平和なムーミン谷は、ある夏の日、突然大洪水に巻き込まれ、ムーミン一家は住んでいた家が水浸しになってしまう。平和なムーミン谷は、ある夏の日、突然大洪水に巻き込まれ、ムーミン一家は住んでいた家が水浸しになってしまう。同じ洪水で流されたミーザンとウォンパとともに一家は別の家に移り住むが、そこは劇場だった。劇場の掃除人エンマからお芝居についての話を聞いた一家は、ひょんなことからお芝居を演じることになってしまう。
同じ洪水で流されたミーザンとウォンパとともに一家は別の家に移り住むが、そこは劇場だった。
劇場の掃除人エンマからお芝居についての話を聞いた一家は、ひょんなことからお芝居を演じることになってしまう。
ムーミン谷の夏まつり(Farlig midsommar)
フィンランドの女流作家・画家 トーベ・ヤンソン 1954刊行
日本では1965年矢崎源九郎訳、赤星亮衛挿絵「ムーミン谷はおおさわぎ」で偕成社から刊行された。
1968年下村隆一訳で「ムーミン谷の夏まつり」として講談社より刊行。
1945年「小さなトロールと大きな洪水」は日本では1990年まで刊行されなかった。
講談社ムーミン全集はこの次に刊行された『ムーミン谷の彗星」からの全8冊。
ムーミンシリーズは北欧フィンランドの大自然を感じながら、彗星接近や洪水などの天変地異にあっても、
各々のキャラクターの個性をお互いに尊重し、細かいデイテールを生かし、洪水で避難した劇場でも日常を素敵に暮らす。
北欧の夏は短く、冬が長い。
フィンランドの夏は6~8月中頃 夏至(一年で一番昼の長い日)は6月22日ごろで、日没が23時頃。
夏至まつりで焚火をみつめる。
ちょっと言葉が難しいので解説。
「帆前船」…帆を張って風で進む洋式の大型船。和式の帆船に対しての言い方。様式帆船。
「ヘクサメータ」へクサメトロス?詩形の一つ。ホメロスの「イリアス」「オデュッセイア」の詩形。「長・短・短・長・短・短」
拍、拍子、ヒント。古代ギリシャからの流れ。
「シュミーズ」(フランス語chemise)肌着。
「タール」(英語Teer)木材、石炭を乾留して製する。黒いネバネバした液体。防腐材、塗料にする。
トーベ・ヤンソンは1914年8月9日フィンランド首都ヘルシンキで彫刻家の父とグラフィックアーティストの母の間に生まれました。
スウェーデン語は公用語でもフィンランドの1割未満。言語少数派。
芸術家として15歳からイラストレーターとしてプロとして収入を得ていた。
長い戦争(第2次世界大戦)が終わって1945年「小さなトロールと大きな洪水」が出版。
子供のころに読んだジューヌ・ヴェルヌやコローディ(青い髪の少女)のテイストも 入れながら初めて書いたハッピーエンドのお話し。
第3作「たのしいムーミン一家」でフィンランド、スウェーデンで評価され、英訳されるとイギリスで大ヒットした。
新聞から漫画で火が付き、れから世界中で読まれることとなったのです。
同じ洪水で流されたミーザンとウォンパとともに一家は別の家に移り住むが、そこは劇場だった。
劇場の掃除人エンマからお芝居についての話を聞いた一家は、ひょんなことからお芝居を演じることになってしまう。
ムーミン谷の夏まつり(Farlig midsommar)
フィンランドの女流作家・画家 トーベ・ヤンソン 1954刊行
日本では1965年矢崎源九郎訳、赤星亮衛挿絵「ムーミン谷はおおさわぎ」で偕成社から刊行された。
1968年下村隆一訳で「ムーミン谷の夏まつり」として講談社より刊行。
1945年「小さなトロールと大きな洪水」は日本では1990年まで刊行されなかった。
講談社ムーミン全集はこの次に刊行された『ムーミン谷の彗星」からの全8冊。
ムーミンシリーズは北欧フィンランドの大自然を感じながら、彗星接近や洪水などの天変地異にあっても、
各々のキャラクターの個性をお互いに尊重し、細かいデイテールを生かし、洪水で避難した劇場でも日常を素敵に暮らす。
北欧の夏は短く、冬が長い。
フィンランドの夏は6~8月中頃 夏至(一年で一番昼の長い日)は6月22日ごろで、日没が23時頃。
夏至まつりで焚火をみつめる。
ちょっと言葉が難しいので解説。
「帆前船」…帆を張って風で進む洋式の大型船。和式の帆船に対しての言い方。様式帆船。
「ヘクサメータ」へクサメトロス?詩形の一つ。ホメロスの「イリアス」「オデュッセイア」の詩形。「長・短・短・長・短・短」
拍、拍子、ヒント。古代ギリシャからの流れ。
「シュミーズ」(フランス語chemise)肌着。
「タール」(英語Teer)木材、石炭を乾留して製する。黒いネバネバした液体。防腐材、塗料にする。
トーベ・ヤンソンは1914年8月9日フィンランド首都ヘルシンキで彫刻家の父とグラフィックアーティストの母の間に生まれました。
スウェーデン語は公用語でもフィンランドの1割未満。言語少数派。
芸術家として15歳からイラストレーターとしてプロとして収入を得ていた。
長い戦争(第2次世界大戦)が終わって1945年「小さなトロールと大きな洪水」が出版。
子供のころに読んだジューヌ・ヴェルヌやコローディ(青い髪の少女)のテイストも 入れながら初めて書いたハッピーエンドのお話し。
第3作「たのしいムーミン一家」でフィンランド、スウェーデンで評価され、英訳されるとイギリスで大ヒットした。
新聞から漫画で火が付き、れから世界中で読まれることとなったのです。