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J@Dの備忘録

おっさんの備忘録
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カメラと写真映像の情報発信イベント CP+2013

2013年02月02日 | おでかけ


今日は曇りのち晴れ一時雨。朝の内は厚い雲が空を覆っていたが、昼前には雲が切れて、青空が広がってきた。今日は南の風が入ってきたということで、都心の気温は20℃を超えて3月下旬から6月上旬並みの陽気になったとのこと。冷たい空気に暖かい空気がぶつかるので、所によっては一時的に雨も降ったらしい。晴れても雲がとれない1日になった。
今日は妻が出勤のため外出したので、1日フリーになった。ならば、パシフィコ横浜で開催されている展示会「カメラと写真映像の情報発信イベント CP+2013」をのぞいてみるかと考えた。朝の内に洗濯をしてベランダに干すと、早々に外出した。暑くなるならと、若干薄着で外出。ちと寒いが、まあ、そのうち暖かくなるだろう。

「カメラと写真映像の情報発信イベント CP+2013」に行くのは実は初めて。昨年度は入場事前登録はしていたものの、所用で行くことができなかった。今回はデジタル一眼レフカメラを買ったこともあり、ちょっと期待していく。特にオリンパスブースでは同社製のカメラを持って行くと、特製ストラップをもらえると言うことだったので、デイパックの中にはオリンパスのミラーレス一眼レフカメラ「E-PL5」を入れていった。
入場受付を済ませて、会場内に入る。土日ということもあって、かなり混んでいる。入り口の左手にオリンパスブース、右手にソニーブース。オリンパスブースでは受付でストラップをもらい、ブースの中でゲームにも参加してマスキングテープをゲット。更にレンズを自分のカメラに装着したりできるコーナーで紙製のフォトスタンドをもらった。



エプソンブースではブース内にNakajima RacingのスーパーフォーミュラSF13の31号車を展示している。こういうのを見ると機械屋としての血が騒ぐ。ソニーブースではアルファシリーズのカメラやレンズを揃えていた。


PENTAX RICOH IMAGINGブースでは「PENTAX Q10エヴァンゲリオンモデル」の3タイプのカメラを展示。その両側に綾波レイと惣流・アスカ・ラングレーの等身大のフィギュアを置いて、その肩に「PENTAX Q10エヴァンゲリオンモデル」をかけている。こういう演出の仕方は、好きだ。特にPENTAXは他のカメラメーカーではおそらくやらないだろう企画をしてくるのが、とても好きだ。最初に買ったデジタル一眼レフがPENTAXだったのも偶然ではない。
いろいろなブースでステージプログラムや無料セミナーなどを開いてる。セミナーは今回、事前登録していないし、ステージプログラムも1回1回が40分~1時間程度とかなり長いので、今回は見送った。とはいえ、後ろで聞いていて、内容的にも面白そうである。また来年、検討しよう。

こういうイベントということもあって、コンパニオンのお姉さんがたくさんおり、その写真を撮ろうと、またすごいカメラを持った人たちが周囲に群がっている。特に、こういうカメラのイベントだから他のイベント以上の熱気に包まれている。もっとも気温も高いので、すぐに汗だくになった。上着を脱いでもまだ汗が額からしたたり落ちる。
ぐるっと一巡して、会場を後にする。今回のイベントのチケットを示すと、現在横浜美術館で開催されている「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」展が割引になるということだったが、今日は時間切れ。ちなみに他の施設や店舗でも優待が受けられるということなので、来年度来るときに参考にしたい。

帰りは買物をして、帰宅した。

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諏訪旅行2日目(諏訪大社下社巡り)

2012年11月24日 | おでかけ


今日は曇りのち晴れ。朝方、諏訪湖の上空は雲で覆われていたが、それも昼前には青空が広がった。昨日の天気がまるで嘘のようだ。
ホテルで朝食バイキングで腹一杯に食べた後は、チェックアウトして、ホテルの目の前にある間欠泉センターに足を運んだ。


諏訪湖の間欠泉は昔は自噴していたそうだが、今は自噴が止まってしまい、現在はコンプレッサーで圧縮空気を送り、上部の冷えた温泉を取り除くことにより、間欠泉を噴出させているとのこと。吹き出した間欠泉は高さ約3mまで吹き上がった。それを見ながら上諏訪駅まで歩いて行き、そこから電車に乗った。



今度は松本方面に1駅乗り、下諏訪駅に到着。下諏訪駅前の観光センターで町歩き用の地図をもらって、まずは諏訪大社下社春宮を目指した。


春宮神楽殿
春宮拝殿

春宮の鳥居は工事中でその姿を見ることはできない。春宮にお参りをして社務所で御朱印をもらった。
春宮の神楽殿前を向かって左に行くと、浮島神社があって、その先に万治の石仏が鎮座している。


万治の石仏は芸術家の岡本太郎が「世界中を歩いているが、こんなおもしろいものは見たことがない」と絶賛した異形の石仏で、言い伝えによると、諏訪・高島藩主が諏訪大社下社春宮に大鳥居を奉納するために工事を依頼したところ、石工がこの地にあった巨石にノミを入れたたら、そこから血が流れ出したため、石工は驚いて石に阿弥陀如来をまつったと伝えられている。写真で見るほど大きくは無く、角度によっては、いろいろな表情が見て取れる。
お参りの仕方も決まっているらしく、近くの立て札に書いてあるとおり、「よろずおさまりますように」と心の中で念じて石仏の回りを時計回りに3周し、また正面に立って「よろずおさまりました」と唱えてから一礼をした。

春宮を見た後は、今度は秋宮に向かって歩き出す。

慈雲禅寺
慈雲禅寺
御作田神社
来迎寺
来迎寺

途中、武田信玄が庇護したという慈雲禅寺や和泉式部の銕焼地蔵伝説がある来迎寺、明治時代の商家を復元した伏見屋邸、6月末に植えられた稲が8月1日には諏訪大神の神供として捧げられると伝えられ、諏訪七不思議の一つにも挙げられている御作田神社をまわって、秋宮に到着した。


秋宮春宮の東にあって、拝殿は1781年に、神楽殿は1835年に完成した。春宮と比べて秋宮の方が活気があるように見えるのは神様がこちらに移られているからか。
この社務所でも御朱印をもらう。諏訪大社4社の御朱印をもらうともれなく(?)落雁がもらえる。まあ、御朱印は他の神社仏閣に比べると1回500円と値段が高めなので、このお菓子代も入っているのかもしれないと思えるほどである。

秋宮神楽殿
秋宮拝殿

秋宮を参拝した後は、ランチを食べることにして、一旦、境内を出ると下諏訪駅までの道を歩き始めた。大社通り(八幡坂)を歩いているいくと左手に食祭館という観光施設がある。建物の手前には足湯もあり、トイレなどもあって、休憩スペースにはもってこいだが、建物の1階にはお食事処もあって、地元食材を使った料理も楽しめる。
ここでランチを食べていくことにした。

( 今日のランチ(信州豚の角煮御膳@食祭館) に続く)

ランチを食べ終わった後は、下諏訪の町あるき。

新鶴本店
七つ蔵
不二屋

旧中山道から馬場道、七つ蔵、新鶴本店、青塚古墳と歩き、駅に辿り着いてしまった。新鶴本店では名物の塩羊羹に加えて、和菓子も購入。一度、食祭館に戻って、足湯でくつろいだ後、時計を見ると、もう時間もかなり過ぎていた。帰りの電車を考えると、お茶をするには遅すぎる。結局、もう一軒、不二屋という和菓子屋でお土産を買うとそのまま下諏訪駅に行って電車に乗って上諏訪駅まで戻った。


上諏訪駅周辺で時間つぶしもかねて散策したりお茶を飲んだりして歩き回った後、駅構内の足湯で足を休める。
駅構内に足湯があるなんて、なんて贅沢…。東京都内ではこういう無料の足湯なんて無いのが残念。前にいた会社で提案しておけば良かったな。もっとも東京都心では温泉が自噴しているところなどは皆無なので、別途加温設備が必要になるが、人気スポットになるのは必然的だ。



まあ、何はともあれ。

ゆっくりお休みしたら、足のむくみもとれて、だいぶ楽になった。
帰りは特急に乗って帰宅の途につく。高尾を過ぎて市街地の灯りが見えてくると帰ってきたという気分になった。

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諏訪旅行1日目(諏訪大社上社巡り)

2012年11月23日 | おでかけ


今日は曇り時々雨。今朝はどんよりとした雲が空を覆っている。昼には雨が降り出す予定ということで、今日は傘を手放すことができない1日となりそうである。
今日と明日は妻と諏訪に1泊旅行で出かけることにしていた。諏訪大社4社を巡礼しようという計画で、今月初めに旅行会社を通してホテルや電車の指定席は予約をしていたのだが、天気だけは予約できない。残念だが、今日は動きづらい1日となりそうだ。



八王子からスーパーあずさで上諏訪まで約1時間半。朝食抜きで家を出てきて、電車の中で軽く飲み物と果実を食べて腹ごしらえ。駅に着くと、今日宿泊予定のホテルに足を運んで手荷物を預け、再び、駅に戻った。
ここで、まだお昼にはかなり時間が早いが、ランチを食べて今回の旅の目的である諏訪大社のうち上社に向かうことにして、駅前のビジネスホテル1階の蕎麦屋「秋月そば本店」に足を向けた。

( 今日のランチ(みそ天丼@秋月そば本店) に続く )

駅に戻り、上諏訪から隣の茅野まで電車で移動。茅野駅前でタクシーに乗って、まずは諏訪大社上社前宮に向かった。社務所前までタクシーで行ってもらい、そこで下車した。
ところで、全国各地にある諏訪神社総本社である諏訪大社はこれまでてっきり1つの神社だと思っていた。ところが旅行の下調べをしてみると、上社と下社に分かれており、上社は前宮本宮、下社は春宮秋宮に分かれていることを知った。


そもそも諏訪大社の起源は古事記にも出てくる大国主命の子供である建御名方命 (たけみなかたのみこと)とその后である八坂刀売命 (やさかとめのみこと)を御祭神とする神社だ。建御名方命 (たけみなかたのみこと)を主祭神とするのが上社、八坂刀売命 (やさかとめのみこと)を主祭神とするのが下社だが、4社はいずれも両神を祀っている。
その歴史は諏訪大社のHPやその他文献に譲るが、古事記の世界もいろいろと調べていると、結構面白くて、しかもはまる。更に、その関係する神社にもいろいろと足を運んでみたくなるが、それはまた別の機会ということになるだろう。いずれにしても今日は上社の前宮本宮を回り、明日は下社の春宮秋宮を回る予定でいる。

ということで、上社の前宮に来たわけだが、鳥居の右手に社務所があり、まずはここで御朱印をもらった。手水舎で手を洗い、雨でしっとりと濡れた落ち葉を踏みしめて鳥居をくぐり、石段を上がる。右手に内御玉殿、左手に十間廊という建物があり、正面に石段があった。内御玉殿は諏訪明神の祖霊が宿るといわれる御神宝が安置されていた御殿。ここでお参りをして更に石段を上がる。


すると目の前にアスファルトの道路と家が数軒建っていた。ちょっと戸惑いながらも正面に進むと前宮の拝殿が見えてきた。ちなみにこの前宮のご神体は拝殿の裏山にあたる守屋山で、ここに御祭神の墳墓があるとされて、古来より立ち入り禁止とされてきている。拝殿を囲むように4本の御柱が建っている。現在の拝殿は昭和7年に伊勢神宮から下賜された木材で造営されたものということだ。拝殿でお参りをして周囲の御柱を間近に見た。

前宮拝殿
前宮拝殿と一の柱

目の前の前宮一の柱は長さ17m、太さ1.2mのモミの木で7年に一度建て替える。今の柱は平成22年に建てられたもので、次回は平成28年ということである。4本の柱をまわってみた。雨が降っているということもあって、周囲はしっとりとした雰囲気である。
前宮を後にして、本宮に向かう。本宮は国道16号線に沿って諏訪方面に歩いて30分ほどのところにある。



表参道から入り、布橋を通って参拝所に至る。この経路は本宮へ御柱が引き入れられる経路であり、江戸時代までは大祝という現人神(最高位の祀官)だけが床に布を敷いて渡っていたので布橋ということだそうだ。ちなみにこの橋を渡って参拝するのが正しい参拝ルートだそうである。
橋を渡りきると目の前に本一の御柱が見える。これを右手に更に少し先に進んだところに参拝所に行くための門がある。ここから中に入り、Uターンするようにして拝殿正面の参拝所に辿り着く。ここで参拝した。


御朱印は拝殿の前の授与所ではなく、北参道の鳥居に近い社務所でもらった。
御朱印をもらった後、境内をあらためて一巡する。徳川家康が大久保長安に命じて建立させた四脚門は大祝が磐座に登るときに使う門で先の布橋の途中にある。その手前には天龍水舎という小屋があり、そこはどんな晴天の日でも滴が三滴屋根上の穴から降り落ちると言われ、諏訪の七不思議とされている。


本宮を後にして、近くにある法華寺に向かう。この寺は表参道を左手に入ったところにある小さな寺であるが、天正10年に織田信長が甲州征伐の際、この寺を本営とし、論功行賞を行った寺ということになっている。このとき、明智光秀を信長が叱責したことが本能寺の変の一因となったとは、この寺の説明文に書いてあることである。



その寺の境内には江戸時代の元禄末期に起こった忠臣蔵で有名な吉良上野介の嗣子で吉良義周の墓がある。事件の後、諏訪高島藩にお預けとなり、この地で亡くなったということで、吉良家のゆかりのある吉良町が墓の周囲を整備している。せっかくなので、お墓参りをして、その後、寺の御朱印ももらおうと寺務所に向かったのだが、不在のようで、結局御朱印はもらえなかった。

ここで、くたびれたので、鳥居の前にあるカフェ「金子茶房」に入店してお茶をすることにした。

( 今日のケーキ(ガトーショコラ@金子茶房) に続く )



お茶をした後は、神長官守矢史料館に向かう。この守矢史料館諏訪大社上社前宮本宮の中間の地点にある。神長官守矢家は古代から明治時代の初めまで諏訪大社の神長官を勤めてきた家で、この史料館では諏訪大社上社の神事の資料や古文書などを展示している。
ここで、しばらく、資料を見た後に、諏訪大社上社本宮に戻った。
本宮からはバスで上諏訪駅に戻る。駅前でチーズケーキを買い、ホテルに行く途中でワカサギの天ぷらを買って、ホテルに行った。もう日も沈んで、あたりはかなり真っ暗になっていた。

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鎌倉散策(2)(扇ガ谷)

2012年09月14日 | おでかけ



( 今日のカレー(鎌倉野菜のスープカリー@北鎌倉ぬふ・いち) から続く。 )

お昼を食べて今度は扇ガ谷に向かうことにする。長勝寺の脇の細い坂道が鎌倉七切り通しの一つ、亀ヶ谷坂である。急な坂は昔はもっと急で、亀がこの坂を登っていっても頂上まで行かれず、引き返してきたという伝説がある。
この坂を下りて行くと、左手に浄光明寺、右手に海蔵寺に行く分かれ道があり、その分岐点の所に海蔵寺の地蔵堂がある。


まずは浄光明寺に行くことにした。この寺で所蔵している仏像は何度も東京国立博物館の企画展で見たことがあって、一度は足を運びたいと思っていた寺のひとつである。この寺は古義真言宗の寺でこのあたりは扇が谷上杉氏の管領屋敷跡である。この寺でも御朱印をもらって、更にご本尊の阿弥陀仏を拝みたいとも思ったが、時間が合わなかったので今回はあきらめた。



境内を出て、今度は海蔵寺に向かう。海蔵寺は臨済宗の寺で扇が谷の最奥部に位置している。この寺の薬師如来は別名啼薬師とも呼ばれている。この薬師如来を安置した建物は江戸時代に浄智寺より移築した建物である。御朱印をここでももらって、境内の岩窟中にある鎌倉時代の井戸である十六井戸を拝見して外に出た。

時計を見れば、銭洗弁財天にも足を伸ばせそうだ。もっともそのためにはあの険しい化粧坂を登って、源氏山公園を登って行かなければならないが、まあ、それもいいだろう。実際、化粧坂を登り始めてみると、やっぱりキツイ。ここしばらく雨が降っていないのに、地面は一部ぬかるんでいて、滑りやすい。
なんとか、源氏山公園に上がった時には、足がガクガクしていた。


源氏山公園から反対側の坂を下っていくと、山の中腹に銭洗弁財天に辿り着く。


この銭洗弁財天で御朱印をもらって、更に南に下り、途中、右手に折れると佐助稲荷神社に辿り着く。この佐助稲荷神社は源頼朝の枕元に現れて挙兵を勧めたという稲荷の神を祀っている。



社務所は数多くの鳥居をくぐって、山の中腹にある本堂脇にあるが、この日は朱印を書く人がいないということで、御朱印はもらえなかった。
神社に参詣して、今度は鎌倉駅に向かった。

( 今日のスイーツ(雪の下サンデー@ミカド珈琲) に続く。)

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鎌倉散策(1)(山の内)

2012年09月14日 | おでかけ


今日は晴れ。今日も昼間は30℃に達し、真夏日を記録した。朝から陽光がギラギラと降り注ぎ、しかも蒸し暑い。
今日は1日有休をとった。先週末になんだかんだで職場に行ったので、その代休では無いが、完全なオフの日としたのである。特に予定も無かったが、とにかく気分転換がしたくて、また鎌倉に足を運ぶことにした。

今回の鎌倉散策は北鎌倉から歩き始めることにした。まだ、御朱印をもらっていない東慶寺、明月院、海蔵寺、このあたりを中心に回ることにしよう。
北鎌倉駅の改札を出て、最初に向かったのは東慶寺…、ではなく光照寺。この寺は時宗の末寺で時宗の開祖一遍上人が鎌倉に入ろうとした時に当時の執権である北条時宗に阻止されて野宿させられた場所に建立されたと伝えられる寺である。



山門にはキリスト教の十字を意味する「クルス紋」が掲げられていて、隠れキリシタンを受け入れていたという伝承もある。境内は小さい寺で本堂の周囲には墓地が広がっている。ここで、御朱印をもらって、今度は南に下る。

次に行ったのは東慶寺である。東慶寺は禅宗・臨済宗の寺で開山は北条時宗の夫人である覚山尼。以来、豊臣秀頼の娘である天秀尼など明治に至まで尼寺で、江戸時代は縁切寺として有名だが、今では男僧の寺となっている。



また境内は文人をはじめとする著名な学者や作家の墓が多いことでも有名で、暑いにもかかわらず、女性グループの拝観客が境内を散策していた。ここでも御朱印をもらって、次は明月院に向かった。

明月院は鎌倉のあじさい寺として有名な寺で、北条時頼、上杉憲方の墓所もある。もともとは大きな寺の一塔頭だったのが、その寺が無くなり、今に至っている。あじさいの季節になると、入場待ちで北鎌倉駅の改札まで行列ができるほどだが、残暑厳しい平日はほとんど人を見かけない。



方丈の円形窓からは普段は立ち入ることのできない庭が望めて、その部分だけが絵はがきのように美しい。ここでも御朱印をもらおうと思ったのだが、今日は生憎と書いていただける人がいないと言うことなので、今回はあきらめた。また来た時に頂こう。境内はアジサイや紅葉が青々と葉を伸ばして、生気に満ちていた。

明月院を出て更に南下する。建長寺を横目に巨福呂坂を上り、巨福呂トンネル直前で右手に階段があり、それを登ると圓應寺がある。



臨済宗建長寺派の小さな寺は閻魔大王を本尊として創建された寺でこの閻魔大王は運慶作と伝えられる。堂内には人が死んで冥界で出会う「十王」を祀っている。ここでも御朱印をもらった。

ここで、時計の針は13時を回っていた。お昼を抜いても構わないが、まあ、ちょっと何か食べようと考えて再び、巨福呂坂を北鎌倉方面に向けて歩き出した。

( 「今日のカレー(鎌倉野菜のスープカリー@北鎌倉ぬふ・いち)」 に続く。)

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