エッちゃんのSamba日記

40才からSamba/打楽器に目覚め、たぶん死ぬまでエッちゃんは呟いてます☆

桂枝雀「代書屋」

2011-03-25 00:21:09 | ドラマとかTVとか映画とか
好きだったな~この人の落語。
昔、落語はTVでよく見れた気がする。
あの明るい芸風から想像できない。天才は繊細で生真面目。
うつ病歴があるのね。
つい、書店で買ってしまった。
CDつきマガジン「落語 昭和の名人 完結編」小学館から隔週火曜日発売中。全26巻。

昭和14年8月13日神戸灘区出生、昭和20年6月神戸大空襲で罹災、鳥取県倉吉市に疎開、兵庫県伊丹市で小・中学生時代を過し、中学3年生で父親他界。定時制高校に通い、この時期「笑い」に目覚める。弟と兄弟の漫才で素人番組に。神戸大学は1年で中退。昭和36年桂桂米に弟子入り。小米として活躍も突然の欝。2ヶ月後、桂枝雀襲名。芸風も変わり、私の知ってる派手で明るい、無二な芸風に。歌舞伎座での独演会。終わっても観衆が帰らない。アンコールは落語には無理よね。英語でも演じている。『WHAT』何を喋るかではなく『HOW』いかにしゃべるか。
枝雀曰く『お客さんを笑わせているのではなく、笑われているとも思いません。お客さんと一緒に笑いたいんです。』
平成11年4月19日享年59歳。伝説の噺家だ。

桂枝雀「代書屋」

【歌詞】O MUNDO E' UM MOINHO - CARTOLA

2011-03-24 22:15:48 | 音楽とか曲とかについて
フルで歌詞をUPしてみよう。
やっぱし、ベッチの歌う動画が好き。カルトーラ本人のも良いんだけどね♪

O MUNDO E' UM MOINHO - CARTOLA


Ainda e cedo amor
愛する人よ
Mal comecastes
まだ早い
a cnhecer a vida
やっと人生を
J'a anuncias a hora da partida
歩みはじめたところなのに
Sem sader mesmo
もう旅立つことを決めてしまった
o rumo que ira's tomar
どこへ行くのかもわからないのに

Preste atencao querida
愛しい人よ
Embora eu saida
よく聞いておくれ
que esta's resolvida
あなたがもう決意したとしても
em cada esquina cai
人生には
um pouco a sua vida
沢山のつまづきがある
Em pouco tempo
そしてすぐに
nao seras mais o que e's
今のあなたでなくなってしまう

 
Ouca-me bem amor
愛する人よ
Preste atencao que
良く聞いておくれ
o mundo e' um moinho
世界はモインヨ(粉を引く機械)なのだ
Vai triturar teus sonhos
あなたの夢を砕き
tao mesquinhos
あなたの希望を
Vai reduzir as ilusoes a po'
粉にしてしまう


Preste atencao querida
良く聞いて
De cada amor
愛からあなたは
tu herdaras' so' o cinismo
世の中を恨むことを覚える
Quando notares
そして気が付いたときは
que estas a deira do abismo
崖っぷちに立たされている
Abismo que cavastes som teus pes
でもその崖は あなた自身がつくったもの


Mano Decio da Violaマノ デーシューディビオーラ…誰?

2011-03-24 20:59:49 | サンバ
Décio Antônio Carlos (Bahia, 14 de julho de 1909 - 18 de outubro de 1984) foi um compositor de sambas do Brasil.

Mudou-se com os pais para o Rio de Janeiro com um ano de idade, em 1930, com Bide e João de Barros, compôs seu primeiro samba ‘’Vem, meu amor’’.

Em 1947 ajudou a fundar a escola de samba Império Serrano, que foi quatro vezes campeã cantando sambas compostos pelo, já assim chamado, Mano Décio ao longo de sua vida compôs mais de 500 sambas, e gravou três LPs

Morreu às no dia 18 de outubro de 1984, atualmente Mano Décio da Viola é o nome de uma rua onde viveu em Madureira, subúrbio do Rio de Janeiro.

以下自動翻訳。なんのこっちゃ?

Decioカルロスアントニオは(バイーア、1909年7月14日-1984年10月18日)ブラジルのサンバの作曲家。

彼は最初のsamba''Come構成バイドとジョアンデバロス、私の愛と、1930年に一歳でリオデジャネイロに両親と一緒に移動。''を

1947年に彼は、4回は彼の人生を通じて、現在、いわゆる真野Decioで構成サンバを歌って、彼は500以上のサンバを構成優勝され、三LPを記録インペリオセラーノサンバスクールを見つけ、助け

彼は1984年10月18日に死亡し、現在、真野Decioダヴィオラ、彼はMadureira、リオデジャネイロの郊外に住んでいた通りの名前です。

サンバのエスコーラのインペリオセハーノに縁なのねきっと…。