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J@Dの備忘録

おっさんの備忘録
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高松・屋島観光(四国旅行3日目)

2013年08月30日 | おでかけ


今日は晴れのち雨または曇り。枕元の電話が鳴り響いてモーニングコールを受けて目が覚める。カーテンを開けると朝日が窓から差し込んできた。いい天気である。しかし、テレビをつけると今日は雨が降るような予報。しかも、九州地方や中国地方では台風15号が近づいているということで、雨風が強まり、交通も寸断されているという。今は晴れているが、いつ雨が降り出すかわからない。
ホテルの部屋からお土産や洗濯物などを宅配便に詰めて送付する。フロントを呼び出して手続きを済ませると、朝食を食べて出かける準備をして、チェックアウトした。


まずは琴電高松築港駅から電車に乗って一宮駅に向かう。一宮駅から歩いていったところに最初の目的地である讃岐國一宮「田村神社」がある。稲作に不可欠な水を守る神社で、鳥居をくぐると正面に本殿、その右に宇都伎社(衣食住の神様)、素婆倶羅社(安産・病気平癒の神様)、天満宮(学問の神様)といった社殿が並び、左手には社務所がある。


本殿に参拝し、その後、社務所で御朱印をもらう。その後、主だった末社を参拝したのだが、素婆倶羅社の脇に鎮座している淡島社の社殿の後ろにはなんと男性の性器をかたどった御神体が鎮座していて、驚いた。


田村神社を後にして神社の敷地の隣にある一宮寺に向かう。一宮寺は四国八十八カ所の第八十三番札所。山門をくぐると正面に本堂があり、その右手に寺務所、大師堂、護摩堂といった建物が並ぶ。本堂と大師堂を参拝すると寺務所で御朱印をもらう。境内の堂宇では八十八カ所巡りの参拝者なのだろう、経を唱えている老人もいた。


一宮寺を後にして、再び琴電一宮駅に戻る。一宮駅では切符を売っておらず、車内で買い求める。東京ではもう見ることのない車内改札で切符を購入。とても懐かしい。自動券売機が導入される前の車内乗車券である。


琴電一宮駅から電車に乗って瓦町で乗り換えると今度は琴電志度線に乗り換え。一路、琴電屋島駅に向かう。


屋島駅の改札を抜け、目の前のバス停でバスを待っていると屋島山上に向かうシャトルバスが来た。ここから屋島山上まで約10分。ちなみにバスの右手の席に座ると車窓が楽しめる。屋島の古戦場が一望できるのである。



山上に近づくにつれて、雨が降ってきた。かなりの大雨である。雨が止むことを期待したのだが、雨風が強くなるばかり。山上のバス停は休憩所の軒下にあるのだが、それでも休憩所に入る短時間の間にずぶぬれになってしまった。しばらく休憩所で雨が止むのを待つことにした。
休憩所には土産物屋も併設されているが、天気が悪いこともあって、客の姿はまばら。しばらく、休憩所で待っていたのだが、雨はいっこうに止む気配もない。仕方ないので、雨の勢いが少し弱くなったところで、意を決して傘を差して屋島寺に向かった。


屋島寺は四国八十八カ所霊場第八十四番札所。本尊は木造十一面千手観音である。境内にはいると、鎌倉時代末期に建築されたという本堂の左手に宝物館があり、右手には寺務所、大師堂、三躰堂、千躰堂といった諸堂が並んでいる。宝物館には源平合戦の遺物などが陳列されているとのこと。また、本堂の脇には狸で有名な蓑山明神の社がある。


寺務所で御朱印をもらう。午前中にいただいた一宮寺の御朱印といい、屋島寺の御朱印といい、達筆である。いずれ、四国八十八カ所を巡ってみたいものである。屋島寺を参拝し、その後、屋島合戦場を望める展望台に向かった。


途中、瑠璃宝の池(血の池)を通る。ここは弘法大師が屋島寺伽藍草創のおり、「遍照金剛、三密行所、当都率天、内院管門」と書き、宝珠とともに納めて周囲を池としたところである。ところが竜神が宝珠を奪いに来ると伝えられ、瑠璃宝の池の名前があるという。また、源平合戦の時に壇の浦で戦った武士たちが血刀を洗ったため、池の水が赤くなり、血の池と呼ばれるようになったともある。
今は血の池は蓮の葉で覆い尽くされていて、その水面はわずかに伺うことができるだけである。


展望台は廃墟となった旅館の脇にあった。ここからは屋島合戦場を一望することができる。あいにくの天気だったが、説明文をもとに地形を目で追うと、なかなかおもしろい。
バス停に戻ると、ちょうどバスが行った後だった。今日は平日なので、バスの本数も少ない。タクシーも待っておらず、休憩所でしばらく休むことにした。やがて、雨が降り始めた。地面から霧が立ち上り、雲となっていくかのような雨はたちまちバケツをひっくり返したような豪雨になってきた。視界は1mもなく、かなり厳しそうだ。

しかし、しばらくすると雨も止み、バスも定刻通り到着。バスに乗って琴電屋島駅に向かった。
琴電屋島駅から瓦町駅に向かう。職場の後輩から聞いた讃岐うどんの美味しい店が瓦町駅から少し歩いたところにあるとのことだった。ところが、店に到着すると、既に店は営業時間を終えて閉まっていた。急いでiPad miniを立ち上げて、インターネットで確認すると多くのセルフうどん店は営業時間が昼と夜に分かれていて、午後遅い時間では営業していないことがわかった。この店は昼間だけの営業で夜は営業していなかった。残念だが、リサーチ不足。やむを得ず、もと来た道を歩いて琴電瓦町駅に戻り、高松築港駅に出た。

予定ではここから岡山に出て、岡山で夕食を食べて帰宅する予定。
しかし、最後にうどんを食べて帰りたい、と考えて、駅の観光案内所でちょっと聞くことにした。

( ぶっかけうどん@艶艶(四国旅行3日目) )

うどんを食べると、急いでホームに向かう。高松駅から快速マリンライナーに乗って岡山駅に出た。


岡山駅からは新幹線に乗って東京に帰る。その前に夕食を軽く食べようと駅構内の飲食店に入ることにした。

( さわら丼@吾妻寿司さんすて岡山店(四国旅行3日目) )

夕食を食べた後は、新幹線ホームに入り、帰宅の途につく。新幹線は博多~小倉間の大雨の影響で5分ほど遅れていた。台風が近づく前に帰宅できて良かった。
東京からは中央線快速電車で帰宅する。金曜日の夜というのに電車が空いていたのは意外。何はともあれ、無事に自宅に辿り着いた。

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金刀比羅宮参り(四国旅行2日目)

2013年08月29日 | おでかけ


今日は晴れ。天気予報によるとだいぶ気温も上がって暑くなりそうである。ホテルを出たのは9時頃。もう少し早く出たいところだったが、なかなか計画通りに行かないものである。
金刀比羅宮の参道の階段は本殿まで785段、奥社(厳魂神社)まで1368段ある。昨日のタクシーの運転手に階段を登るための杖は参道の土産物屋で無料で貸してもらえること、2本あった方が楽でいいなどと聞いていたので、ホテルで借りることにした。

早速、階段を登る。境内への入り口にあたる大門までは参道の両脇に土産物屋が軒を連ねていたが、平日ということに加え、時間もまだ早く、開いている店も少ない。大門までは365段。


大門をくぐると、両脇で大きな白い傘を差して、加美代飴を売る露店が5つ。本来、境内で店を開くことができないのだが、昔からの神事への功労により特別に境内で営業を許された5店の商家「五人百姓」である。
これを横目で見ながらひたすら階段を登る。桜馬場西詰銅鳥居をくぐって階段を上がると右手に書院がある。この書院には伊藤若沖、円山応挙などの障壁画があって是非、拝見したいところだが今回はこれを見送り、ひたすらに本殿を目指した。


ようやく手水場が見えてきて、ここで手と口を清め、上を目指す。途中で旭社という建物が見えてきた。ここらで629段。この建物は本殿よりも古いらしい。金刀比羅宮ガイドではさまざまな神が祭られているということなのだが、たまたま隣にいたガイドの説明ではいわゆる舞殿とのこと。そう聞くと、お賽銭を入れて参拝しようという気も失せる。


さらに階段を登る。本宮に到着した。金刀比羅宮は大物主神と崇徳天皇で、農業・殖産・医薬・海上守護の神として古来から信仰されている。説明書きに「写真は正面から撮らないで」とあるので、やや斜め向かいから本殿を写真に収めた。


境内からは讃岐平野を一望できる。この日は讃岐富士(飯野山)はやや霞がかって見えた。


まずはここで、御朱印をもらう。御朱印は本殿左手にある社務所でもらえた。その向かいに休憩所があって、氷柱が2柱おかれている。暑さで表面からポタリポタリと滴が落ちている。これに首に巻いていたタオルを乗せて、タオルを冷やした。あらためて首に巻くと冷たくて気持ちが良い。休憩所の中には塩飴のサービスもあって1粒口に入れた。


少し休んだところで、今度は奥社に向かうことにした。本殿の右手に奥社への道がある。ちょっと鬱蒼と茂る木立の中の道を歩いていくことにした。
奥社に向かう途中で朱塗りの社殿が見えてきた。白峰神社である。御祭神は崇徳天皇である。この社務所でも御朱印をもらう。


ここからの階段がかなり厳しかった。周囲を木立に囲まれて見通しが見えないのが辛い。あとどれくらいで奥社かと思ったところで、すれ違った参拝客に、「この階段を登ったら奥社ですよ」と言われて、余力を振り絞って奥社に辿り着いた。かなり疲れた。


奥社はやはり朱塗りの社殿で金刀比羅教の教祖である厳魂彦命を祭っている。この脇の社務所で御朱印をもらった。塩飴も「ご自由にどうぞ」と置かれているので、遠慮なく一つ、口に放り込む。社務所脇から見える眺望は遠くまで讃岐平野を見渡せる。本殿から見える眺望よりも気持ちがいいくらいである。


少し休んで、また階段を下る。本殿まで戻ってきたところで、また休憩。
本殿の隣には三穂津姫社がある。御本宮の祭神である大物主神の后である三穂津姫を祭神としている。その隣には絵馬堂があって、全国各地から祈願のために奉納された絵馬が掲げられている。ここを参拝して階段を下った。


この下に旭社があり、これを更に下るとレストランを併設したカフェ「神椿」がある。ここで、休憩した。

( 今日のスイーツ(かき氷 宇治金時@神椿) )

休憩をした後は、ゆっくりと階段を下りてホテルに戻り、杖を返すと、ここで妻と別行動。琴平の商店街に向かった。

( 醤油うどん@こんぴらうどん工場店(四国旅行2日目) )

( ぶっかけうどん@てんてこ舞(四国旅行2日目) )

うどんを2軒ハシゴしたところで、妻との合流地点であるホテルに戻る。ホテル内の売店で土産物などを買い求め、預けていた荷物を受け取ると、次の目的地である高松に向かうことにした。
高松まではまた琴電に乗っていく。電車にまだ時間の余裕があったので、途中でお休み処に入り、醤油豆をもらって時間をつぶす。足もだいぶ疲れがとれたところで、駅に再び向かい、電車に乗った。


高松築港駅からホテルまでは5分も歩かないところにある。駅前のホテルにチェックインして荷物を置くと夕食を食べるために、再びホテルを出た。
夕食は駅にほど近い居酒屋で食べることにしたのだが、地場産の料理はほとんど品切れでショック。残念だった。

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大鳴門橋の渦潮(四国旅行1日目)

2013年08月28日 | おでかけ


今日は晴れ。寝台特急「サンライズ」の個室で寝ていたことを忘れていた。ふと気づくと、カーテンの隙間から外の光が漏れている。時計をみると5時20分を回ったところ。そろそろ姫路駅到着である。
その後は、車窓を眺めて過ごした。7時頃に瀬戸大橋を渡ると高松はもう目の前である。高松駅到着は7時27分。東京なら駅構内は混雑している頃だが、駅構内に人は少ない。もっとも電車が到着すると通勤客で駅構内は混雑するが、一時的なものでしかない。


今日は、この後朝食を食べて鳴門の渦潮を見に行く予定である。一度駅を出ると、みどりの窓口で鳴門駅までの特急の乗車券と特急券を購入した。朝食は妻とは別々に食べることになった。せっかく高松に来たのだから、朝からうどんを食べたいものだ。ということで、駅前のうどん屋に足を運ぶことにした。

( ぶっかけうどん@めりけんや高松駅前店(四国旅行1日目) )


うどんを食べた後に妻と合流して、特急「うずしお」に乗り、鳴門に向かう。行きは途中池谷駅で乗り換えて鳴門線に乗り換えて鳴門駅に向かった。
鳴門駅から渦潮が見える鳴門公園まではバスが出ているのだが、接続が悪く、駅の改札を出ると既にバスは出た後。このままバスを待っていると1時間無為に過ごすことになるため、時間節約もかねてタクシーで鳴門公園に向かった。


鳴門公園といっても広い。鳴門の渦潮をみるための観潮船も2つくらいの港から出ていて、そのうち、渦潮の間近まで迫るうずしお汽船と大小2種類のうず潮見物の観潮船を擁するうずしお観潮船があり、出航する港も異なる。今回はうずしお観潮船の大型船で渦潮を楽しみたいということで、鳴門公園から少し離れたところにる鳴門観光港に向かった。
タクシーの運転手によると、比較的大きい渦潮がみられるのは満月の時と新月の時。そもそも渦潮は月の引力で瀬戸内海に太平洋の海水が流れ込み、それに海底の複雑な地形が作用して発生する自然現象。しかし今日は半月なので大きな渦潮はみられないとのこと。それでもこれまでに1度も見たことがないので、かなり期待感も大きい。


港から船に乗る。午前中の最大の満ち引きがあるのは11時20分ということで、11時出航の大型船「わんだーなると」に乗った。所要時間は約30分ほどである。観潮船は1等船室と2等船室があって1等船室のデッキはやや高いところにある。しかし、間近で渦潮を堪能するなら2等船室の低いデッキから見た方が良いかもしれない。ちなみにこの便では1等船室に入った乗客はいないようだった。
渦潮は左舷デッキからよく見えた。大小の渦がだんだんと形成されて船の後方に流れていく。常に渦が巻いているわけではなく、渦が巻き始めたかと思うと、やがて、消滅する。そんな現象の繰り返し。しかし間近で見た渦潮はとても迫力があって、おもしろかった。


港に船が帰ってくると、そこから大鳴門橋橋桁空間に設置された海上遊歩道「渦の道」に向かう。港から渦の道までは約2km離れていて、歩けないことはないが、気温も高く、時間的にもロスが大きい。バスが来るのを待つつもりだったが、回送する直前のタクシーを見つけて、それに乗り込んだ。鳴門公園での客待ちのタクシーは見あたらないので、ラッキーだった。
渦の道に入るにも入場券が必要である。この遊歩道はもともと大鳴門橋が建設されたときに道路下に新幹線を通す予定だったのが、計画が中止になって遊歩道が設置されたもの。遊歩道は全長約450mで、四国側から渦の発生地点近くまで行くためだけに設置されていて、遊歩道を伝って淡路島には渡れない。

終端部に設けられた展望室の床にはガラスが切られている。45mの高さからみる海面は怖いものを感じるが、真下に渦潮は見えず、残念である。適当に散歩をしてもと来た道を戻った。
バス停まで行くと、ちょうどバスは出た後だった。次のバスまで約1時間待つしかない。タクシーも無いのでベンチに腰を下ろしてじっと待つだけである。ちょっとタイムロス。


バスが来たのでこれに乗って、今度は徳島駅に出る。徳島駅から特急「うずしお」に乗って高松駅に出て、ここで琴電高松築港駅に向かう。高松築港駅から今度は琴電に揺られて琴電琴平駅に向かった。電車は30分おきに出ていて、しかも片道約1時間という行程である。今日はほとんど電車に乗って過ごしているという感じだ。



琴電琴平駅から今日、投宿するホテルまでは歩いて約10分程度。明日、参拝する金刀比羅宮の参道の階段22段目の路地に入ったところにある。あたりはもうすっかり暗くなっていて、道路を歩いている人もまばらだ。急いでホテルに向かった。

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甲府武田信玄史跡めぐり

2013年04月28日 | おでかけ


GW2日目の今日は晴れ。朝晩は気温は低めだが、昼間は気温が上がり、絶好の行楽日和である。
今日は甲府に出かける。朝、八王子から特急あずさに乗って、甲府に到着したのは9時過ぎ。


市内はバスの本数も少なく、駅前のレンタサイクルで電動アシスト自転車を借りて、市内を回ることにした。
まず目指したのは武田神社。甲府駅北口から武田通りを北上する。なだらかな坂道は電動アシストのおかげもあって楽に登ることが出来た。


武田神社に到着して、早速、参拝し、御朱印をもらう。ところで境内は期待に反して結構、混んでいる。町歩きツアーのような催し物も開催されていたことに加え、結婚式もあり、また子供を連れての参拝が多かった。もっと人が少ないかと思っていたのだが、これには驚いた。


それは兎も角。武田神社は武田信玄を御祭神として祀る神社である。かつての武田氏居館である躑躅ヶ崎館の上に立つ神社は大正の時代に建立されたものであるが、神社周辺を散策すると、当時の遺構を垣間見ることが出来る。神社には宝物殿もあって、こちらも入館した。刀剣類や甲冑をはじめ、風林火山の旗、武田二十四将図など見応えがあり、面白かった。
武田神社を出た後はその背後にある坂道を登って要害山の麓にある積翠寺を目指した。積翠寺は臨済宗の寺で武田信玄生誕の寺である。


戦国時代に今川氏が甲府に攻め入った折、信玄の母親である大井夫人が要害山城に避難しようとしたところ、臨月を迎えた体では登ることが出来ずに、積翠寺に避難し、その時に信玄が誕生したとのこと。


寺は庫裏、書院、本堂、不動堂、鐘堂があり、書院、本堂の裏手には夢窓国師築庭という庭園がある。その奥には信玄公産湯の井戸がある。


積翠寺でも御朱印をもらい、庭を鑑賞させていただいた。さすがに境内に人気は無い。まあここまで来るバスは1日に1本~2本。レンタサイクルだから来れたのだが、それでも武田神社からここまでの坂道はきつかった。しかし、寺を出て、道路から眺める景色は壮観で、甲府市が一望できる。ちょうどこの日は雲ひとつない青空が広がっていて、甲府市街地が光り輝いて見えた。
次に向かったのは円光院。自転車で坂を下るのだが、登りがきつかった分、下りは気持ちが良かった。



さて、円光院は甲府五山のひとつで、境内には信玄の正室の三条夫人の墓がある。円光院の参道の前には信玄の火葬塚があり、墓がある。本堂は1977年に再建されており、庫裏や書院も含めて建物は新しい。境内からは、積翠寺とはまた異なった甲府市街地を一望できる。右手に雪を抱いた南アルプスを望むことが出来た。ここでも御朱印をもらった。
ここから甲斐善光寺を回って夕方5時までに甲府駅に戻るプランを立てていたのだが、途中にも寄ってみたい寺院があって、寄り道をしながら善光寺に向かうことにした。最初に立ち寄ったのは大泉寺。


この寺は武田信玄の父親である武田信虎公が創建した曹洞宗の寺である。立派な山門をくぐると、鎌倉の寺院を彷彿とさせる境内が広がっている。武田家の菩提寺でもあり、境内には信虎・信玄・勝頼の武田三代の御霊屋が本堂北側に祀られている。ちなみに御霊屋は江戸幕府老中で甲斐出身の柳沢家の寄進によるものだそうだ。本堂裏手には信虎築庭の池泉回遊式庭園があるということだったが、残念ながら見逃した。


武田家滅亡後は甲府城を築いた浅野家の菩提寺ともなり、浅野家の帰依も厚かったとのこと。ここでも御朱印をもらうことが出来た。御朱印をもらう際に絵はがきのセットも頂いた。これはうれしい。

大泉寺を出ると、いよいよ甲斐善光寺である。自転車を走らせて、長いトンネルを抜けると、甲斐善光寺の屋根が見えてきた。


善光寺に到着して、ちょっと休憩。参道にある土産物屋で信玄アイスを食べ、本堂に向かった。


甲斐善光寺は武田信玄が建立した寺で、川中島合戦の折に信濃善光寺の焼失を恐れ、1558年に御本尊である善光寺如来像をはじめ、寺宝類を移したことに始まる。その後、善光寺如来像は信濃善光寺に戻り、甲斐善光寺の本尊は前立仏を御本尊として今に至っているという。
規模は信濃善光寺のミニチュア版と行ったところか。もっとも、建立当時の七堂伽藍は既に失われており、江戸時代に金堂・山門が再建されている。金堂で、御朱印をもらって、次はいよいよ戒壇廻りである。

その前にまずは御本尊を直近で参拝。また、武田信玄・徳川家康ゆかりの秘仏という峯薬師如来像も拝見することが出来た。金堂の天井には龍が描かれ、その下で手を叩くと音が聞こえる鳴き龍がある。
さて、次は戒壇廻りである。長野の善光寺と異なり、甲斐善光寺の戒壇廻りは入口と出口が同じになっている。すなわち、中は一方通行の通路ではなく、いわゆる空間になっているものと思われる。パンフレットによると、戒壇下は「心」の時をかたどっているとのこと。腰のあたりの高さで左手を壁伝いに這わせていくと、右に2回曲がったところで、鍵に触れることが出来る。その鍵に触れると仏との交流をもったことになり、御利益を得ることができるということだ。

善光寺を拝観した後は、続いて東光寺に向かう。東光寺も甲斐五山のひとつで、武田信玄の長男である武田義信、武田信玄の側室の諏訪御寮人の父親である諏訪頼重の墓がある。臨済宗の寺で、境内には本堂、庫裏、仏殿などの建物がある。


本堂裏手には蘭渓道隆の作庭という庭がある。寺の背後に迫る山を築山として手前に池泉を配した庭園である。庭園には大小の石や奇岩を使い、見応えのある庭となっている。


庭園だけでなく、境内の石庭や池なども綺麗で、もう少し、陽が高いうちに来たかった。この寺では住職が外出しているということで、残念ながら朱印帳に御朱印はいただけなかった。御朱印が書かれた半紙はあるとのことだったが、これは辞退した。
東光寺を後にして、一路、甲府駅に戻る。午後5時までに戻らないとレンタサイクルの延滞料が発生するところだったが、なんとか、戻ることが出来た。

今回、レンタサイクルでは電動アシスト自転車を借りたわけだが、甲府市内は坂が多く、とても重宝した。バスではここまで回ることは出来なかっただろう。
自転車を返し、甲府駅南口に向かった。

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鴎外荘

2013年02月16日 | おでかけ


今日は晴れ。
昨日はかなり飲んだくれて、二次会途中で中座して部屋に戻って、さっさと寝てしまった。

今朝はホテルの朝風呂に入って、酒の気を抜いて、さっぱりとした。東京の温泉だけあって、浴槽の黒いお湯に浸かる。すると、全身がぽかぽかとしてきて、気持ちが良い。
外は風が冷たく、時折、吹き付ける風が温泉で温まった体を冷ました。最初は湯冷ましのつもりだったのだが、だんだんとまた寒くなって、再度、入浴した。


ホテルの中庭には森鴎外の旧居がある。旧居といっても部屋はホテルの宴会場や個室になっている。ホテルのフロントに中を拝見できるか聞いてみると、会席の予定があり、それまでは自由に見て良いとのこと。会席の配膳も済んでいるとのことなので、ちょっと気をつけながら見ることにした。
旧居は平屋建てで、旧居の庭もホテルの中にある。ちなみに、ホテルに宿泊していなくても、旧居は見学できるそうだ。もっとも、宴会や会席などがある場合は不可で、外観だけを見ることになる。


玄関を入ると、そこには衝立があって、その奥にソファなどが置かれている。右手に畳の広間がある。森鴎外がここで小説「舞姫」を書いたというので、「舞姫の間」と名付けられているその部屋はざっと40畳以上はある大広間で、手前には会席の膳が据えられ、奥は屏風が置かれている。
壁には森鴎外の遺書が額縁に入って、飾られていて、調度品を見ていても面白い。窓外の景色はホテルの中庭ということもあって、ちょっと物足りない。


旧居の中はこれ以外にも、洋室がある他、蔵が直結していて、その中もテーブル席になっている。屋内は空調をしていなかったこともあるが、寒くて、静かである。
また、日を改めて、じっくりと見に来たいものである。


ホテルの朝食を食べると、あとは三々五々に解散となった。
そのまま帰るのも惜しいと思って少し谷根千を散策。とはいっても、まだ11時前ということもあって、開いている店の方が少ない。その上、冷たい風が容赦なく吹き付けるので、適当に歩き回ると、帰ることにした。

駅までの歩こうと考えて、ふと思いついて、「根津のたいやき」を自宅へのお土産に買っていくことにした。開店直後の店先には既に10人くらい並んでいたが、それほど待つこと無く買うことができた。
10個買って、鶯谷駅まで歩き、そこから電車に乗る。席に座っていると、たいやきの甘いにおいが、鼻腔をくすぐって、胃袋を刺激した。自宅まで寄り道せずまっすぐ帰ると、早速、たいやきの包みを開けて、食べた。

尾っぽの先まであんこが詰まっていて、美味かった。

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