今日は曇りのち晴れ。今朝は平日よりも若干早めに妻と家を出た。目的地は東京ディズニーランドである。仕事に行くよりも足が軽いのは、仕方が無い。
東京駅で京葉線に乗り換えると、かなり車内が混んでいる。学生が多いのは卒業式が終わっていたり、春休みだったりということもあるだろうが、まだ7時過ぎである。気合いが入っている。
舞浜駅でどっと人が降りる。既に昨日ワンデーパスポートを購入済みなので、正門入口に並んだ。開園まで20分ほどある。ディズニーリゾートホテルの宿泊者は一般客に先駆けて15分早く入園することができるので、まもなく入園が開始された。
8時。入園するとあとは妻にお任せだ。自分はよくわからないのでついて行くしかない。まず、トゥモローランドのワンマンズドリームⅡ-ザ・マジック・リブズ・オンを見るための抽選を行うものの「はずれ」が出てしまった。ただ、このショーは公演1回目は抽選を行わないため、先着順に席が埋まることになる。そのため開演1時間半前にはショーベースに行かなくてはならないということで、それを念頭に午前中をアトラクションで楽しむことにした。
抽選の後はモンスターズ・インク”ライト&ゴーシーク!”のファストパスを取得してファンタジーランドのホーンテッドマンション、ピーターパン空の旅のアトラクションを楽しみ、ウェスタンランドの蒸気船マークトウェイン号に乗った。
その後、再びトゥモローランドに向かってショーベース前に並び、ワンマンズドリームⅡ-ザ・マジック・リブズ・オンを見る。その後、キャプテンEO、アドベンチャーランドのカリブの海賊を見て、15:00から始まるパレード「ジュビレーション!」を見るために場所を確保した。パレードが始まるまでの間にいろいろと園内でスナック類を買い込んで腹を満たした。
パレードを見た後はお茶。
( 今日のケーキ(アンハッピーバースデーケーキ@クイーンオブハートのバンケットホール) に続く )
お茶をした後は、軽く腹ごなしということで、アドベンチャーランドのウェスタンリバー鉄道に乗る。陽も傾いてきて、だんだんとアトラクション待ちの行列は短くなってきた。夜のパレードにはまだ時間があるということで、スイスファミリー・ツリーハウスを経て再びトゥモローランドに向かう。バズ・ライトイヤーのアストロブラスターの列に並んだがこれはかなり並んだ。ただ、このアトラクションは他のアトラクションと違い、自分で能動的にツールを使ってゲームを楽しむというもの。かなり人気があるアトラクションのようなので、長時間待つのも仕方ないのかもしれない。
アトラクションを終えて外に出てくると園内には灯りがともり、夜のパレードに向けてコース周辺には多くの人が陣取っていた。その一角を確保し、夜のパレード「エレクトリカルパレード・ドリームライツ」を待つ。真向かいに見えるシンデレラ城は青くライトアップされて綺麗である。
パレードが終わったところで、夕食を食べて帰ることにした。
( 今日のディナー(ハンバーグセット@センタストリートコーヒーハウス) に続く )
今日は晴れ。昨日降った雨でまだ路面は濡れている。そのためかやや気温が低いようだ。今日は昨日よりも気温が上がるという天気予報だが、気温が上がったのは午後で、昨日の雨の影響で午前中はそれほど気温が上がらなかったようだ。
今日は有休を取った。
もともと、1日どこかで休みたいと思っていたが、休もうとすると会議や打合せ、外出の予定が入るので、10月以降はカレンダー通りに出勤してきた。今日逃すと、来週以降は毎日なにがしかの予定が入っていて、もう休めなさそうだ。ということで、もしかしたら今年最後の有休になるかもしれない。そう考えて、昨日届けを出して、今日休むことにした。
休んだからといって、何か事前に予定を入れていたわけではない。妻は出勤の予定だし、ちょっと遠出をしようにも翌日が仕事なので、夜遅く帰ってくるわけにもいかない。妻から頼まれた家事もあるし…。
さて、どうしようかと考えていたところに、妻からの提案は出光博物館で開催している「長谷川等伯と狩野派」展に行ってきたら?というもの。最近、新聞に連載されている小説「等伯」が面白くて、新聞を読んでいるヒマが無くても、その小説だけは読んでいるのだが、ちょうどその物語そのものが展覧会として開催されているのである。
かなり興味深かったが、せっかくの休みに、東京の中心部に向かうというのもなんか気が引ける。ということで、ちょっと散歩ついでに写真を撮ってきたいなと考えていたら、新座市にある臨済宗の寺院「平林寺」では紅葉の見頃を迎えているという話を人づてに聞いた。
新座なら自宅から武蔵野線を使って40分ほどで行けるし、最近デジタル一眼レフの撮影方法について勉強をしてきたのでいろいろと試せるかなと考えて、こちらに行くことにした。
朝、妻の出勤を見送ると洗濯、掃除を済ませて外出の用意をして出かけた。
平林寺は江戸時代、島原の乱を鎮圧したことで有名な川越藩主 松平信綱とその一族の霊廟を有する寺院で禅宗の道場を持つ臨済宗妙心寺派の禅刹である。境内は総門、山門、仏殿、本堂の他に13万坪の境内林を有する広大な寺院である。新座駅から本数が少ないがバスに乗って平林寺に到着。拝観料を払って、境内に入った。受付には「御朱印は受け付けていません」と書いてあったので、あらためて確認したが、御朱印はいただけないとのことだった。残念である。
境内は平日にもかかわらず、かなり混んでいてなかなかシャッターを切れない。というか、カメラを抱えた中高年がたくさんいて、あちらこちらでカメラを向けているものだから、どこかの撮影会に紛れ込んだような錯覚さえ受ける。境内は三脚や一脚は禁止と書いてあっても、そんなのはどこ吹く風とばかりに三脚や一脚を使った撮影をしている中高年の男性もいる。どうせ落ちてしまうんだからと紅葉の葉をむしり取る中高年の女性。カメラを構えていても、何も言わずに正面に入ってきて、紅葉している木々にカメラを向ける人々。
撮影は正直、光が大切なので、時間が経ってしまうと太陽の位置が変わって光の当たり方が変わってしまうのだ。だから、そんなことをされると、かなり困るのだが、お構いなしに振る舞われて困った。
境内でいろいろとカメラの設定を変えて写真を撮ってみる。実際、パソコンの画面で見てみないとわからない。カメラの小さい液晶ディスプレイでは判別できないことも多々あるが、やっぱり思った通り撮れていないような気がした。まだまだ、写真は下手の横好きの域を出ない。境内を二巡したくらいで、時計を見るともう14時前である。そろそろ引き上げようということで境内を後にした。
都営浅草線馬込車両検修場を後にして、次は北鎌倉に移動。
先日、鬼怒川に出張の折、日光に立ち寄って日光東照宮や輪王寺、二荒山神社を参拝して御朱印をもらった。その際に、持参していた杉本寺の朱印帳が一杯になってしまった。ということで新しい朱印帳が欲しくなり、鎌倉に行く機会を狙っていた。しかし、なかなか平日に休暇が取れない。ということで、今日の午後に行くことにしたのである。
欲しいなと思っていたのは建長寺の御朱印帳。北鎌倉駅からは15分くらい歩いたところにある鎌倉五山第一の寺である。開山は南宋の禅僧蘭渓道隆で開基は鎌倉幕府第5代執権北条時頼の寺である。
総門をくぐり、入口の受付所で念願の朱印帳を買い求める。
朱印帳は青と赤の2種類があって、青地の朱印帳をい求めた。
表紙には「天下禅林」と染め抜いてある。建長寺管長の筆によるものだそうである。
「天下禅林」とは「人材を広く天下に求め育成する禅寺」の意で使われており、我が国最初の禅宗寺院で鎌倉五山来意地位の建長寺を象徴する言葉として北鎌倉側の外門に掲げられている。
朱印をもらうまでに20分ほど待つことになるというので、本尊の地蔵菩薩と千手観音の御朱印をお願いして境内に入った。
三門から仏殿に入り、更に方丈に至る。
三門は一度失われて、江戸時代に再建されている。楼上には五百羅漢が安置されている。
方丈の正面にある唐門は重要文化財で寛永5年(1628年)に崇源院(二代将軍徳川秀忠お江の方)の霊屋(現建長寺仏殿)の門として芝・増上寺に建立の後、正保4年(1647)に仏殿とともに建長寺の現在地に移築された。その後、関東大震災を受けて修理がおこなわれた他、平成に入ってからも修理がおこなわれ、今に至っていると言うことだ。
方丈の中では、ちょうど今は寺宝を虫干しのため外に出していて、それを拝観できるということだったが、別途拝観料金が必要なのと、ちょっと時間も無かったので今回は見合わせ。方丈裏の蘭渓道隆作庭の庭園を眺めて一度、受付に戻った。
受付で朱印帳を受け取ると、再度境内に。境内の塔頭を拝観して、半僧坊と奥の院に向かう。奥にある鳥居をくぐり、急な階段を息を切らしながら上っていくと天狗の像が立ち並ぶ斜面があって、その上に半僧坊のお堂がある。
建長寺半僧坊は古いようで明治23年に創建された比較的新しいお堂。半僧坊縁起によると、「今から五代前の住職がある夜にお坊さんのような、あるいは普通の人とも思える白髪の老人と山中で会い、『私を関東の清浄な所に招いて下さるなら、その所、いよいよ栄え、ありがたい事が絶えることがない』と言われ、姿を消したという霊夢を見た。その姿こそ半僧坊の真姿で建長寺の鎮守に相応しいと静岡県奥山方広寺に赴き、御分身を請われた」とある。
ここでお参りをして、御朱印を頂戴した。
あいにくの陽気で半僧坊から見えるはずの富士山や相模湾は見えないが、それでも上まで上ったという達成感がある。汗がふつふつと額や首から吹き出して背中を伝って流れていく。ちょっと水が欲しいところである。
再び山を下って山門まで来たところで山門が既に閉まっている。時計を見ると午後4時半を回っている。もう閉門である。通用門から外に出て帰宅の途につくことにした。
建長寺から北鎌倉駅に戻る道すがら、ちょっと休憩しようと、沿道にあった喫茶店「kamakura Sakura」という喫茶店に入店する。注文したのは「ホワイトモンブラン」のケーキセット。ドリンクはアイスコーヒーにした。
「ホワイトモンブラン」は黒ゴマのスポンジケーキ地の上にたっぷりの豆乳モンブランのクリームがたっぷりとのっていて、ビスタチオのかけらで彩りを添えている。黒ゴマのスポンジケーキは甘めの生地で美味しいのだが、豆乳モンブランのクリームはあまり栗を感じない。どちらかというと生クリームのようなクリームである。
ケーキを食べてしばし休憩。閉店時間が午後5時ということなので、店内には自分以外に客は居ない。5時を過ぎてもしばらくはいていい、ということだったので、お冷やをおかわりして、しばらくしてから外に出た。
既に外は暗い。細い歩道を伝うようにして北鎌倉駅に到着。北鎌倉駅も乗客は学生くらいなもので、もう観光客の姿はいない。
静かだ。
人気の無いホームをぽつんと電車を待っていると、電車が来ないのでは無いかという錯覚にとらわれた。やがて、駅のアナウンスがあって電車が駅に到着した。車内は座れないことはないが結構混んでいた。
家に着く頃に雨が降り出していた。
今日は晴れ。昨日の朝に比べるとかなり冷え込んだようだ。外に出ると吐く息が白い。
今日と明日は1泊2日の行程で検査のため小山に出張。小山には昼過ぎに到着すれば良いのだが、余裕を持って、というか、かなり早い時間に到着してしまった。とりあえず、どこかでコーヒーでも飲んでゆっくりくつろごうかと市内を適当に歩いていると、「まちの駅 思季彩館」という建物を見つけた。観光協会が併設されているということで、市内観光のパンフレットでも手に入るだろうと店内に入り、「るるぶ特別編集 小山」という無料冊子をもらった。それを見てあたりをつけて適当に市内をぶらぶら散策することにした。
まず、向かった先は「須賀神社」。小山を代表する神社で平安時代中期に平将門の乱を平定した藤原秀郷によって940年に京都の八坂神社より御分霊を迎えて創建された神社である。ここを参拝して工事の安全祈願をしたあと、社務所で御朱印をもらう。と、事務室から宮司さんが出てきて言うには勘違いで参拝日を間違えてしまったという。確かに今日は27日だが記載された日は22日。ここで修正を入れるわけにもいかない。前回、御朱印をもらった日光二荒山神社の参拝日は14日なので、この後ということならば、いいかということで双方落ち着いたのだが、最初から波乱を予想させる。お代を払おうとして、却って遠慮されてしまった。ありがたく頂戴することにする。
ちなみに巫女さんが綺麗な方だったのが印象的だった。
その後、冊子を見ながら市内をぶらぶら。
長福城跡、鷲神社(鷲城跡)、持宝寺、小山評定跡、天翁院と見て回る。
鷲神社(鷲城跡)は戦国大名小山氏の重要な支城だったということで、その跡に神社が建てられている。鳥居をくぐると杉並木の長い参道があって、その奥に神社がひっそりと鎮座している。神社は無人で氏子が管理しているようだ。
その裏側には思川という川が流れていて、澄んだ水面を水鳥が飛んでいた。
持宝寺は江戸時代、徳川吉宗が日光に参詣する折に休憩所として使ったということで、奈良時代の梵鐘があるということだ。山門は2階建で、2階には梵鐘が釣られている。立派なものだ。
小山評定跡は小山市役所敷地内にあって、市役所本館の正面にある。関ヶ原の合戦直前に会津に向けて進軍していた徳川家康が石田三成が挙兵したことを知り、諸将を集めて軍議を開いたのがこの場所と言うことである。この評定によって家康に付き従っていた豊臣恩顧の諸将が家康に忠誠を誓い、関ヶ原の戦を有利に進めたということで、小山市ではこのことによって「開運のまち」としてPRしている。
評定跡を見た後は戦国大名小山氏の菩提寺である天翁院に足を伸ばし、その後、小山城(祇園城)跡である城山公園を通って「まちの駅 思季彩館」に戻った。これで、11時半を回っている。とりあえず、お昼を食べようと、中に入った。
店の奥には飲食スペースがあって、うどんや喫茶メニューがある。せっかくだから小山名物のうどんを食べようかと思って注文したのは「かんぴょううどん」。地場特産小麦「イワイノダイチ」とかんぴょう粉末を使用したうどんでヘルシーなうどんである。ちなみに小山市は小麦の収穫量が栃木県内トップを誇っているほか、かんぴょうも小山名産とのこと。しかも、お試し価格300円とあっては食べてみるしかない。
奥の座敷席にあがって、お茶を飲みながらくつろぐ。店内は4人掛けの座敷のテーブル席の他、4人掛けのテーブル席、2人掛けのテーブル席がある。テーブルの上には七味の入った容器が置いてある。
うどんが来た。白いうどんは中細。醤油ベースのつゆはやや色が濃くて、中には鶏肉、椎茸、かんぴょう、焼きネギが入っている。薬味は刻みネギ。
刻みネギをつゆに入れてうどんをすする。喉ごしが良くてつるんといける。ついでに田舎うどんも注文しようかと思ったが、20食限定ということなので、自分が食べ占めては申し訳ない。あとはどこかでお茶でもするかと食事を終えて店を出た。
もっとも、待ち合わせの時間まであとわずかしか無いのでゆっくりお茶をするヒマも無く、結局、駅前のマックでコーヒーを飲んで駅の改札に向かった。
今日の出張では会社から自分以外に担当者を含め3人が同行する。出張先の工場で今日の業務を終えた後、懇親会をして駅前のホテルに移動。
二次会に誘われたが、ちょっとくたびれたので、お誘いを断って早めに床についた。
今日は晴れのち曇り。朝の天気予報では夕方から雨が降るということであるが、傘は持って来ていない。まあ、あまり遅く帰らなければ良いだろうと言うことで、日光に立ち寄っていくことにした。
午前8時過ぎに宿を出て、鬼怒川温泉駅から電車に乗る。下今市駅で電車を乗り換えて東武日光駅に到着。駅構内のロッカーに手荷物を預けてバスに乗る。鬼怒川温泉の方は旅行客が少なかったが、日光の方は平日にもかかわらず、かなりの人出だ。中禅寺湖の方に行くのだろうか。
今日の予定では東照宮に行き、お昼を食べて帰宅するということにしていたが、正直、全然忙しくて、下調べをしていない。どのバスに乗り、どこで降りるかも分からなかったので、バスの運転手さんに東照宮への行き方を聞いて、「表参道」というバス停で降りれば良いということが分かり、ホッとする。バス停で降りると目の前には東照宮への参道が続いていた。
東照宮に行く前に表参道脇にある輪王寺を拝観。輪王寺は1つのお寺としてあるのでは無く、日光山に点在するお堂や廟を総称して輪王寺としている。とりあえず、最初は黒門をくぐって、境内の入口で拝観券のセットを購入し、御朱印をもらって、三佛堂に行く。
三佛堂は現在修繕中で、工事用の仮囲いにその建物の絵が描かれている。中に入り、1階の本堂内陣を見て回った。三佛堂に安置している仏像はいずれも木造で、中央に阿弥陀如来とその左右に馬頭観世音菩薩、千手観世音菩薩である。そのうち、阿弥陀如来像には足場が組まれて、分解修繕中。下から見ると新しい白木が組まれているようすが見える。ああ、あんな風に仏像が作られているのかと、とても興味深かった。2階以上の修繕状況を見学するには別料金が必要とのこと。そこまで行かなくてもいいかと三佛堂を出た。
三佛堂の裏手には平成に入ってから作られたという護摩堂があり、ここを拝観して、御朱印をもらい、いよいよ東照宮に入る。
東照宮の入口の手前左手には朱塗りの五重塔がそびえ立っている。
境内は小学生の修学旅行の団体でごった返している。
まずは三神庫の前にある神厩舎の前に立った。この建物には有名な三猿「見ざる、聞かざる、言わざる」の彫り物が長押上にある。それを見ながら、神厩舎の中を見ると白馬が草を食んでいた。
いよいよ陽明門である。
華麗な陽明門をくぐると、正面の唐門や本殿・拝殿が修理中でやはり工事用の仮囲いがされている。その脇の入口から内部に入り、拝殿中央の間に入った。正面には賽銭箱がある。ここで参拝していると、自分の周りに小学生が神主さんの指示で座り始めた。やがて、神主さんの説明が始まる。ようやく終わったかと思うと、また別の集団が。早々に参拝を済ませて脇にずれた。
拝殿を出て、東照宮の御朱印をもらい、今度は奥宮に向かうことにする。奥宮に入るためには別途参拝券が必要で、ちょっとお高めの拝観料だが、ここまで来たら最後まで行ってやろうと考えて、財布を出した。
中に入ると、奥宮に行くための階段があって、その前に回廊が築かれている。その回廊の正面上に有名な「眠り猫」の彫り物が掲げられている。この「眠り猫」は左甚五郎の作で牡丹の花が咲く下で子猫がうたた寝をしている風景を彫ってある。ガイドさんが説明しているのを横で聞いていると、奥宮にネズミなどが入らないようにするための見張りをしているのだとか…。自宅に帰ってからいろいろと調べてみたが、いろいろな解釈があるようで、しかし、小学生には一番わかりやすい解釈じゃないのかな。
眠り猫の下を通って二百段余の石段を上がって奥宮にたどり着く。奥宮の背後には家康の遺骸を納めた宝塔があって、その周囲を回って下に降りる。途中に東照公御遺訓の一節が書かれた看板がある。「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し。いそぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。」
奥宮を後にして、次は鳴龍に向かう。鳴龍は正しくは輪王寺薬師堂となる。神社の中にお寺のお堂があるのは江戸時代の神仏混合の考えによるものである。中に入ると天井には大きな水墨画の龍が描かれている。もとの絵は狩野永真によって描かれたが、昭和に入り、お堂が焼失したため堅山南風が復元した。正面には秘仏の薬師如来が納められた厨子があり、その脇を十二神将が安置されている。
説明のお坊さんが説明する。龍の頭の真下で拍子木を叩くと、拍子木の音が天井と床とを反芻して龍が鳴いているように聞こえる。ちなみに堂内は撮影禁止に加え、録音禁止、手を叩いてもダメとかなり厳しい。説明を受けた後、龍の下をくぐって御朱印をもらい、外に出た。
その後、二荒山神社、輪王寺大猶廟を回り、各所で御朱印をもらう。
輪王寺大猶廟では大河ドラマで放映しているという「お江の方」の位牌も公開していた。
ふたたび、参道に戻り、階段を下りていくと神橋が目の前に現れた。神橋は渡橋できるが今回はパス。御朱印をもらうだけにとどめた。
こうして回ってみると、小学生の時に行った東照宮の見え方と大人になってからの見え方がずいぶん違うことに気付く。東照宮の成り立ちや境内の堂宇の配置、歴史背景などがよく理解されて行くのと、当時はあれが「眠り猫」「三猿」「陽明門」などと言われて一生懸命見ていたのとではずいぶん違うものである。
それにしても、東照宮・輪王寺では至る所でお金を取るなぁ、と嘆息。最初のセット券では三佛堂、東照宮、鳴龍、二荒山神社(神苑)、輪王寺大猶廟の拝観で千円。更に東照宮奥宮に行くのに520円。その他、行かなかったが、輪王寺逍遥園や三佛堂修繕現場、宝物殿なども全て有料。ちょっと高すぎ!奥宮など、眠り猫と家康の墓だけじゃないか、というのは言い過ぎかもしれないけれど、ちょっとぼったくられた感がある。
今日はここまで。
夕方には雨が降るという天気予報だったし、そろそろお腹も空いたし、ちょっと疲れた。
既に午後2時。とりあえず、バスに乗って東武日光駅に戻る。
東武日光駅前の土産物屋「旭屋食堂」で遅めの昼食を食べることにした。食堂は土産物店の2階にあって、駅舎が望める。窓際の席に座り、注文したのは「ゆば玉丼」。丼にはお吸い物とお新香がついた。
丼が来た。「ゆば玉丼」はご飯の上に刻み海苔が敷かれ、湯葉の玉子とじがのっており、みつばが入っている。見た目、玉子丼。味はダシがきいていて美味しい。ヘルシーな玉子丼といった感じである。お吸い物には湯葉と絹さやが入っている。淡泊な湯葉を存分に味わった。
その後、土産物を買い、東武日光駅で帰りの電車の切符を買う。帰りはもちろん東武特急スペーシアで座って帰る。空いているので、指定席にする必要は無いが、スペーシアには指定席しか無い。更に、JR線に乗り入れている特急「日光」は東武線内での特急券・指定席券に加え、JR側の特急券・指定席券が必要になり、便利なのだが、かなり割高なのだ。ということで、途中でJRに乗り換えて、自宅に帰ることにする。
帰りはゆったりと席に座って帰宅。やっぱり、日光に行くには多少値段が高くても特急に乗るのが正解だ、とあらためて感じた。
結局、家に到着するまで雨には降られなかった。