀県
 黒田城

2014/10/8

滋賀県長浜市のお城めぐり

 筑前国福岡藩主黒田氏始祖の屋敷跡

≪ お城の概要 ≫

城名: 黒田城
よみ: クロダ
別称:
所在地: 滋賀県長浜市木之本町黒田
現状: 黒田集会所
築城年代:
築城者: 源宗清(黒田判官)
形式: 平城
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2010/11/12・2014/10/8


≪ 訪城記 ≫

自宅から黒田城へ向かう。

自宅を出て国道8号を北上、木之本三叉路信号を左折、北陸道高架下をくぐり、木之本IC前の木之本IC口交差点信号を右折、国道365号を約800m北上した交差点信号を右折して黒田集落に入る。入ってすぐに黒田官兵衛博覧会臨時駐車場があるのでここに車を駐車する。

信号から約350m東進した道の北側に黒田集会所があり、東側の庭園の北東角の御廟所の石塔と碑、説明板があるのみで遺構はない。


≪ 歴 史 ≫

筑前国福岡藩主黒田氏の始祖、源宗清(黒田判官)が館を構える。
永正八年 (1511) 六代黒田高政が船岡山の戦いで軍令違反を咎められ、黒田の地を去り、備前国邑久郡福岡に移り住む。


≪ 写 真 ≫


黒田城御廟所石塔と碑


御廟所石塔


黒田集会所

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線木之本駅から徒歩約1㎞、約20分。
<車>
北陸道木之本ICを降りて木之本IC口交差点信号を直進、国道365号を約800m北上した交差点信号を右折して黒田集落に入る。信号から約350m東進した道の北側に黒田集会所があり、東側の庭園の北東角の御廟所の石塔と碑、説明板がある。
信号を入ってすぐに黒田官兵衛博覧会臨時駐車場があるのでここに駐車すると良い。


≪ 位置図 ≫

黒田城(黒田集会所)


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戦国の城 (学研新書)
小和田 哲男
学習研究社

小川城

2014-11-17 05:56:39 | 滋賀県
 小川城

2014/10/1

滋賀県高島市のお城めぐり

 佐々木氏(高島氏)の家臣小川主膳正秀の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 小川城
よみ: オガワ
別称:
所在地: 滋賀県高島市安曇川町上小川
現状: 畑・田
築城年代:
築城者:
形式: 平城
遺構: 土塁
規模:
文化財:
訪城日: 2014/10/1


≪ 訪城記 ≫

大溝城から小川城に向かう。

打下城登城口の日吉神社まで戻り、JR近江高島駅前を通り近江高島駅口三叉路信号を左折、県道300号を北上、勝野交差点信号を右折、東進して国道勝野交差点信号を左折、国道161号側道を通って国道161号高島バイパスを北上、道の駅藤樹の里あどがわのある藤樹神社口信号を右折Uターンして約300m南下したところで側道に入り、約150m南下した交差点東側に小川城跡の小さな案内板北側畑地にL字型の土塁跡が残る。


≪ 歴 史 ≫

元亀年間 (1570-73) 織田信長の高島征服時に落城する。

≪ 写 真 ≫


小川城跡


土塁跡


小川城跡案内板

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR湖西線安曇川駅から徒歩約25分。
<車>
名神高速大津ICを降りて大津IC口信号を左折、坂を北へ降りていき本宮二丁目南信号を左折、国道1号東海道とJR東海道本線高架下をくぐり、北上して琵琶湖に向かい、京阪電気鉄道石山坂本線踏切を渡ってすぐの打出浜交差点信号を左折、県道18号を西進、大津港口から国道161号を琵琶湖岸沿いに北上、琵琶湖大橋交差点信号を左折、JR湖西線高架下をくぐり西進、真野IC口信号を右折して国道161号湖西道路へ側道を入り北上、道の駅藤樹の里あどがわのある藤樹神社口信号を右折Uターンして約300m南下したところで側道に入り、約150m南下した交差点東側に小川城跡の小さな案内板がある。


≪ 位置図 ≫

小川城


紹介したお城の数 298城



シンポジウム織田信長と謎の清水山城―近江・高嶋郡をめぐる攻防
新旭町教育委員会
サンライズ出版




近江の城―城が語る湖国の戦国史 (淡海文庫 (9))
中井 均
サンライズ印刷出版部

大溝城

2014-11-16 06:50:59 | 滋賀県
 大溝城

2014/10/1

滋賀県高島市のお城めぐり

 織田信長の甥織田信澄が築いた水城

≪ お城の概要 ≫

城名: 大溝城
よみ: オオミゾ
別称: 高島城
所在地: 滋賀県高島市勝野1667-14
現状: 大溝城跡
築城年代: 天正六年(1578)
築城者: 織田信澄
形式: 平城
遺構: 本丸天守台跡・石垣
規模: 600m×1,000m、標高86m
文化財: 市指定文化財
訪城日: 2009/12/25・2014/10/1


≪ 訪城記 ≫

打下城から大溝城へ向かう。

打下城登城口の日吉神社から徒歩で大溝城跡へ向かう。緩やかな坂道を降り、城山台自治会館横を左折、西進してJR湖西線高架下をくぐり、近江高島駅前を過ぎて近江高島駅口三叉路信号を斜め右折して約50m進んだ介護老人保健施設陽光の里東端に三の丸碑と大溝城案内板があるところを右に入り、施設沿いの道を南下すると左側の雑草池のような奥に石垣と竹林が見える。高島市民病院の駐車場柵沿いに進むと天守台跡正面に出る。徒歩約15分。
天守台跡石垣前に説明板と大溝城趾碑があり、天守台跡の石垣が残るのみです。
近江高島駅の駐車場前にも説明板がある。


大溝城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

天正六年 (1578) 織田信長の甥(信行の子)織田信澄が湖上交通の要港大溝港に大溝城を築く。縄張は明智光秀と伝わる。
天正十年六月二日 (1582) 明智光秀が謀反を起こし、本能寺の変で織田信長が討たれ、明智光秀の娘を妻としている織田信澄にも嫌疑がかかり、信澄は織田信長三男信孝と丹羽長秀に攻められ、大坂城二の丸千貫櫓で自害する。その後、大溝城主は丹羽長秀、長秀代官植田重安、加藤光泰、生駒親正、京極高次、織田三四郎、吉田修理と代わる。
元和五年 (1619) 伊勢上野から分部光信入部して旧大溝城に陣屋を構え大溝藩となり、以後、十三代続き明治維新を迎える。


≪ 写 真 ≫


大溝城天守台跡


天守台階段付近


大溝城趾碑


天守台南面石垣


天守台跡


天守台北側


天守台北西石垣


三の丸碑と案内板入口


現地説明板図面(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR湖西線近江高島駅から徒歩約10分。
<車>
名神高速大津ICを降りて大津IC口信号を左折、坂を北へ降りていき本宮二丁目南信号を左折、国道1号東海道とJR東海道本線高架下をくぐり、北上して琵琶湖に向かい、京阪電気鉄道石山坂本線踏切を渡ってすぐの打出浜交差点信号を左折、県道18号を西進、大津港口から国道161号を琵琶湖岸沿いに北上、琵琶湖大橋交差点信号を左折、JR湖西線高架下をくぐり西進、真野IC口信号を右折して国道161号湖西道路へ側道を入り北上、白髭神社を通り過ぎて約1.5㎞で近江高島駅方面へ行く三叉路分れ道を斜め左に入り、乙女が池沿いに北上、道が左に曲がった先の近江高島駅口三叉路信号手前の介護老人保健施設陽光の里東端に三の丸碑と大溝城案内板があるところを右に入り、施設沿いの道を南下すると左側の雑草池のような奥に石垣と竹林が見えるところが大溝城天守台跡です。駐車場は近江高島駅の駐車場を利用すると良い。


≪ 位置図 ≫

大溝城


紹介したお城の数 297城



近江の山城ベスト50を歩く
中井 均
サンライズ出版




近江城郭探訪―合戦の舞台を歩く
滋賀県教育委員会
滋賀県文化財保護協会